No.14 ブランチ・ポイントV



 彼女は篝火を眺めていた。

 すぐ傍で絶え間なく揺らめく炎。歪んだ魔力の波動が明滅する様を、彼女はずっと長い間眺め続けていたのだ。

 不穏なほどの静寂が広がる廃墟には、彼女以外誰もいない。 

 彼女が自ら選び集めた役者たちはすでに、それぞれの舞台へと移動している。

 全てを知る彼女の計画した通り、物語は順調に紡がれている。



「ボクは知りたい。ボクの知らないことを。ボクの知らないことは、ボクの知らないキミが教えてくれる」



 彼女――ユーキカイネは誰にともなく呟く。

 智帝、彼女がそう呼ばれるようになってからずいぶんと長い時間が経った。

 ホグワイツ大陸最北の国ファイレダルに住まう全知の女王。

 この世界の全てを知ると言われる彼女に、ずっと欠けていたものがあった。


 それは“好奇心”だ。


 心を持つ者は誰しもが好奇心と共に生を授かり、好奇心の中に生の意味を見出す。

 しかし彼女には欠落していたのだ。その普通の人間ならば当たり前のように備わっているはずの好奇心が。

 それでも彼女の周囲は好奇心を抱かない幼き彼女を寵愛した。ある意味では特別な才覚の証明でもあったからだ。

 ファイレダルの王家トルストイには数百年に一度、特殊な眼(・)を持つ者が現れる。

 その特殊な眼とは未来視、または過去視を可能にする眼であり、他者からは全知とされる異端の力だった。

 時代ごとにトルストイに生まれる者には何人かこの特別な力を持っていたとされる。

 だがその中でも、ユーキカイネの力は群を抜いていた。

 まさに今から二千年前にいたとされるトルストイ一族の初代能力者、通称“千里眼”の再来と呼ばれるほど完成された力を秘めていたのだ


 ユーキカイネ本人は自らの力に喜ぶこともしなければ、呪うこともしない。


 彼女にとって、全てをあらかじめ知ってしまうことは生まれながらに当然のことで、それが退屈だという感覚すら抱けなかった。

 ただあらゆる物事が自らの知る通りに進んでいく。

 何度も読み直した小説を再び読み直すように、何の驚きもない日々が過ぎ去っていく。

 智帝ユーキカイネ・ニコラエヴィチ・トルストイにとってそれはいたって当たり前のことで、疑問を抱くということをこれまで彼女はしてこなかった。


 一方、例外というものもある。


 つまりは彼女ですら見通す事のできない不確定異分子である。

 この世界において、彼女の眼に映らない、物語の筋書き変えてしまう可能性のある者はこれまで二人ほど存在している。

 まず一人は“白の死神”オルレアン。

 半ば都市伝説のように存在を示唆されていたオルレアンが、実際に存在することは知っていた。

 それでも望む者に不死の力を与えるとされるオルレアンは、ユーキカイネをもってしても完全には理解のできない相手だった。

 どこからやってきたのか、どのような目的をもってこの世界にやってきたのか。

 その全てがユーキカイネの眼をもってしても把握することはできなかったのだ。

 ただ結局、オルレアンが彼女の興味を惹くことはなかった。

 なぜならオルレアンは積極的にこの世界に関わろうとはせず、ユーキカイネが視る物語の筋書きを変える素振りは一切見せなかったからだ。


 そしてもう一人彼女が見通せない者がいたが、こちらは大いにオルレアンとは様子が異なっていた。


 その者の名は英雄ムト・ジャンヌダルク。

 ユーキカイネの幼馴染であり、“麗帝”とも称される神聖国ポーリの女帝モーフィアス・アナスタシア・ヴィヴァルディからは黒の死神とも呼ばれる青年だ。

 ムトは英雄として名を轟かせているように、オルレアンとは違い積極的に世界に関わって行った。

