No.16 ブランチ・ポイント



 変化は突然で、前触れはなかった。

 レウミカは襲い掛かる刃の嵐を掻い潜りながら、自らの力不足を悔やむ。

 影の王スキアラグナ・イビ・クロノスを捜索しつつ、細心の注意を払っていたにも関わらず、事態はほとんど最悪と言っていい状況になっていた。


「し、シシシシねねねネネェェェっっっ!!!」


 漆黒の軍服をまとった兵士が狂気に叫ぶ。

 ホグワイツ大陸の中でも最高峰と名高い帝国兵の剣閃は非常に鋭く、レウミカでもあっても油断はできない。

 

「《コールドパージ》」

 

 氷属性の上級魔法によって、地面伝いに兵士の動きを凍え止める。

 だがまた新たに別の帝国兵が現れ、血濡れた剣を振るってきた。


(まさに地獄絵図ね)


 辺りには悲鳴と怒号が飛び交っている。

 付近の家屋は火に燃え盛り、無残に斬り殺された街民の姿も少なくはない。

 いまや帝国ゼクターの首都アレスは、阿鼻叫喚の坩堝と化していたのだ。


「帝国は、俺ガ守るウウウゥゥゥッッッ!」


 背後から襲い掛かる剣を、レウミカは氷で創ったレイピアで受け止める。

 そして一旦距離を取ると、これまで同様にその兵士を氷結させた。


(このままじゃジリ貧ね……しかも本気で殺しにかかってくる相手を、こちらは殺さないよう手加減しつつ相手しなければいけない。厄介なんてものではないわ)


 自らの残り魔力を冷静に計算しながら、レウミカは淡々と正気を失った帝国兵を無力化していく。

 すでに首都アレスに異変が起きてから、一時間は経過している。

 帝国兵の九割以上が突如集団幻覚に見舞われ、無垢の民を無差別に斬りかかり始めてからというもの、レウミカはひたすらに交戦続けているが、それもにも限界がある。

 この異常事態が発覚した後すぐに増援を魔法で呼んでいたが、今のところ現状は悪化の道を辿るのみだった。


(今現在この街にいる九賢人は私と七番目ランタンだけ。九番目クロウリーもどこかにいるはずなのだけれど、彼女とは連絡がつかない。完全に人手不足ね。何人かの公認魔術師には市民の避難誘導と護衛を頼んだけれど、早くこの状況をどうにかしないと帝国ゼクターという国そのものが終わってしまうわ)


 焦燥に歯ぎしりするレウミカだが、そんな彼女に考える余裕を与えないかのように帝国兵は次々に剣を向けてくる。

 街の中央部で多数の帝国兵を一人で相手取るが、確かに疲労は蓄積していて、目立たないが傷も増えてきていた。


(……あれは?)


 ふいに柔らかな風が吹き、上空に緑色の光が浮き上がる。

 その翡翠はたしかな意味を持った文字列を創り出し、レウミカは目を凝らす。


『街の北区域にて暴帝オシリウレスを発見。他の帝国兵と同じように幻覚症状、意識混濁がみられる。一時交戦したが、二秒で敗北を確信。撤退した』


 また小風が通り抜け、緑色の光は溶けるように消失する。

 風と光を組み合わせた特異な魔法。

 この魔法を使う人物に心当たりのあったレウミカは、苛立ちに近くの帝国兵を蹴り飛ばした。


(あの七番目ポンコツ……!)


 狂気的な執着を持って剣を振るう帝国兵たちの勢いは衰えず、段々とレウミカを囲い込んでいた。

 前後左右をとられる広場では形勢が不利と判断し、細道に一度逃げ込む。

 不吉な黒雲を睨みつけながら、レウミカは巨大な氷柱を追いかけてくる兵士の群れに落とす。


(それにしてもきりがないわね)


 息遣いは荒く、集中力も確実に低下し始めている。

 さらに他の場所の状況がどうなっているのかもわからない。

 すでにこの街で正気を保ち生きているのは自分だけなのではないか。

 そんな嫌な想像が頭をよぎり、レウミカは無理矢理それを振り払った。


「誰か助けてっ!」


 するとその時、細い悲鳴が聞こえてくる。

 声のした方へ顔を向けてみれば、先ほどまでいた広場で幼い少女が帝国兵に包囲されていた。

 

(しまった!)


