No.19 アングリー・チェリー・ハート
ドワーフとエルフの問題で悩みに濁った思考は、一発オナマスぶっこくと実に明瞭になった。
世界は非常にクリアで、こんな簡単なことに頭を悩ませていたことが馬鹿らしくなる。
ラーの言葉を思い出す限り、俺がこちらの世界に来る前に、今とは反対にエルフがドワーフに迫害されていた歴史があるらしい。
過去とは違い、力を手に入れたエルフが、つまるところそれまで鬱憤を晴らすようにドワーフやホビットに復讐をしているということになる。
まさに現在の状況は、全て俺に置き換えると容易に理解できることだ。
俺は宿のベッドから起き上がり、散らかったものを処理し、パンツを履く。
窓の外を覗いてみれば、とっくに日は暮れて、街には夜の帳が落ちていた。
思えば今のエルフは俺に似ている。
そう、もしかしたらあり得たかもしれない、俺にあった可能性の一つだ。
このディアボロという世界にやって来る前の人生で俺は学生の頃、俗にいう虐められっ子というやつだった。
周囲の人間に拒絶され、その理由も原因もわからないままひたすらに孤立し続けていた。
しかしある転機によって力を得て、過去の自分とは違う立場に立つ。
これはまさに今や英雄と呼ばれるようになった俺のことで、そしてドワーフとホビットをゴミ呼ばわりできるほど国力を手に入れたエルフのことでもあった。
「……そろそろ、時間だな」
考えてみる。
もし力を手にし、二度目の人生を初めた世界がここではなく、死ぬ前と同じ地球だったら俺はどうしていたか。
これまで俺を散々見下し、排斥してきた人々を、俺の意志次第でどうとでもできる状況になっていたとしら、俺はどうしていたか。
そしてそんな道を選んだ俺と、今の俺、どちらが幸せなのかを。
「悩む必要なんてなかった。こんな簡単な問題を解くのに一日費やすなんて、本当に俺って頭が悪いな」
決まっている。今の俺の方が絶対に幸せだ。
俺はたまたま、二度目の人生を違う世界で始めたから迷う必要がなかった。
でもエルフは違った。彼らには選択肢が目の前にあった。そのせいで迷い、結局間違えてしまったのだ。
「……止めよう。エルフとドワーフの衝突を」
ドワーフのためにエルフを止めるか、ドワーフを見捨てて通り過ぎていくか。
俺は選択肢をその二つだと思い込んでいたが、そうではなかった。
かつて俺と同じように苦しんだ、エルフのために、エルフを止める。
それこそ俺が選ぶべき選択肢で、もっとも俺らしい選択肢なのだ。
英雄ムト・ジャンヌダルクとしてではなく、似た境遇の者を助けるただのムトとして、俺は戦場に立つ。
「行くか。時間もそんなにない」
脱ぎ散らかしたズボンを履き、俺はベッドから降りて立ち上がる。
今から戦いに赴くというのに、こんなにも心が落ち着いているなんて。やはり、精チン統一の効果は凄まじいものがあるな。
そして俺は外套を羽織り、宿を後にした。
今やもう見慣れた双子の月に照らされながら、俺は夜のアルセイントを急いでいた。
遅刻することはなさそうだ。時間を確認しながら、少し安堵する。
ただ少し気がかりなこともあった。
それはルナとラーのことだ。
たしかに俺は自分の意志で、ソリュブルの頼みを引き受けることにしたが、他の二人がどうしたのかは知らない。
まずはラー来ないだろう。あいつはボーバート大陸での抗争にはなるべく関わりたくない様子だったし、それに加えてセトさんのこともあって、おいそれと勝手に国家間の問題には立ち入るのは難しそうだ。
ルナに関して言えば、全く予想不可能だった。
わざわざ占い師兼何でも屋みたいな真似をしていることだし、それなりにドワーフのことは気に入っているはずだが、本音はわからない。
お金も取っていないし、何のためにドワーフのために労力を割いているのかさっぱりわからなかった。
「……俺だけだったら、ちょっと寂しいな」
早くも賢き者の時が終わってきたのか、段々と俺は及び腰になってきた。
