全ての敵



 一歩踏み出すたびに、ミシミシとやけに不安を煽る音が聞こえる。

 あたかも俺の心の声を代弁してくれているかのようだ。

 昇る階段は狭くかび臭い。俺の待ち望んでいた寝処がこの先にあるとは到底思えなかった。


「ここが私がとった部屋よ。とりあえず中に入って」


 俺が憂鬱気に階段を登りきると、そこから続く廊下の中ほどで例の少女がこちらに振り返り、何やら指をある一つの扉に指して喋っている。

 その扉を鍵をあける動作もなく押し開くと、内側にそのまま吸い込まれていった。

 例の少女が消えた後、俺より数メートル先にいたルナも彼女に続き姿を消す。


「まったく、何がどうなってこんなことに」


 俺も溜め息まじりに、二人の美少女をその中に取り込んでしまった扉の方へ近づいていく。

 三階も一階や二階と同じくまるで生きている人の気配がせず、どこか不気味な印象を受ける。

 一体どこで間違えてしまったのだろうか。

 運命の分岐点はどこだ。全部あのオカマ野郎のせいだな。



「……ぐひっ」



 ミシ、と階段と同質の音をあげていた廊下が突如静かになる。

 理由は簡単だ。それは俺が歩く足を止めたからに他ならない。

 しかし、俺が足を止めた理由はまったくもって簡単な理由ではなかった。


「いま、何か聞こえなかったか?」


 ゼンマイ人形のようにぎこちない動作で辺りを見渡す。

 当然だが廊下に現在残されているのは俺ただ一人。他に人影は一切見当たらない。

 おいおいおい。冗談じゃないぞ。

 少し物事が上手くいかなかったくらいで幻聴が聞こえるようになるなんて。いくらなんでもストレス耐性が低過ぎるんじゃないか?


「……うぅっ」


 ゴクリ、と俺の生唾が飲み込まれる音がはっきりと聞こえる。

 なぜこの幻聴は無駄にホラーテイストに仕上がっているんだ。

 そういう雰囲気づくりは今求めていないのに。


「……」


 唐突に聞こえ始めた幻聴を無視して、歩みを再開させようとすると、なぜかある一つの扉が気にかかった。

 その扉は丁度俺が今立っている場所の斜め左前にあり、ほんの少しだけ隙間が空いている。

 

 ミシミシ。

 

 一歩一歩ゆっくりと進んでいく。すると当然のことながら、なんとなく気になる扉の目の前に辿り着いた。

 俺はそこで足を再び止め、視線を一瞬その細長い開口部に注ぐ――、



「……」



 ――が、視界に映ったのはやはり何も意味をなさない暗闇だけで、特に何かの気配を感じるというわけでもなかった。

 やっぱり気のせいか。

 俺はいちいちやかましい古床のオーケストラを再演させながら、遅れて可憐な少女たちが待つ部屋に向かっていく。

 それによく考えれば、さっき聞こえた幻聴が実はゴースト的な存在によるものだったとしても何ら不思議ではない。

 なぜならここは異世界で、魔物と呼ばれる怪物がそこら中を彷徨っている場所なのだから。

 最強の魔法使いとなった今の俺にとって、魔物も幽霊も両方とも恐れるに足る存在ではないだろう。

 だからその後、俺がやたら早歩きになったことも特に意味がないことなのだ。






 ガチャリ、と付けたての悪い扉のドアノブを回す。


「遅かったわね。何してたの?」

「え? あ、ちょ、ちょっと道に迷ってて?」

「何よそれ。ふざけてるの? ……まあ、いいわ。とりあえず適当に座って」

「わ、わかった」


 やっとのことで二人の待つ部屋に入ると、すぐに紫色の強烈な視線が飛んできた。

 そこからの問答はそれほど長くは続かず、起伏のある身体つきをした少女はそこそこ広い部屋にたった一つだけある椅子に見惚れるほど上品な仕草で腰掛ける。

 意外にも育ちはそれなりに良いようだ。

 強盗殺人を起こすほど生活に困窮している人物の動きには思えない。

 まあ、だからなんだという話なのだが。


「さて、それじゃあ早速だけど。この街から誰にも見つからずにうまく抜け出す方法、何かない?」

「誰にも見つからずにというのは、この国の騎士に見つからずに、という意味ですか?」

「ええ、そうよ」


 特に前置きもなく始まった少女のいうところの作戦会議。

 まずそれに反応を示したのはルナで、彼女の質問にこれまた無駄に気品溢れる仕草を少女は返す。

 首を縦に振るだけでこんなに絵になるなんて、どこかの演劇団にでも所属していたのだろうか。


「そうですか。普通に考えたらかなり難しそうですね、それは。どの通行門にも必ず番をしている国家騎士がいますから。そもそも街を歩き回るだけで一苦労しそうな条件付けです」

