No.14 ホーンテッド・ダイアリー


 ギシ、ギシ、と足を動かす度に床が不気味に呻く。

 アン、アン、と微かに続く囁き声は発情した男女のものではなく、俺が勝手に言っているだけだ。

 昼間にも関わらず、やたらと周囲は薄暗く感じる。

 埃っぽい空気のせいか、やけに息が浅くなってしまう。

 アリシアの依頼のためにやってきた廃屋の中に入ってまだ一分ほどだったが、もう数十時間くらいいる気がする。

 今のところスピリチュアルな存在は目撃していなが、もういようといまいと関係ない。とにかく早くここから帰りたいという一心だ。


「人が生活している気配はありませんね」


 ルナはこういった場所が得意なのか、平気な顔で辺りを見回している。

 ラーも俺が常に小刻みに揺れるのが鬱陶しいと、俺の肩からルナの方へ移動してしまった。


「人が住まなくなってからどれくらいが経ったのでしょうか」

「この散らかりようからして、数週間、数か月ということはないんじゃない? たぶん一年か、それ以上は経っている気がするわ」


 壁や天井の方に顔を向けてみれば、よくわからない黒い染みがあり、その染みをずっと見ていると人の顔のような形に思えてきて気持ちが悪い。

 だからといって廊下に視線を下げても、パッとみで種類を特定できない謎の虫が時々蠢くのがわかって、やはり気分が落ち込む。

 目のやりどころに困った俺は、仕方なくルナの尻を見つめることにした。


「トニーとかいう人もまだ来ていないみたいですね」

「霊がいるっていう妄想に憑りつかれていると言っていたけれど、具体的にどういう状態なのかしらね」


 廊下を一度曲がると、広間のようなところへ出る。それでも別に解放感のようなものはない。

 その広間にはキッチンも備え付けてあり、大きなテーブルも目に入った。おそらく前の住人はここで食事をとっていたのだろう。

 台所には汚れているのか、それ以前の問題か、赤黒く変色した食器がそのままになっている。

 濁った水が溜まっていて、当然すえたような臭いがする。

 埃塗れの電球がぶら下がっているが、夜に耐えきれるような力はもう残していなそうだ。


「階段がありますね。ここからは二手に分かれてみましょうか?」

「は?」

「それでは私は一階の奥を調べてきますので、ムトさんは二階をお願いします」

「ちょっ……」


 俺が透明度の悪い窓を睨みつけていると、いきなりルナがわけのわからない提案をし、俺の返事を聞き届けることもなく姿を消してしまった。

 慌てて追いかけるが、扉が閉まる音が耳に入るだけで、ルナのプリチィなお尻はもう見つからない。

 広間を抜けた先にはまた廊下が伸びていて、その廊下の一番手前には階段がたしかにある。


「……まじで。これ俺一人で行くの?」


 人間には適材適所というものがある。それを踏まえると、どう考えても正しい判断とは思えない。

 だいたい階段とか危険ではないだろうか。これほど老朽化しているのだ。踏み抜いて、怪我をしてしまう可能性もある。

 しかも階段の先は真っ暗で、窓からかろうじて差し込んでいる光が届いていなかった。

 行きたくない。非常にとてもベリー行きたくない。


「……《光を》」


 それでも俺は男だ。そう、メンズなのだ。

 ルナに二階を任されたのに、怖くて見に行けませんでしたではあまり情けない。

 そろそろ俺も変わらなければいけない頃だ。俺の漢っぷりを見せつけてやろう。


「フヒィ……フヒィ……ちょ、超余裕だしぃ? 俺がこれまで、どんだけ修羅場潜り抜けてきてるとおもってんだよ? 古臭い家の二階を探索するくらいマジ余裕だかんな」


 豚のような鳴き声と、あえてチャラい言葉遣いを駆使して、俺は階段をゆっくりと登っていく。

 恒例のギシギシ音も気持ち大きく聞こえなくもないが、冷静に考えれば、階段の一つや二つ踏み抜いた程度では俺の身体には傷なんてつかないだろう。

 

