No.14 イリーガル・ブラッド
ガブリエラ・ユーゴと名乗る女に引き連れられ、俺たちはやっとアテナ城に足を踏み入れることができた。
空漠な気配を漂わせる城内は全体的に象牙色で統一させられていて、装飾品が異様に少ないことも合わせてなんとなく寂しい印象を抱かせる。
他国の者がここに来るのがよほど珍しいのか、様々な方向から視線もひっきりなしに送られてくる。
しかしガブリエラの顔を見るとそのほとんどが背けられるので、特に誰かに絡まれるということはない。
たしか彼女の階級は中将と言っていた。
俺はファイレダルの軍部のパワーバランスなど全く知らないが、この様子を見る限りそれなりの権力を持っているようだ。
「手紙を見ると、そっちのお嬢さんはホグワイツ王国のイルシャラウィ姫みたいやね?」
「……私がイルシャラウィ・カエサル。それで合ってる」
ふいに前を歩くガブリエラが顔だけをこちらへ向けた。
対する話しかけられたイルシャラウィはというと、警戒でもしているのか、かなりそっけない声色を返す。
だがそれも無理はない。
というより、俺も正直まだこの女のことを今一信用できていなかった。
なぜなら俺は数分前に彼女に殺されかけている。
その後そのことに関してまるで触れず、あたかもなかったかのように振る舞うのが逆に怖い。
俺が生粋のマゾヒストであることは周知の事実だが、さすがに首切りプレイには抵抗がある。
「ぶっちゃけかなり意外や。あのガイザス・シーザー・カエサルが娘を一人で他国に向かわせることを許可する。いくら平和ボケしてるいうても、危機感なさすぎちゃう?」
「……お父様は、平和ボケなんてしてない」
「あぁ、ごめんな。癇に障た? 別に悪気はないよ」
声は出さず、表情だけでガブリエラは笑う。
彼女は無意識のうちに敵をつくるタイプのようだ。
「でもちゅうことは、やっぱりそっちのお兄さんが理由なんか?」
「え? お、俺ですか?」
顔はこちらに向けたままの体勢で、ガブリエラは歩き続けている。
どう見ても前がどうなっているかわからない歩き方だが、器用なのかなんなのか、彼女はつまずくこともなく、道に迷うそぶりも見せず廊下を進んでいく。
「そそ。君は何者なん? 髪色からして、ホグワイツ王国の生まれちゃうやろ」
「す、すいません。そういえば俺の自己紹介がまだでしたね。え、えーと、俺はムト・ジャンヌダルクって言います」
「ムト・ジャンヌダルク? あの英雄の?」
「は、はい、一応。その英雄のムト・ジャンヌダルクです」
「ふーん……いやはや、会えて光栄やね。あ、だったら敬語とか使た方がええかな?」
「いや、大丈夫ですよ。俺、そんな大した奴じゃないんで」
「あ、そうなん? だったら英雄さんももうちょい砕けた話し方で構へんよ。ウチ、大した奴ちゃうねんから」
ガブリエラはそう言うと笑みを深める。
会話の字面だけだと俺が英雄ムト・ジャンヌダルク本人だと信じてくれたように思えるが、実際のところはどうかわからなかった。
探るような視線を見つめ返しても、俺の方はなにも見つけられない。
なんとも掴みどころのない女性だ。
歩くたびに外套の隙間から覗く太腿が、ここまで官能的な曲線美を描いていなかったらもう少し距離を置いていたかもしれない。
「それで? なんでその英雄さんがホグワイツ王国の姫のお付きなんかやってるんや? 金にでも困てるん?」
「あー、そういうわけじゃないんですけど、だからといって別にこれといった理由があるわけでもなく、その、なんというか、ただ暇だったから、みたいな」
「暇だったから? ……へぇ? オモロイやん」
黒の瞳孔が大きく開く。
それにやや怯えた俺は、思わず目を逸らした。
俺は昔から目力の強い人が苦手なんだ。
そしてここでやっとガブリエラは顔を前に向き直し、謹厳な大階段を降り始めてくれる。
「……それでどこに向かってるの?」
「ん? 今はウチの私室やね。手紙を持っていくのはそのあとや」
「なんで?」
「最初に言ったはずやで、姫様? 手紙が本物かどうか確認できる人に会わせたるけど、それは条件付き」