もし俺一人だけだと、ソリュブルとその愉快な仲間たちという、全員ほぼ初対面といっていい集団と行動を共にすることになる。
皆さんご存知の通り、俺は中々に立派なコミュニケーション障害持ちだ。間違いなくストレスで胃が痛くなるだろう。
だが今更来た道を引き返すのもあれなので、微妙に歩くペースを落としながらも俺は進み続ける。
「……あれ? あいつは……」
そうやって人通りがほぼゼロとなったアルセイントの街を、待ち合わせ場所である北の大きな塔に向かって歩いていると、何やら見覚えのある顔が見えてきた。
クシャクシャの栗髪に、エメラルドグリーンの切れ長な瞳。
俺とあまり背丈の変わらない若い男は、やけに真剣な顔で俺を見つめている。
「……ジャック、なのか?」
俺の声に反応するように、その男はゆっくりと息を吐く。
黒の外套を着ていることから、なんとかパン一の変質者スタイルからは卒業できたようだ。
「よお、ムト。待ってたぜ」
俺が予想した人物と雰囲気が違い別人かと思ったが、そういうわけではないらしい。
「お、おう。どうしたんだよ、こんなところで? というか、何か用事があるとか言ってなかったか? それはいいのか?」
「ああ、心配いらねぇ。これがその用事みたいなもんだからな」
まさかのジャックとの再会だ。
やけにテンションが低く、本当にあの道端でケツを空に突き上げていた男と同一人物か疑わしいが、見た目と声は間違いなく本人のものだった。
次会うのは別れた日の一週間後、つまりは二日後のはずだったが、まさか今日、しかもこのタイミングでまた会うことになるとは。
「これがその用事? どういう意味だよ」
「お前、今からドワーフとエルフとの抗争を止めに行くんだろ?」
「え? あ、まあ、そうだけど、よく知ってるな」
ジャックは鼻を鳴らす。
確信はないが、なんとなく不機嫌なような気がする。
その原因に思い当たりはない。
「実はおれも、ソリュブルに頼まれてたんだよ。おれも今からエルフ共のところに行くつもりだ」
「まじで? なんでジャックが?」
「言ったろ。おれはその筋では結構、有名なんだ」
試すような視線でジャックは俺にそう言う。
まさかジャックもドワーフの先行襲撃部隊のメンバーだとは。用事とはこのことだったのか。
なら凄腕の傭兵とか、そんなとこかもしれない。思い返してみれば、ジャックが魔法を使えないとは言っていない気がする。案外、凄腕の魔法使いなのかもしれなかった。
「そ、そっか。凄い偶然だな。じゃあ、早く一緒に行こう」
「……いや、おれとお前はあっちとは別行動だ」
「は? なんだよそれ。俺、聞いてないぞ。ソリュブルがそう言ったのか?」
「ああ、そうだよ。ソリュブルの作戦の一つさ。おれとお前で揺動して、その隙のあいつらが本体を突くってわけよ」
ジャックは淡々と言葉を紡いでいく。
実力的に考えれば、俺が揺動を担当するよりは、俺が単独で敵の指揮官に突っ込んでいった方が早い気がしたが、出しゃばり過ぎと言われればそんな気もした。
「そう、なのか。その揺動担当は俺とお前の二人だけなの?」
「ああ、そうだ」
ジャックが頷くのを見て、俺はとりあえず納得する。一旦作戦に従って、そのあとは戦況を見て、柔軟に対応していくとしよう。
それにしてもこいつ本当にテンション低いな。
あ、わかった。たぶんこいつも戦いの前に一発オナマスぶっこいたな。
俺はやけに静かなジャックを不思議に思ったが、その理由に思い当たり、違和感がストンとなくなった。
こいつは俺と違って、ワイズなりしマンのタイムが長引くタイプなのだろう。
まったく、やることなすこと一緒だな。俺は呆れてしまう。
「それじゃあ、行こうぜ、ムト」
「お、そうだな。イキますか、ジャック」
ちょっとイントネーションを弄って遊んでみたが、すこぶる冷静なジャックは気づかない。
それでもソリュブル部隊に混ざるよりは心的に楽なので、俺はウキウキな気分でジャックの後に続いたのだった。
――――――
とっくに夜が明け、もうすでに日が暮れ始めている中、俺は見晴らしの悪い岩山を歩いていた。
