追跡者


 眼前に広がるのは、天にも届くかという偉容を誇る灰色の壁。

 数日間の旅を経てすっかり馴染み深くなった荷馬車から降りた後、俺の視界にまず初めに入ってきた光景は圧巻の一言で言い表せた。


 これが、この世界の町なのか。


 土の痩せた荒野に堂々と君臨するその鈍色にびいろの大景色は激しく俺の感動を呼び起こし、長旅の疲れで少し低調気味だった肉体も若干軽くなった気がしないでもない。


「なぁケイト? これが俺達の目的地なんだよな?」

「ん? ずっと前からそう言ってるでしょ? アンタ学習能力ないの?」


 爽やかな風が、俺の柔髪を奏でるように揺らす。

 しかし同じように風に吹かれるケイトは俺とは違い、やや不機嫌そうな顔色だ。

 きっと彼女も疲れが溜まっているのだろう。

 彼女ぐらいの年頃では、何かと不満の蓄積する旅路だっただろうからな。


「やっと着いたね。紹介と言っちゃなんだけど、これが私達の街だよ。あんた達がどんな用で来たのかは知らないけど、ゆっくりしていってくれよ」

「まぁ何と言っても“終わりの街”、だからな。あんまし居心地の良いとこじゃないけど、気に入ってくれると嬉しいぜ師匠!!」


 馬を引く赤い髪の姉弟は自らの故郷に帰って来た時にのみ見せる、憂いと安心感を含む独特の表情を浮かべている。

 そして旅の間にクレハから聞いた話だが、彼女らの住む町は通称、“終わりの街”と呼ばれている、辺鄙な地に位置する世界でも有数の特徴的な町らしい。


「終わりの街ねぇ。ケイトはここに来た事はあるんだっけ?」

「いや、ないよ」


 三日月のような形をしたホグワイツ大陸の南側にある大国アミラシル、そのアミラシルの中でも更に南端に存する街、それが俺とケイトの目的地でありクレハとコノリの古里でもあるサンライズシティという名の大きな街らしい。

 ちなみにこの町の別名、“終わりの街”と呼ばれる所以も実は既に教えてもらっているが、その意味を真に理解する事はまだ出来ていない。

 でもそれもきっと、すぐに分かることだろう。


「さて、じゃあ昨日決めた通り一旦ここで別れよっか。アンタ達姉弟は宝玉を売りに行くんでしょ? 僕とムトは先に教会に行ってるから。そこで落ち合おう」

「ああ、すまないね。直ぐに行くからちょっとばかり待っててくれ」


 溜め息が出るほど巨大な漆黒の門の前に辿り着くと、クレハとケイトがこれから先の算段について改めて確認しだすのが見て取れた。

 それはクレハの強い要望で、俺達はサンライズシティに到着したら彼女等に食事を一つご馳走になる予定になっていたからだ。


「師匠、俺はまだ魔法を教えてもらうの諦めてないからな!」

「いやだから俺はそういうの苦手なんだって。勘弁してくれよ」

「ほら! コノリ行くよ! 話は食事の時にでもしな。私達は暇じゃないんだから」


 コノリは相変わらず俺に魔法を教えろとせがんで来る。

 魔法の知識においてはまったくの素人である俺に、この餓鬼は嫌がらせかと思う程しつこくその知識を請い、数日間の旅で度々俺を困らせてきた。

 この受難から解放されるかと思うと、嬉しさのあまり泣きそうになる程だ。


「それじゃあ、また後で会おう」

「師匠っ〜! 絶対諦めないからなぁっ〜!!」


 クレハはいまだうるさく喚く愚弟の首根っこを掴み、俺が口を半開きにして見上げていた黒の大門の隣にある、町の中へ続いてるであろう通り穴に足早に進んでいった。

 片方が喧しい二人を見送った俺とケイトは、馬の蹄の音が聞こえなくなるのを確認した後、濃影で先の不明瞭な穴道へ遅れて歩き出す。


「じゃあ行こっか。僕達の目的地へ」

「あ、あぁ」


 不自然に音に乏しい終わりの街へ、俺達は遂にその足を踏み入れていく。

 街の中は、塵ひとつ見当たらない綺麗な石畳。

 石造りの家々が配列良く並んでいる。

 道幅も広く、俺の想像より遥かにこの世界の文化基準は高いらしい。

 ただ人通りは少なく、街行く人々の表情には活気も見えず、むしろ疲れ切っているようにも思える。

 天気も別に悪くは無く、俺の心模様に至ってはこの世界に来て初めての大きな町という事でどちらかといえば興奮気味だったのだが、それもこの寂れた気風によってすっかり落ち込んでしまった。


