レウミカ・リンカーン



 私の人生は常に曖昧だった。

 不明瞭な出生に、微妙な距離感の知人や恩人達。物心ついた時から私はずっと漠然とした不安を抱えながら生きてきた。


『俺はロビーノ。ロビーノ・ジャクソンだ。家族だと思ってくれ。よろしくなレウミカ』

『私の名はジュリアス・マーキュリー。お主の親同然じゃな。困った時は遠慮無く私を頼るのじゃぞ?』


 どうやら私の名前はレウミカと言うらしい。

 そんな事を子供ながらに漠然と思ったのを、今でも覚えている。

 でも初めて彼等を見た時、この人達は私とは違う。何故かそう思った。見た目もそうだけれど、何か大切な部分が決定的に私とは違う。私はそんな曖昧な感情を抱いてしまった。それが私の運の尽きだったのかもしれない。初めて会ったその日から、結局遂に私が彼等と本当の意味での家族になる事はなかった。

 その後ロビーノとジュリアスにはとてもお世話になったのも事実。

 だから彼等には凄く感謝している。いつか必ず恩返しがしたいとまで思っていたわ。

 残念ながらその願いも叶わないようだけれどね。


『レウミカ!お前は天才だぜ!!信じられないくらいのな!!!』

『流石と言うべきじゃな。やはりお主には魔法の才能があるようじゃ』


 私は幼少期を同年代の友人無く過ごした。

 辺境の地にあるこの村ではただでさえ子供が少ない。更に私は村では唯一の銀髪、それが生まれの国が違うという事の証明だと気づいたのはもっと後だけれど、とにかく私には数少ない同年代の子達も近寄ってこなかった。

 そして私は家に閉じこもり、寂しさを紛らわす様に魔法へと没頭していった。

 魔力を練っている時だけが幸せだった。

 そうする事で心に生まれていた、漠然とした隙間を埋める事が出来るような気がしたから。

 結果的にやがて私は、村一の魔法の使い手となり、天才と呼ばれるようになった。

 そして私はその事を心の奥底で自らの自慢としてしまった。

 そうする事で孤独を誤魔化すかのように、私は当然の結果を自分の才能と取り違えたのだった。



『私には両親がいない。私は神に嫌われているのよ。私は呪われているの』



 そんなある日、村のとある少女をジュリアスに紹介された。

 その少女はどうやら私と同じように実の両親を幼い頃に失っているらしかった。最も私の場合、両親についての詳しい事は決してロビーノにもジュリアスにも教えては貰えなかったから、自分の両親が生きているのかどうかさえ知らないのだけれど。

 そしてその少女は心を閉ざしていて、最初の頃は私にさほども興味を抱いてはくれなかった。

 けれど私はその少女が自分ととてもよく似ていると思った。

 気づけば毎日私は彼女の横に寄り添っていた。彼女の孤独を癒す事が自分の孤独を癒す事に繋がる気がしていたのかもしれない。


『魔法とお茶は似ているのよ』

『そうなんですか?』


 そのうち気づけば私とリエルという名のその少女は親しい友人となっていた。

 暇があれば一緒にお茶を飲むような仲になっていた。

 そうね、私にとって初めて友人と言える存在に彼女はなってくれたの。年の差もあり、対等な関係というわけでは無かったけれど、それで充分だった。


 そんなリエルがある日、盗賊に攫われた。

 怒りという感情を初めてはっきりと認識したのは、きっとその日が初めてだったと思うわ。

 そしてその次の日からリエルは私の事を『先生』と呼ぶようになった。

 こそばゆい様な、恥ずかしい様な、嬉しい様な、不思議な感覚だった。

 彼女は私に一種の憧れを抱いたらしかった。私はそんな大層な人間ではない。そう何度言ってもリエルが私を先生と呼ぶのを止める事はなかった。

 でも私は、その呼称にそれ程嫌悪感を抱いていなかったのだろう。満更でもなかったのだ。私のこの奇妙な自負心が悲劇を生む事になるのにも関わらず。



『だ、大丈夫大丈夫!』

『全然大丈夫には見えないのだけれども……』



 そして私のそんな幸せな日常はゆっくりと破滅に向かう事となる。

 始まりは、きっと、彼との出会いだったのだろう。

 彼と初めて出会った場所は、後に私にとって忘れられない場所となる“ダイダロスの森海”の入り口だった。

 そこで出会ったその人は、とても奇妙な人だった。旅人にしては荷物が少な過ぎ、地元の人間にしては珍しい格好と髪の色をしていたから。 そして極めつけには、自分の事を記憶喪失だと言い放つような人間だったから。