隣りにはルナもラーもいなくて、代わりに我が数少ない童貞友達であるジャックの姿がある。
「なあ、俺たちたった二人で別行動してるけどさ、ソリュブルさんたちとの連携とかどうするんだ? タイミングとかどうやって計るんだよ」
「……それなら心配ねぇよ。おれはちょっと特殊な魔法の使い方ができてな、音を自由自在に操れるんだ。俺の魔法を使えば、どんなところの音も拾えるし、逆にどんなところにでも俺の声を届かせることができる。ついでにいえば、音の代わりに光の文字を届けたりもできるぜ」
「そうなの? それ凄いな」
なんとも便利な能力だ。俺はほんの少しだけジャックを見直す。
しかし愉快なことに、ジャックのテンションはいまだ平常時よりだいぶ低いままだ。そろそろ抜いてから二十四時間は経つはずなのに。
こんなに長引く奴は初めて見た。
それとも世の男性はだいたいこんなものなのだろうか。童貞友達が少ない俺には、賢人状態の平均持続時間がわからない。
「というか、どんなところの音も拾えるって、結構アレだな。いかがわしい使い方もできるな」
「……そうだな。たとえば、密室の音なんかも拾えるぜ。普通の人間は入れない場所の」
「密室、ねぇ」
ジャックは意味深な目つきで俺にそう言う。
俺はこいつが何を言いたいのか、すぐにわかった。
要するに、夜の情事の音も拾えるんだぜ、いいだろ? 的なことをこいつは言いたいのだろう。
正直羨ましい。
音を拾う魔法か。俺も頑張ればできそうだが、結構取得には時間がかかりそうだ。
むしろジャックに直接頼んだ方が早そうだ。今度やってもらおう。
「最近だったら、塔の中からの声も拾えたな。とくに期待してなかったが、予想外の情報が飛び込んできて驚いたぜ」
「ん? 何の話だ?」
「まさか知り合いの声が聞こえてくるとはよ。マジで、ガチで、予想外だった」
塔。ラブホの隠語か何かだろうか。
他に思いつくのはアルセイントの王城だが、あんなところで音を拾っても何も面白くはないだろう。
そうなると知り合いの声がラブホから聞こえてきた話をしたいのだろうか。なるほど。たしかにそれはすこぶる興奮しそうだ。
「聞こえてきたのはおれの友人の声で……そんでもって、そいつがおれに嘘をついていたっつうことがわかる会話の内容だった」
「嘘をついていた?」
だが何だか微妙に俺の理解が間違っている気がして仕方がない。
ラブホから彼氏がいないと言っていたはずの女友達の声が聞こえてきたという、そんな悲しい話で合っているだろうか。
俺は確認を取ろうと、ジャックの肩に手を伸ばすが――、
「なあ、そいつはどんな気持ちでおれに嘘を吐いていたんだろうな。教えてくれよ、ムト・ジャンヌダルク?」
――急に足を止め、俺の方に向けられた翡翠の瞳の苛烈な光に止められる。
そこにあったのは明確な怒り。
俺は数少ない友人の、俺へと注がれる怒りに狼狽を隠せない。
「なーにが、ムト・ニャンニャンだよ。お前、ホグワイツ大陸の“英雄”ムト・ジャンヌダルクなんだろう?」
「お、おい、どうしたんだよ、ジャック? 俺はたしかにその英雄なんだけど、別に隠してたわけじゃなくて――」
「おれはこの世界に嫌いなものがたった二つだけある。なにかわかるかよ?」
「へ? いやわかんないけど」
空はすっかり茜色に染まり切っていて、もう端は深い紺色に侵食され始めているところだ。
それなのに、俺たちはまだエルフ軍を捉えられていない。
これはおかしい。
俺は今更ながらに、ジャックがはなからエルフ軍のところへ向かっていなかったことに気づいたのだ。
「おい、ジャック。それよりエルフ軍はどこにいるんだよ。お前が場所を知ってるんじゃなかったの?」
「……うるせぇよ」
「え?」
「うるせぇっつってんだ!」
前触れなく、いきなりジャックはぶち切れた。
何コレ。
意味が分からない。
なにがどうなってこんな状況になっているのか全く理解できなかった。
早くエルフ軍のところに向かわなければいけないのに、なぜ俺はジャックに怒鳴られている?