 闇の三王。神にも等しいとされる魔力を秘める怪物たちの復活。それをユーキカイネは当然既知していて、復活した闇の三王によって人間の時代は終わりを告げるはずだった。

 しかしユーキカイネの視た時代の変革は、結局実現することはなかった。

 たった一人の、しかも若い人間の青年によって絶対不変の未来は変えられてしまったのだ。


 理解できない。


 ユーキカイネにとってここまで明確に自らの視えている世界を塗り替える者はこれまで存在してこなかった。

 興味、というには些か矮小過ぎる感覚だが、その時初めて彼女は他者に意識を向けたと言っていいだろう。

 まずただの人間にも関わらず、自らには見通せない存在。そんなものはあり得ない。

 さらにただの人間にも関わらず、闇の三王をたった一人で討ち滅ぼす存在。そんなものはあり得てはいけない。

 ムト・ジャンヌダルクは、全知の女王をもってしても一切の理解も示せない相手だったのだ。



「知りたい。ボクはキミのことを。ボクの知りたいことはキミのことだけ」



 知りたい、全てを最初から知っていた彼女は初めて好奇心を抱いたのだろう。

 そんな彼女は試しに様々な仕掛けを施してみることにする。

 一つや二つでは収まらないその仕掛けは、英雄ムトが自分から彼女の方にやってくるように仕向けるためのものだ。

 あえて彼女の方からムトに会いに行こうとしなかったのは、自覚せずとも彼女に多少なりとも女帝としてのプライドがそうさせたのか、単純に億劫だったのかはわからない。

 仕掛けは三年の月日を経て、その内の一つが結果をもたらした。

 イルシャラウィ・カエサル、ホグワイツ王家の王女を護衛として英雄ムトはユーキカイネの前についに姿を現したのだ。


 最初の邂逅に、特別な煌めきはなかった。


 ユーキカイネは静かに回想する。

 己の知る未来図を書き換えた英雄はあまりに凡庸で、彼女の興味を攫った者にしてはどうしようもなく特徴のない相手だった。

 まず能力だ。

 彼女の眼にはムトの身体に魔力が宿っていないように視えた。

 それは実力の隠蔽といったものではなく、事実魔力を一切身体の中に蓄えていなかったのだ。

 自分の体内で、自らの意志のままに無制限に魔力を創造でもできれば別だが、単純に人として出来そこないなのだろうとユーキカイネは予想した。

 ムト・ジャンヌダルクはただの傀儡で、創り上げられた飾りにしか過ぎないのだと。

  

 しかし今や、ユーキカイネは夢見るように二度目の邂逅を待ち望んでいる。


 再びムトは彼女の想像を超えて行ったのだ。

 ファイレダルに巣食う悪意に彼女はとうに気づいていたが、あえて処理はせずにいた。

 その世界を混乱に導くであろう悪意が花開く前に、ムトはいとも容易く摘み取ってしまったのだ。

 もはや疑いようはない。

 ユーキカイネは確信した。

 ムトは真に彼女の理解を超えた存在であり、またおそらく自らと似たような“眼”を持っているのだと。



「きっとキミには視えている。ボクの知らない世界が。ボク以上に多くのものが視えている」



 闇の三王の単独撃破。

 陰で芽吹く悪意に対する適切な対処。

 その全てがまさに全知、智帝の異名を持つユーキカイネ以上に多くのことを知る者にしか行うことができない。

 全てを知り、その上で英雄的行為を繰り返している。

 ユーキカイネはもはや自らの予想を疑ってはいない。


「だからボクはキミの物語に従う。これはキミが真の英雄になるまでの物語。ボクはその物語の舞台を整える。これはボクにしかできない。そしてきっとキミはそのためにボクを見つけた」