「ほら。ぼけっと突っ立ってないで行くよ」


 期待と違う風景に困惑しつつ立ち尽くしていた俺に、ケイトが苛立ちを含む声を飛ばす。

 慌てて足早に歩くケイトの後ろを着いて行くが、辺りの光景に対する落胆は俺の心から離れる気配はなく、所在無さげに俺の眼球は移ろい続けた。


「なぁ、ケイトの生まれ故郷もこんな感じなのか? なんというか、この世界の町って、どこもここみたいな雰囲気なのかなって思ってさ」

「アンタ、街に来るの初めてなの? 山の奥でひたすら魔法の修行でもしてたわけ?」

「い、いやだからさっ!? 俺って記憶喪失だろ? 記憶を失ってから来る町はここが初めてなんだよ」

「あー、そういえばそんな事言ってたね」


 やはりと言うべきか、道行く人々の造形は誰もかれもトップモデル顔負けの美形揃いだ。

 ただし悲しい事に皆表情はすぐれず、陰気な眼つきでとぼとぼと歩いている。これはいけない。

 折角の美人が台無しである。そういった趣味が俺にないわけでもないが、世界中皆がこの有様だと流石に俺も困ってしまうだろう。


「昨日も言ったけどさ、この街は特別なんだよ。ホグワイツ大陸で唯一治療教会があるところなの、ここは。それで大体分かるでしょ? この街がなんでこんな淋しい空気なのかさ」

「えーと、昨日は聞きそびれたんだけどさ、その治療教会ってなんなの?」

「は? アンタそれ本気で言ってんの?」

「いやだから何度も言うけど俺記憶喪失だから――」

「アンタのその設定を守る為に、僕はそんな事までいちいち説明しなきゃなんないわけ?」

「べつに設定じゃ――」

「あああっ! わかったわかった!!! 一応アンタに僕が頼んでるわけだからね! その設定にこれからは何も言わず従うよ! それでいいんでしょ!?」

「え!? あ、まぁ、そういう感じで」


 閑散として物静かな町中に、ケイトの怒りを多分に含んだ大声が響き渡る。

 すると俺達は当然のように、赤い髪の町人達から怪訝な眼差しを集めてしまった。

 そうなるとケイトもしまったという表情で、恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 どうもこの町に近づいてからケイトの様子が何処かおかしい。短い付き合いだが、基本的に彼女はいつも冷静で飄々とした性格だというのは既に把握している。

 だが、この町に迫ってからというものの、少し情緒不安定気味になっている気がしてならないのだ。

 これが噂の女性特有の例のアレなのだろうか。童貞の俺にはわからない。


「じゃあ一応聞くけど、光術師の事も知らない設定なんだよね?」

「あ、はい。初耳です。まぁ設定じゃな――」

「光術師っていうのは、国際魔術連盟に認められた光属性の魔法の専門家のことを指すわけ」

「へ、へぇー、光術師と魔術師はまた別物?」

「ちっ、そうだよ。まったくの別物。必要な免許も社会的立場も全然違う」


 歩く俺達は段々と、人通りの多い商店街らしき場所に入って行く。

 ここも残念ながら活気があるとは言い難いが、腐っても商人、露店を出している人間の顔には少なくとも陰鬱な気配は漏らさないようにしようとする想いが見てとれた。


「一握りの選ばれた奴しか使えない光属性は治癒の効果を司る。そんな属性の魔法を更に他人より上手く扱う奴らが世界中から集まってるのが治療教会ってわけ。まぁ、九賢人の中にも光属性を使える奴がいるらしいから、そいつなら治癒以外の事も出来るのかもしれないけどね。あと、アンタも」