「……お邪魔しまーす?」


 一応礼儀としての挨拶をしながら、俺は辿り着いた二階へ足を踏み入れる。

 下の階の光はここではまるで役に立っておらず、さらにどうもこの階には窓というものがないようだ。

 埃の量が増したように感じ、俺は口を抑えながら慎重に進んでいく。


「なんの部屋なんだここは?」


 不気味な静けさを誤魔化すために、いつもより多めに独り言を呟きながら暗闇を手元の光球で照らす。

 雰囲気的に一階に比べれば、あまり広くはなさそうだ。廊下もなさそうで、この階には今俺がいる一部屋しかない気がする。


「……これは?」


 ナメクジ以下の速度で二階を徘徊していると、壁際に机を一つ見つける。

 その木造の机にはノートのような物が置いてあった。

 ペンや他のノートは特に見当たらない。引き出しも嫌々確認してみたが、中には塵埃しか入っていなかった。

 まるで読めと言わんばかりのこのシチュエーション。すこぶる気が進まないが、俺は諦めてノートを手に取る。


「……日記、なのかな」


 ノートのページを適当に捲っていくと、どのページにも日付のようなものが記してあり、その下に文字がつらつらと連なっているという様式で統一されている。

 毎日は書かれていないようだが、それなりに量がありそうだ。

 だがそうやってノートを飛ばし読みしていると、見覚えのある名が頻繁に登場していることに気づいた。


「……トニー・ゴフィンって、噂のトニーくんのことだよな?」


 トニー、その名はどうも日記に何度も登場している。

 このタイミングで日記が見つかり、その日記には霊がいるという妄想に憑りつかれた男の名が記されている。

 あまりにも都合が良い。

 どことなく薄気味悪さを感じ、俺は身震いした。

 本来ならここで読むべきなのだろうが、俺は一人で読むのが怖いので、勝手に持ち出してルナに渡すことにする。


「……よし。もういいだろ。下に戻ろう」


 大して広い部屋でもない。これ以上の収穫はないと判断し、俺は二階を後にする。

 たった数分にも限らず、かなり体力を使ったようだ。全身が気怠い。早くルナのお尻を見て、精神を回復させないと行動不能に陥りそうだ。


「結局ここは書斎かなんかだったのかな――ってピイイイイヤアアアアアッッッッ!!!!!?!?!?」


 だがいざ階段を降りようとした時に、特に意味もなく横を照らした瞬間、俺はあまりの恐怖に年甲斐もなく大絶叫をしてしまう。

 光球が照らし出したのは、のっぺりとした顔をした人型の物体。


 マネキン。


 一体のマネキンが不格好な直立不動で、平らな顔でこちらを見つめていたのだ。


「……まじでふざけんな。本当に怒るよ。こういうのよくないと思う。絶対だめだって。というか意味わかんない。なんでこんなところにマネキンあるんだよ。あーもう、《治れ》」


 腰が抜けてしまったので、回復魔法を自分にかける。

 最高に腹が立っていた。女性タイプのマネキンでなければ、腕の二、三本は変な方向に向ける悪戯をしているところだ。

 俺は苛立ちをなんとか抑え込み、今度こそ二階から抜け出す。

 それにしても、あんな場所に初めからマネキンなどあっただろうか。階段の真横にあれば、登った時に気づきそうなものだが。


「……ちょっと漏れたなこれ。《風を》」


 若干股間部が湿っぽいので魔法で風をパンツの中に起こし、超速乾燥を行う。

 玉と竿と毛が緩やかにダンスを始め、少しだけ気分が晴れた。 

 そして一階に戻ると、ちょうどルナとラーもやってくるところで視線が合う。

 

「ムトさん、なにかありましたか? 不可思議な声が聞こえてきましたけど」

「どうだったの、ムト? 幽霊でもみれた?」


 やはり聞かれてしまったか。

 いつも通り真顔のルナはいいとして、猫のくせにニヤニヤしているラーは最高にストレスフルだった。

 俺はわざとらしく咳払いをして、そんな二人の視線を振り払う。


「ごほっ、ごほほんっ! 先ほどは二階であまりに貴重な資料を見つけた喜びのため大声を上げて申し訳ない。驚かせてしまったことを謝罪しよう」

「いえ、特に驚きはしませんでした。ムトさんの奇声は特に珍しいものではないので」

「喜びのあまりねぇ? そんな声には聞こえなかったけれど?」


 ラーの煽りはさすがに慣れてきたが、ルナのこの平坦なトーンの口撃にはまだ耐性がつかない。

 というより皮肉で言っているのか、自然に言っているのかいまだに区別がつかなかった。


「それで貴重な資料とはなんでしょう? 何を見つけたんですか?」

「うむ。よくぞ訊いてくれた。これを見たまえ、ルナくん、ラーくん」

「貴方それ、誰の物真似?」


 俺はそそくさと二階で手に入れた日記帳をルナに手渡す。

 一目で俺が見つけた代物が何かわかったのか、手際よく彼女は中身を見ていく。


「……日記ですか。しかもトニーという人の名前が頻繁に出てきていますね」

「トニー・ゴフィン。確証はないけれど、おそらくアリシアが言っていたトニーのことでしょうね」

「どうしますか? 読んでいきましょうか?」

「あー、うん。そうだね。とりあえず、トニーが出てくるところを中心に、きりのいいところまで」

「わかりました。それでは読み上げます」


 一番初めにトニーなる者が登場したところを探しているのか、ルナはペラペラと手早くページを捲っていく。

 数秒後、お目当ての場所を見つけたのか彼女は手を止め、俺に向かってアイコンタクトをしてくる。

 俺はルナの肌ってマネキンより滑らかそうだな、とか思いながら頷きを返した。


「八月二十日。いつものように人形造りに明け暮れていると、珍しくお客さんがきた。ほとんど趣味でやっている人形店。お客さんが来るのは本当に久し振り。若い男の人で、衣服のデザインを仕事にしている人らしい。彼の名はトニー・ゴフィンというらしい」


