No.5 インビジブル・インサニティ
岩屑だらけだった殺風景な景色にも段々と彩が増えてきて、アップダウンの激しい道のりもだいぶ落ち着いてきている。
クアトロと出会ってからもう数日は経過しているが、ここにきてやっとドワーフの領地から抜け出すことができそうだ。
「……お、見えてきたな」
「おー、我が母国よ。うち、カムバック」
すると丘をまた一つ昇りきったところで、ある異様な光景が目に入る。
距離的には一キロメートルほど離れたところだろうか。
そこにあったのはまさに威圧感に溢れた灰色。見るものを圧倒するような巨壁がずらりと立ち並んでいたのだ。
「なにあれ?」
「関所だよ。あそこがエルフとドワーフの国境だ」
通行を妨げるその灰壁はどうやら国と国との間を仕切る要所らしい。
ホグワイツ大陸は自然国境しかなかったようだが、こちらには人工的な境目がつくられているようだ。
壁の大きさは数十メートル程度なので、正直言って魔法で飛べば簡単に飛び越えられそうだが、今回は愛くるしい妹がいるので、彼女の教育上そういったゴリ押し戦法はなるべく取りたくない。
「関所かぁ。ジャックどうする? あれって俺たちでも普通に通れるの?」
「知らねぇ。おれもエルフとか行ったことねぇし。通れんじゃね?」
エルフという国の評判はあまりよろしくないので、関所を何食わぬ顔で素通りできるか不安なのだが、隣りを歩く無能ウェイはやはり何も考えていなかった。
このまま直行しても悪い予感しかしないのだが、いったいどうするべきか。
「つか、クーちゃんがエルフ出身なんだからクーちゃんに訊けよ。なあ、あの関所っておれたち外国人でも通れるのか?」
「えー、どうだろう。うち他の国の人と一緒に関所を通り抜けたことないし。わかんない。でもたぶん大丈夫だと思うよ。いざとなったらうちが訊いてくるよ」
「マジクーちゃん最高。愛してる」
「はーい。ありがと」
しかし生粋のエルフ人であるクアトロがのほほんとした口調で大丈夫と言ってくれるので、俺は大船に乗ったつもりで安心する。
神の使いである彼女が大丈夫だと言っているのだ。大丈夫に決まっている。
「にしても、なんか不気味だよな。あの篝火が灯ってからもう結構時間経ってるのによ。今のところ、何も変化なしだぜ?」
「たしかに。あの気持ち悪い骨と皮の怪物はまだ見かけてないね」
気持ち良いほどの快晴の中で異質に輝く真紅の炎を見仰ぎながら、ジャックが思い出したようにポツリと呟く。
湿った風が髪を揺らす、優雅な昼過ぎ。
穏やかな静寂しか周囲には認められず、血生臭い喧騒はどこからも聞こえてこない。
まさに平和、といった言葉がぴったりで、三年前に篝火が灯された時とは全く違う状況だった。
「三年前は大大陸が結構、大変だったんだっけ?」
「ああ、そうだな。詳しい話はどっかのヘタレサカン野郎の株を上げちまうことになるから控えるが、そりゃもう世紀末みたいな感じだったぜ」
「ヘタレサカン野郎? ムトくんのこと?」
「その推測の正確さが切ない」
ホグワイツ大陸でディアボロの篝火が出現した時の話は、実際のところ俺が活躍したわけではなく、ただジャンヌパイセンが大暴れしただけなので、別に俺の方から進んで自慢することはしない。虚しくなるだけだからな。
しかしだからといって、ヘタレサカン野郎というワードが出て、一瞬で俺のことだとわかってしまうのは、それでそれで悲しくならないこともなかった。
「おれは三年前はすでに大大陸にいたからよく知らねぇんだけど、こっちは特に何もなかったのか?」
「うん。特に大きな騒ぎはなかったと思うよ。うちの知る限りは」
全世界が混沌に包まれたという二千年前の話は有名だったが、たしかその当時は篝火は三つ、それぞれ三つの大陸に一つずつ灯ったはず。
ではカガリビトなる怪物が出現する有効範囲も、大陸ごとだったのだろうか。
だがそう考えると、今回こちらの大陸にあの異形が現れないのは不自然な気がする。
非常に不気味だ。このあまりに普段と変わらない平穏が、誰かに意図的に見せられている幻かのようで、実に嫌な気分だった。
「それで、それで? ムトくんが三年前に何かしたの?」
