飢えた銀狼④



 クレスティーナ・アレキサンダーは笑っていた。

 まるで吟遊詩人の上質なホラ話を聞いているかのように、リラックスした表情で目の前に立っている。

 そのことが心底腹立たしかったレウミカは、ゆえに再び魔力を身に纏うのだった。


「お前、顔に似合わず、根性あるわね。こんだけ毎日毎日、あたしにいいようにぶん殴られてるだけなのに、まだそんな目ができるなんて」


 まずは魔力纏繞まりょくてんじょう

 無属性の魔力を身に纏い、レウミカは足裏が痺れてほとんど感覚のない脚で地面を駆ける。


(やみくもに向かっても拳一つあたりやしない。でも私が受けに回ったら最後、一瞬で意識を刈り取られて終わり。だから、とにかく向かい続けるしかない)


 心なしか、これまでより軽く感じる身体を宙に浮かせ、レウミカは踵でクレスティーナの頭部を狙う。


「ほら、お前は魔法使っていいんだぞ? それとも、そろそ魔力切れかい?」


 予想通り、レウミカの蹴りはクレスティーナが上半身を小さくのけぞるだけで躱される。

 クレスティーナが利き手の右拳を強く握り締めるのを、視界の隅でレウミカは確認する。

 ただ魔力で身体能力を上げただけと言っても、相手は九賢人に数えられる怪物。

 まともに一撃を受けるだけで、いとも簡単に意識は奪われてしまう。

 その事はすでに、何度もその身を持って理解していた。


「《グァスト》」


 発動させたのは風属性下級魔法。

 だがその魔力によって生み出した突風は、クレスティーナに向かってではなく自分自身に向けて。

 レウミカの身体が凄まじい勢いの風に押され、横に飛び退くような格好になる。

 コンマ一秒遅れて、寸前までレウミカの顔面があった箇所を、クレスティーナの拳が通り過ぎた。


「……へえ? やるじゃない。やっと魔法使いとして戦い方ってものがわかってきたみたいね」


 クレスティーナの言葉にレウミカは反応しない。

 それは、意地を張っているわけではなく、単純に会話をする余裕などレウミカには存在しなかったからだ。


(向かい続けるのは最低ライン。でも、向かい方を考えないといけない)


 受け身を取って、レウミカが視線を再び前に向ければ、すでにそこには前傾姿勢を取っているクレスティーナの姿が見えた。


(――来るっ!)


 数秒の思考すら許さず、クレスティーナが前に猛然と飛びだす。

 ただの魔力任せの、工夫も何もないシンプルな突進。

 それにも関わらず、尋常ではない威圧感がレウミカの身に圧し掛かってくる。

 だが、レウミカが恐怖に戸惑うことはない。


(この程度の威圧感。彼に比べたら、軽いもの)


 肉眼では捉えられない速度で迫ってくるクレスティーナに対して、あえてレウミカは同じように前方に飛びだし距離を詰める。

 まさかレウミカもまた向かってくるとは予想していなかったのか、ほんの若干クレスティーナの動きが鈍る。

 しばし生まれた、刹那の間。

 考えるより早く、魔力を練り込む。

 

「《スプレイトシュー》」


「ほーん?」


 もう目と鼻の先に、クレスティーナがいる状態での、水属性中級魔法発動。

 これまでと比べて、やけに容易に顕現する水の竜を、少しだけ不思議に思いながらも、レウミカはゼロ距離で彼女にとって最大火力の魔法をぶつけた。


「いいね。お前には、いい意味でがない。本当にあたしに似てるわ」


 完全な直撃。

 レウミカの水属性中級魔法は、余すことなくその牙をクレスティーナに食らいつかせた。

 しかし、その紫髪の魔女は止まらない。

 反対にその高密度の水竜を喰らい尽くすように、その喉元に噛みつくと、ゴクリと飲み込んだ。


化け物ありえない


 レウミカは、どこか呆れた思いを抱きながら、大きく開かれた手が自分の眼前に迫る様子を、ぼんやりと眺めていた。


「でも、まだぬるい」


 頭を鷲掴みにされ、小石を投擲するかのような気軽さで、思い切り放り投げられる。

 空中で放物線を描くレウミカが最後に見たのは、綺麗な青空だった。


(はあ、空は高いわね)