 ルナの口調があまりに淡々としているので、普通の内容を口にしているのに、やけに恐怖感が煽られる。

 もしかしたら彼女には怪談話の才能があるのかもしれない。

 

「九月五日。彼がまた来た。ゴフィンさんだ。今日は人形を一つ買いたいらしい。これまでもほんの数回人形を売ったことはあったけど、なぜか彼に私の人形を売るのは少し恥ずかしかった」


 私、ときた。どうやらこの日記帳を書いている人は女性らしい。

 もちろん一人称が私だからといって女性とは限らないが、俺の勘も合わせて考えるに、十中八九女性だろう。というか女性がいいです。


「九月二十九日。ゴフィンさんに明日夕飯を一緒に食べないかと誘われた。理由がわからず戸惑ったけれど、断る理由もないので約束をした。それにゴフィンさんの仕事や私のつくった人形についても少しだけ話を聞きたかった」


 トニーの野郎、ついに行動に出たか。

 俺くらいのプロ童貞になると、自分以外の男が誰に下心を持っているのか簡単にわかるようになる。

 文章だけでも、この日記の書き手をトニーのヤリチン野郎が狙っているのは明白に理解できた。

 

「十月十日。ゴフィンさんと街に出かけた。普段家に引きこもってばかりの私にとっては何もかも新鮮だった。ゴフィンさんと一緒にいると色々なことを知れる。新しい感情が芽生える。なんでも明日、相談したいことがあるらしい。なんだろう。彼の相談ならば、私はできる限りのことをしてあげたいと思う」


 なんだこれ。落ちてますやん。これパーペキに落ちてますやん。

 トニーとかいう奴やるな。余程顔がよかったのか、それとも巧みな話術を兼ね備えていたのか。俺には想像もつかないがこの短期間にかなりの好感度を上げているようだ。

 それにこいつのこの勢いだと、もうすぐに告白してしまいそうだ。


「十二月三十一日。今年はトニーと一緒に年を越す。誰かと一緒に年を越せるなんて信じられない、幸せ過ぎて罰が当たりそう。でも来年もこうしていたい」


 俺が悔しさに歯ぎしりをすると、ラーに睨まれた。

 しかしこれで悔しさを感じない方が無理というものだ。

 日記帳の中で知らない間にゴフィンさんからトニーという表記の仕方に変わっている。これはつまりそういうことだろう。要するに一発かましたということだ。


「三月四日。トニーに別れを告げた。彼は困惑していて、辛そうで、悲しそうだった。彼のそんな顔は見たくなかった。だけどこうする以外に道はなかった」

「え? どういうこと?」

「どうしました? ムトさん?」


 だがここであまりの超展開に、俺は思わずルナの朗読を遮ってしまう。

 別れを告げた? さっきまでハッピーエンドで俺が胃酸を大量生産していたのに、あっという間に悲劇の結末まっしぐらの言葉が飛び込んできて驚く。

 日付もこれまでで一番あいだが空いているのも気になる。

 元々毎日書かれているわけではないことを差し引いても、不自然な感じがした。


「……いや、ごめん。なんでもない。続けて」

「わかりました」


 どうも日記帳の雲行きが怪しくなってきたが、ここまで来て読むのを止めるわけにはいかない。

 俺はあれこれ文句を内心言ってはいたが、トニーくんの恋の結末は幸せで終わって欲しかった。

 いくら童貞拗らせているといっても、他人の幸福を妬むことを本気ですることはない。

 羨ましさはもちろん感じるが、だからといって不幸になれとは微塵も思わなかった。


「三月十一日。トニーは気づいてしまった。望みはないのに、彼は真実に気づいてしまった――」


 ピタリと、唐突にそこでルナの言葉が途切れる。

 俺はどうしたものかと、こちらに向いている彼女の可憐な顔を見つめ返してみるが、どうやらその美しい蒼い瞳は俺を通り越して、背後の暗闇に向けられているらしい。

 嫌な予感がした。

 俺は胸の鼓動が怯えにパーカッションを始めたのを感じながらも、ブリキ人形のようなぎこちなさで後ろを振り返る。



「――僕の家で、何をしているんだい?」



 そこにいたのは感情の抜け落ちた顔をした一人の男。

 浮き出る頬骨からは一切の健康を感じさせず、肩まで伸びた黒髪から手入れの気配がしないのも衛生的にどうかと思う。

 薄暗がりで煌めくギョロギョロとした瞳を見れば、簡単に理解できる。


 あ、やべぇ。こいつ絶対やばい奴だこれ。まーたちびりそう。



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