「うーん、やっぱりそっかぁ」

「まあ、空が飛べたり、光速移動の魔法が使えれば別ですけど」

「それはさすがに無理。公認魔術師オフィシャル・ウィザードでも出来る人ほとんどいないでしょ、そんなの。それに光速移動の魔法にいたっては轟級魔法じゃない。絶対無理」


 謎の少女は枝毛一つない紫髪を手櫛しながら、思案気に頬杖を自らの膝でつく。

 なぜか会話の途中でルナがこちらに目線を映したが、俺はそれには応えなかった。

 空中浮遊、光速移動。

 どちらの魔法もたしか、ジャンヌに頼めば出来るような気がする。

 だが正直言って俺にはこの子の助けになる気が、どちらかといえばあまりない。


「それで、アンタは何かアイデアないの?」

「え? 俺ですか?」

「他に誰がいるのよ」


 少女は細い腕を組み、その上に立派な女性の象徴を乗せて今度は俺を誘惑してくる。

 だがそれは徒労に終わることだろう。その程度では俺は屈しないからな。

 そうして俺は襲い掛かる百八の悪魔を必死に追い払いながら、なんとか言葉を返すことに成功した。


「そ、そうだなぁ、行門以外にどこか抜け道とかないんですか?」

「そんなこと知らないわよ。私はこの街の生まれでもないし、つい先日初めて来たんだから」

「え? この街の人じゃないんですか? じゃあ、一体どうやってこの街に?」

「どうやってって、普通に通行門を使ってよ。当たり前じゃない」


 当たり前と言われても。

 国の騎士に見つかりたくないというくらいだから、指名手配犯か何かだとは思っていたが、まさかつい先日まで普通の民間人でしかも他の街から来ていたとは思わなかった。

 ということはつまり、ここの宿で起こした事件が初犯? 

 いや、それはないか。まだこの宿で起こした罪は公になっていないはずだからな。


「はあ、このままじゃ他人を巻き込んだ意味がないわ」


 若干の焦燥を浮かべる少女が足を組む体勢を取ると、全身を覆う見るからに怪しい白いローブからそれよりもさらに白い生足が垣間見える。

 糞っ、負けるな俺! 消え去れ悪魔ども! 

 俺は脳内の大鐘を何度も殴りつけた。


「あの、一つ提案があるんですけど」

「え!? なになに!? 何か思いついたのっ!?」


 俺が目に見えぬ激闘を繰り広げていると、不意にルナがその小さくて可愛らしい手を挙げる。

 するとそれに指名手配少女は目を爛々とさせて食いついた。

 それは身を乗り出すほどの勢いで、その拍子に豊かな二つの果実がブルンと揺れ動く。


「そんなに期待されても困りますが……魔法特急を使ってみたらいかがかと」

「魔法特急? あの民衆がよく使うなんだかよくわからない乗り物のこと?」

「はい。今ご想像されているそれでたぶん合ってます。魔法特急を使えば、強引に通行門を突破することができると思います」

「そうなの? でも、それだと凄く目立っちゃうんじゃない?」

「はい。非常に目立つと思います。ですが、魔法特急の速さに追いつけるのは、それこそ光速移動の魔法が使える人くらいです。なのである程度街から離れて、人がいないところで魔法特急を乗り捨てればいいんじゃないですかね」

「なるほど! それならたしかに!」


 瞳の色の輝きが変わり、少女の声がにわかに弾み出したのが俺にすらわかる。

 これは不味い。俺のマイガールフレンドは実に余計なことを言ってしまったらしい。

 また一瞬、ルナと視線が合致する。

 俺に見惚れているのか?

