No.17 フィード
クアリラは自らの運命を嘆いていた。
彼女はただ楽に生きていきたいだけ。
自由気ままに惰眠を貪り、空腹を感じたら食事をとり、そしてまた眠りにつく。
それだけでよかったのに、世界は彼女の思う通りには進んではくれない。
眠れば腹がすき、腹を満たすためには食べる。
たったそれだけを繰り返すのにも労力とある程度の財力が必要なのだ。
(はぁ……生きるのって本当面倒くさい。というかここ最近はいつも以上に面倒くさい気がする。だいたいムトに会ってからだなぁ。あの人に関わってから、ずっと面倒くさい。やっぱり面倒くさい人間には面倒くさいことが寄ってくるのかも。はぁ……縁きりたい)
面倒くさいを心内で連呼しながら、クアリラはこの場にはいない一人の青年に悪態をつく。
その英雄と他者からは呼ばれる青年のせいで、自分が面倒事に巻き込まれていると彼女は本気で思っていた。
「ねぇ、アンタ。もしかしてなんか暗殺業とかやってた? なんか動きがそんな感じする」
「はぁ……まあ、一応。似たようなことはしてたかなぁ。あんまり気乗りはしなかったけど」
「アハッ。やっぱり? 私分かるんだよね。私も似たような戦い方するからさ」
ヒュン、と顔の横を何かが通り過ぎる音を敏感に察知し、クアリラは身体を屈める。
今彼女は、エルフ軍の
(フィフス、とか言ってたっけ? なんかじわじわ追い詰められてる気がするんだよね。やっぱり私、ここで死ぬのかな? はぁ……死ぬの面倒くさいなぁ)
少し離れたところでヘラヘラと笑う長髪の女エルフ――フィフスをぼんやりと眺めながら、クアリラは自らの死を予感していた。
フィフスがおもむろに腕を振るうたびに、何かしらの視えない攻撃が行われているようなのだが、それをクアリラは何とか感覚的に回避をし続けている。
しかし避けて無傷は保っているものの、妙に嫌な予感がしていて、どうしても崖際に追いやられているような気がしてならなかった。
「でもアンタ運が良いよ。私は枢機卿の中でも、結構弱っちい方だからさ、もしかしたら生き延びられるかもしれない。あっちのセカンドは鬼強いから、たぶんあの巨乳の子は死ぬんじゃないかな」
「はぁ……なにそれ。ブラフかなんか? あんまり私にそれしても意味ないと思うけど」
「いやいや、本当にさ。枢機卿の中にも当たり外れがあるわけよ。一番強いのはファーストとフォースのどっちかかな? その次にセカンドが来て、私とサードは大したことなくて、あー、シックスはよくわかんないね」
世間話のような気軽さで、フィフスはペラペラと枢機卿の内情を語る。
しかしその最中にも常に両腕は振り続けていて、クアリラに何かしらの攻勢はかけ続けている。そのアンバランスさが不気味だった。
「見た感じ、アンタそれなりに強そうじゃん? 本気で逃げに徹してみれば、案外逃げ切れるんじゃないかなぁ、と思ってね。私もなんか膣がムズムズしてきたし、正直もう戦いたくないんだよ」
「はぁ……なんか嘘っぽい」
「え~? ほんと~? そっかぁ。なんかショックだわ」
弛緩した態度を変えないフィフス。
一方クアリラの方はいよいよ本能が警告を訴えかけ叫び声を上げていた。
すでに彼女の最も得意とする不意打ちの準備はしてある。
地面の中で地属性魔法によって創り出した槍を伸ばし続けていて、必殺の時を待ち構えているが、むしろ追い詰められているのは自分の方としか思えない。
(はぁ……なんだろうな。この嫌な感じ。視えない謎の攻撃。どうせ血の魔法だけど、これの正体がわかんないのが違和感の正体? はぁ……嫌だな。早く帰って寝たいなぁ)
いよいよ準備が整い、いつでもフィフスの死角から槍の尖先を突き出すことができる。
クアリラは自分でも半ば諦めつつも、掴めない態度を保つ相手に視線を飛ばす。
「はぁ……それじゃあ、お言葉に甘えて、逃げさせてもらうよ」
「アハッ。そう? アンタなら逃げきれるはずだよ絶対――」
――クアリラがそう言い放った瞬間、地中から槍が勢いよく飛び出す。
フィフスのまったく反応できない位置、速度で研ぎ澄まされた刃が無防備な背中に襲い掛かる。
「――でも、ちょっと逃げ始めるには遅いけどね」
ギリリ、と擦れるような音の歪みが聞こえ、クアリラは重い溜め息を吐く。
