No.15 リピート・アフター・ミー
「すいません、勝手に入ってしまって。それで、貴方はどちら様ですか?」
「……質問に答えて貰おう、僕の家で何をしているんだ?」
危険な気配をぷんぷんと匂わす男にも動じず、ルナはなんと対話を試みようとしている。
凄まじいアイアンメンタルだ。俺もこういうところは勉強しなくてはならない。
「ここに霊が出ると聞いたので、私たちはそれを確認しにきたんですよ。ああ、申し遅れました。私はルナです」
「……お、俺はムトです」
ルナに合わせて俺も一応自己紹介をしておく。
狂人に対して礼儀正しく振る舞うことに意味があるのか定かではないが、ないよりはきっとましだろう。
「霊だって? ……へぇ。まさか僕以外にその事を知ってる人間がいるなんてね。そうさ。ここには彼女がいる」
「彼女? その霊の事ですか?」
「君たちには関係のないことだ。とりあえずそれを僕に渡してもらおう」
やはり狂人。
俺たちが丁寧に名乗ったにも関わらず、向こうは有無を言わさず俺が見つけた日記帳をよこせと宣いやがる。
「待って。貴方はここが自分の家だと言い張るけれど、その証拠はあるのかしら?」
「……なんだ? 猫のくせに人の言葉が話せるのかい?」
「霊がいるんだったら、人の言葉を話せる猫がいても不思議ではないでしょう?」
ラーの理屈でいえば、霊がいないのだったら、やはり人の言葉を話せる猫は不思議な存在ということになるが、あえてそこに今は触れないでおく。
「ふん。まあいい。とにかくその日記帳を僕に渡せ。それは僕のものだ」
「そうなんですか? この日記帳の持ち主は読んだ限りだと女性のようですが」
「中身を読んだのか? ……それなら分かるだろう。その日記帳の持ち主は死んだ。だから今それは、彼女の夫である僕のものだ」
「夫……やはり貴方がトニーさんなんですね?」
「そうだよ。僕がトニー・ゴフィンだ」
大方の想像通り、この痩せ細った男がトニー・ゴフィンのようだった。そして薄々勘付いてはいたが、日記帳の持ち主はすでにこの世にはいないこともわかってしまった。
すると俺にはある疑問が思い浮かぶ。アリシアと彼はいったいどういう関係なのだろうかと。
トニーの口振りからすると、彼の妻はアリシアではなく別の女性で、すでにその人物は他界してしまっているらしい。
たしかに思い返してみれば、アリシアの家に飾ってあったツーショット写真に写る男はもっと肥満体型の男だった。目の前にいるトニーとは似ても似つかない。
「わかりました。それではこの日記帳は貴方にお返しします」
「……まったく。それで誰から聞いたんだ。ここに彼女の霊が出ると」
「アリシアという女性からです。霊が見えると言い張る貴方を救ってほしいと頼まれました」
「アリシア? まさか僕の妹が? ……意外だな。彼女はもう僕を見限っていると思っていたのに」
しかしすぐに謎は解けた。
顔は全く似ていないが、アリシアとトニーは兄妹のようだ。
たしかにそう考えると全て辻褄が合う。妻が死に、気が狂ってしまった兄を助けて欲しいというのが彼女の相談事だったのだ。
「だけど、アリシアに頼まれたということは、君たちも信じちゃいないんだろう? ここに彼女の霊が出ることを」
「はい。信じてません。今日は霊がいないことを貴方に証明してみせるためにここに来ました」
怖ろしい程にハッキリとルナは物を言う。
そのあまりの鋭利な言葉遣いに、トニーも思わず苦笑を隠せていなかった。
「……まあ、いいさ。君たちにも見せて上げるよ、彼女の姿を。どんな相手だとしても、生きた人間と喋るのは久し振りで少し気分がいいしね」
トニーは日記帳をじっと数秒見つめた後、光を失った目つきでそう呟いた。
ふいに踵を返したと思うと、彼は廊下の奥へふらついた足取りで進んでいく。
俺とルナは目を見合わせ、放っておくわけにもいかないので彼を追うことにする。