 いや今はそれどころじゃない。どうにかしてこの流れを変えなくては。


「よし! じゃあ決まりね! とりあえず今日はもう身体を休めて、明日の早朝に作戦決行よ! うふふっ! 凄く楽しみ!」


 少女は顔をキラキラさせて唄うように一人盛り上がる。実に異議の声を上げづらいになってしまっていた。

 いや、しかし、俺だって負けるわけにはいかない。

 まだサイモンさんに教えてもらった、とっておきのデートスポットにだって行けてないのだから。


「あ、そういえば、まだ二人の名前を訊いてなかったわ。教えてくれる?」

「私はルナです」

「お、俺はムト・ジャンヌダルク……!?」


 しかし、少女が椅子から立ち上がり名前を尋ねてくる際に、俺は恐ろしいほど強烈な攻撃を仕掛けられる。

 なんと、これまで安っぽい絨毯の上に揃って座っていた俺とルナに対して、前屈みのような姿勢をとったのだ。

 当然見える、緩いローブ下のなだらかな山間の景観。

 想像以上の一撃に、俺の頭がグラリと揺れる。

 駄目だ。ここで倒れたら……負けたら……俺はまだ闘える!


「そっか! よろしくね! ルナ! ムト!! 私のことは……うん、レミって呼んで!」

「よろしくお願いします。レミさん」

「よ、よろしく、レミ………!?!?」


 抵抗を続ける俺に、お次は脳天をかち割る致命的なアッパー。

 大輪の花が咲き誇ったのかと錯覚しそうな笑顔が至近距離で見せつけられ、眩しさに視界が歪んだ。



「うふふっ! レミ……か。なんか凄い新鮮。二人とも、ありがとう!」



 カンカンカン、と無慈悲な鐘の音が遠くから聞こえる。

 高潔な美少女――レミが止めと言わんばかりに繰り出した握手が決定的になったのか、俺の抵抗心は倒れたままタップすらする気配を見せない。

 明日は早起き。

 さよならだ。


 完全なる敗北を胸に、俺はアポロンの街に一足早く別れを告げた。






――――――




 ふと目が覚める。

 月明かり以外に灯りが存在しない部屋はひっそりと音がなく、ルナ自身の鼓動だけが静かに聞こえていた。

 身体は動かさず、視線を動かせば壁に張り付けられた時計が目に入る。

 長い秒針が指すのは右上の数字。

 思ったより早い。ご苦労なことだと彼女は思った。



「来たみたいですね」

「あれ? ルナちゃんも起きてたの?」



 髪を適当に手で整えながら上体を起こし、予想通りすでに覚醒していたムトに声をかける。

 彼は横になるには適さない床の上で仰向けになり、顔だけをこちらに向けていた。

 その返答から察するに、もしかしたら一睡もしていないのかもしれない。


「私は今起きたところです。ムトさんは仮眠をとらなかったんですか?」

「なんかさ俺、無駄に興奮しちゃって眠れなかったんだよね」

「そう……ですか」


 声尻こそ恥ずかしそうな口調でそう言うが、その発言の内容はルナには到底理解できないものだった。

 興奮している、ムトはたしかにそんな言葉を口にした。

 この状況で。

 これから自分たちが何をしようとしているかを正確に理解した上で。


「まあ、いいです。それじゃあ、さっさとレミさんを起こしましょうか」

「え? なんで?」

「なんでって……」


 

(この男正気? このクレスマの第二王女を眠らせたままこの包囲網を突破するつもり? 私の感覚だと、今、この宿を取り囲んでいる相手は二、三十人を超えている。その数相手にこんなお荷物を背負って挑むなんて、とても正気とは思えない。いいえ、この人にとってはその程度、大きな障害にも、ハンデにもならないということ。なぜならこのムト・ジャンヌダルクという男は、九賢人と敵対することになっても、してしまうような人なのだから)


「うぅ、う~ん……あれ? ルナ、それにムト? もうそんな時間……ってまだ全然夜じゃない。なんで二人はもう起きてるのよ」

「あ、レミさん。起きたんですね。丁度今起こそうかと思っていたところです。実はこの宿、アミラシルの国家騎士だとは思いますが、なにやら物騒な集団に取り囲まれてしまったみたいです」