 ゴツ、という鈍い音が耳元で大きく聞こえると、そこで意識が途絶える。

 もはや覚えている限り、クレスティーナと出会ってから気絶以外で意識を失った記憶がレウミカにはなかった。




――――



 

 閃光。

 漆黒の曇天から雷鳴が轟く。

 大粒の雨滴に激しく打たれる窓硝子の外から差し込むその閃光に照らされ、壮年を思わせる深い皺と切れ長の眼瞼から覗く紅い瞳が闇から浮かび上がった。


「……嵐か」


 暗い廊下を歩くその身長約二メートルにも届きそうかという大柄な男は、物鬱気な呟きを漏らしながらも淡々と歩みを進める。


「これはこれは。九賢人“序列二位”、ガロゴラール・ハンニバルさんじゃないですか」


 抱く少しの違和感。

 雨音のみが支配する陰鬱な空間に、甲高く少年を想起させる声色が響き渡った。

 男――ガロゴラールは足を止め、眼前の爽やかな笑みを浮かべ近寄って来る、男程ではないものの長身に属するであろう青年に視線を定める。


「ビルか。お前も来たんだな」


「ええ。僕は暇人ですからね」


 額を完全に隠す程長い前髪、そして薄白い金髪からエルフ人の特徴である先の尖った耳を覗かせ、蒼い眼を彼に向けながら青年は跳ねるように喋った。

 ガロゴラールは自らと同じく、“九賢人”と呼ばれる魔術師の中でも最高峰の実力を持つその青年を見、面倒な事になりそうだ、そんな感想を思う。


「ガロゴラールさんは会長から詳しい話は聞いているんですか?」


「いや。私はネルトに来いと言われたから来ただけだ」


「そうなんですか?次期国際魔術連盟会長最有力候補にさえ情報が漏れていないとは……楽しみですね」


 絵画の様に均整の取れた顔を歪ませ青年は笑う。

 ガロゴラールには何が楽しみなのか分からなかった。

 しかし、それを聞く程の興味を持ち合わせているわけでもなかった。


 暫し二人は無言で歩き続け、やがて大きな扉の前に辿り着く。

 ガロゴラールは取っ手に手を伸ばし重々しい扉を開くと、青年と共に薄暗い大部屋の中に入って行った。



「やっと来たか。ガロゴラールに、ビルよ。これでやっと全員揃ったわい」



 部屋の最奥の椅子、そこに座る白髪の老人がよく響く含蓄に満ちた声を二人に掛ける。

 男は部屋を視線だけで見渡す、老人以外には女が二人居た。

 馴染みのある顔触れに男は興味を失くしたのか、直ぐに近くの椅子に深く腰掛け、未だ雨降り止まぬ窓の外に目を移す。


「あれれ? これで全員ですか? 九賢人は全員すぐさま来いって言いましたよね会長?」


「ああ! 儂は確かにそう言った! だが実際には行方不明の者も何人かおるし、お主ら九賢人は気まぐれじゃからな! これだけ揃ったなら上出来じゃろう!?」


「行方不明? あの三人はいつもそうですけど、クレスティーナさんや噂の九位はどうしたんです?」


「クレスティーナは来ると言っておったが、どうやら気が変わったらしいの。そしてセトの小僧は最初から忙しいと断りをいれておる」


 老人は快活そうに笑いながら語る。

 それを聞いた青年は肩を竦め、一つ溜め息を吐いてからガロゴラールの隣に座った。



「遅かったな。ハンニバル。お前まで不当に賢人会議を欠席するのかと心配したぞ」


「ああ悪い。メイリス」



 ガロゴラールに不意に話し掛ける女が一人。

 その女は鮮やかな濃い金色の髪を腰の辺りにまで垂れ流し、灰色の瞳には意志の強さを感じさせる力強い光を携えている。

 加えて女の背後には、女と同じ灰色の瞳を持ち、やや短めの濃いブロンドの髪を靡かせる少女が無表情で立つ姿も確認できた。