 率直に言って怪しさの塊だった。というより嘘を吐いているのは誰が見ても明らかで、本気で騙すつもりさえないのだと思った。

 しかし、常識がないのはどうも本当らしい振る舞いを多々見せるのもまた事実だった。

 

 本当に奇妙な人。

 

 それが彼、ムト・ジャンヌダルクの全てに思えた。

 最もその名が本名なのかも疑わしいのだけれど。

 そして一応私なりに奇妙なムトと名乗る男についての推測も立てたりもした。

 何処かの有名な魔法使いの一族の放蕩息子、そんな所だろうと。

 だが結局私の推測は全く正確ではなく、恐らく彼の正体はその程度のものではないことも、私は最終的に知る事になったのだけれど。



『何故、なんですか……?』



 そして遂に事件は起きた。

 引き金は何だったのかしら。

 今となってはもう分からない。聞くことも出来ないし、推測する事に意味も無い。


 リエルが、私の元から走り去って行ったのだ。

 一度は手を取る事が出来た。

 しかし結局、リエルが私の元へ帰って来る事はその後二度となかった。

 私はリエルを、失ったのだ。

 もう私の可愛い友人が帰って来る事はない。そう、二度と。


『せ、先生……』


 一体何処で間違えたのだろう。

 私は全員で助かろうとした。

 そこで間違えたの?


『先生っ!』


 私は生き残れると思っていた。

 あの化け物に勝てると思っていたのね。

 本来は私が囮になって二人を逃がすのが最善かつ唯一の方法だったのに。

 過信していた。私は知っていたのに。あの魔物が魔術師程の力がなければ勝てない存在だと。知っていたのに挑んだ。犠牲無しであれから逃れられると勘違いした。



『先生?』


 

 そして、リエルは死んだ。


 私の判断ミスの結果によって。

 私の弱さのせいで。

 でも、最後にあの子は笑っていた。

 あの笑顔を守れなかった自分自身が、死ぬ程憎い。

 曖昧に、適当に、人生をやり過ごして来た代償は余りにも大きかった。


 だから償おう。

 もう二度と大切な物を失わないために。

 私の命はかけがえのない少女の犠牲と、圧倒的な力を持った少年の気まぐれによって守られた。

 そんな私がこの先生きていく為には、あらゆる物を捨て、新しい力を手に入れる必要がある。


 私は、自分自身への復讐と、リエルへの償いに残りの全ての人生を捧げる。


 だから、私は――、





「レウミカぁぁっっっ!!!!!」


 ふと背後から、鼓膜を揺さぶる焦燥の混ざった男の低い声がする。

 振り返れば、痛々しげに包帯を腕に巻いたロビーノがこちらを怒りすら込めた眼差しで睨みつけていた。

 息は切れ切れで、玉粒の汗が額に滲んでいる。


「どこへ行く気だ。レウミカ」

「……」


 私は答えない。

 なぜならどうせ彼は、私がするであろう返事を知っているのだから。


「レウミカ。お前が村を出て何になる?それをリエルが望むと本気で思ってんのかっ!?」


 今はまだ早朝、太陽はまだ昇りきっていなく、空気は白い気配を漂わせていた。


「おいレウミカ!!」

「私はもう此処には居られない」


 私にはもう、幸せで、平凡で、そして曖昧な毎日はもう必要無い。


「魔術師になるの。それがあの子の夢だったから」

「レウミカ、お前」


 私は知っている。

 魔術師を目指す事の意味を。

 この村を出る事の意味を。


「俺も、俺もお前に着いて――」

「来ないでっ!!!!!」


 そう言うと思った。

 私にはもったいないほど心優しいロビーノなら、絶対にそう言うと思った。

 だから嫌だったのよ。

 彼に別れの挨拶をするのが。


「ロビーノ。貴方は、幸せに生きて」

「レウミカ……」


 もこれで、よかった。

 私にはもう、何かを失う資格すら無い。


 私は、一人にならなくてはならなかったの。



「さよなら。ロビーノ。色々ありがとう」



 私の口から出たその言葉は、つい最近何処かで聞いた台詞のような気がした。





――――





 デーズリー村の外れ。

 もう日が沈むという夕暮れ時。

 感情の読めない無表情で、草原へと続く道を眺める青年がいた。

 目元の辺りまで伸びた黒髪を、小風に揺らしながら、彼は一人静かに沈黙を保っている。


「こんなところで、なにをしているのじゃ、シセ」


「……やあ、ジュリアス。なんだか浮かない顔をしているね」


 そんな青年に、背後からシセという名で呼びかけるのは、デーズリーの村長であるジュリアス・マーキュリーだった。

 目の下に隈をつけて、重い溜め息を吐いている。


「聞いているじゃろ。……リエルが死んだ。それに、レウミカが村を出た」


「……それだけ?」


「それだけだと?」


「ああ、いやごめん。ジュリアスの心にあるのは、それだけじゃないでしょって意味」


「……あとは、あのムト・ジャンヌダルクという青年も村から出たくらいじゃな」


「彼は君にも影響を与えていたんだね。外からじゃ気づかなかった。やっぱり、こういうのは現場なまに限るなあ」


「なにを言っている?」


「気にしないで。どうせ君も、すぐに忘れる。ここは本来ないはずの場面ページなんだ」


 ジュリアスはシセの要領を得ない言葉に、眉を顰める。

 シセはその黄金の瞳を、真っ直ぐとジュリアスに向けるが、眩い網膜に映っているものは全く異なるもののような気がした。


「私には止められなかったのじゃ、リエルも、レウミカも、あのムトという青年も」


「……もし、止められていたら、どうなってたかな」


「止められていたら? なにを言っている? たらればを言っても仕方がないが、全てが上手くいって、皆と共に幸せな日々を送れたはずじゃ。私には、そういう未来も描けたはずなのじゃ」


「僕はそう思わないな。僕の視点から言わせてもらえば、君はもちろん、リエルはどっち道助からないし、ロビーノやレウミカも助からない未来になっただけだね。本来はそういう未来だった。彼が大きく変えたんだ」


「シセ? お主はいったい、さっきから何を……」


「少し、喋り過ぎたね。もうここに用はない。そろそろ次の物語エピソードに移るとしよう」


 シセはすっとその白肌の手をジュリアスに向かって掲げる。

 村の部外者に厳しいはずの自分が、どうしてこれまでシセをそのままにしていたのか、そもそもいつからシセがこの村にいたのか。

 胸中にふと湧き上がった幾つもの疑問。

 それら全てに答えが出ることはなく、不明瞭な記憶に頭を悩ませる前に、シセが一言呟く。



「《初期化リセット》」



 ――ブツッ。

 一瞬、世界そのものが暗転したかのように、全ての光という光が闇に閉じた。

 しかしそれもあくまで刹那のことで、すぐに元に戻る。

 いつものように、空には二つ分の月が薄く臨んでいる。

 シセは少しだけ寂しそうな表情をすると、ジュリアスに別れの挨拶もすることなく、踵を返して村の外に向かって歩いていく。


「……ん?」


 それから数十秒の間を置いて、ジュリアスが目を何度かしばたたかせる。

 彼女の瞳には、村の遠くへ歩き去って行く、華奢な黒髪の青年の背中が見えた。


(……あれは、誰じゃ? そもそも、なぜ私はこんなところに……)


 どんなに記憶を漁っても、そのどんどん小さくなっていく黒髪の青年が誰なのかはわからない。

 思い出せないのではなく、初めて見るという感覚の方が近い。

 暮れていく世界の中で、不思議とジュリアスは、その見知らぬ青年の影が見えなくなるまで、そこで立ち尽くしたのだった。

 


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