「その条件ってなに?」
「なーに、べつに大したことやない」
ふいにイルシャラウィが声を発することで、俺もいまさらながらにその不安要素を思い出す。
ガブリエラは初めに、条件付きで俺たちの言葉を信用するとたしかに言っていた。
無茶なことは言われないとは思うが、彼女の考えは読めない。
もしその条件とやらが達成困難なものだった場合のことも、今のうちに想定しておいた方がいいかもしれないな。
「おっと、行き過ぎるところやった。着いたで。とりあえず中へどうぞ」
階段を二つ分降りて長い回廊をしばらく進むと、ある部屋の前でガブリエラは立ち止まった。
表札には何かしらが書いてあるが、文字が掠れていて読むことはできない。
彼女は外套の内側から鍵を取り出し、錆びついている扉をぎこちなくも開くと、俺とイルシャラウィに中に入るよう促す。
「まあ、あんまり綺麗な部屋ちゃうけど、気にせんといてな」
一歩踏み入れただけで埃が舞い、俺は換気の必要性を感じる。
案内されたガブリエラの私室だという部屋は、かなり奇妙な内装になっていた。
怪しげな試験管、不気味なナニかが封された瓶詰め、見たこともない実験装置。
おおよそ女性が過ごすには相応しくない、マッドでサイエンティストな雰囲気漂う光景に、俺はあからさまに怯えてしまう。
「さてと、それで早速さっきから言うとる条件のことなんやけど」
「はっ、はいぃ! な、なななんでしょう!?」
「そんな警戒せんといて。べつにとって食ったりせえへんよ」
ガブリエラは部屋の奥にある机に軽く腰掛けると、スラリとした足を組み俺へ精神攻撃を仕掛けてくる。
それにしても妖艶に微笑を浮かべる彼女のなんと魔女らしきことか。
今にも大鍋でグツグツと俺のモツやらブツやらを煮込み出しそうな顔をしている。
「ウチが出す条件はただ一つ……血が欲しいんや」
「……は?」
そんな恐慌状態の俺に告げられたのは、ある意味予想通りのよくわからないものだった。
これが本当のチ女という奴なのだろうか。
生唾を口の中で遊ばせながら、言葉の真意を俺を考えてみる。
「血、というのは、あの赤くてドロドロしたあれですか?」
「そうや。ドロドロしてるかは人によるけど」
「その血、というのはここにおられる姫君のものですか?」
「ちゃうで。君のや。ムト・ジャンヌダルク」
どうにもガブリエラの言葉と俺の推測から考えるに、彼女が要求しているのは俺の血液らしい。
べつに俺の赤血球は特別製というわけもないと思うが、それでも彼女は正真正銘の王家の娘ではなく、この真性ではない方のホウケー野郎の血をご所望とのことだ。
「どうや? ウチの出した条件を飲んでくれるか?」
「ま、まあ、それくらいならべつに構わないんですけど……なんで俺の血なんかが欲しいんですか? 使い道ないですよね?」
「ふっふーん、それは企業秘密やね。でもこれで交渉成立や」
パン、とガブリエラは喜色満面に一つ手を叩く。
すると、軽く腰掛けていた身体を立ち上がらせ、近くの棚に手を伸ばした。
しばらくして手を引っ込めると、その掌に握られているのは極太な注射針。
まさかこの俺が突っ込まれる側に回る日が来るなんて。
「ほな早速、腕出してーな」
「あ、は、はい……おう…ふぅん……」
そしてノータイムでガブリエラは俺に針を差し込む。
あまりに滑らかで自然な動き過ぎて、いつの間に懐に潜り込まれたのかわからない。
ピリッとした刺激が通り過ぎると、血液を吸引される感じをたしかに自覚できた。
「おーおー、取れた取れた。これくらいあれば十分やな」
「フヒィ……あ、ありがとうございました」
「なんでムトが感謝してるの」
あっという間に血の採取を終え、ガブリエラは俺のコレステロール高そうな血を試験管に移し替えて栓をする。
腕を見れば小さな赤点ができていて、俺は軽く回復魔法をかけつつ、手を広げたり閉じたりしてみた。
特に違和感はない。今のところ快感の記憶があるだけだ。
「ほなら、次はウチが約束を果たす番やな。行こか」