 自らがムトを見つけたのではなく、自らがムトに見つかったのだ。

 そんな妄想染みた認識を胸に、ユーキカイネは暗い部屋から外に出た。

 読んだことは一度もないのに、結末を全て知っている書物に覆われた狭い暗闇から、彼女は色鮮やかな蝶の羽ばたきに誘われるように光の下へ。

 彼女の知らない物語の結末を見届けるために、彼女の知らない物語の登場人物になるために。

 救いのためには破壊が必要。

 英雄の誕生には大いなる悪役が必要。

 全てはたった一人の英雄を、より高みへと登らせるために。




「キーモッ」




 ――ふと響く、邪悪な哄笑。

 ユーキカイネは想定通りのタイミングで聞こえるその掠れた声に、ゆっくりと色違いの両目を向ける。


「キミをずっと待っていた。ここも数ある“分岐点”の一つ。何も知らないヒトからすれば、なんでもない一ページ。でもここでボクの知る物語は何度も分岐をしてきた。でもそれを知っているのはきっとボクとカレだけ」

「キーモッ! マジで何言ってるのかイミフなんですけどキモ過ぎウケる。てかあの人いないじゃん。せっかく目立つ火ィんとこきたのに」


 どこからともなく現れた闖入者に対し、ユーキカイネは背負っていた細長い筒を手に取る。

 ここから先、物語がどう分岐するのか、今の彼女にはわからなかった。


「まあいいや。よくわかんないけど、とりあえずアンタはあの人の敵だよね? なんかキモイし殺しとこ」


 癖の強い栗毛を指で弄りながら、その女は軽い口振りで喋る。

 顔の至るところに付けられたピアスが篝火を反射し、優艶な輝きを見せている。

 そして次の瞬間、あまりに一瞬過ぎる殺意が顕現し、ユーキカイネを脈絡なく襲った。


「《罰の悠火イグニス・パニッシュメント》」


 魔力を集中させる動作もなく、あっさりと発動されたのは火属性絶級魔法。

 しかし練り込まれた魔力は規格外といっても過言ではなく、荒ぶる火焔は容赦なくユーキカイネの身を焦がそうとする。


「《水仙アクアミューズ》、《尖昌ラスクリスタル》、《風刃シルフィード》」


 一方ユーキカイネは同時に轟級魔法を三つ詠唱し、迫りくる絶火に対抗する。

 衝撃と衝撃。

 弾け飛ぶ魔力の粒子が、鮮やかにユーキカイネには見て取れる。

 水蒸気が白く視界を塗り潰し、砕け散る結晶が烈火の赤を反射し、四方八方に渦巻く風が互いの色を混ぜ合わせていく。



「キーモッ。アンタ脆すぎ。あの人の物語には必要なくない?」



 ブチリ、と何かが引き裂かれる音。

 迸る血飛沫を身に浴びながら、予想より、やや上に位置する相手の力を彼女は不思議に思った。

 

「ボクが知るよりキミは強い。それはオカシイ」

「キモキモキモォッ! ハッ! エデンが強いってっ!? キモ過ぎ笑える。全然足りないっての。エデンですらキモイほど足りてない」


 皮肉気な表情で、女は細長い棒きれを放り投げる。

 その棒きれはユーキカイネの数秒前まで右腕だったものだが、もはやこの場にいる誰もがそれに興味を抱いてはいなかった。



「ボクが知りたいのカレのことだけ。カレの物語の結末をボクは見届けたい」

「……へぇ? ナニソレ? いいの持ってんじゃん。きも。それ、エデンに頂戴?」



 右腕を失ったユーキカイネは床に落としてしまった筒を開き、その中から白刃の剣を取り出し、残された手に持つ。

 それは英雄ムトが唯一彼女に残したメッセージで、その白皙の輝きだけに好奇心が宿っている。

 白き刃から匂う魔力を嗅ぎつけた女――エデン・クロムウェルもまた欲情したかのように舌なめずりをする。


 全知の女帝と全能の魔女。


 灰に汚れた廃墟で、自らの欲望の邪魔をする者全てを破壊し尽くさんと、そして初めて両者は瞳を交差させた。



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