No.13 トランスルーセント・リクエスト

 なんだか少し肌寒いなと感じた頃に、やっと依頼人であるアリシアの家が見えてきたとルナが教えてくれる。

 街の外れにあって、あまり人気のない路地裏を抜けた先にポツンと建つ一階建ての家に、どうやら幽霊退治を相談してきたご婦人が住んでいるらしい。


「ここですね」


 石造りの簡素な家だ。特に目立って気になるところはない。

 ルナは一応昨日聞いた家までの道のりのメモを見直しているが、どうやらここで間違いないようだ。

 それにしてもアリシアという人はどんな顔をしていたか。なぜかよく思い出せなかった。


「すいません。ルナです。相談事の件で伺いました」


 扉を割と強めに三度ほど叩き、ルナはいつも通りの声で呼びかける。

 こういった場合声を張り上げた方がいいのではないかと思ったりもしたが、これが彼女の流儀なのだろう。余計な口出しはしないでおく。


「……もう来てくれたんですか。いらっしゃい、どうぞ中に入って」

「ありがとうございます」


 するとそれでもルナの声は届いたのか、扉がするりと開く。

 ドアの内側から顔を出したのは、黒髪をした妙齢の女性だ。

 実際会ってみれば不思議と思い出す。

 そういえばこの人は昨日相談しに来ていた。この人がアリシアだろう。


「あら、君は昨日彼女の隣りにいた……」

「ム、ムトです。ルナのアシスタントをさせて貰っています」

「そうなの。ではどうぞ、ムト君。君も中に」

「あ、はい。ありがとうございます」


 アリシアに言われるがままに、俺もルナに続き家の中に入る。

 内装もまた何の変哲もないものだ。玄関を抜けてしばらく進めば、リビングのようなところに案内される。

 小さな硝子の机を挟んで、ソファーが二つ分。

 もしかしたらアリシア以外にも、誰かが住んでいるのかもしれない。

 あまり行儀が良くないが、女性の家に招き入れられる事などめったにないので、全力で鼻呼吸を繰り返し、部屋中をねっとりと見回す。

 生活感がほとんどないと言っていいほど、余計な家具が少ない。

 目につくのは壁にかけられている写真くらいだ。

 満面の笑みを浮かべた若き日のアリシアらしき女性の横に、恥ずかしそうに俯く全体的に丸っこい体型の男が映っている。この肥満男がアリシアの夫か何かだろう。

 

「少し待ってて、今お茶を出すから」

「すいません。ありがとうございます」

「いいのよ、そこの猫ちゃんも飲むかしら?」

「いえ、結構よ。私は熱い飲み物は苦手だから。ミルクがあるのなら頂くわ」

「うそ? 貴女喋れるの?」

「ええ、喋れるわ」


 今日は静かにただの猫という設定で行くのかと思ったが、そんなことはなかった。

 ラーは生意気な注文をしつつ、いつも通り特殊な猫を全面に押し出している。


「さすがルナね。面白いペットを飼っているわ」

「いえ、ラーさんは私のペットではありませんよ」

「あら、そうなの? なら君の?」

「あー、いや、どちらかというと俺と関わりがあるんですけど、だからってべつにペットというわけじゃないんです」


 毎回思うが、ラーの説明は本当に面倒くさい。

 セト・ボナパルトの相棒というのが一番正しい紹介の仕方だが、安易にセトさんの名前を出していいのかいまいちよくわからなかった。

 というよりそもそもラーとはいったいなんなのか。

 九賢人の一人と一緒に旅をする、人の言葉を理解する銀毛の猫。

 冷静に考えて意味不明だ。


「そうね。私はペットじゃないわ。私はムトの監視役よ」

「監視役? そ、そうなのね」

「ええ、彼は謎が多い人だから、いくら監視しても飽きないわ」


 謎が多いのはお前の方だと突っ込みたいが、たしかに周囲から見たら俺も中々にミステリアスボーイになっていることに気づき、仕方がないので黙っておいた。

 

「それじゃあ、お茶が二つに、冷たいミルクが一つね」


 アリシアは柔らかな微笑みを浮かべて、キッチンの方へ消えていく。

 いいな。こういうのいいよね。

 俺も早く包容力に溢れたお姉さん系に甘やかされて、授乳されたい。

 