 なるほど。

 この世界の人々が言う治療教会とは、前世でいうところの病院に限りなく近いものなんだろう。

 ケイトの窺うような視線を浴びながら、俺はそう結論づける。

 だが、それでは話が見えて来ない。

 そうなるとなぜ、この町が“終わりの街”などというマイナスイメージの仇名を付けられているのか分からない。

 むしろ希望の街と呼ばれるべきだろう。大陸で唯一病院のある町ならなおさらだ。


「でもそれだとおかしくない? 普通そんな凄い建物のある町なんだったら、もっと賑やかになると思うんだけど?」

「アンタ、“サンライズシティ”って言葉の意味知ってる?」

「え?」

「“サンライズシティ”、古代エルフ語で、“日出づる街”、そういう意味なんだよ」


 隣を歩くケイトの紅眼が、すっと細くなった。

 俺はこの世界の言語には詳しくない。

 この世界は日本語のみで成り立っているとしばらくの間勝手に勘違いしていたが、どうも実際には違うらしい。

 どうやらホグワイツ語と呼ばれるのが俺の知る日本語で、古代エルフ語と呼ばれるのが俺の言う英語と同じらしいことは、この数日間の旅で理解した。もしかすると他にも、フランス語や中国語に代わる言語もあるかもしれない。


「この街はさ、最初は人々の再出発の場になるよう願いを込められて創られたんだよ。でも今は、“終わりの街”、サンライズシティって呼ばれてる。皮肉な話だよね」


 当初は喋る声の所々に苛立ちや煩わしさが紛れていたが、今は違う。

 心底からの悲哀をケイトの言葉の節々から感じ取れた。


「この世界には元々“医薬品”や“薬”と呼ばれる身体の傷や病気を治してくれる代物がある。それを使って普通は身体の病傷害を治す。そっちの方がわざわざこんな辺境の地で割高の教会で治療するより全然安く済むからね。そしてここにはその薬や医薬品じゃ治せない人々がやって来たんだ」


 どこか暗いムードでのそのそと歩く俺達の目の前が急に開ける。

 するとそこに佇んでいたのは立派な造りの巨大な建築物だった。

 黒と白でクラシックに基調され、簡素だが上品な情緒を生み出している豪壮な教会が寂寞な空間に物静かに立っていたのだ。


「でもやがて医薬品の効能は右肩上がりに上昇し、遂には光術師の力にほとんど追いついてしまった。その事に人々は、金の無い者にも救いがもたらされる、そう喜んだ。だけどそれは医薬品の限界でもあった」


 純白の噴水が二つ、教会の前にあった。

 近くには、昔は沢山の人に使われたであろうベンチが幾つか設置されている。

 だが無論、もうそこに人の影はなく、代わりに枯れた木の葉が積み重なっているのみだ。


「つまり、そこで医薬品の成長が止まってしまったんだよ。それまで順調だった医薬品の進化は魔法に追いついた瞬間、不自然なくらいピタリと止まってしまった。そして焦った医薬品企業は、医薬品自体の発展よりも、いかに医薬品を高く売るかという方針に切り替える事にした」


 まるで喧騒は遠く、鳥の鳴く声さえ寂しげに聞こえる場所で、俺達は進んで行く。

 教会は近づけば近く程その大きさがあらわになっていき、奥行きも相当にあるのが分かるようになっていった。


「そして人々はいかに安く医薬品を買うかを考えるようになり、この街の存在はそんな時代のうねりの中で音も無く消えていき、忘れ去られていった。だけど、それでも、この街の存在を聞きつけ、目指し、辿り着く者達は僅かだが、常にいた」

「……あぁ、そうか、だから」


 ケイトの話は続く。

 そして教会の扉が目に見えて迫ってやっと俺にも、彼女の話の終着点が見通せた気がした。


「そう、十分に発展した医薬品。それをもってしても治せない重い傷や病を背負った人々が、一筋の希望を抱いて、遥か昔の魔法が医薬品にまだ優っていた時代の伝承を聞きつけて、人生最後の救いを求めてここにやって来るんだよ」