「これはこれは。九賢人“序列四位”のメイリス・カエサルさんに、同“序列五位”ユラウリ・カエサルさん。挨拶がまだでしたね」


「その呼び方は止めろと言った筈だぞヒトラー。癇に障る。それに貴様も九賢人の一人だろう」


「…大体姉様はお前に話しかけてない。…不愉快」


「ふふふっ。それはそれは申し訳ありませんでした。……女王様方?」


「貴様、挑発しているのか?」


「…殺す」


「止めんかお前達!!!」


 そんな女性二人に青年が横から口を挟み、険悪な雰囲気が生まれ始めた所で老人の喝声が飛んだ。

 青年は大袈裟に両手の平を上に向けるジェスチャーをしつつ苦笑し、老人に軽く頭を下げる。

 女と少女も口を閉じ、青年からやや離れた場所に腰を下ろし、青年との会話に終止符を打った事を老人へ暗に伝えた。


「ったくお主らは本当に……まぁよいわ。それでは賢人会議を早速始める。お主ら九賢人を呼んだわけを話すとしようかの」


 老人が嘆息を吐いてから部屋全体を見通し、仰々しく言葉をつく。すると部屋の空気が一変し、刺々しい緊張感の膜が部屋を包み込んだ。



「預言が下った。“混沌の時代カオス・トレント”がまた来る」



 轟。

 一瞬の閃光ののち、耳を劈く雷鳴。

 部屋の静寂に激しい雨音が満ち、異様な沈黙を肌で感じ取る。


「それはつまり、“やみ三王さんおう”の復活という事か?」


「分からん。下った預言は混沌の時代カオス・トレントの再来のみだからの」


 女がやっとの事で言葉を振り絞り、苦々しい表情で老人に問う。

 それに老人はにべもなく答え、再び部屋に静寂が戻った。


「この預言も勿論、あの子なんですよね?」


「そうだ。あの子が最後の“預言者”の生き残りだからの」


「そうですか……」


 青年は普段通りの調子で話したかに思えたが直ぐにその調子も萎み、又もや黙り込んでしまう。

 そんな中、ガロゴラールが口を開いた。


「預言者を呼んでくれ」


 老人は彼の言葉に大きく頷き、部屋の奥の小さな扉に向かって一声を発する。



「ドネミネ」



 何かが擦れ合いながら回る音、そして小さな扉は開き、中から一人の少女が出で来る。

 銀色の長髪を床に引きずらせながら、簡素な白い巫女服の様なものを纏い、少女は二、三歩進み、そして、立ち止まった。


「お爺ちゃん。私、この人達嫌いなんだけど」


 銀髪の少女は一切の無表情のまま、冷たい氷の如き声を紅い唇から吐き出す。


「そう言うなドネミネ。此奴らは悪い人間ではない」


「そんなの関係ない。性格が悪いかどうかなんてどうでもいい。私はこの人達が嫌い」


「ふふふっ。凄い言われようだね」


 青年は微笑する。

 それを見た銀髪の少女は不快そうに顔を歪めた。翠色の瞳が青年を憎悪を含みつつ貫く。しかしそれでも青年の薄笑いは消えなかった。


「ドネミネ。何を見た」


 ガロゴラールが言葉を放つと、再び静寂が部屋に広がった。

 銀髪の少女は肩をびくりと震わせると、視線を床に落とし唇を噛む。


「し、知らない……私は…何も覚えていない」


「覚えていない? 何も?」


「そ、そうよっ! 私は何も覚えていないっ!!」


「私の知る預言者なら、何も覚えていないという事はない筈だが」


「知らないったら知らないのっ! 知らない知らない知らないっ!!!!!」


「少しぐらい覚えている筈だろ――」


「もう止めろハンニバル!」


 ガロゴラールの追求に銀髪の少女は明らかな拒絶反応を示し、頭を抱えてうずくまってしまった。

 それを不憫に思った女が彼の執拗な追求を遮り、場は再度沈痛な空気にくるまれる。

 誰もが沈黙を続けるのを否としたのか、老人がその重い口を開こうとしたその時、異変が起こった。


「ドネ…ミネ……?」


「へぇ、生で見るのは初めてですね」


 先程まで床にうずくまっていた筈の銀髪少女が、不意に宙に浮かび上がったのだ。

 美しい緑色の眼は何処かに消え去り、物を見つめぬ白い空間が瞳のあるべき場所に、ただただ広がっているだけだった。



【我はことわり。我は真実。我の言霊により道を導くべし】



 世界そのものが話しているかのような錯覚を覚える。

 銀髪の少女から発せられている筈のその聲は、有無を言わせぬ緊張を持って部屋にいる者達の意識を掌った。



【闇の魔法使いは既に大地に臨む。天世を混沌に於く悪意は疾うに生ず】



 宙に静止する銀髪の少女は、その美しい髪を悠然と靡かせながら言葉を紡ぎ続ける。

 妖しい魅惑に満ちるその姿は、何処か神秘的で、人間の到らぬ領域に有るとしか思えなかった。



【闇の魔法使いは二度世界を変す。一度変わりし世界は闇の魔法使いに委ねし。世界を変えられし者は闇の魔法使いのみ。闇を司るは黄金の瞳】



 雨音は止み、時は止まっていた。

 彼等に出来る事は、告げられる言葉にひたすらに耳を傾ける事だけだった。



【我は理。我は真実。天変の時は迫る。心せよ。黄金の瞳にのみ真理は宿る】



 ガロゴラールは止まった時が再び動き出すのを漠然と感じ取った。

 ゆっくりと窓硝子を激しく打つ雨音が戻る。

 そして見えざる浮力が消えたのか、銀髪の少女は力なく床に舞い落ちた。


「ドネミネ、無事か?」


「お爺ちゃん、私は、また……?」


「大丈夫じゃ…大丈夫じゃぞ…儂の可愛いドネミネや……」


 老人は赤子をあやす様に倒れ伏す銀髪の少女を抱きかかえ、その頭を優しく撫でる。

 女は苦々しい表情でその様子を見つめ、青年は思案気に自らの顎を摩った。


「これが、預言なのか」


「これはこれは大変な事になりましたね。しかも闇の魔法使いの誕生となると二千年振りですか?」


「それだけではない。預言がこの短期間に二度も下されたのだぞ? 前回預言が下った十八年前とはわけが違う」


 女は苛立ちを隠せず悪態をつく。

 青年も女の言葉に軽く同意の言をつくのにとどまった。


「お爺ちゃん、私はまたおかしくなったの?私はまた……気持ち悪くなったの?」


「おお…何を言うのじゃドネミネ…お主はちっともおかしくなどないぞ…大丈夫じゃ…大丈夫………」


 銀髪の少女を撫で続ける老人を見て、ガロゴラールは奇妙に思う。

 何が大丈夫なのだろうかと。

 預言者という存在はその性質上、最終的に精神に異常を来す末路を辿る者が殆どだった。

 その事を知る彼は、目の前の老人があえて銀髪の少女の預言者としての力をそのままにしている事も知っていた。

 ゆえに疑問に思ったのだ。

 老人が銀髪の少女の預言者としての力を封じ込める事を怠る限り、決して大丈夫という台詞は使えない筈だろうと。

 しかしガロゴラールがそれを口にする事は無い。

 なぜなら彼は銀髪の少女に対し、可哀想な娘だという感想は持ち得ても、それ以上の感情は抱かなかったからだ。



「これから忙しくなりそうですね。ガロゴラールさん?」



 不意に青年がガロゴラールに声を掛ける。

 しかし彼はそれには答えず、代わりに窓の外へ目を移した。


 雷鳴が轟き、幾度目かの閃光が走る。



「……嵐か」



 ガロゴラールの紅い瞳には、鮮黄色の霹靂が何故か不吉な物に映り、誰にも届かぬその呟きは激しさを増す雨音に掻き消されていった。




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