「そういえばまだ訊いていませんでしたが、なぜラーさんはムトさんと一緒にいるんですか? 監視役というのはどういう意味ですか?」

「ちょっとした探し物をしていてね、その探し物が見つかるまで彼がヘマをしないよう見張っているのよ」

「探し物ですか。もしかしてアルセイントに来たのも、そのためですか?」

「そうね、細かく言えば違うのだけど、大まかにいえばその通りよ」

「なるほど」


 ルナから問われてやっと思い出す、元々は至上の七振りを探してこの大陸をあちらこちら動き回っていたことに。

 革命軍に忍び込んだり、ホビットから遥々ドワーフまでやってきたり、そして今はなぜか幽霊退治のお手伝いをしている。

 なんだかずいぶんと遠回りをしている気がして仕方がない。というよりこの調子で本当に剣を手に入れることができるのだろうか。

 

「ハーブティーが二つに、ミルクが一つよ。口に合えばいいけれど」

「わざわざありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」

「感謝するわ」


 これから見通りを立てて憂鬱になっていると、丁度いいタイミングでお茶が運ばれてくる。

 爽やかな香りを嗅ぐだけで、すでにささくれた心が癒されていくようだ。

 早速口に含んでみれば、予想通りの美味しさで、胸の内から身体が暖められていく。


「では早速、幽霊の件ですが、詳しい話を聞かせてもらえますか?」

「ええ、そうさせて貰うわ」


 ラーは黙々と皿に満たされたミルクを舐めている。あまり霊的な存在に興味はなさそうだ。たしかに人の言葉を喋る猫など、どちらかという怪談話に登場する側だ。

 そう考えるとラーも霊のようなものに思えなくもない。


「痛い!?」

「今、貴方、私に対して失礼な事考えたでしょう?」


 唐突な猫パンチ。

 なんだこの猥褻ボイスキャット。人の言葉を理解でき、声がエロイだけではなく、エスパー的能力すらも持ち合わせているのか。

 いくらなんでも優秀過ぎるだろう。


「でも実は、幽霊の被害にあっているのは私ではないの」

「というと?」

「私の知り合いに、その、なんといえばいいのかしら、霊がいるっていう妄想に憑りつかれた人がいて、その人を助けてあげて欲しいのよ」

「なるほど。こういったタイプの幽霊退治は初めてですね。つまりは初めから存在しないとわかってる霊を祓って欲しいということですか」

「ええ、そういうことになるわ」


 俺の悪い頭だとよく理解しにくいが、どうもアリシアという人自身は霊の存在を信じていないらしい。

 そしてその、妄想呼ばわりされている霊の被害にあっている人も別にいるとのことだ。

 わざわざルナに頼みに来るほどだ、それなりに親しい相手なのだろう。羨ましい。やる気がさらになくなってきた。


「それで、そのいもしない霊に苦しんでいる方はどこに?」

「彼自身が今どこに住んでいるのかはわからないの。でも、彼が霊を見るためによく向かう場所ならわかるわ。待っていて、今地図を書くから」


 彼、と来た。要するに男だ。

 しかも兄や弟、それに父に対して彼という呼び方はしないだろう。簡単な推理だ。おそらくその霊という妄想に憑りつかれた男は、アリシアの夫か恋人関係にある者に間違いない。

 もうそんな奴ずっと憑りつかれてればいいのではないだろうか。

 そんな変な奴より、ここにいる常識人で肉体的若さも備えたムト・ジャンヌダルクとかいう青年に乗り換えた方がいいのではないかな。 

 しかし今どこに住んでいるかわからないとも言っていたな。

 別居中か、あるいは元カレか。ますます俺に気持ちを移すべきだ。過去の男に囚われるなんて、あまりお勧めしない。

 壁の写真をもう一度見やる。あの肥満男がその男の可能性は高かった。


「書けたわ。ここに行けば、彼に会えると思う」

「その人の名前を伺ってもよろしいですか?」

「そう、ね。……トニーよ。彼の名はトニー」

「わかりました。ではそのトニーさんに霊がいないこと、あるいは消えてしまったことを認めさせるのが相談内容ということでいいでしょうか?」

「ええ、お願いするわ」


 アリシアは深く頭を下げる。ゆったりとした服を着ているので、豊満な谷間が覗けそうで目に血液を集める。

 だが絶妙に見えない。なぜ見えないのだ。意味が分からない。

 角度の問題か、それとも目に見えない何かしらの対抗策が取られているのか、満足な視覚情報を得られない。

 乳房神の悪戯か罰か。とにかく谷間が見えない。

 

