No.18 ラー
「俺たちドワーフの独立襲撃部隊にお前の力を貸して欲しい。できればムト・ジャンヌダルク、君の力も」
場所はドワーフの首都アルセイント。
そこで私は、この世界では今や英雄とまで称されるようになった青年の肩の上に座っている。
目の前では一人の男、名前はなんと言ったかしら、とにかくドワーフ人の男が真剣な表情でムトとルナに頭を下げている。
「すいませんが、すぐにお返事はできないですね。考える時間が欲しいです」
「え、えと、俺も、少し考えたいです」
「ああ、わかってる。それでいい。出発はさっきも言った通り今日の深夜。場所は街の北大塔下で集合だ。もしいい返事を聞かせくれるなら、その時に」
ドワーフ人の男の話では、じきにここへエルフの軍勢が押し寄せてくるらしい。
しかし私はある特別な感覚に囚われていて、彼の話をまともに聞くことができていなかった。
リン、リン、と鈴の音が聴こえる。
私の魂はたしかにあの子に呼ばれていて、その呼び声を遮る権利を私は持ち合わせていない。
「では、私たちはこれで。お話、ありがとうございました、ソリュブルさん」
「くれぐれも街の人間にはここで話したことは言うなよ。あと何も知らない無関係な兵士たちにもだ」
「わかっています」
そうね。そうだったわ。ドワーフ人の男の名はソリュブル。
会話の端々だけを耳にしていた私は、知らぬ間にムトたちの会合が終わっていたことに遅れて気づく。
伝わってくる微かな振動。
ムトとルナは部屋から出て、螺旋の階段をゆっくりと降りて行く。
赤橙の灯りに照らされる階段は、何かを暗示しているような気がしていた。
「なあ、ラー。俺はどうしたらいいと思う?」
「さあ、そんなこと知らないわ」
唐突に問い掛けられたムトの言葉。
これまでずっと上の空だった私には当然気の利いた返事をすることはできない。
もしかしたら彼は私の様子が奇怪なことに気づいているのかも。
一見穏やかで人畜無害そうな彼は、これでもやはり特別な存在で、私が見てきた中で最もイレギュラーな存在なのだから。
「ムトさん、少しお願いがあるのですが、よろしいですか?」
「ん? どうしたの?」
「今から、明日の朝まで別行動にしましょう。私の活動の助手は今日のところは中止で」
「え? なんで?」
「お願いします」
「まあ、べ、べつに構わないけどさ……」
「ありがとうございます、ムトさん」
ルナがここでムトに一つの提案を持ちかけている。
どうやらこのドワーフとエルフ間の問題を彼女は自分だけの力で解決したいみたいね。
それほど長い付き合いではないけど、彼女が何を考えているのかはだいたい分かるわ。
おそらく自らの価値をムトに対して証明したいのね。事実ムトなら、彼がその気になれば、ドワーフでもエルフでも簡単に滅ぼすことができる。
ルナはムトに狂っている。
きっと自らの命を賭けて、ムトに己の存在証明を行うつもり。
私はそんなルナを少し、羨ましいと思った。
「そうね、私も別行動させてもらうわ。明日の朝まで」
「ラーも?」
そして私もいいタイミングなので、ルナの提案に乗じていったん離脱することにする。
相変わらず勘の良いムトがこちらに怪訝な表情を向けているが、それには意図的に気づかない振り。
ムトの肩から軽く飛び降り、階段を急いで下っていく。
赤橙に照らされる闇の中へ、深く潜っていく。
おそらく明日の朝までには戻れるはず。その言葉には嘘はないわ。少なくとも私は嘘を吐いたつもりはない。
魂の震えが段々とその大きさを増していく。
私は呼ばれている。私の創造主に、彼女に呼ばれている。
私に拒否権はない。私は彼女の僕で、代弁者なのだから。
“
自己の存在に理由を求めた魂は、長い長い旅に出る。
彼女はそれを生と呼んだ。
疲弊した魂は歩みを止め、やがて長い長い眠りにつく。
彼女はそれを死と呼んだ。
しかしある時、彼女は疑問に思う。
今、自分は旅の途中なのか、それともすでに眠りについているのか。
問い掛けに答える者はいない。
そこで彼女は眠りについた魂に旅の夢を見せることにする。
死者に生者の夢を見せたのだ。
彼女は道標として、夢見る死者へ篝火を焚く。
夢の中で、彼女は旅する魂へ声をかける。
闇に光を灯せ、と――――――、”
「来たわね、ラー」
まどろみの中で私はゆっくりと瞳を開ける。
気づけば小高い丘の上で私は横になっていて、色鮮やかな花々に囲まれていた。
甘く、魅惑的な芳香。
いつここに私はやって来たのか、どうやってここにやって来たのか。
そのどちらとも私は思い出すことができない。