「あー、まあ、そうだな。一応? それなりに? 活躍したんだっけか? よく覚えてませんが?」
「へー! そうなんだ! 凄いね! やっぱりムトくんって凄い魔法使いなんだ。そうだよね。なんか野宿するたびに魔法でビャーって色々創り出してるもんね」
「ブヒィ、そ、それほどでも」
「お、おれも魔法になら自信はあるけどな?」
キラキラした目をクアトロがこちらに向けてくるので、思わず前世豚だった頃の口癖が飛び出してしまう。
横では茶髪のチャラ男が何やら張りあってくるが、それは無視だ。
「ジャックくんも魔法使えるの? どれくらい? ムトくんとどっちが凄い?」
「おれとムト? うむ。そうだな。コンディションにも寄るが、まあ、ぎりぎり、控えめに言って、若干ムトに分があるようなないような……」
「へー、そうなんだ。じゃあジャックくんも結構凄い魔法使いなんだね。でも二人ともそんな風には見えないね」
「「クーちゃん……」」
ジャックが何やら自分の実力を巧妙に盛っているので、少し弄ってやろうかと思ったが、クアトロのあまりに率直過ぎる感想によって不意のダメージを食らい、それは止めることにした。
「あ、それより、関所が見えてきたね。じゃあ、ちょっと他の国の人入れてもいいか訊いてくるよ」
「ありがとう、クーちゃん」
「恩に着るぜ」
そしていよいよ灰色の壁が目に迫る大きさを増してきた頃、クアトロが小走りで先んじて関所の方に駆けて行った。
遠目から見た限り、灰壁の下には扉のようなものが設置されている箇所があり、どうやらそこからエルフの国内に入ることができるようだ。
扉の傍には屈強なエルフ人らしき人間が何人かいて、警戒した面持ちで直立不動を保っている。
「てかさ、クーちゃんってたしか知り合いを見送るためにドワーフまで一人で出てきてたんだよな?」
「そう言ってたね」
「よく考えたら、どんな奴なんだろうな、その知り合い。今の時代に、エルフからドワーフに行く奴なんて、ほとんど限られてんだろ。てか九割がた軍部関係者じゃねぇか?」
「そうなの? じゃあ親戚に軍人さんがいたんじゃない?」
「いやお前、軍人の見送りに国境まで超えるって、どんなだよ」
「そんなこと俺に言われても」
どうもジャックは変なことで悩んでいるようだ。
たしかにあれほど可憐なクアトロを、外に一人で放り投げたカス野郎には一言、十言くらいは文句を言ってやりたいが、今はどうしようもない。
「おーい、二人ともー! おっけーだってぇー!」
すると関所の方から大声を上げながらクアトロが両手を振っていることに気づく。
どうも無事に入国の許可が下りたらしい。
何の変哲もない少女が一人掛け合うだけで、国境をまたぐことができるなんて、噂に聞いていたほどにはエルフという国も心が狭くない。
ホビットでは少しばかり悪い印象をエルフ人に持ってしまったが、やはりあれはとびきりの外れだったみたいだ。
「マジかよ。超余裕で交渉成功してんじゃん」
「意外にガバガバだね。卑らしい」
健気に手を振り続けるクアトロの下へ向かえば、彼女の言った通り、特に周囲に立つエルフの兵士たちからは何も言われない。
いざ関所に到着してみれば、モノクロの大壁の圧迫感は想像以上で、扉の前に並ぶ全身を鎧で固めたエルフ人たちも合わさって、中々に脅威的だ。
たとえるなら深夜のコンビニの前みたいな感じだろう。
「じゃあね~、みんな~」
そして俺たちが追いつくと、クアトロは無言を保つ兵士たちに向かって小さな掌をひらひらとさせる。
驚くべきことに、そんな彼女に対し兵士たちはその全員が最敬礼をしていた。
小柄な少女に向かって、分厚い筋肉と金属の鎧を二重にきた男たちが揃って敬意を示すその光景はさすがに異様だった。
中々に紳士な人たちだ。よほど上司の教育がいき渡っているのだろう。
「おい、なんだよ、これ。すげぇな」
「うん。凄いね。なんかカタカタ聞こえるし」
ただクアトロの背中についていく俺たちに対しても、エルフ兵達の最敬礼は保たれている。
硬質な音が聞こえると思えば、どうやら兵士の誰かが身体を震わせているせいで、鎧と鎧がぶつかっているのだ。
なぜ一人の美少女と謎の童貞二人を見送るだけで、震える必要があるのか。