「うん? 国家騎士に取り囲まれた? って嘘っ!?!? それ凄くまずいんじゃないのっ!?!? ど、どうするの!?」

「えぇ!? そうなの!?!?」


 なぜか第二王女と一緒に誰よりも早く敵襲に気づいていたであろうムトも驚いているが、それは無視してこの先の展望を再び想像する。

 ルナが数時間前にした第二王女への提案。

 あれはムトに向けたある種の挑戦だった。

 魔法特急。

 運営、管理、それは国際魔術連盟の管轄だ。

 もしそんな魔法特急を奪うような真似をすれば、当然国際魔術連盟と敵対することになり、下手をすれば九賢人が動く。

 魔法特急の価値、重要性は高い。それほどの大罪をルナは提案したのだ。

 しかし、その提案を世間知らずの第二王女はいいとして、ムトまでもが受け入れた。

 流石に少しの逡巡が見て取れたが、最終的にムトはそれを容認したのだ。

 しかもその後、興奮して眠れないとまで言い放っている。

 ムトは国際魔術連盟を敵に回すことを何とも思っていないし、一国の王女に近づいた理由もまるでわからない。とんだ公認魔術師オフィシャル・ウィザード志望者だ。

 結局のところルナにはこの青年が何者で、一体何を企んでいるのかほんの少しも推測することができていなかった。


「どうすればいいか、という問いの答えは簡単です。作戦の前倒し。包囲網を強行突破して、魔法特急を奪ってそのままアポロンを出るだけです」

「ちょ、ちょっと! そんな簡単に言うけど、大丈夫なの? 実は私こう見えて、結構魔法には自信があるけど、貴女たちは……?」

「私はそれほどですが、このぼんやり顔の人がそれなりに強いので心配はありませんよ」

「嘘!? ムトって魔法使えるの!?!?」

「この顔で、ぼんやり顔……だと!?」


 二人揃って何やら驚愕の表情を浮かべているが、そろそろ時間切れになりそうだ。

 ルナはベッドから出て、身なりを整えると決行の時を告げる。



「それではさっさと行きましょう。ここでのんびりしてても、騎士の皆様の集まりがよくなるだけで私たちが得することなんて何一つありませんから」

「え! 嘘!? ここから!?!?」

「ちょ、ルナちゃんマジ大胆せっかちっ!!!」



 パリン、と静寂を切り裂く音ともに、ルナは言うが早いか窓硝子を蹴り飛ばし、夜空へ飛び出す。

 冷たい風が気持ち良い。面倒なこと、疲れること、わからないこと、全てを忘れて、ルナは駆け始める。



「なんだっ!? あ、あれはっ!? 鳥? いや違う!! 皆なぁ!!! いたぞぉぉぉ!」

「第二王女様だぁぁぁ! 例のテロリストも一緒にいるっ! 全員戦闘体勢に入れぇぇぇ!」

「うぉぉぉぉっっっっ!!!」



 眠っていた世界が動き出す、屈強な騎士たちの野太い歓声が路地に反響し、ルナを賑やかに出迎えた。

 

「《魔力纏繞まりょくてんじょう》」


 透明な力の膜がルナを覆うのと同時に、一瞬の空中散歩が終わり、足の裏に固い地面の感触が伝わる。

 視線を前に向け直し、魔法特急乗車場までの道のりを頭に浮かべた。


「残念ながら、貴様らもここで終わりだぁぁ! このアミラシル国家騎士第三部隊副隊長のコーカサス様が――」


 ――赤い爆炎が突如眼前に出現し、やたら声が大きく不愉快だった一人の騎士を、その周囲の幾人かごと吹き飛ばす。

 おかげさまで紅い鎧を装備した人壁に風穴が空き、進むべき道が開けた。



「邪魔者はすべて排除する……叶えよう」

「うえぇっ!?!? アンタめちゃくちゃ強いじゃない!!!」



 ルナの隣りにムトと第二王女が遅れて着地する。

 周囲は騒然としていて、爆炎の余波と、その一撃のあまりの破壊力に次とるべき行動を決めきれなくなっているようだ。




「邪魔だ」




 再度炸裂する、二つの爆炎。

 

 闇に慣れた瞳を眩しく照らす紅黄の光と、肌を焦がしてしまいそうなほど強い熱風を両頬に感じる。

 ルナはものの数秒で、あれ程いたアミラシルの国家騎士が半数以上行動不能に陥ってしまった様を見て、心から確信した。

 

(この青年は私たち強欲な拐奪者スナッチ・スナッチ、世界正義と謳われる国際魔術連盟、アミラシルという一つの国、全てを敵に回すことにまるで躊躇いを見せない)


 

 ムト・ジャンヌダルクという一人の男は、この世界全てを敵に回したとしても、そのことを気にも留めないのだろう、と。




――――――




「邪魔」


 またもムトの掌から特大の火球が放たれ、増援にかけつけたアミラシルの騎士たちが赤い熱に飲み込まれる。

 夜の街はいまや騒然としていて、緊急事態を知らせるサイレンが月夜に鳴り響いていた。


「ちょっとこれ、魔法特急に乗る前からすでに、目立つ目立たないのレベルじゃなくなってる気がするんだけど」


 壮観な建物群が黒炭へと変わっていき、ホグワイツ大陸でも有数の大都市であるアポロンの街並みが容赦なく破壊されていく様を見て、私はクレスマ王家の次女として何か取り返しつかないことをしているのではないかという疑念に苛まれる。