「……でも、今は、医薬品で治せない病気は、魔法でも治せない。だからそう呼ばれるのか」

「そして藁にもすがる思いでこの街に辿り着いた人々も、結局は真実を知り、後はこの街のこの場所で死を待つのみとなる」


 二人分の足音が止まる。

 眼前に聳え立つ、とても古く、重厚そうな臙脂色の大扉が開かれるのを待つのみ。



「それがホグワイツ大陸で唯一この“デメテル治療教会”を有する街、サンライズシティが“終わりの街”と呼ばれる所以だよ」



 そう言って話を終えたケイトの瞳から、彼女の無表情に隠された感情を推し量る事は出来なかった。


 扉にケイトは手を掛け、ドアノブを回し、扉を開く。

 扉を前にした者の当然の動作。

 でもそれが俺には、たまらなく怖かった。




 何の抵抗もなく扉はその口を開いた。

 すると人がゆうに三人は通れるであろう大きさの空間が出現し、そこから冷んやりとした空気が流れ出る。

 そのやや暗澹とした開かれた扉の内部へ、ケイトはどこか覚悟を決めた真剣な面差しで進んで行った。

 ごくりと俺の喉をつたう生唾の音が響く。

 俺は臆病者。

 胸中に密かに湧いた抱く必要のない恐怖心をいつも通り特に叱咤する事もせず、俺はケイトの頼りなく小さな背中を追い一歩足を踏み出した。


「へぇ、こういうとこ実際に来るのは初めてかもしれないなぁ」

「当たり前じゃん。だってアンタ記憶喪失なんでしょ」

「!? ……そ、そだな。確かに」


 デメテル治療教会。

 流石に教会という名をあてがわられているだけあって、その内装も教会の名に恥じない見事な物になっていた。

 俺達の入った部屋は、最奥に十字架の代わりに見たことのない変わった紋章がある事を除けば、他は俺の想像する教会と殆ど相違点はない。

 天井が若干低い気もするが、それはこの教会には上の階も存在するらしいことが関係しているのだろう。

 部屋の左奥から廊下が続いているようで、俺の驚異的な視力によりそのつきあたりに階段があるのが見て分かる。

 俺のような無宗教者でも、どこか心を洗われる涼やかな気分になってしまうこの雰囲気も悪くない。

 そういえばこの世界にも神という概念は存在するのだろうか。

 俺は無宗教者だが、神を実際に目の当たりにしている。あの神はこちら側の世界ではもっと身近な存在の可能性だってあるのだ。

 近いうちに少し調べてみようか。


「あら。どうも初めまして。このデメテル治療教会の導士どうしをさせて頂いております。アルマーヌです。この街の方ではありませんね?」


 教会の中を一人は興味深そうに、一人は落ち着きなく見回す俺達二人の前に、ある一人の女が姿を現す。

 それはまさに聖女、その形容が相応しいお方だった。

 すらりとした肢体に吸い付くようにするのは上品で高潔そうな修道服。更にその修道服はその内側から強力な押し上げを受け、彼女生来の物であろう豊満な乳房の形を隠し切れていなかった。