 魔法でその兵達を追い払うには自らに向かってくる兵達が邪魔で、直接少女を救い出すには距離が遠すぎる。

 間に合わない。

 打つ手が思いつかず、レウミカは魔力根渇と、いくらかの帝国兵の命を奪う覚悟で全力の絶級魔法を放とうとするが――、



「オレが助ける!」



 ――黒い影が閃光のように走り、少女の姿が視界から消えることで詠唱を途中で止めた。

 何が起きたのか把握できず、振り上げた剣を宙に漂わせる帝国兵たち。

 彼らは結局その剣を振り下ろすことはない。


「《平伏せメルギトゥル》」


 空気を鳴動させる轟音。

 広場にいた帝国兵、さらにはレウミカに襲い掛かろうとしていた者たちまで全てが一瞬にして地面に倒れ込む。

 暴風が吹き荒れ、大地に沈んだ兵士たちは一切立ち上がる気配がない。



「お待たせ、レウミカ。あ、俺はちゃんと本物だからね?」



 急にひらけた視野の中で、黒の外套を羽織った青年がレウミカにぎこちない笑みを向けていた。

 その両隣りには不機嫌そうな蒼い髪の少女が一人と、先の幼い少女を抱きかかえた帝国兵が一人ずつ。

 レウミカは安堵の溜め息をつくと、待ち望んでいた人物に微笑みを返した。



「遅いわよ、ムト。待ちくたびれて街を半分くらい死滅させるところだったわ」




――――――     




 レウミカからの伝言を貰った俺は急いで帝国の首都アレスに向かったのだが、到着すると街は世紀末かのような悲惨な状態になっていた。

 壮健な街並みは破壊の限りをし尽くされ、そこら中に逃げ遅れたのであろう人々の死骸が転がっている。

 吐き気を抑えながら周囲を窺ってみれば、なぜか街を荒らしているのは魔物でも、犯罪者でもなく、この国の帝国兵らしかった。

 目は瞳孔以外真っ黒に染まり、どう見ても常軌を逸した面持ちで辺り構わず剣を振り回している。


 影の王の仕業であることはすぐにわかった。


 あいつには幻影を見せる能力があったはず。

 おそらくそれを使って兵士たちに何か暴れたくなるような幻を見せているのだろう。

 転移先である中々に高い建物の屋根の上から、凄惨な街を見渡す。

 俺はすぐそこの細道の先にレウミカの姿を見つけ、とりあえず現状の説明を頼もうと合流することにした。


「ムト、あそこに女の子が!」

「え?」


 すると唐突に一緒に転移してきていたヒバリが叫び声を上げ、俺の返事も待たずに飛び出した。

 見ればたしかに広場みたいな空間の端っこで、巻き毛の小さな少女が今にも斬り殺されそうになっている。

 だがヒバリの動きは驚くべき速さで、狂った帝国兵の間を器用にすり抜け、あっという間に少女の下までたどり着く。


「オレが助ける!」


 そしてヒバリが無事少女を救出したことを確認して、俺はジャンヌにとりあえず見える範囲にいる帝国兵たちの無力化を頼んだ。


「《平伏せメルギトゥル》」


 凄まじい音がした思えば、視界に収まる兵全員が地面に横になっている。

 不自然な静寂から察するに、しばらくは起き上がってこなさそうだ。


「お待たせ、レウミカ。あ、俺はちゃんと本物だからね?」

「遅いわよ、ムト。待ちくたびれて街を半分くらい死滅させるところだったわ」


 俺とマイマイも屋根から降り、レウミカの方へ行く。

 頬や衣服にも傷が若干だが見てとれ、大きく上下する豊満な乳房から疲労を感じた。

 どうやらこの辺りの帝国兵をたった一人で相手していたようだ。

 相手していたと言っても、当然やらしい意味ではない。


「それで状況はどうなってる? なんかだいぶヤバい感じになってるけど」

「見ての通りよ。帝国兵が正気を失って暴徒と化している。殺すわけにもいかないから、とても困っていたの。まず間違いなく影の王の仕業ね」

「影の王は見つかった? この街にいる?」

「それはわからない。これだけの力を行使しているのだから、近くにはいると思うのだけれど」


 近くにいる。

 その言葉を聞き、俺は手を強く握り締める。

 すでに何人もの罪なき人が犠牲になっている。

 もうこれ以上影の王に好き勝手させるわけにはいかない。


「でもその代わりに暴帝オシリウレスの居場所はわかっているわ。今この街にいる」

「この街に? ……ってことは、まさかオシリウレスさんも?」

「ええ。他の兵と同じように幻覚状態よ」

「最悪だ。あれが暴れてるとなると、被害はここら辺どころじゃないな」


 案の定なバッドニュースに俺は舌打ちする。

 早く手を打たなければ取り返しのつかないことになりそうだ。


「それで私は今から暴帝オシリウレスを止めに行こうと思うのだけれど、君はその間に影の王を見つけ出してくれないかしら?」

「わかった。任せて。あいつをどうにかしないとこの人たちも元に戻らないだろうし。ついでに出来る限り被害を食い止めておくよ」

「ありがとう、助かるわ」

「いや、こうなったのは元々俺の責任だから」

「それは……」


 レウミカは何かを言いかけたが、結局は口を噤んだ。

 ただ俺の瞳を見つめ、やれやれといった様子で首を振るだけ。

 その仕草の意図することが俺にはさっぱりわからない。


「……まあ、いいわ。それじゃあ頼んだわよ。私は行くわ」

「待ってください。私はレウミカさんの方について行っていいですか?」


 役割分担が決まったところで、マイマイが口を挟む。

 てっきり俺の方に付いてくるのかと思っていたが、どうも予想は外れたらしい。

 

「別に構わないけれど……安全は保証できないわよ?」

「オッシーは私の友人です。私も助けに行きたいんです。私の心配は要りません。自分の身は自分で守れますから。お願いします、レウミカさん」


 真剣な顔をしてマイマイはレウミカに頼み込む。

 彼女にしては珍しく頭まで下げている。

 レウミカが俺に視線をよこすので、俺は頷いておいた。

 実際こちらは俺、というかジャンヌ一人で十分だ。


「わかったわ。一緒に行きましょう、マイマイさん」

「わあ! 本当ですか!? ありがとうございます! チチミカさん!」

「……私の名前はレウミカよ。おかしいわね。数秒前までは正しく言えていたはずなのに」


 了承を得ると、途端に普段の態度に戻すマイマイは流石の一言だった。

 彼女なりにこの張り詰めた空気を緩やかにしようとしたのかもしれない。

 きっとそうだと信じたい。


「あ、あの、オレも、オシリウレス様を助けに行きたいんだけど……」

「え? ヒバリもか?」

「オレだってこの国の兵士だ。自分の国を救うための力になりたい」


 すると意外にもヒバリまでもがレウミカに同行したいと言い出した。

 俺はしばし迷う。

 たしかに俺についてくるよりは、助けになるだろう。

 特に暴帝オシリウレスは直属の主君だ。

 助けたいという想いもこの中で一番なはず。

 迷いはすぐに消えた。


「わかった。ヒバリもレウミカと一緒に行って、彼女を助けてやってくれ」

「いいの、ムト? さっきも言ったけれど、安全の保証はできないわよ?」

「大丈夫だよ、レウミカ。こいつも自分の身くらい自分で守れる。なんてったって、俺が鍛え上げたんだからな」

「へえ? 貴方が? ……それなら安心、というよりは期待できそうね」


 朱緋の瞳を見てみれば、力強く頷き返してくれた。

 もうこいつはこれまでのヘッポコ剣士じゃない。

 俺はヒバリのさらさらの黒髪を乱暴に撫で、その背中をドンと押した。


「行ってこい、ヒバリ。今度はお前が助ける番だ」

「……うん。行ってくる、ムト」


 自信に満ちた言葉に俺も安心する。

 きっと今度は口だけではないというところを見せてくれるだろう。


「あ、そうだ。この子を頼むよ。どっか安全な場所に運んでおいて。どうも恐怖で失神しちゃったみたいだから」

「おっけー、任せて。それにしても恐怖で失神だなんて、少し前のヒバリみたいだね」

「う、うるさいな」


 先ほどヒバリが救出した少女を俺は預かる。

 実に柔らかく、驚くほどに軽い。

 女性特有の甘い香りが鼻腔をくすぐり、油断すると変な気起こしてしまいそうだ。


「そうだ、ヒバリ。代わりというわけでもないけど、これを貸してあげるよ」

「……え? これは……」

「お守りさ」


 邪な思考を振り払ったついで思いついたことを、俺は実行に移す。

 それは無刃のヴァニッシュをヒバリに貸すことだった。

 若干ばかり強くなったとは言っても、レウミカや暴帝オシリウレスに比べれば力は劣るはず。

 その力量差が少しでも埋まればいいと思ったのだ。


「……ありがとう、ムト。必ず返す」

「当たり前だ」


 話はこれくらいにした方がいいだろう。

 今も、幻影に囚われた兵たちが暴れ続けているのだから。

 俺が影の王を倒せば、それで全てが終わる。



「さてと、それじゃあちょっくら英雄活動してきますか」



 そして誰も俺についてきてくれないことを少しだけ寂しく思いながらも、とりあえず預かった少女を安全なところへ運ぶべく転移魔法の発動ジャンヌに頼んだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る