「ムトさん、なにしてるんですか?」

「ヒェッ!?」


 すると突然ルナに話しかけられ驚きのあまり軽く勃った。

 顔はもう見慣れたポーカーフェイスだ。

 なのに言いようもない威圧感をかんじる。

 これほどルナの蒼い瞳は鋭かっただろうか。


「行きますよ」

「は、はい」

「本当に貴方って人は……」


 なぜかラーは俺の肩の上に乗ると、見せつけるような溜め息を吐く。

 猫の溜め息をかけられると、中々に惨めな気分になった。


「それでは依頼に進展があり次第報告に戻ります」

「わかったわ。ありがとう」


 そして俺たちはアリシアの家を後にする。

 陽はまだまだ高い。今から霊の出没スポットに向かうのだ。いくらその霊が妄想に近い存在だとしても、明るい内に行った方がいいはずだ。


「早速、行ってみましょうか。あまり遠くはないようですし」


 ルナの案内に従って、俺たちはさらに街の外れへ向かって行く。下手をしたらもうすでにアルセイントの街からは出てしまっているかもしれない。

 心なしか風も冷たくなってきた。この数分間ほど、俺たち以外に人の姿を見ていない。

 いざ、心霊スポットに行くとなってくると、やはり自動で足腰がバイブレーションをし始める。

 前いた世界ではホラー映画などというものがあったが、いったいあれはどういった種類の人間が観ていたのか今思うと不思議だ。

 金を払って、ただただ怖い思いをする。変態だ。それなら幽霊モノのアダルトビデオを買った方がいい。そちらの方がまともだろう。


「あれですかね」

「……嘘でしょ?」


 すると、俺の足が自然と止まった。

 喧騒遠い寂しげな道を進み続けた先、行き止まりにぶつかったのもその理由の一つだが、主な理由は全く別のものだ。

 細道は突き当りで大きく開けたが、空気はこれまで以上に重苦しいものになっている。

 視線の先で鎮座しているのは、立派な二階建ての洋館だった。


「あ、これいるわ。幽霊さん、絶対いますわ」


 洋館はどこからどう見ても現在人が住んでいる気配はない。今までどこに隠れていたんだと怒鳴りたくなるカラスがここぞとばかりに甲高い声を鳴らしてる。

 塗装は至るところで剥がれかかっていて、古びた外観は異様な雰囲気を醸し出していた。


「行きましょう」

「ちょ、え、まじで、え、あ、え?」

「トニーという人がすでに中に入れば接触を試みますし、いなかった場合は来るまで中で待機です」


 もう帰っていいですか、とは言えなかった。

 基本的に俺はどうしようもないヘタレチキン野郎だが、それ以上に女子の前でいいかっこをしたかったのだ。

 

「どうしたの、ムト? まさか怖いの?」

「ぜ、ぜぜぜぜぜ全然だだだだだ大丈夫ですよよよよよ?」

「ムトさん、とても震えてますけど、寒いんですか? コート貸しますよ?」

「い、いいいいいい要らないから心配しないででででで」


 世の中には吊り橋効果というものもある。そうだ。こういうホラースポットでは男女の仲が急接近することもよくあるじゃないか。


 そうやって俺は自分を言い聞かせて、圧倒的性的興奮によって恐怖をねじ伏せ、ルナと共に古びた洋館へと足を踏み入れていく。

 いや大丈夫だよ。アリシアも言っていたじゃないか。幽霊なんていないって。そういう噂が立ってるだけだって。


 いないよね幽霊? トニーとかいう奴の妄想だよね?




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