相変わらずヘラヘラとした表情を変えないフィフスの背後では、地面から姿を現した槍が何か見えない、見えないほど細い何かに絡め止められている様子が窺える。
(はぁ……やっちゃった。こいつの能力は“糸”か。あぁ、ミスったなぁ。時間をかけちゃいけないタイプだったか。これはたぶん詰んだな。さすがにキツイ)
全てを悟ったクアリラは試しに背後に大きく飛び退こうとしたが、目にも映らぬほど細い繊維が自らの周囲の至るところに張り巡らされていることに気づき、それを諦める。
「もうアンタの逃げ道はないよ。だから早く逃げた方がいいって言ったのに」
「はぁ……よく喋るのも作戦だったわけですか」
「そんなことないさ。私は単にお喋りなんだよ」
フィフスは一度振り返ると、背後に迫っていた槍刃を見て、わざとらしく驚いた素振りを見せる。
そして再び前に向き直ると舌なめずりをし、ピアノを弾くような仕草で指を動かす。
――ピンッ。
琴線が奏でられると同時に、小さな血が宙に踊る。
見ればクアリラの頬には薄い切り傷がついていて、フィフスは嬉しそうに真っ白な歯をみせた。
「ハァ……ンっ。興奮してきたぁ。男の肉も筋肉質でいいけど、女の肉も柔らかくていいよねぇ」
フィフスが旋律を奏でる度にクアリラの胸、太腿、わき腹に鋭い紅線が引かれる。
丁寧に繰り返されるその調律に、耳を傾けることしか彼女はできない。
胸元の衣がはだけ、こぶりな乳房の半分ほどが外に晒されても、彼女は身動き一つもはや取ることはできない。
「アハァ…っ、ヤバ、もうイキそう。これ以上は駄目。我慢しよ。身体は綺麗なままで。とりあえず首だけでも落としておこう」
自らの死期を悟ったクアリラは睡魔に目を擦りたかったが、我慢しておく。
聡明な彼女はこの状況を脱する様々な手段を考えていたが、特に思いつかない。
(はぁ……さすがに死んだか。お腹空いた。眠い。やだなぁ。死ぬの面倒くさいな――)
――ヒュン、と無情にも鳴る風切り音。
血飛沫すら上がらずに、一つの頭部が宙に放り出される。
力を失った胴体は崩れるように地面に倒れ込み、そして二度と動くことはなかった。
――――――
けたたましい高音を響かせながら劈く紫電。
しかし空気を焦がすその一撃は、これまで何度も繰り返してきたように不可視の壁に阻まれてしまう。
(どの方向からやっても無駄みたいね。どうしたものかしら)
革命軍東部遊撃部隊指揮官。その座に就くレミジルーは、澱みのない動きで回し蹴りを放ってくる相手から距離を取りつつ、冷静に状況を見極める。
相手はエルフ軍の最高戦力、
常人と高位の魔法詠唱者の間には天と地ほどの実力差があるとしても、たった二人だけでレミジルーの部下たちを蹂躙していったのは異常といえる。
ここで自分が倒れれば、革命軍東部遊撃部隊は潰滅。
指揮官としてのプライドから、レミジルーは最悪の結末だけは何としてでも避けたかった。
(単純に威力を上げてみる? いや、それは愚策ね。まず相手の使っている魔法の種を明らかにしないと)
足に紫電を纏い、レミジルーは地面を焼きつけながら高速移動をする。
まさに閃光。
一瞬の内に相手の女エルフ――セカンドの背後に回り込み掌底を叩きつけた。
「速さは中々のものね。でも、動きが素直過ぎる」
「うっ!?」
だがレミジルーの掌底はこれまでのように見えない壁に阻まれることはなく、身体を僅かに捻るだけで回避されてしまう。
懐に誘い込まれ、痛烈な膝蹴りを無防備に晒してしまった腹部に食らう。
魔力纏繞によって底上げされた威力は凄まじく、セカンドの身軽な体躯に似合わず重みある衝撃を与えた。
「がぁ……っ!」
「思ったより硬い。それなりに無属性魔法も扱えるようね」
派手に吹き飛ばされたレミジルーは痛みに喘ぎながらも、何とか受け身を取り体勢を整え直す。
たった一撃。
さらに特別な魔法は使っておらず、ただの魔力を纏った蹴撃。
それにも関わらずダメージは甚大で、レミジルーは苛立たしげに舌打ちをした。
(こいつ、強いわね。あの見えない壁みたいなのは、たぶん私と同じように原石魔法の一種だと思うんだけど、それだけに頼った強さじゃない)
レミジルーはどちらかといえば、魔法の中でも雷を扱うという血の魔法、つまりは遺伝にのみ使える特殊な原石魔法を積極的に使用していき、それに特化した戦闘スタイルを構築している。