 でも、もう遅いわよね。

 自由にはいつだって代償が必要なんだから、仕方ないことなのよ。

 うん、きっとそう。

 私は無理くり自分を納得させると、先頭を走る小柄な背中に視線を戻した。


「そろそろ着きます」

「あそこに、魔法特急があるのねっ!?」


 ルナの横に並ぶと、彼女は前方に見える大きな堂宇を顎で指す。

 その表情は私と一番最初に会ったときから変わらない無表情で、汗一つかいていない。

 あのムトとかいう奴は相当意味わかんないけど、この娘もたいがいね。


「飛び越えましょう」

「えっ!?」


 するとその宣言と共にルナは膝を曲げ、その華奢な体格からは想像もつかない驚異的な跳躍を見せる。ちょっとどんだけなの。

 軽々と目の前に迫ってきた大門を軽々と飛び越える様子をまざまざと見せつけられ、私の中に躊躇と焦りが生まれた。

 これ私も飛び越えられるのかしら。無理じゃない? 

 私だけここで置き去りとか笑えないわよ?


「邪魔」


 突如、私の真横を尋常ではない速度で通り過ぎる紅い閃光。

 それは驚きに悲鳴を上げるよりも早く、鈍い金属光沢が遠くからでも確認できる大門に炸裂し、私の視界と鼓膜が炎のエネルギーによって一時的な機能不全を起こした。


「ゴホ、ゴホッ! 一体何なのよ……っては? 嘘でしょ!?!?」


 粉塵に咳き込み、涙ぐみながらなんとか、思わず立ち止めてしまった足を再度動かそうと前を向く。

 するとそこには信じられない光景が広がっていた。


「な、なんで……門が消えてるの?」


 私の疾駆を阻むように立ちはだかっていた大門はすでに跡形もなく、そこには何やら黒い半固体の液体が飛汁している様が見て取れるだけだった。

 まるで意味がわからない。

 さっきの炎で燃やし尽くしたってこと? あれほどの金属を? 一瞬で? そんなの馬鹿げてるじゃない。 


「何を呆けている? 進め」

「わ、わかってるわよっ!」


 私は軽い現実逃避をしかけていると、これまで最後尾でその圧倒的な魔法行使力を思うがままにしていたムトが知らぬ間に追いついていたことに気づく。 

 本当にこいつ何なの? というかキャラ変わってない?


「はあ、どうやら、とんでもない二人に声をかけてしまったみたいね」


 黄金の瞳を闇夜に光らせるムトに急かされ、私は行く手を阻む物が消し飛ばされた道を再び跳ねるように駆け出す。

 遥か後方からさらなる追手が近づいてきていることも、おぼろげながらにわかった。

 急がないと。これ以上もたもたしていると、アミラシルの国力的な意味でまずいことになるわ。

 

「来ましたか。いきましょう」

「え、ええ」


 魔法特急乗車場と呼ばれる建物の中に入ってすぐの辺りで、ルナが立ち止まっていた。

 どうやら私たちを待っていてくれたらしい。

 天井を見上げれば丸いドーム型になっていて、ここは私の想像より広い空間になっている。

 それに二階にあたるスペースも用意されているようで、細長い通路らしきものもが視線を斜め上に移せば見ることができた。



「おいおい。こんな時間にここに何の用だ? 営業時間はとっくに終わってるぜ?」

「え? ……あれは!」



 そのまま広大な空間の奥に進んでいこうとすると、どこから現れたのか突然四人の男たちが私たちの進行方向に姿を見せる。

 男たちの身なりは揃って全員同じ。

 三つのWという古代エルフ文字が黒で基調された特徴的な服に刻まれている。

 勘弁してよ。最悪じゃない。


「まったくここがどこだかわかってんのか? この時代にまだ俺たちに喧嘩を売る馬鹿が残っていたとはな」

「いつの時代だって馬鹿は馬鹿なんだよなぁ。それで、こいつら殺しちゃっていいよねぇ? 不法侵入だしさぁ」

「べつにいんじゃね? 殺せば?」

「……」


 四人の男たちが身に着ける服装に私は見覚えがある。

 あれは公認魔術師オフィシャル・ウィザードだけが着ることを許される、公認標準服と呼ばれる代物。

 公認魔術師が四人。

 普通に考えれば勝ち目がまるでない。国際魔術連盟に認められた魔術師は、たった一人で街一つ半壊させられると言われている怪物だ。

 その力はもちろん、権力さえ今の時代では貴族以上の存在。

 それが四人。どうするのよ、これ。


「ルナ? これ貴女知ってたの?」

「はい、当然です。魔法特急は国際魔術連盟の管轄ですから、その運転、警護をしているのは公認魔術師オフィシャル・ウィザード。そんなの常識ですよ」

「常識ってっ!? それならそう先に言っておきなさいよ! もしそれを知ってたら、貴女の提案なんて飲まなかったのに」

「なぜですか?」

「え? なぜってそりゃ――」



 ――唐突に全てを劈く、既視感のある紅い煌めき。

 轟音が私の続けようとした言葉を掻き消し、慣れた熱風が私の全身を打ちつける。



「邪魔だ」



 その黒い外套を纏う男のあまりの規格外さに、私はついに思考を停止せざるを得ない。

 これまでムトが出現させた中で最も大きな火柱が天井すら突き破って、魔法特急乗車場の広大な空間全てを照らしていた。

 そして私を絶望の底に叩き落した絶対的強者たちは、ここまでムトに一蹴された凡百の騎士たちとまったく同じ運命を辿り、その一切の残滓を見せることも許されない。



「……ムト・ジャンヌダルク、貴方は一体……」



 夜天に優に届くこの魔法が一体どれほどのものか、私には想像もつかない。

 これは勘だけど、なんとなく今の魔法は上級では収まらない気がする。

 あれ、でも待って? ムトはこれまで一度だって詠唱をしていた? 

 いいえ、私の記憶がたしかならずっと無詠唱。でもそれだとおかしい。

 無詠唱は魔法の階級が一つ上がってしまうほど難しいもの。

 もし、轟級魔法を無詠唱で発動したのだとしたらそれは――、



「行きましょう。レミさん。道は開かれましたよ」

「え? あ、そ、そうね」



 ふと感じる違和感。

 それが何かと探してみると、すぐ横に答えはあった。

 そう、答えはルナの表情。

 これまで鉄仮面を保っていたルナが、はっきりと口角を上げ、笑っていたのだ。

 妖しくも魅力的な笑み。

 それはまさに悪魔の微笑みで、同性の私でさえ一瞬見惚れてしまうほど。

 

「……どうしました? 行かないのですか?」

「えぇっ!? い、いやいや! 行くわ! 早く行きましょうっ!」


 しかし、その笑みはあくまでいまだ燃えたぎる絶尽の炎塔に向けられたもので、その視線の先が私に移動されるやいなや、私の知る冷たい無にルナの表情は戻ってしまう。

 だけどそれはどうでもいいこと。

 ムトの異常過ぎる力も、ルナの笑顔も、今の私にはどうでもいいこと。

 私の自由はもうすぐそこにある。余計なことは考えず、今はただ駆け抜けるだけでいい。

 私は結局使うことなかった魔力の波動を足に集中させ、地面を強く踏んだ。


「あった! あれが魔法特急ねっ!?」

「はい。そうです」


 探し求めていたものはすぐに見つかった。黒い箱を横に伸ばしたような形の変わった物体。

 それには何十本も足みたいなものが下部にくっついていて、見た目はあまりよろしくない。

 だけど外見に文句を言っている場合でもないので、私は一人颯爽とすでに乗り込んでいるルナの後に続いた。


「へえ。中は結構快適そうね」

「操縦席の方へ向かいましょう」


 スライド式の扉を開け、いざ魔法特急なるものに乗ってみると意外にもその内部は広闊で、乗り物としては上等な作りになっている。

 仕切られた椅子が連続して並んでいて、なんだか滑稽で面白い絵面ではあったけど。

 

「……お。ついたのか。思ったより時間かかったな」


 声がする背後を振り返れば、ムトが鼻頭を掻きながら物珍しそうに内装を見回していた。

 この人も私と同じく魔法特急に乗るのが初めてのようだ。

 案外礼儀正しいし、実は貴族だったりして。しかも私と同じ、五帝の世継ぎかも。

 それにしても気が抜けたのか、また随分と雰囲気が変わってるわね。

 なんかちょっと気持ち悪い奴。いや、かなり気持ち悪い。


「見つけました。こちらに来てください」

「い、今行くわっ!」

「ん? そういやルナちゃんどこにいんの?」


 前方の奥からルナの声が聞こえる。どうやらこれを動かすための機関室を探し出したようだ。

 私は小走りで抑揚のないルナの声がした方に向かって行く。

 遅れて私の後ろからも慌てたような足音が響いていた。 


「あ、やっと来ましたか。……見てください」

「これが?」

「おーい、二人とも! どうしたの?」


 若干他の場所よりも狭い作りになっている部屋に入り込むと、その中ではルナがある一点を見つめながら思案気な様子をしていた。

 私もルナの視線をなぞると、その先にあったのはゼリーのような半透明の物体で埋め尽くされた窪み。

 これ、何?


「ムトさん。まだ魔力に余裕はありますか?」

「え? あ、ああ。たぶん大丈夫だと思うけど」

「じゃあ、この中に手を突っ込んで、とにかく魔力を流し込んでみてください」

「はい? この気持ち悪いブヨブヨした奴の中に? わ、わかった。やってみるよ」


 ムトが気味悪がるのも無理はないと思う。

 私から見ても、そのルナが指さし見つめる箇所は、実に不気味で喜色悪かったから。

 しかし、ムトは最初こそ嫌そうな顔をしていたが、実際にその謎の窪みの中に手を突っ込むと、あふんっ、という意図の読めない声を漏らし、なぜか若干嬉しそうな表情を見せ始める。

 その様子は正体不明の半透明物体と同じくらい不気味だった。


「これで、魔力を流し込めばいいの?」

「はい。お願いします」

「おっけー。よし。じゃあ行くぞ……っん!?」


 

 瞬間、何かが噴出したかのような突発音と、思わずよろめいてしまうほど大きな揺れ。



「うひゃっ!? なに!? どうしたの!?」

「……ちゃんと動いたみたいですね」

「うわぁ、めっちゃ吸われてるぅ……あんっ、やだこれ気持ちいい」



 規則正しくプシュ、プシュ、プシュ、と得体の知れない音がそこら中から聞こえてくる。

 揺れは小刻みで連続したものに変わり、そして次の瞬間ぐっと後ろに引かれるような力が私に襲い掛かった。




 プオオオオオォォォォォーーーーー!!!!!




 突如鳴り響くけたたましい音に思わず耳を塞ぐ。

 どうやらついに魔法特急は動き出したらしい。

 何かを突き破る豪快な決壊音と共に、窓から差し込む月光がその強さを明らかに増した。


「す、凄いっ! 速いわこれっ! うわぁ! 速い速いっ!!!」

「ムトさん、魔力の方はどうですか?」

「うん? 大丈夫大丈夫。全然余裕だよ」

「そうですか……さすがですね」


 窓の外から見える景色が、凄まじい速さで遥か後方に飛んでいく。

 アポロンの街並み、この騒ぎで目を覚ましたのであろうアポロンの民、まだ私たちを追うアポロンの騎士たち、全てを置いて夜を駆け抜けていく。




「私は、自由だっ!!!」




 とうとうアポロンの通行門が見え、だけど見えたと思った次の瞬間にはその門を吹き飛ばし、しかしそれでもなお直進していることに私は歓喜し、思わず勝利の雄叫びを上げてしまう。