「……君たちはどこまでこれ読んだだい?」
「日記帳の書き手がトニーさんに別れを告げるところまでです」
「エリザベスだ。彼女の名はエリザベス」
「失礼しました。エリザベスさんが貴方に別れを告げるところまでは読みました」
塗装がすでに剥げている壁に挟まれながら、俺たちはゆっくりとした足取りで廊下を歩く。
トニーの瞳は虚ろで、本当に前が見えているのかも怪しかったが、止まることはなく足を動かし続けていた。
「べつになんてことはないさ。よくある悲劇だ。単純なことだよ。僕らが結婚し、幸せの絶頂にいた時に、彼女が病に侵されてしまっただけだ」
「エリザベスさんは病死してしまったのですか」
「そうだよ。僕はあらゆる手を尽くしたけど、どうしようもなかった」
やけに荒い息を吐きながら、トニーは歩き続ける。
その内、目当ての場所に辿り着いたのか、壁に手をかけ動きを止める。そして立て付けの悪い扉を開き、カビ臭い部屋の中へ入っていく。
当然俺たちも彼に続き、その思ったよりも広くつくられた部屋へ足を踏み入れた。
「彼女は最初、僕に隠したんだ。自分の病気のことを。なぜだか想像がつくかい?」
「そうですね。心配させたくなかったからでしょうか」
「惜しいね。逆だよ。僕のことが心配だったからだ」
今にも倒れそうな雰囲気だが、なんとか堪えてトニーは何かを求めて部屋を彷徨っている。
ここにいったい何があるのかルナに訊いてみたが、先ほど調べた時は特に気になる物はなかったという。
「彼女はわかってたんだ。もし僕が彼女の病気のことを知ってしまえば、僕が全てを失ってしまうと。……情けないことに彼女の予想は正しかったよ。僕は彼女がいきなり別れを切り出した理由を必死に探り、見つけ出した。知ってしまった。そしてその後僕は……破滅した」
壁に不安定に掛けられた大きな絵画。
その前でトニーは立ち止まると絵画の裏側に手を伸ばす。
カチン。
瞬間、何か甲高い硬質な音がしたかと思うと、絵画がかかっていた壁が小刻みに振動しながら回転し出した。
俺は呆気に取られて、その驚きの一言で言い表せる光景を黙って眺めることしかできない。
「……彼女はこっちだ。さあ、ついてきて」
壁の回転が終わると、そこには見覚えのない梯子が出現していて、その梯子は真っ暗な穴の下へと伸びている。
こっちってまさか。嘘でしょ。
「これは驚きましたね。まさかこんなギミックが隠されていたなんて」
「本当にね。でもこういうところはドワーフ人っぽいわ」
トニーは相変わらずの死んだような顔つきのまま、梯子を先に降りて行く。
ルナとラーも感心するだけで、特に他の感慨は抱いていないようだ。
これ絶対地下室のくだりじゃん。
古びた洋館の隠された地下室。
嫌な予感しかしない。俺の危機管理センサーが見事に喚き出している。
「ま、まじで行くのかこれ」
だがここで狼狽えていても、俺一人ここに取り残されてしまうだけだ。
俺はなけなし勇気を振り絞って、皆と同じように梯子に手足をかける。
錆びの金属の冷えた感触が伝わり、思わず手を離しそうになる。
空気の湿っぽさもこれまで以上で、肺に悪影響を与えることは容易に予想がついた。
「……うわぁ。なに、この部屋?」
ブルブルとやかましい身体と戦いながらやっとのことで梯子を下り切ると、そこには案の定不気味を具現化したかのような景色が広がっていた。
床に大量に散らばっているのは、肌色をした様々な部位の人体パーツ。
もちろん本物ではなく、マネキンの一部であることはすぐにわかったが、それでも気味の悪さに変わりはない。
地下なのは間違いないが、おそらくこの館で最も広い部屋だろう。
暗闇を照らすべく光を創造するが、なぜかあまり明るくなった気はしなかった。
「ここは彼女のアトリエだよ。彼女はとてもシャイな人でね。こうやって一目につかないところで、いつも人形を作っていたんだ」
そういえば日記帳にも人形造りの話が出てきていた。
これまでエリザベスには割とよい印象を抱いていたが、この部屋で一人黙々と人形作成をしていた様子を想像すると若干好感度が下がった。
「ここにエリザベスさんの霊が現れるのですか?」
「ああ、そうだよ。彼女は死んでからも僕のことを心配しているんだ。だからこうやって、僕は元気だよって、彼女に姿を見せないといけない。これまでも、これから先も、僕はそうしないといけないんだ。だって彼女が心配しちゃうからね」
どうみても元気だよって、感じではなかったが、トニーはそう言って口端を歪める。
むしろ彼も十分病的に見えるが、本人は気づいていないのだろうか。
「さっき貴方は、自分が破滅したと言っていたけれど、どういう意味なのかしら?」
「言葉通りの意味だよ。彼女の病を知った僕は、あらゆる手を使って彼女を治そうとしたんだ。仕事は止め、ずっと彼女をつきっきりで看病し、売れるものは全て売り払い金をつくり、どうにかして彼女を治せる薬品、光属性魔法の使い手を探した。……でも、全部無駄だった。間に合わなかったんだ」
それこそ人形のような表情でトニーは語る。
まるで他人事のように淡々と言葉を紡いでいく。
彼の目に、今俺たちはどう映っているのか。それがやけに気になった。
「彼女は僕にとって全てだった。何の取り柄もない僕に、彼女だけは笑いかけてくれた。彼女がいれば、それでいいと思った。この世界には彼女と僕、二人しかいなかった。……だけどいいんだ。今だって、彼女は僕に会いに来てくれるから」
完全な依存だ。やはりトニーの心は壊れてしまっている。
エリザベスを失い、その責任を自分に押し付け、そして今は歪な想いを亡霊に注いでいる。
三年前の嫌な思い出がフラッシュバックし、俺は過去の自分をトニーに重ねてしまう。
そうなのだ。俺も今から三年前に、大切な人を一人失っている。
その人とは偶然、旅の途中で出会い、俺に存在する意味を与え、当たり前のように隣りにいてくれた。
だが俺はその人を、トニーと同じように失ってしまった。もう二度と会えないところへその人は行ってしまったのだ。
「……ああ、そろそろ彼女が来るよ」
トニーがそう呟いた瞬間、彼はガクリと床に膝をつき、尋常ではない勢いで全身を痙攣させる。
瞳は充血した白目で、口からは泡を吹いている。
――ゴボォ。
詰まった下水管が流れるような音がしたかと思った瞬間、トニーの口から真っ黒な液体が吹き零れた。
吐瀉物のようにぶちまけられた黒の液体は沸騰でもしているのか泡立つように蠢く。
「なんだよ、これ」
「なるほど。これがどうやら霊の正体のようですね」
黒い粘液は体積を瞬く間に増幅させ、そこら中に落ちている人形に纏わりついていく。
ドス黒く塗り潰された肌色のパーツが一か所に集まり、奇妙な臭気を醸し出しながら繋がっていく。
「……紹介するよ。彼女が僕の妻のエリザベスだ」
口端から黒の液体を少し垂れ流しながら、トニーは両手を広げる。
息が苦しいのか、呼吸はすでに危険を感じさせるほどの荒々しさになっていた。
「凄いわね。こんな魔物見たことないわ」
「おそらく寄生型の魔物でしょう。ただ私も何度か似たような種類の魔物を見たことがありますが、ここまで大きなものは初めてです。人間や、他の魔物の体内に入り込み魔力を奪う。本来は小さな寄生型の魔物がここまで育っているとしたら、トニーさんの身体はかなり衰弱しているかもしれませんね」
人型サイズの蟷螂のような形となった漆黒の怪物は、目のない顔でこちらを見回している。
その化け物を恍惚とした表情で眺めるトニーを見て、俺は無性に腹が立った。
違うだろ。
こんな化け物が、エリザベスなわけないだろ。
「それでも、寄生型の魔物に大した攻撃性はありません。この程度の相手ならすぐに始末できます」
ルナが一歩前に出て、右手を前に掲げる。
大きな力の渦がその掲げられた手に集まっていくのが、実際には見えなくともわかった。
「《アイアンパニッシュ》」
無から生み出された鋼の大剣。
鈍く輝く刀身は真っ直ぐとグロテスクな怪物に向けられている。
そしてその強力な地属性魔法を持って、ルナは本物とはおそらくかけ離れた亡霊をこの世から消し去ろうとする。
「や、やめろっ! 待ってくれ!」
しかし鋼の大剣の切っ先にトニーが飛び出し、ルナの集中が乱れ鋼の大剣が消失してしまった。
なんとなく、こうなる気がしていた。
俺は昔の自分に重なって見えるトニーを静かに見つめる。
「なぜ彼女を傷つけようとするんだ? 僕らは何も悪いことはしてないだろう?」
「いえ、それはエリザベスさんの霊ではありません。おそらく長きに渡って寄生されたことによって幻覚症状が出ているのでしょう」
「な、なにを言っているんだ。彼女はここにいる。これは幻なんかじゃない」
「トニーさん、冷静になってください。そんな怪物が――」
――我慢の限界が来た俺は、ルナの言葉を遮りトニーの前に立つ。
改めてよく彼の顔を見てみれば、そこには限界が窺えた。
痩せこけた頬。
焦点の合っていない瞳。
不規則な呼吸。
このままでは、彼は死ぬ。
ここで一方的に魔物を滅ぼしたところで、何も変わらない。
彼はまた新しい依存先を探すだけだろう。
俺はかつて大切な人を失い、その後また別の人に依存してしまった。
その別の人こそが、ルナだった。
だけど俺の心の弱さのせいで、結局ルナも俺は傷つけてしまった。
だから、変わる必要があるんだ。
変わらないといけないんだ、彼も。
「トニー、彼女が本当に、エリザベスさんなんだね?」
「あ、ああ、そうさ! 彼女が僕の妻だ! 幻なんかじゃない! 僕のために霊として会いに来てるんだ!」
「そっか。エリザベスさんはどんな人だった?」
「最高に美しく、優しい人だったよ。そしてそれは霊になってしまった今も同じだ」
「それはよかった」
トニーから視線を外し、彼の背後に控える闇色の異形へ目を向けた。
黒塗りの刃を両手に付け、すえた匂いを全身から放っている。
その怪物の方へ、俺は歩み寄って行く。
「ムトさん? いったい何をするつもりですか?」
「ムト、貴方まさか……」
あえて二人のことは無視して、異形の前に立つ。
もしかしたら、ルナは大丈夫だとしても、ラーくらいは怒るかもしれない。
でも、必要なことなんだ。
俺は傷ついてやっと現実を見ることができた。
自分以外の誰かが傷ついて初めて、喪失してしまった過去に目を向けることができたんだ。
だから、きっと彼にも必要なことだ。
頭の悪い俺には、どうにも実体験以外の方法を見つけられない。
「どうも、エリザベスさん、俺の名前はムト・ジャンヌ――」
――塗り潰された閃光が走る。
目の前の異形が、迷わず凶暴な腕を俺に向かって振り払ったのが、遅れてわかる。
ドン、と胸を押されたような鈍い感覚。
不自然な静寂に、俺は心の中でいつものように自由をくれた彼女に感謝を捧げる。
「うわぁぁぁぁ!!!!! 《アイアンパニッシュ》! ムトさああああん!」
口の中に鉄の味が広がる。
目の前に立っていた闇の異形は、突如出現した鋼の大剣に四等分にされ、断末魔を上げることなく滅ぼされた。
なんとなく自分の胸の方を見てみると、斜めに一筋の線ができていて、服は真っ赤に染まっていた。さらにちょっとだけ臓物がチラ見していて、ビジュアル的にあまりよろしくない。
「う、嘘だ。僕のエリザベスが、人を傷つけた? 僕の、優しい、エリザベス……」
珍しく俺の心の奥底がざわつくのを感じる。
おそらくジャンヌの魂が乱れているんだ。
ここまで彼女の存在を呼びかけていない状態で感じられることは滅多にないので、少し得した気持ちと、同時に申し訳ない気持ちになる。
でも、きっとこれは、必要なことだったんだ。
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