「ほら、見てご覧なさい、ラー。綺麗な篝火が焚かれている」
顔を上げれば、白銀の髪を夜風に靡かせる一人の少女がいた。
双眸は紅、緑、紫、橙、灰色と、一秒たりとも同じ色に留まることはせず、絶えず変化し続けている。
本能で理解することができた。
その丘の上に立ち、遥か遠方を眺める少女こそが、“彼女”なのだと。
「ただいま戻りました、女神ドネミネ」
「そうね、貴女の感覚では久し振り、ということになるのかしら?」
彼女は穏やかに微笑を浮かべる。
しかし私の魂の震えはいまだに収まっていない。
それが良い事なのか、悪いことなのか、私には判断がつかなかった。
「それでどう? 私の選んだ
「はい。当代の継承者は非常に優秀です。すでに至上の七振りの内四つを手にしております」
「そう。それは良かったわ。その調子で頑張ってと伝えておいて」
「……はい」
彼女は唄うように人の言葉を紡ぐ。
ただその唇も憑代にしか過ぎず、本来は彼女のものでもないはず。
私が瞳を瞑っている間に焚かれた篝火は煌々と輝いている。
「それじゃあ、そろそろ本題に入りましょうか。貴女を呼び出した理由を。私もあまり長くは箱庭にいられないから」
箱庭、彼女はこの世界をそう呼ぶ。
淡い、儚げなこの夢の中で、彼女はこうして時々私呼ぶ。
私は彼女の眼であり、足であった。
「どうやら私の知らない間に、
彼女はいまだに穏やかな表情を変えない。
いつもと同じように、私が知るように、瞳の色を変え続けている。
「申し訳ありません。私にも彼の事は計り切れていません」
「そう。でもこれは問題ね。彼は特別だわ。だけど、彼は私が選んだ特別な人、主人公ではない。私の箱庭に、主人公は二人も必要ない」
必要ない。彼女は楽器を奏でるように口を動かす。
いつかこんな日が来るかもしれないとは思っていた。
あまりに逸脱した能力。指先一つで、世界を改変せしめてしまう力。
一つの世界に、創造主は常に一人。
「ムト・ジャンヌダルク。彼は教えてくれるかしら。私が生きているのか、死んでいるのか」
彼女の名はドネミネ。
かつて女神ラーと呼ばれ、やがてその名を捨て、そして私にその名を授けた偉大なる創造主。
至上の旅の先で、夢の終わりを待つ孤高の女神。
私は篝火に照らされる夜空を眺めながら、きっともう約束の朝は過ぎ去ってしまったのだと遅れて気づいた。
――――――
ボーバート大陸の北端に、今や水の枯れた地底湖がある。
広大な敷地面積を誇るその地底湖の中には、水に代わりある異形の群集がひしめき合っていた。
カガリビト。
ディアボロ世界では広くその名で知られる、死の怪物である。
「……狂気と混沌。まさにその呼び名が相応しいですね」
そんな地底湖の崖の上では、二人の男が揃って立ち並んでいる。
片方の男は片眼鏡をかけた老紳士で、もう片方は鳥類を模した仮面をつけた大柄な男だ。
老紳士は眼下の百では収まらない数のカガリビトを眺めながら時折り満足そうに頷き、ゴキュ、ゴキュ、ときしめいた音を立てながら巨漢の男は一定の間隔で首を回している。
「しかしさすがカルシファ様です。まさかディアボロの篝火によるカガリビトの発生ポイントを操ってしまうとは」
「ん~~~? べつに大したことはないよ~~~?」
老紳士の言葉に、巨漢の男――カルシファはやけに甲高い声で答える。
カルシファの両腕に付けられた豪華な装飾品が、指を動かす度にジャラジャラと騒がしい音をたてた。
「いい頃合いにまで育てば、このカガリビトの軍勢をホグワイツ大陸へ集団転移。そしてそれと同時に幻帝ヨハン率いる軍勢がボーバート大陸を侵略。……完璧ですね。これまでにない狂気と混沌がこの世界にもたらされることでしょう」
「う~~~ん、どうだろうねぇ~~~? そう上手く行くかなぁ~~~?」
「それはやはり件の英雄のことを危惧しているので?」
老紳士の言葉にカルシファは答えない。
ゴキュ、ゴキュ、と首を左右九十度に曲げながら、表情を変えない仮面を揺らすだけだ。
「……さて、誰が悪を討つべき英雄で、誰が討たれるべき悪なのか。物語の行く末が楽しみだな」
カルシファが声色を変え、静かに嗤う。
鳥類を模した仮面の隙間から覗く黄金の瞳を見るだけで、嗤っているのだとわかる。
闇の中で死の異形がひしめき、誰にも届かぬ産声を叫び続けている。
英雄が眠りにつくとき、悪夢が始まる。
夜明けは遠く、旅の終わりに希望など存在しなかった。
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