 一人の王女としては、恥じらうべきなのだろうけど、今の私にその必要はない。

 だって私はもう国を背負わなくてはならないクレスマ第二王女じゃない。


 私はただの、ちょっと魔法が得意なだけの、クレスマ生まれの自由な一人の女に過ぎないのだから。





――――――




 長い夜が明けた後の白く染まった空の下で、一人の大男が流れ続ける水のうねりを眺めていた。

 大男が真っ直ぐに見つめる水路は環状に一つの街を囲っている。

 流れては回り、流れては回り、流れては回る。

 そんな水流を大男は飽きもせずに視界に収め続けていたのだ。



「すんません。遅れました」

「遅れてしまってごめんなさぁ~い」



 カシャ、そんな耳障りな音を立てて大男――カルシファは自らに話しかける二人組の男女にその鳥類を模した仮面を向ける。



「ゼルド君~! マリン君~~! よかったぁ~無事だったんだねぇ~~~! 例の彼に見つかって、さくっとぶち殺されちゃったかと心配してたんだよ~~~?」

「いやぁ、本当に大変でしたぁ。正直かなり危なかったですぅ。というかぶっちゃけ見逃してもらった感じですかねぇ」

「いやマジパネェすよあいつ。マジ大暴れ。俺たちよりよっぽど犯罪者っぽいことしてますよあいつ」



 アポロンの街から出たすぐ傍でカルシファは待っていた二人の姿を確認すると、身振り手振りを交えてそのことに対する喜びをアピールした。

 するとカルシファは二人の様子に、差異が少しあることに気づく。

 赤い髪を逆立てた男の方は何やらとても興奮した面持ちだが、もう一人の紫髪の女にはどこか疲れた影が表差していたのだ。


「師長見ましたっ!? あいつ国際魔術連盟の魔法特急かっぱらって、通行門をドカンすよ? しかもアポロンの街はメッチャクチャ! ヤベェすよあいつ。マジパネェ」

「そうみたいだねぇ~。僕ちんは外にいたからあれだけど、魔法特急が門を突き破って飛び出してきたときはびっくりしたよぉ~。というか~やっぱりあれに乗ってたの彼だったんだねぇ~」

「いやぁ~! あれにルナも乗ってんだよなぁっ!! うわっ! 羨ましっ!」


 カルシファは子供のように顔をキラキラとさせてはしゃぐ男からは視線を逸らし、今度はかなり疲労を溜め込んでいるらしき女の方へ向き返る。


「それでマリン君~? なんか大分疲れてるみたいだねぇ~? しかもさっき、見逃してもらったとか言ってなかったぁ~~? 説明してくれる~?」

「はい。もちろんですぅ。実は尾行の途中で、あの人たちが次に行く場所がわかった時があってぇ、先回りしたときがあったんですけどぉ」

「へぇ~? 先回り~?」


 女が俯いていた顔を上げると、朝日に照らされ瞳の深い紫苑色が見え、目の下の泣き黒子に手をかけるとその甲に蜘蛛が這っているのがわかった。

 女は言葉を続け、そこに僅かな険が加わったことにもカルシファは鋭敏に気づく。


「何を考えたのかこの脳味噌空っぽ駄目人間が、近くで直接その例の彼を見てみたいとかのたまわりやがてぇ、隠れてた部屋の扉を少し開けだしたんですよぉ」

「あれ? マリンちゃん? その脳味噌空っぽ駄目人間て誰のこと?」

「しかもその後なんか変な呻き声上げてぇ、こちらに気づかれるような真似をしたんですよぉ。本当あの時は息の根を止めてやろうかと思いましたぁ」

「はははっ! マリンちゃんの冗談マジ怖えぇ! ……あの、冗談だよね? それ?」

「それで間違いなく私たちに気づいたと思ったんですけどぉ……結局何もされませんでしたぁ」

「おっと? 無視? 無視なんですか!?」


 そう女が言い終わると、カルシファは頭を左右九十度にゴキュゴキュと傾けながら、しばし思考した。

 話の内容を自分なりに理解し、考え付く可能性を脳内で構築していたのだ。


「う~~ん。それはまた奇妙な話だねぇ~? 僕たちのことを何とも思っていないのか、はたまた逆に何かに利用するつもりなのかなぁ~? わかんないなぁ~」

「そうですねぇ。しかも、あの人今回の件で、国際魔術連盟に属する人間でもないような事が判明しましたしぃ。本当理解不能ですぅ」

「いや! 俺はわかるっすよ! たぶんあいつ何も考えてないんすよ! ただ生きたいように生きて、邪魔なものは全部ぶっ潰す! ただそれだけ! マジパネェ!」

「……まあ、何か考えはあるんだろうけどね~」

「そうですねぇ。何を企んでるのかがサッパリ推測できないのは本当に不気味ですぅ」


 ハイテンションで喚き続ける男を完全に無視して、カルシファと女は早朝だというのに何やら色めきだっているアポロンの街に目をやりながら、会話を続けていく。

 そのうち焦げ臭い匂いが付近に流れ始める。それは水路に浮かぶ黒炭のせいだった。



「……とりあえず総帥に連絡しておきますぅ。ここから先、追うには足が必要ですからぁ」

「そうだね~。よろしく~」



 女は角ばった小さな物体を取り出すと、プルルル、という高質な音を出し始める。

 その様子を確認したカルシファは女に背を向け、少し離れるように動く。



「……でも、もしかしたら、は利用できるかもしれませんねぇ」



 最後に聞こえた言葉にカルシファは声を返そうと一瞬振り向くが、若干の振動が見える物体を耳にあてる女の姿を見て、結局はそれをやめた。


 勢いを増す風。

 カルシファは夜が完全に明けたことをその身で感じながら、アポロンの街から空高くに伸びる灰色の煙を眺める。


 

 そして闇の中で見た絶望的なほどの魔力を秘めた炎柱を思い出し、誰も見ることができない仮面の下で独り笑った。




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