切り替えの早いガブリエラは、俺の血が密封された管を服の内側にしまうと廊下へさっそうと出ていく。
少し呆けていた俺もイルシャラウィに腕をつねられることで正気を取り戻し、彼女たちに続き部屋の外に向かう。
立て付けの悪い扉はまた鍵を閉められ、人気のない回廊を俺たちは引き返して行った。
「そういえばまだきいてへんかったけど、なんでウチんところの女王に会いにきたん?」
「……憂いの拝殿を探してる。その場所を教えてもらいにきた」
「へぇ? 憂いの拝殿ってあれやろ? ミヤ・マスィフの伝説に出てくる?」
「よく知ってる。その通り」
「まあ、ウチも最低限の教養くらいあるよ」
心なしか最初に会ったときよりも上機嫌に思えるガブリエラの問いに答えるのはイルシャラウィだ。
今度は階段をどんどんと上に登りながら、靴音を快活に鳴らしている。
「でも憂いの拝殿て実在するん? 伝説やろ?」
「あるって、智帝が言ってた」
「ふーん。そか。あの人があるて言うなら、あるんやろな」
やがて階段を登り切り、俺たちはおそらくアテナ城の最上階であろう場所に辿り着く。
そこにあるのは人気のまるで感じられない長廊下。
窓からの景色は白一色に染められていて、時折り風が唸る音が聞こえてきた。
知らない間に外は吹雪となったようだ。
「ここや、ここ」
俺が天候の悪化に気揉みしていると、ガブリエラがふいに立ち止まる。
彼女が指し示す扉は木造だが立派な佇まいで、鍵も錆びついていない。
そんなドアを適当に何回か叩くと、彼女は返事もまたずに扉の内側へ入っていった。
「なんや、鍵しめてへんのかい。さっすが。余裕やな」
部屋の中はガブリエラの私室とは違い、一切の無駄なく整理整頓されていて潔癖とまでいえそうだ。
両脇に並べられる本棚には分厚い書物が隙間なく埋まっていて、妙な圧迫感を覚える。
そしてやけに広く感じる部屋の奥では、一人の男が黙々とペンを走らせている姿が見えた。
「相変わらず貴方は礼儀がなっていませんね、ユーゴ中将」
「ウチとアンタの仲やん。細かいこと言わんといてよ」
そう穏やかな声を響かせるのは、ブラウンの髪を丁重に撫でつけた年齢不詳の老紳士。
几帳面に整えられた髭が目立つその老紳士の視線は、いまだ机上から外されていない。
「それで、今回はどちらの私に要件があるのですか?」
「執事の方や」
「……ほう? それはまた珍しい」
ペンの音が途絶え、老紳士がここで初めて顔を上げる。
口調こそ柔らかいが、その鋭い眼光はまるで猛禽類。
あ、このオジサマ絶対怒らせたらヤバい系の人だ。
微妙に後ずさりする俺。
部屋に入ってからまだ一度も口を開かれていない唇をさらに固く結ぶ。
「そちらの方々は?」
「こっちのお嬢さんがホグワイツ王国のイルシャラウィ姫で、そっちのお兄さんがあの英雄ムト・ジャンヌダルクらしいで」
老紳士はゆっくりとペンを机に置くと、その手で自らの口髭を撫でる。
値踏みするような視線。
特に俺を観察する時間がずいぶんと長い。
「……なるほど。それで要件は?」
「ウチんところの女王に招かれた言うとる。証拠はこの手紙」
「見せてください」
俺とイルシャラウィに一度顔を向けたあと、ガブリエラは老紳士の座る机へ近づいていき、待ってると書かれた方の手紙を渡す。
それは静かに受け取られ、細められた黒目が字面に注がれる。
それから無言の時間が、どれほど経っただろうか。
ふいに老紳士は恭しさを孕む仕草で椅子から腰を上げ、机の前へと移動し俺たちの目の前に立つ。
向けられる視線は無機質で、感情を窺い知ることはできない。
「申し遅れました。私はオズワルド・バーナード。トルストイ家専属執事兼ファイレダル国家軍部大将のオズワルド・バーナードです。それでは、イルシャラウィ・カエサル様、ムト・ジャンヌダルク様。不足の身ながらもこの私が、あなた方をユーキカイネ様の書斎へとご案内させて頂きます」
そして手紙を俺たちに返却すると、老紳士は眉一つ動かさずそう言ったのだった。
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