 金髪碧眼、そして完全な肉体。

 神よ、これが天使か。これが救いなのか。


「導士? 何それ?」

「えーと、そうですね。導士というのは、この治療教会の案内人のようなものかしら?」

「案内人? ふーん、じゃあ用件はアンタに言えばいいって事?」

「そういうことになりますね。ここに初めて来る方の言葉は、私がその全てを頂戴しております」

「……ごくり」


 天使は自らの事を案内人だと名乗った。

 流石だ。

 いや、やはりと言うべきか。彼女こそがきっと俺を楽園(ヘブン)に導いてくれる高貴な存在なんだろう。


「じゃあ早速なんだけどさ、僕達はある男を探してここに来たんだよね」

「探し人ですか? その人は私どもの患者なのでしょうか?」

「さぁ。今もここにいるかは分からない。でも必ず一回はここに来てる筈」

「……名前を聞いても?」


 ケイトは凄い。

 こんな美人と何の苦労もなさそうに自然に喋っている。

 もし俺だったら、これ程までの美貌の持ち主が相手だった場合、初対面はおろか、数年来の知り合いだとしても正常に会話出来ないに違いない。

 それか同性だといくら相手が美しくとも物怖じする事はないのだろうか。そういえば確かに俺も、ロビーノとは比較的楽に話していたか。

 それにしてもアルマーヌと名乗る天使の顔は見飽きない。

 でも俺が正面からその綺麗な蒼眼を見つめられるようになるのはまだ随分先だろう。


「カイル・ライプニッツ。そう名乗る男が来たはず。その男は今どこにいる?」


 しかしこの瞬間、ずっと柔和だった天使の表情が急激に硬直する。

 この教会とは相性が悪い。

 もうすでに底冷えする恐怖を感じたのはこれで二度目だ。




 ゆったりとした足取りで昇る階段からは、軋む音が絶えず響いている。

 先頭を歩くアルマーヌの後ろ姿、それに続く仏頂面のケイト、そして更にその背後に不安で顔面をびっしりと埋めて歩くのが俺だ。

 俺達がこの町に来た理由そのものである、ケイトの探している人間の名をアルマーヌに告げたその直後、彼女は踵を返し、ただ着いて来て下さいとだけ言った。

 それが現状における俺の記憶の最後。

 それから先というもののアルマーヌもケイトも一言も発せず、黙々と歩き続けている。

 俺の事なんてお構いなしだ。

 俺に出来るのはせいぜい、唐突な空気の変わりように混乱しきったまま、二人に馬鹿みたいに着いていく事だけなのさ。


「着きました。ここがこの教会の最高責任者である方の部屋です。それでは」

「どうも」


 気が付けばアルマーヌは、ある一つの扉の前で動きを止めていた。

 結構長い時間歩いたような気がするが、実際にはそうでもないんだろう。

 彼女は大した言葉も発しないまま、扉を四回ノックしてから、そそくさと立ち去って行く。

 俺の感覚だとここは三階だ。

 流石の俺でもこれは間違えていないはず。

 彼女の去り際の表情はとても険しかった。この部屋の主が気に食わないのだろうか。

 それとも、この先に何か大変な仕事が待ち構えてでもいるのだろうか。


「じゃあ行くよ」

「え? ……あ、ああ」


 さて、どうやらこの部屋に入るらしい。

 やたらとおんぼろな薄茶色の扉。相変わらず人気をまるで感じない空間。音がない。命の気配も。


「用心はしておいて」

「え?」


 何の用心なのかは、言わなかった。

 つまり三度目だ。

 この教会は心臓に悪い。

 何かに引っかかるようなぎこちない挙動で扉が開く。

 次いで差し込む、不思議と懐かしい陽光。

 確かに廊下は暗かったが、それ程長い間居たわけではない。それなのにも関わらず、回顧の念を催させられる。

 光、中々良いものだ。


「アンタがここの最高責任者?」


 しかし、ケイトはまるでこの優しい光に興味を持たないらしい。

 部屋の奥の窓辺に座り、淋しい外景を眺める一人の男に開口一番話しかける。

 仕方なく俺ものその男に注意を向ける。

 数日間の旅の中で、彼女が用心しろと言った時は、常に危険が近くに迫っていたからだ。


「誰だ? お前ら?」


 長机の向こう側で閑やかに座していた男は、微速にこちらを振り向く。

 枝毛の多い真っ赤な長髪は顔を殆ど覆い尽くし、薄汚れた黒のパーカーのような服から辛うじて覗く肌は、病的なまでに白い。

 ゾンビの如き男の濁った黒い眼球が、俺とケイトを吸い込むように見つめている。


「カイル・ライプニッツという男を探しに来た」

「……ほぉ?」


 だが、ケイトがまたある一人の男の名前らしきものを出すと、先程のアルマーヌと同じように男の表情と雰囲気が一変した。


「つまりお前らは、あいつを追ってこの街に来たって事か? カイル・ライプニッツを?」

「そうだよ」

「……へぇ。じゃあやっぱりそうか、お前らが」


 前触れなく男が悠然と立ち上がる。

 赤い髪を、大きく解放された窓から吹き込む風に煽られながら。

 そして、整った顔を邪悪な笑みに歪ませながら。


「じゃあ、いいぜ。ぶっ殺してやるよ。ぉぉっっっ!!!!!」

「!?」

「ちょっ! え!?!?」


 瞬時、爆炎が煌めく。

 赤髪の男の魔法が、俺達の命を奪おうと襲い掛かった。






――――――




「……チッ、流石にこれじゃあ死なねえか」


 彼は無理をして無詠唱で中級魔法を放ってみたが、部屋の木の部分の焼ける匂いはしても、肉の焦げる臭いがしない。

 要するに奇襲は失敗だった。

 恐らく与えた被害はほぼゼロだろう。

 だが無詠唱はその使う魔法の階級が一個分上がるくらい難易度も使用魔力も上がる。

 つまり今彼が無詠唱で中級魔法を発動させた事で、その実力はいくらか示せたはず。


(これで引いてくれば、いいんだが)


「まぁ、そんなやわな野郎共じゃねぇよな?」


 刹那、灰煙の中から闇のように黒い刃が突き出る。

 彼の喉元を正確に狙った良い攻撃だ。


(さすがは、世界最悪の犯罪組織のメンバーと言った所だな)