一方セカンドは彼女と同じように血の魔法を使用しているようだが、あくまでそれは武器の一つとして限定していて、ここぞというタイミングでしか発動させない。
「《アクアショット》」
「もうっ! 少しは考える暇を頂戴よっ!」
「《アクアショット》」
たしかな質量を持った水の弾丸が二つ撃ち込まれ、レミジルーは再び紫電を煌めかせる。
一つは同威力の雷撃で対消滅させ、もう一つは高速移動で回避。
それでも、続けて水弾が何発も撃ち込まれ、レミジルーへまともに思考を巡らせる隙を与えない。
「やはり、速い。ミスだったわ。相性が悪い。フィフスに任せるべきだった」
「はっ! 相性が悪い!? そんなのこっちの台詞よっ!」
逃げ回っていても埒が明かない。
そう判断したレミジルーは一旦息を切ると、一気にセカンドに向かって加速する。
渦巻く魔力を拳に集中させ、彼女が最も得意とするシンプルな魔法の準備を行う。
圧倒的魔力による、力任せの破壊行為。
紫電を拳に纏い、ただ殴る。
理知的な外見には似合わず、レミジルーは力押し以外の術を知らなかった。
「全部殴り壊す! 《
キリキリと鳴く紫電の光に全身を染め、レミジルーは力任せに拳を叩きつける。
相手は自分より何枚も上手。小手先の細工は通じない。
そう考えた結果、セカンドの力を知るためにも、自らの性格的にも、出し惜しみの必要がないと判断したのだ。
「……《
紫電の貫通力と拳撃の破壊力を併せ持った一撃に、セカンドもまた彼女だけの魔法で対抗する。
それは魔力を注ぎ込めば、その注ぎ込んだ分の魔力の倍以下の魔法を無効化するという血の魔法。
轟、と壁に衝突したレミジルーの拳が止まる。
だが、壁に触れた瞬間、彼女は直感的に全てを理解する。
(へぇ! これたぶん魔力ひたすらぶっこめば壊せるんじゃないっ!?)
触れただけで悟る。セカンドの壁を打ち破るために必要なもの。
レミジルー・アルブレヒト・アルトドルファー。
アメジストの瞳と同色の髪を揺らす彼女は、かつて“神帝”と呼ばれた男の血を最も濃く受け継いでいて、才覚だけならば父すら凌駕する。
「もっと強く、私はもっと強くならなきゃいけない! お父様よりも、あの鈍感ヘタレスケベ野郎よりも強く! 私だって英雄になりたい!」
すでに叩きつけてある右手に加え、もう片方の左手にさらに魔力をかき集める。
掲げられた左腕、バチバチと輝く紫電は天にまで届く。
「吹き飛べっ! 《
振り下ろされる雷腕は光速に達し、これ以上ない紫色の衝撃を透明な壁に与える。
――ピキリ、と何かに綻びが入る音。
勢いはいまだに健在で、壁をついに打ち破り無感情を保っていた顔に拳が届く。
セカンドの無表情にこの日初めての変化が生じ、レミジルーは高揚に微笑む。
「……お見事」
「え?」
砕け散った壁。阻むものがなくなり、やっと届いた紫電の一撃。
だがセカンドは邪悪に嗤う。
渾身の掌底をその頬に受けながらも、真っ直ぐと前を見やり嗤ってみせる。
「そしておめでとう。今あなたは一方的に嬲られる家畜から、駆除すべき害獣へと変わったわ」
届いたと錯覚した拳。
実際に感じるのは先ほどまでとまったく同じ、熱のない無機質な感触。
(まさか、魔法の二重詠唱――)
壁は一枚ではなかった。
身体に合わせて、薄膜のように張られたもう一枚の壁。
卑しい笑みを浮かべたまま、セカンドは白く細い指を伸ばす。
虚を突かれたレミジルーに避ける術はなく、首元に迫りくる手を呆然と見送るだけ。
「女、お前はムト・ジャンヌダルクがどこにいるのか知っているな?」
――瞬間走る、黒い剣閃、
セカンドの白皙の腕は弾き飛ばされ、同時に鼓膜に響く冷たい声。
「……え? 貴方はいったい?」
「新手、ですか。害獣、というよりは野狼が適切そうね」
突き刺すような刺々しい風格。
燃えるような真紅の髪に、深い闇を思わせる黒の瞳。
左手には刃のない剣を持ち、右手には漆黒の刃をした刀を手にしている。
「俺の名はセト・ボナパルト。俺は急いでいる。女、俺をムト・ジャンヌダルクの下へ案内しろ。代わりにこっちの小兎も俺が始末してやる」
魔喰の六番目。
そう呼ばれることの多い彼にとって、魔法使いは等しく餌にしか過ぎない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます