No.16 チェックメイト
「必ず、戻る」
左右で濃さの異なる黄色の瞳を輝かせ、ムトの姿が薄白い光に包まれる。
その刹那の発光が収まった頃には、もう穏やかな雰囲気が特徴的な黒髪の青年はどこにもいなくなっていた。
「……行っちまったな」
「……そうみたいだね」
あまりに突然の別離に、ジャックは思わず呆けてしまう。
心の準備ができていなかったせいで、たしかな喪失感に感情が追いついていない。
彼はこれまで気軽に話せる同世代の相手が一人もいなかった。
本人は自覚していないが、彼にとってムトはすでに代わりのいない特別な存在で、数少ない心を許した相手になっていたのだ。
「じゃあ、うちらも行こっか。なんか知らないけど、転移できるって言ってたし」
「それなんだけどよ、クーちゃんはどう思う? 本当だと思うか?」
「うーん、半々かな。ジャックくんを安心させるために言った嘘か、びっくりだけど本当にできるのか。どっちなのかはうちにもわかんない」
「だよなぁ。さすがにあれはヤバ過ぎ。ウェイ、って感じだぜ」
そして再び歩行を再開したクアトロの横に並びながら、ジャックはムトが残していった衝撃的な一言について思案する。
『俺一度会ったことのある相手なら、その相手の魔力を探知していつでも転移できるから』
早口気味で、あたかも何でもない普通の事のように口したその一言。
それはもやは強力な魔法使いという概念を飛び越えていた。
まず転移魔法。
これは一般的に風属性、水属性、光属性の三つの絶級魔法に認められているものだが、それぞれ特殊な条件下のみで発動可能で、かつ転移先の空間指定である。
風属性、水属性は個人でのみ発動可能、光属性は個人にも他人にも効果を発揮させることができるが、転移距離がある程度短いと発動させることができなくなってしまうといった特徴を持つ。
ただこの三種類の転移魔法は、そのどれもが転移先を“既知の空間”として発動させるものだ。
それゆえ、ムトが言うように一度も行ったことのない場所への転移という魔法は、この世界ではまだ発見されていない魔法ということになってしまう。
(相手の魔力を探知して転移とか、聞いたことねぇぞ? だいたいこの世界にどれだけの人間、どれだけの魔力が存在してると思ってんだ。そん中から特定の魔力だけを見つけ出すなんて、あり得んのか? 神業っつう言葉すら生温いぜ)
空間指定ではなく、魔力指定。
正直言って、ジャックにはムトが何を言っているのかさっぱり理解できていなかった。
そもそも個人の魔力にそこまで明確な差があるのかどうかさえ彼は知らない。
(つか待てよ。あいつ探知って言ったか? わざわざ転移魔法を使ったくらいだ。それなりに遠くに行ったんだよな? そんな離れた場所から俺たちの魔力を見つけ出す? アホか? あいつアホなのか?)
ここでジャックはさらに不可解な事に気づく。
探知をする効果範囲の問題だ。
ムトの言葉をそのまま素直に受け取れば、まるで世界中の全てを探知し、そして魔力を特定しその場所に転移できるといった印象を受ける。
(さすがに、無理だよな?)
ジャックは嫌な汗を一つかく。
英雄、最強と称される希代の大魔法使いムト・ジャンヌダルク。
その規格外さは身を持ってよく知っていたが、それでもなお過小評価をしていたのではないかとジャックは口元を引き攣らせる。
九賢人であるジャックでさえ手も足も出ない戦闘能力に加え、世界中のどこにいたとしても一度でも会ったことのある相手なら見つけ出し、即転移できる索敵能力。
それはもはやバランスブレイカーという呼称すら不適切な力だった。
(ない。これはないな。あいつクーちゃんの前だからってちょっと盛っただけなの確定。てか魔力指定で瞬べるんなら、ディアボロの篝火に直接転移するくらいできそうだしな。肉眼で見えてんだから。それに気づかないほどさすがのあいつもアホじゃねぇだろ)
ジャックは実際のところムトの事を高く評価している。
一般的に魔法とは、正確な知識と確固たる理論によって行使されるものだ。
ゆえに高位の魔法使いほど、より多大な知性を要求される。
人外とすらいえる領域まで辿り着いているムトは本来非常に賢い素養を持っているはずで、自分の前で見せる低俗な振る舞いは個人的なユーモア表現だとジャックは受け取っている。
「でも急にどうしたんだろうねー。ムトくんにしては珍しく、本気で焦ってた感じだったけど」
「たしかに。あいつは天才となんちゃらは紙一重って言葉通り、頭のネジが基本的にぶっ飛んでるが、今回はガチで焦ってたな」
まばらな人通りをすり抜けて、二人はひたすらに街を北上していく。
段々と街の景観にもたしかな変化が生じてきていたが、その事にジャックは鈍感にも気づかない。
「でもムトくんが焦るようなことって何かな。うちは全然思いつかないよ」
「おれにもさっぱりだ。クーちゃんの事を放ってどっか行くくらいだ。よっぽどの大事だとは思うけどな」
ジャックは脳裏に、ムトの姿を消す前の必死な形相を思い浮かべ、あの強烈な視線の意味を考えてみる。
何かを自分に伝えようとしていたのは間違いない。果たしてのその伝えたいこととは何だったのか。
(あいつがガチで焦ること。世界の破滅すら片手間で救えそうなあいつが焦ること。全然わからん。案外しょうもないことか? たとえばチンポジ直しに行ったとか。それが一番可能性高い気がすんな)
ムトがクアトロの家に泊ること、ディアボロの篝火発生の原因を突き止めること、その全てを放り投げてまで最優先すること。
それはどれほど頭を捻らせても、ジャックには答えを出すことができない。
試しに思考の方向性を変え、ムトが消えた理由ではなく、その理由を話さなかった理由を考えてみる。
(あえておれとクーちゃんに何も説明しなかった理由か。ぱっと思いつくのはメチャ恥ずかしい理由で言えなかったパターンだな。やっぱチンポジか?)
一分一秒をも焦る事態だったという可能性も大きい。
ジャックはそう思考を泳がせながら、やがてあるピースとピースが繋がる感覚を覚える。
(……待てよ? 最後にあいつはおれに何かを訴えかけるようにガン見してきた。しかもメインはおれにだが、あいつは若干クーちゃんの方も見てたよな? 話せない理由ってのは、クーちゃんに関係することか? 結局チンポジなのか?)
脳内で揺れる、忌まわしき粗末な英雄の棒きれ。
その消したい過去を頭の片隅に押し込みながら、ジャックは思考をできるだけまともな方向に寄らせていく。
だが答えを見つけ出す前に、彼はいつの間にか行き止まりに差し掛かっていることに気づき、自然に伏せられていた顔を上げる。
「ついたよ、ジャックくん。ここがうちの家。もしかしたらあれかもね、うちの家に誘ったのがまずくてムトくんはどっか行っちゃったのかもね」
「……は? ここが、クーちゃんの家? それはいったいどういう意味……」
いつの間にか脱がれていたクアトロのフード。
隠すこともなく晒された彼女の顔には満面の笑みが浮かんでいて、どこか寂しそうな瞳でジャックを見つめている。
「……だってここ、グアルディオラ城、つまりはエルフの王家の家だよな? あの幻帝ヨハンが住んでる」
ジャックはまさか、と全身を硬直させる。
少しばかり食欲旺盛な可憐な少女クアトロ。
彼女の事を本気でエルフの国のアイドルだと思い込んでいた彼は、いまだに目の前に起きている現実を直視できない。
神都の中央部に荘厳と聳え立っている純白の巨城。
敷地内へと続く門の横にはエルフの警備兵が立ち並んでいるが、その誰もが、これまでの検問の時と同様にクアトロやジャックに警戒を示すことはない。
「そうだよ? それがどうしたの?」
「どうしたのって、ここに住んでるってことは、その、クーちゃんは王家の人間ってことだろ? でもそれはありえねぇよ。だってクーちゃんは家族がいないんだろ? そう言ったよな?」
「うん、いないよ、うちに家族なんて。……だってヨハン様はお父さんじゃなくて、王様だもん。血がつながってたとしても、家族じゃなくて、主君なんだよ」
「は? いったい何を言って――」
「ほらほら、いいからついてきて」
クアトロは何の悪びれもなく、イタズラっ子のように微笑むだけ。
突然のムトの離脱、クアトロの衝撃のカミングアウト。
連続する想定外の出来事に、もうすでにジャックの思考回路はショート寸前だった。
(ヤベェ。なんかわからんけど、これ超ヤベェんじゃねぇか? つまりクーちゃんは幻帝ヨハンの娘ってことだよな? もしかして敬語使った方がいい? もう遅いか?)
通常なら言わなくてもいいことまで口走るジャックは、意図的に沈黙に徹し、されるがままに、自らを手招きするクアトロの下へ向かっていく。
「たぶん気づいてなかったの、ジャックくんだけだよ」
「マジで? ムトは気づいてたってことか?」
「うーん、たぶんね。わかんないけど。なんかうち、最初に会った頃から視線感じてたし」
その視線はただのセクハラ行為では? とジャックは一瞬思ったが、相手がエルフ王家の娘だと即時に気づいたがゆえの行動の可能性も確かに捨てきれない。彼は自らが認める唯一の親友のためにもそういうことにしておいた。
「それじゃあ、いらっしゃーい。我が家へようこそー」
そしてついに城の中にジャックは足を踏み入れる。
敷地内の露道からそうだったのだが、異様なまでに人の気配がしなかった。
小間使いや外にはいた兵士の姿も一人も見当たらない。
――空虚。
壁に立て掛けられている絵画も全てが風景画で、二次元の世界にすら人影の認められない城。
夕暮れも宵に近づいていて、辺りの影が濃くなっているのにも関わらず、まだ灯りが灯される気配はしなかった。
「その、じゃあ、クーちゃんはおれたちが何者か知ってて接触してきたのか?」
「さーて、どうだろうね」
「クーちゃんも、おれたちの事を、敵だと思ってるのか?」
「……」
前を歩く小柄なエルフ出身の少女は、二つ目の質問には答えない。
ムトやクアトロは冗談だったかもしれないが、ジャックは本気でそんな彼女のことを妹だと、家族だと思っていた。
足場の悪い山道を三人で文句を言いつつ歩いたこと、野宿のたびに三人で火を囲い馬鹿な話をしたこと、ムトが食材調達をするたびに奇怪なことをして笑い合ったこと、宿に泊まる際に三人で大食い対決をしたこと。
ありとあらゆる煌めく思い出。
その記憶をジャックは疑いたくなかった。
「少なくともおれは、いやきっとおれたちは、クーちゃんのことを本気で家族だと思ってるぜ」
「……っ!」
前を歩くクアトロの肩が一度、ビクリと震える。
本当ならここで優しくその小さな背中を抱き締めたいとジャックは思ったが、メンタル的な問題でそれを実行することはなかった。
「……おお、やっと戻ってきたか、“フォース”。我が大切な人形よ」
やがて回廊の先の扉を潜り抜け、辿り着いた広大なホール。
豪奢なシャンデリアが光なく佇む下に、不自然に椅子が一つ置かれていて、そこに雪のように真っ白な長髪をした男が座っている。
「ただいま戻りました。ヨハン様」
「……ああ、お前を待っていた。準備ができた。始めるぞ」
これまでの柔和な口調と気配を掻き消し、毅然とした態度でクアトロが片膝をつき頭を下げる。
短い会話とその光景から、目の前にいる相手が何者で、自らがどういった状況に陥っているのかジャックは遅れて認識した。
「おい、フォース。そこの横にいる間抜け面は誰だ?」
「ぶふふっ! ちょ、フォース自由過ぎるやろ! ほんま人間は飽きへんなぁ」
はっとしてジャックが背後を振り返れば、たった今通ってきた扉の両側に、二人のエルフ人の姿が見えた。
片方は筋骨隆々の背の高い男で、両腕を骨折しているのか包帯でまきつけ力なく垂れ下げていて、顔の半分もまた同じように包帯で隠している。
もう片方もまた男のエルフ人で、全体的に痩身で眼が蛇のように細く、何が愉快なのか口元を抑えて笑いを堪えていた。
「あれ、“ファースト”に“シックス”じゃーん。どうしたの? こんなところで?」
「ふざけんじゃねぇ。お前待ちだよフォース。また勝手にどっか行ったと思えば、わけわかんねぇ奴を連れて帰ってきやがって。舐めてんのか?」
「べつに舐めてないよー。ジャックくんはね、実はこう見えてあの大大陸にいる九賢人の一人なんだよ!」
「すまんなぁ、フォース。今この人、ちょっと前にヘマしたせいで機嫌が悪いんよ」
「なるほど。なんか怪我してると思ったら、そういうことなんだー」
「おい、シックス。適当なこと言ってんな。殺すぞ」
緊張感なく交わされる会話に、ジャックは完璧に置いていかれている。
すぐにその存在に気づかなかったのが嘘のように、二人の男は強者の気配を漂わせていた。
(要するに、ここには幻帝ヨハンと、エルフ軍部の最高次席に就く
幻帝ヨハン・イビ・グアルディオラ。
ファースト、フォース、シックス。枢機卿の内約半分。
エルフの中でも最上級の戦力に包囲されながら、ジャックは尿意に悩み、言葉少なく離脱したムトを恨んでいた。
「……さあ、この醜い世界を、美しく塗り変えるとしよう」
疲れ切ったような緩慢な動作で幻帝ヨハンが腕を広げ、憂鬱気な口調ではっきりと宣戦布告を行う。
それはジャックに対して示されたものなのか、はたまた違う理由によるものなのかはわからない。
ただ静かに彼は理解していた。たった今、全てが始まり、全てが終わっていく時が来たのだと。
(いやいや無理だろ。なにこの状況。これおれ詰んだくね? ムト早く来て)
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