「フッ!」

「!?」


 ガチンと硬質な音が、彼の目と鼻の先で大きく生じる。

 彼が繰り出したナイフと、少女の突き出した黒刀が凄まじい勢いで激突したからだ。

 やはり見た目通りだ。少女の一撃は軽い。

 だが太刀筋は熟練者のそれに近かい。

 アルマーヌがノックした時点で魔力纏繞をかけていなかったら、擦り傷ぐらいは食らっていたかもしれないと彼は判断する。


「ねぇ? 一つ聞いていいかな? ……アンタは僕の敵なの?」

「あ? お前、随分とおかしな事を聞くじゃねぇか」


 剣の切っ先を俺に向ける少女が戦闘中にも関わらず、ペラペラと喋りだす。

 髪は黒。瞳は緋。

 十中八九ゼクター人だろうと、彼はあたりをつける。

 年齢は不明。二十歳にいかないくらいにも見えるが、男に比べて女の歳は見た目じゃ判断しづらい。

 戦闘スタイルは予想では魔法主体、剣術はあくまでも補佐で戦うタイプ。

 彼の見立てでは、もう一人の青年よりこの少女の方が強い。


(いや、それは早計だな)


 もう一人の青年の強さも不明にしておくことにした。

 正直言って、青年の方は彼からすればただの餓鬼に見えたが、少女の相方だ。雑魚のはずはなかった。


「何がおかしいわけ?」

「おいおい? 本気でそれに答えなくちゃいけねぇのかよ?」


(まぁいい、取り敢えず男の方はアルマーヌ達に任せたからな。

 事前に決めた打ち合わせ通りなら、ノック四回は伏兵無し、初期敵意無しのはず。

 余程の事がない限りは、あいつらの負けはねぇ)



「敵に決まってんだろ?」



(とにかく俺はこの生意気そうな女をぶっ殺そう)


 彼は殺意を宿し、少女を嗤った。






――――――



 プルルルルルルルルルル。



 プルルルルルルルルルル。



 プルルルルルルルルルル。



 プルルルッ――――――、


 鳴り響いていた規則正しい電子音が、不意に途切れる。


「……こちらは強欲な拐奪者スナッチ・スナッチ第二師団師長、キミマロだ」


『あぁ~、もしもしっ? キミマロく~ん? 僕ちんだよぉ~、久し振りぃ~』


「カルシファか。一体何の用だ?」


『ねぇ~? 今キミマロくんは何してんのぉ~? つ~か何処にいるのぉ~?』


「……カルシファ。この道具は我々師長や一部の特別な人間にしか総帥に所持を許されていない。そんな貴重な代物をもし無意味に使用しているようだったら」


『アハッ! そんな怖い声出さないでよキミマロく~ん! オジさん今大変でさぁ~! ちょっと相談があって電話をかけたんだよぉ~ん』


「その相談は我々の組織に関係する事なんだろうな?」


『もっちろんだよぉ~。実はさぁ~……俺の団員が一人裏切ったんだよね』


「裏切り、か」


『噂は聞いてるぞ、キミマロ。お前もある一人の裏切り者を追ってサンライズシティに向かってるんだろ?』


「よく知っているな」


『そして俺の団から出た新しい裏切り者の女も実はそこに向かってるんだ』


「こちらでその女も処理しろという事か?」


『いや違う。もしそいつを見つけたら生け捕りにしておいて欲しい。俺達第四師団もサンライズシティに向かってる途中だからな。礼はきちんとさせてもらう。頼めるだろ?』


「いいだろう。こちらはもう到着する。間違いなくそちらより先に裏切り者達に接触する事になるはずだ。そのさいは生け捕りを約束しよう」


『……あっりがとぉ~!!! やっぱりキミマロくんは優しいなぁ~! 僕ちん感激ぃ~! じゃあ後で詳しい特徴とか伝えるねぇ~、そんじゃあバイビぃ~~~』



 プツッ、ツーツーツーツーツー……。


 短い会話は途切れ、それまで手の平大の機器を耳に当て一人喋っていた男は、すぐに前方に堂々と聳え立つ鼠色の巨壁に視線を移す。


「誰とお喋りしてたんですかぁ?」

「……同僚だ」


 漆黒の馬に跨がる六人の男女、その先頭に眼光鋭いその男はいた。

 清潔感のある長い黒髪を後ろで一結びにするその男は、一息という距離まで迫った自らの目的地を眺めながら、小さく呟く。



「終わりの街、か」



 馬の駆ける速度は上がり、その日、二度目の客がある辺境の街に訪れるのだった。




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