「なあ、ジャック」
「ああ、ムト」
俺たちはこの摩訶不思議な状況を説明する唯一無二の答えを確信して、互いに頷き合う。
さすがに俺たちも馬鹿ではない。ここまでくれば、エルフ兵たちの態度が普通ではないことはわかる。
明らかにVIP待遇という奴だ。そしてその待遇の対象は当然クアトロ。
導かれる解答はたった一つだった。
「クーちゃんはエルフの国のアイドル!」
「クーちゃんはエルフの国の
同時に互いの考えを口に出してみれば、当然のように俺とジャックの言葉は一致した。
これほどの待遇を受ける重要人物なのに、一人でドワーフの国で迷子になっていた。
エルフ兵が震えているのはもちろん歓喜のあまり。
どう考えても、お忍びで知り合いの送迎を行ったアイドル以外には考えられない。
絶対にそうだなと思った。
――――――
暗鬱とした湿地帯。
どんよりとした気配に満たされるそのホビットのある一地帯は今や地獄と化していた。
ぬかるんだ地面は泥と血が入り混じり、無残な姿になり果てたホビット人、そしてドワーフ人がいたるところに息もせずに転がり落ちている。
「ねぇ、“セカンド”。あの死体綺麗だから、犯していい?」
「まだ仕事は終わってないわ、“フィフス”。後にしなさい」
そんな死の匂いが充満した沼地を、二人のエルフ人が優雅に闊歩する。
性別はどちらとも女性で、彼女たちが一歩踏み歩くたびに、死体がまた一つ、また一つと増えていく。
選ばれし者だけが纏うことを許された真白の衣服には、いまだ汚れが一切見られず、彼女たちだけが異なる世界にいるようだった。
「そっか。残念。でもこの人たち弱いね。本当にあのアイランドとかいう大大陸人がこんなのに負けたの? けっこういい男だったのになぁ。どうせ死ぬなら、その前に私のこと抱いてくれればよかったのに」
フィフス、そう呼ばれた方の長髪の女エルフは、欠伸を噛み殺しながら、木陰に隠れていたホビット人の首を不可視の刃で刎ね飛ばす。
退屈そうな表情で、淡々と、四肢の欠損した死骸を彼女はひたすらに増やしていく。
「そこまでよ! これ以上私の部下たちを傷つけさせないわ! 《
その時、フィフスの背後から突如、紫色の雷撃が走る。
だがその強烈な一撃は、見えない障壁に阻まれ、宙空に弾けて消えてしまう。
「うわぁ、危なかった。セカンド、ありがとう」
「……どうやらアレが指揮官の一人のようね」
セカンド、そう呼ばれた方の背の高い女エルフは深蒼の瞳を暗い林の奥に向けると、そこに全身に紫電を煌めかせる少女と、その横で眠そうに眼を擦る女を視認した。
「はぁ……やだなぁ。なんか勝ち目薄そう。ねぇ、レミジルー指揮官? これいっかい逃げた方がいいんじゃない?」
「なに言ってんのよクアリラ! ここで逃げたら女の恥よ!」
対照的な態度を見せる二人の胸に装飾された特徴的なバッジ。
革命軍に所属することを示すその鈍い輝きを目に、セカンドの身を包む魔力の密度が上昇していく。
「フィフス、貴女はホビット人の方を。私は大大陸人の方をやる」
「おっけー。どっちかっていうと私は巨乳の方がタイプだけど、今回はセカンドに譲ってあげるよ」
首を左右にゆらゆらと揺らしながら、フィフスは自らの標的を見据える。
目の下の隈が目立つ赤毛のホビット人。これまでの相手よりは手強そうだと、彼女は少しだけ嬉しくなった。
「はぁ……本当生きるのって面倒臭い。でも死ぬのはもっと面倒臭いから頑張らないとなぁ」
「総指揮官に続き、いよいよ牙を向いてきたわねエルフ。でも私たちはそう簡単に潰せないわよ」
セカンドは闘争心を露わにする方の少女をつぶさに観察し、おそらく煌めく紫電は血の魔法であろうと推測する。
しかし魔法の性質、特性の相性から考えて、自らの敗北はない。そう彼女は確信していた。
「全ては我が主。ヨハン様のために」
セカンドが静かに一歩踏み出すとフィフスも続き、揃ってその溢れんばかりの狂気を奮う。
彼女たちは人形。幻帝ヨハン・イビ・グアルディオラの忠実な僕。
そして彼女たちの主は、己以外の革命など望んでいなかった。
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