たしかに俺は自己紹介の時、うっかりムト・ニャンニャンの方の名前を名乗ったかもしれない。
しかし、だからといってそんなにキレることか?
「おれが嫌いな二つのもの、それはな、“英雄”と“童貞の振りをした非童貞”だ」
「は? ごめんちょっと何言ってるのか――」
「黙って聞けやこのヤリチン野郎! おれがこの二つを嫌いな理由がお前にわかるか! ああん!?」
嘘でしょめちゃくちゃキレてるじゃんこいつ。
英雄嫌い、そんな奴には初めて出会った。
英雄嫌いの理由はわからないが、そのせいで俺に怒りをぶつけているのだろうか。
ただ一言申したいのは俺はヤリチンではないし、俺も童貞の振りをした非童貞は嫌いだ。
「英雄……そいつは世界中からチヤホヤされて、女をとっかえひっかえしてる糞野郎だ。おれの同僚の女に告白した時も、おれは英雄以外お断りと言われた。なのにそいつは別にその英雄と付き合ってるわけじゃないとも言った。……つまりセフレだ! ムカつく野郎だぜ! おれはこの世に存在するセフレ持ちの男を全員許さねぇ! その中でも、英雄という肩書を使って女を使い捨ててるような人間のクズは死んでも許さねぇ!」
「ん~? セフレ持ちの英雄? どこの誰のことですかねぇ?」
「しらばっくれてんじゃねぇぞ! この救性主野郎!」
「いや! マジだから! 俺は童貞だって言っただろ!?」
なんということだ。
ジャックの英雄嫌いの理由は、意味の分からないデマのせいだった。
いったいどこのどいつだ。俺を理由にしてジャックを振った奴は。今すぐそのお方にゴム持って会いに行きたい。
「そして無垢な羊の皮を被った欲深き狼……つまり童貞の振りをする非童貞も俺は嫌いだ。あいつらは、おれみたいな純粋な童貞を心底馬鹿にしてやがるんだからな。わかるだろ? ムト・ジャンヌダルク! てめぇはおれに英雄ではないと嘘をつき、さらに童貞の振りをした! お前は最もおれの嫌う嘘を二重に吐いたんだよ!」
「ご、誤解だ! ジャック! 俺は非童貞じゃない! 英雄だけど、まだ童貞なんだよ!」
「このほら吹き非童貞めぇ! なにが親友だ! 笑えてくるぜ! おれは最高に間抜けな道化だった! お前は心の中でずっとおれをのことプークスクスやだー童貞キモーいっつって笑ってたんだろ!?」
「俺は非童貞なんかじゃない! 信じてくれよ!」
どんなに心から叫んでも、もうジャックに俺の言葉は届かない。
無色の波動がジャックの身体から溢れ出るのが見えて、俺は強く舌打ちする。
こんな下らない理由で時間を潰している暇はないのに。
「……【魔力纏繞】。ムト、お前だけは許さない。童貞の怒りを知りやがれ」
「くそっ! なんで童貞同士争わなきゃいけないんだ! こんなの間違ってる!」
橙色の空は黒く染まり、俺もまた魔力の奔流に身を任せる。
そして、俺の願いは結局届かず、エルフとドワーフの衝突と共に、童貞と童貞との衝突も始まってしまったのだった。
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