No.9 アウトキャスト
この世の中には自然消滅という言葉がある。
俺からすればなんとも贅沢で、道理のわからないものだと思っていた。
しかしここに、懺悔として正直に告白すると、俺はそれに近いことを経験したことがあった。
これまでの人生において形式上は恋人関係になった女性がたった一人、実はたった一人だけ存在したのだ。
そしてその相手の女性こそが彼女、ルナ・ラドクリフなのだ。
ただあくまで形式上という言い方をしたことからわかるように、それは純粋な愛の形ではなかった。
一目惚れをした、なんてあまりに適当な理由で、彼女はある日突然俺に告白をしてきた。
三年前の記憶を振り返るたびに、少しだけおかしな気分になる。
彼女からの告白はあまりにも突然過ぎて、まったくもって予兆、前触れはなかった。
初めて出会ったその日、当日に彼女は薄っぺらの好意の言葉を俺に伝えたのだった。
もちろん、その好意にどこか疑いの目を持ちながらも、俺が告白の言葉を拒否することはない。
ルナからの言葉にも、当然俺はとんど思考することなく、すぐに受け入れの答えを返している。
俺は多くは望まなかったからだ。そこにどんな理由があろうと、あの頃の俺は自分の隣りに誰かがいてくれるなら、それでよかった。
しかし、この世知辛い世の中、そう上手くはいきやしない。
俺とルナの曖昧で、それでいて誰も不幸せではない関係は、ある日突然終わりを告げた。
真実を知り、別れを強いられたあの日のことは今でも覚えている。
世界に秩序が戻りしばらくしたあの日に、ルナはホグワイツ大陸から追放という扱いを受けた。
ルナに言い渡された大陸外追放に、俺が異論を挟むことは許されず、彼女もまた俺に何も求めなかった。
きっとそれが正しいことだと、互いにわかっていたんだろう。
「あら、貴方、たしかルナとか言ったかしら。私のこと覚えてる?」
「ああ、これはどうもお久し振りです。たしかラーさんでしたよね。セト・ボナパルトと一緒にいた」
「ええ、そうよ。たしか三年前に一度会ったきりなのに覚えてくれているなんて、嬉しいわね」
「いえ。私の方こそ」
様々な思いが頭の中で渦巻き、言葉を失っているとラーが沈黙を代わりに破ってくれる。
そういえばラーもルナと面識があったなと思い出し、懐かしいような、気まずいような気持ちになった。
あの時はまだ、俺たちの仮初の関係が続いていた。
「それでムトさん、今日はどのようなご用件でいらしたのですか?」
「え? あ、ああ、えーと、たまたまアルセイントに来てて、ちょっとした時間潰しにウロウロしてたら、なんか行列ができてて、それで、興味本位で並んでみたらルナがいた、みたいな?」
「そうでしたか。ではどうします? もし時間が余っているのでしたら、私の助手などをしていただけると嬉しいですけど」
「じょ、助手? あー、うん、そうだね。暇だし、ルナが迷惑じゃないなら」
「そうですか。ではよろしくお願いします」
完全に狼狽えている俺とは違い、ルナは俺の知っている通り冷静なままだ。
どうしようもない気まずさを感じていて、どう接すればいいのかわからないのは俺だけなのだろうか。
なんだか初めて元カノと偶然出会ってしまった人の気持ちが、部分的にでもわかったような気がする。
「助手って何をすればいいのかしら? ムトはあまり器用な人間じゃないわよ?」
「ムトさんのことはそれなりによく知っていますが、まあおそらく大丈夫だと思います。たいした仕事はありませんから」
後ろの方にぽつんと置かれていた椅子を引っ張り出し、俺はルナの隣りに腰を掛ける。
いったいこれはどういう状況なんだ。いまいちまだ現状についていけていない。
「それでは次の方、どうぞ」
俺の準備を確認すると、ルナはすぐに次の客を呼ぶ。
やってきたのはどこか内気そうな印象を抱かせる妙齢の女性だった。
大した説明もなく始まってしまったルナの占いを、俺は緊張と期待を同居させながら見守ることにする。
「本日はどうされましたか?」
「……あの、ここに来れば悩みが解決すると聞いたのですが、本当なのでしょうか」
「解決するかどうかはわかりません。私はただ話を聞き、それに対し適切だと私が思うアドバイスをさせて頂くだけです」
「そ、そうなんですか? どうしよう……」
「お金を頂くわけでもないので、どうか気楽に話すだけ話してみたらいかがでしょう」
「……そうね。せっかくだし、そうさせてもらおうかしら」
ルナはてきぱきと慣れた調子で、ご婦人との会話を進めていく。
それにしてもお金を取らないのか。それはまた凄い。
聞いている限り怪しげなスピリチュアルパワーを使うわけでもなさそうだし、占い師というよりは人間知恵袋をやっているような感覚だろうか。
いったいなぜこんな面倒なことを。彼女の方にメリットがあるようには今のところ思えない。
「実は私の主人のことだけど、なんだか最近、様子がおかしいのよ」
「様子がおかしいとは、具体的にどのような状態なのですか」
「そうね。たとえば、ここ一週間、やけに仕事から帰るのが遅いの。これまで夕食はいつも一緒に取ってきたのに、最近は時間がずれるようになったわ」
「ご主人の仕事は?」
「あ、ごめんなさい。言い忘れていたわね。私の主人は王城の警備兵をやっているわ」
「警備兵ですか。本人は帰宅時間の遅れに関してなんとおっしゃっていますか?」
「なにも言ってはくれないわ。ただ、心配するなと」
「なるほど。そうですか」
たった一週間帰ってくるのが遅いからってわざわざ評判の占い師を頼るとは、なんとも心配性なご婦人だ。
男の帰りが遅い理由なんて、そこまで候補があるわけではない。
どうせギャンブルにハマったか、風俗でハメまくってるかのどっちかだろう。
「他に何か変わったところは?」
「私はあの人が帰ってくるまで起きて待っているのだけど、いつもあの人は帰って来るたびに、私のことを強く抱きしめるの。あの人、そういうことは苦手で、これまでは手でさえめったに握ってくれなかったのに」
「……何も言わずにですか?」
「ええ、そうよ。何も言ってくれない。ただ黙って私を抱き締めるの」
「そうですか。わかりました」
なんだこれただの惚気か?
自然消滅してしまった訳あり元カップルの目の前でいい度胸だ。
帰りの遅い夫が、夜な夜な私を激しく抱くの、ってか。どうせ浮気だよ。俺にはわかる。
若干やさぐれてきた俺は、人妻という官能的な存在を食い入るように見つめることで精神の浄化をはかる。
「占い師さん、私はどうすればいいの?」
「知り合いに、貴方と同じように警備兵の夫を持つ人はいませんか?」
「私の知り合いに? ……一人か、二人くらいなら心当たりがあるわ」
「でしたら、その知人に話を伺ってみてください」
「あの、話っていうのは、私の夫のことをですか?」
「いえ、そういうわけではなく、その知人の夫たちの様子をです」
「知人の夫の様子を?」
ルナも俺と同じように昼ドラ展開必須の結論を導き出したのかと思ったが、どうもそういうわけではないようだ。
相談をしに来たご婦人も、意図を計りかねている様子だ。
「はい。そうです。もしかすると、貴方の夫以外にも、似たような兆候を示している人がいるかもしれませんから」
「それはつまり、この一週間夫の帰りが遅いのは、警備兵という仕事が理由かもしれないということなの?」
「あくまで可能性の一つですが」
「……わかったわ。話を聞いてみます。でも、どんな理由で警備兵の仕事が長引いているのかしら?」
「それはわかりません。それが原因だと確定したわけでもありませんので」
「そう。まあ、そうよね。……今日はありがとう、予想とは違ったけれど、評判通りの占い師だったわ」
「いえ。私はただ数ある可能性の一つを提示しただけですので」
ご婦人は頭を一度深く下げると、足早に去って行った。
悩みはまるで解決していないが、きっと自分に何かできることができただけでも嬉しいのだろう。
「次の方、どうぞ」
そしてその後も、大小様々な相談事をルナは一つ一つ丁寧に聞いていった。
胃腸の調子が悪いという糞ほどどうでもいい悩みから、友達ができないというほろり涙を誘う悩み、さらには異性にモテすぎて困るという勝手にほざいてもげてしまえと言いたくなる悩みまで、本当にバリエーションに跳んだ相談事ばかりだった。
たまに霊的な存在をお祓いをお願いされることもあったが、それもルナは二つ返事で了承していた。霊感とかあるのかもしれない。実に万能な占い師だ。
「今日これくらいで終わりですかね。ムトさん、お疲れ様でした」
「え? あ、ああ、うん。俺は結局なにもしてないけどね」
空が茜色に染まる頃、やっと行列もなくなり、ルナは店じまいに腰を上げた。
どうも聞いてみると、週に一回こうやって占い師、というよりは街民の声を聞く仕事をしては、頼まれた願い事を一週間かけて片っ端からかたづけているらしい。
「それでどうでしたか、ムトさん。私のやっていることを一日見た感想などがあれば聞かせてください」
「感想? そ、そうだね。大変そうだなぁとか、偉いなぁとか、そんな感じ?」
「そうですか」
俺の回答があまりに程度が低過ぎたのか、ルナは眠そうな目をゆっくりと瞬きをさせるだけだ。
相変わらずアドリブの利かない男だ。こういうところで人間としての無能さが際立ってしまう。
「そ、それにしても驚いたよ。まさかルナにこんなところでまた会えるなんて」
「そうですね。偶然ですもんね」
「う、うん。でもなんで、こんなことをしてるの?」
「……わかりませんか?」
「え?」
「いえ、すいません。わかるわけないですよね。今の発言は忘れてください」
「あ、うん」
気の利いた台詞が言えなかったことカバーしようと思ったのだが、どうもさらに傷を深めてしまっただけのように思える。
ルナの可憐な童顔からは何の感情も読み取れないが、間違いなくさっきの一瞬は何か妙な歪みを生んでしまっていた。
どうしていつもこうなるのだろう。どうやら復縁にはほど遠そうだ。
「……それではもう遅いので、私はこれで。今日はまた会えて本当に嬉しかったです」
「あ、お、俺も嬉しかった。またルナに会えて」
さっさと俺の顔が見えないところへ行きたいのか、ルナはあっさり再度別れの言葉を告げようとする。
しかしよく考えてみれば、当たり前のことだろう。彼女がホグワイツ大陸から追放されたのも、俺のせいというところが大きいのだから。
「ちょっと待ってくれない、ルナ?」
「はい。なんでしょう?」
「貴方、これから一週間、さっき頼まれた相談を一つずつ解決していくのよね?」
「そうですけど、どうしました?」
「私たちにもそれ、手伝わせてくれない?」
「ちょっ!? ラーなに勝手なこと言ってるの!? め、迷惑だって!」
だがここで普段はあれほど空気の読めるラーが、わけのわからない提案をする。
どっからどう見ても、俺から離れたいオーラを出しているルナに対してなんてはた迷惑なことを言っているのだ。
拒否されるに決まっているじゃないか。
「迷惑かしら?」
「……いえ、私の方はむしろ助かりますが、構わないんですか?」
「え、いいの?」
「どちらかといえば、私がお願いする立場だと思います。手伝ってもらえるならありがたいですね」
「せっかく暇なんだし、彼女のお手伝いをしましょうよ」
意外にも、ラーの申し出をルナは簡単に受け入れた。
あまり動かない蒼色の瞳が大きく見開いたことから、予想外の申し出なのはすぐにわかった。
「わ、わかった。それじゃあ、これから一週間、よ、よろしく」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
ルナは変わらない無表情で、俺に小さく礼をする。
今も彼女は三年前と同じように、俺のことを好きだと言葉にしてくれるのだろうか。それはわからない。
やはり今も彼女は、三年前と同じように、俺のことを殺したいと思っているのだろうか。それはわからないし、わかりたくもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます