No.7 セメタリー・ニュース



 宵闇に紛れて、一人の男が足早に地面を蹴っていた。

 深くフードを被り、顔の下半分は麻布で覆われている。

 古びた墓標が立ち並ぶ細道には人気はまるでなく、小風が落ち葉を揺らす音しか聞こえない。

 

(憂鬱だな)


 時折り顔を夜空に向けてみれば、二つの月が眩しい黄金を輝かせている。


(杞憂では、すまないだろうな)


 すでに事態は最悪といっていい状態まで来ている。

 目に見える被害と、そうでない脅威を合わせて考えるに、間違いなく近いうちに時代が大きく変化することになるはず。

 そして己もまた、その天変の嵐に飲み込まれていくことなる。

 むしろ、自ら進んで嵐に身を委ねることになるのだ。

 彼はその暗い予想が外れるとは思っていなかった。


(……感じる気配は二つか。どうやら今回は俺が最後というわけではなさそうだ。いや、待てよ。もしかすると……)


 しばらく墓地を歩き続けていると、寂れた聖堂に辿り着く。

 塗装の多くは剥がれていて、普段人が使用している様子のまるでない、捨てられた場所だ。

 だがその廃堂の中から人の気配を敏感にも察知し、男は嫌な予感に顔を歪ませる。

 人の気配がすること自体には何も問題はなかったが、その気配の数が問題だったのだ。



「やあ、ロイス。遅かったね。これで後はフィーゴだけかな。彼のことも呼んでるんでしょ?」



 しばしの逡巡の末、男――ロイスが廃堂の扉を開ければ、柔らかな声がかけられる。

 堂内にいたのはそれぞれ彼にとって顔見知りの男女で、そのことに驚きはない。

 なぜなら二人をここに呼んだのは他でもない彼自身だったのだから。


「うわー、意外。絶対ロイスが一番最後に来ると思ったのに。でも変なの。いつもだったらフィーゴが一番早いのにね。どうしたんだろう」


 埃の溜まった長椅子に座りとぼけた調子の声を出す女がチリッチで、壁に身体を寄り掛からせる長髪の男がリックマンだ。

 それぞれが革命軍の幹部の一人で、同じく革命軍幹部であるロイスからの招集の知らせを受けここに集ったのだった。 


「フィーゴはまだ来ていないのか?」

「だからそう言ってるじゃーん。ちゃんと伝達したの?」

「……ちっ、まずいことになったかもな」


 しかし本来この場に集まるべき人物が、一人足りていないことに気づく。

 その人物とは革命軍北部遊撃部隊指揮官のフィーゴのことで、ロイスも良く知る彼の人間性から推測できる欠席の理由は非常にまずいものだった。


「まずいことってなによ?」

「あ、僕わかったかも」

「え、なになに。教えてリックマン」


 ロイスが視線を下方に落とし考え込んでいると、リックマンがパチと一つ手を叩いた。

 ここに彼らが呼ばれる際に伝えられた情報、それは“総指揮官ヴィツェルの命が危ない”、というものだった。

 そこから思いついた内容を、リックマンはそのまま素直に言葉に変える。


「たしか例のムト・ニャンニャンが総指揮官を狙ってるって話でしょ? しかも僕も全然気づかなかったけど、総指揮官でも勝てる可能性が相当低いとか」

「うんうん。たしかそんな話だったね。というか今、総指揮官と連絡が取れなくなってて、それが今回の招集理由でしょ?」


 ホビットでの紛争でムトの実力を目撃した後、ロイスは急いで革命軍総指揮官であるヴィツェルに連絡をしようと試みた。

 だが実際にはどうやってもヴィツェルとコンタクトを取ることが叶わず、それを緊急事態だと判断した彼は大陸中に散らばっていた幹部を集め会議を開こうとしたのだ。

 ただ幹部の内東部遊撃部隊指揮官のレミジルーからは、手の離せない問題が発生したため自分は直接向かえない可能性が高いという返事をもらっている。

 代わりに代理を送るとも言っていたが、ロイスはそれをあまり期待はしていない。

 今やレミジルーとムト・ニャンニャン――改めムト・ジャンヌダルクに何かしらの関係があることはわかっている。


(あいつの口振りからして、ムトのことを盲目的に信用しているみたいだったが、正直言って危うい)


 何かしらを企んでいる大大陸の英雄ムト・ジャンヌダルク。

 突然消息を絶った革命軍総指揮官ヴィツェル・アロンソ。

 英雄ムトと何かしら特別な関係性を持つ革命軍幹部レミジルー。

 今回話すべき議題は、そのどれもが革命軍の未来を決定づけるものになりえた。


「そうそう。だからつまりさ、ムトが総指揮官を狙ってるって聞いて、フィーゴは何も考えずにムトのところに向かったんじゃないかな」

「あー、なるほど。それあるかも。総指揮官に一番入れ込んでるもんね、フィーゴは。総指揮が消息不明って聞いていても立ってもいられなくなったパターンね」


 そしてロイスが想像していた通りの事をリックマンが語り、彼はまた舌打ちをする。

 フィーゴの独断専行。

 信じたくはないが、確かにもっともあり得る可能性ではあった。


「……おそらく、そうだろうな」

「あちゃー、でもこれ大丈夫? そのムトって奴が私たちの敵だったら、まずいんじゃない? 絶対フィーゴ死ぬじゃん」

「まずはそこからだな。二人はムト、英雄ムト・ジャンヌダルクに関してどう考える?」


 すでにフィーゴはやってこないと見切りをつけ、ロイスは会議を始めてしまうことにする。

 レミジルーに関しても紛争の件があるので、この場には来ないだろうと暗黙の了解で全員理解していた。


「僕は一応味方だと思うなぁ。実際僕はムトと会ってるけど、正直ただの平凡な青年に見えたよ。まあちょっと頭は悪そうだったけど、悪い奴じゃないと思うよ」

「私は直接本人見てないからわかんないけど、話を聞く限り、どっちかっていうと敵寄りだと思う。だって現実問題総指揮が行方不明でしょ? あの幻帝も見つけられない総指揮をどうにかするなんて、それこそ英雄って呼ばれるくらいの実力はないと駄目なんじゃない? そんでもって、私たちの総指揮をどうにかしようとする奴なんて絶対ろくな奴じゃないよ」


 リックマンとチリッチ、それぞれの意見を聞き、ロイスは顎に手をかけ深く考え込む。

 ヴィツェルの問題に注視していたせいで、紛争の後、ムトが今何をしているのかはまだ情報を掴めていない。


「それで、ロイスは彼についてどう考えているの?」

「……そうだな。完全な味方だとは思わない」

「だよね! 絶対敵だって!」

「……だが、単純な敵だとも思わない」

「どういう意味?」

「え? ロイスどういうことそれ?」


 リックマンと同じように、いやむしろそれ以上にロイスはムトと言葉を交わし、行動を共にしている。

 その結果、彼の中で構築されたムト・ジャンヌダルクという人間像は、非常に矛盾に溢れ、チグハグとして奇妙なものになっていた。


「味方に思える理由と、敵に思える理由。そのどちらもあいつは有しているということだ」

「そういえば、ロイスは彼とずっと一緒だったんだよね? 詳しく聞かせてよ」

「うんうん。聞かせて聞かせて」


 二人に促され、ロイスは自分の知っていること、考えていることを脳内でまとめていく。

 不自然の集合体とも言うべきムト・ジャンヌダルクについて、彼が感じた全てを言葉に変えていく。


「まず、リックマンがさっきムトは頭の悪い凡人だと言っていたが、俺はそうは思わない。本質はむしろ正反対だろう。非常に、いや異常なまでに頭の切れるいわゆる天才という奴だろう。英雄の名は伊達じゃない」

「ほんとうに? だってムト・ニャンニャンだよ? でも結構彼のことを評価してるんだね。僕には全然そんな風に見えなかったけど、ロイスの観察眼は本物だからなぁ」

「簡単な話だ。あいつは普段は猫を被っているのさ。愚者の振りが異次元に上手い。おそらくそうしていた方が便利だと知っているんだろう」

「まあたしかに、あれが演技だとしたら相当の曲者だね。僕じゃ太刀打ちできない」

「あれを見破るのはほとんど不可能だろうな。俺も自分で気づいたわけじゃない。気づかされた、だけだからな」


 紛争の中で見た、黄金に輝く二つの瞳をロイスは回想する。

 その目の奥には何の感慨も宿っておらず、ただただ明確な意志だけが宿っていた。

 自らに仇なす者全てを平等に取り除くという確固たる意志だけが。


「じゃあやっぱり敵なんじゃないの?」

「しかし敵だと考えても、不自然な点が多い。まず思いつくのは、あの紛争の中でエルフ軍の実力者を屠っておきながら、俺のことは見逃したことだな。紛争中のどさくさに紛れて俺を殺すことはあいつなら容易にできたはずだ。レミジルーは別として、俺を見逃す意味がわからない」

「たしかに。でもそれはあれじゃない? 総指揮の居場所をロイスから聞き出そうとか思ってたとかってのは考えられない?」

「その可能性もあるだろうな。ただそれなら、エルフ軍の指揮官クラスを潰す必要性がわからない」

「うーん。じゃああれかな? もしかして、革命軍だけじゃなくて、エルフすらもムトにとっては敵なんじゃない?」

「……なるほど。それは面白い意見だな」


 革命軍、エルフ、そのどちらとも敵対している。

 チリッチが思いつきで口にしたその考えに、ロイスは少しだけ共感を覚えた。

 

(いや、敵、というよりは、革命軍ともエルフとも同盟関係ではないと言った方が正確か。なら何だ? あいつは何を狙って俺たちに接触してきた?)


 実際に間近で見たその実力は圧倒的。革命軍総指揮官のヴィツェルはもちろん、エルフの幻帝ヨハンでさえ容易に打倒せしめてしまうのではないかというほど傑出した魔法の才。

 それほどの魔法使いが、一体何を警戒して慎重に行動しているのか、それがロイスにはわからない。


「まあ、とりあえず情報が足りないね。ムトに関しては味方でも、敵でもないってことにして、いったん話題を変えようよ」

「そうね。やっぱり最重要なのは総指揮でしょ。あの人が今どこにいるのか、無事なのか、そうじゃないのか。でしょ?」

「……ああ、そうだな」


 もっぱらヴィツェルと連絡を取っていたのはロイスのため、この中で最も行方について情報を持っているとしたら自分であろう。

 そう考えたロイスは、現在彼が知り得ていることを話す。


「実はヴィツェルはここ最近、誰かに見られているような感覚があると言っていた。そのせいで、もしかしたらしばらくの間連絡を取れなくなるかもしれないとも」

「なーんだ。じゃあ、やっぱり総指揮は無事なのね。それもそうだよね。だってあの人がそう簡単に尻尾を掴まれるとは思わないもの」

「でも総指揮官がかなり追い詰められている事は確かってことなら、結構まずいんじゃないかな? その探られているような感じが、もしムトからのものなら、何かしら対策を打つべきだよ。特に今は、ほぼ確実にフィーゴがムトのところに突進しちゃってるだろうし」


 リックマンとチリッチは革命軍総指揮官がどこかで隠れ生き延びていると仮定していたが、ロイスはそこまで楽観視してはいなかった。


(たしかにヴィツェルの逃走能力は天下一品だ。……だがどうも嫌な感じがしてならないんだよな。本当に無事なのか?)


 誰かに見られているような感覚。

 もしそれがムト・ジャンヌダルク、或いはそれ準じるほどの才ある魔法使いによるものだった場合、さすがのヴィツェルでも分が悪いのではないか。

 ロイスは心労でいよいよ胃に穴が空きそうだった。


「対策といえば、ねぇ、ロイス。たしか今ムトはあのお姫様のところにいるのよね? たしか前もって知らされた情報だと、レミジルーともなんか関係性があるんだっけ?」

「ああ、理由は知らないが、レミジルーはやたらとムトを信頼している」

「うげぇ。それもヤバくない? たしかにレミちゃんはちょろい感じあるもんね。相当な演技派らしいし、なんか上手いこと口説かれたのかもしれないな」

「改めて言っておくが、いまだにムトが彼女の下にいるかは不明だ。もちろんこの会議の後にすぐに調べるつもりだが」

「私、思うんだけどさ、だったら逆にレミジルーに――」


 ――会議の話題がまた別のものに変化し始めたところで、唐突に廃堂に静寂が満ちる。

 ほぼ同時に全員が口を閉じたのは、まったく同じ理由による。

 ロイス達は互いに目配せをし合い、扉の方に目を向けていた。

 感じたのは他人の気配で、それは扉の向こう側から。

 遅れてやってきた待ち人か、はたまた招かれざる客人か。

 いつでも戦闘体勢に移れるように準備をしながら、ゆっくりと開かれていく扉を眺めた。



「こ、こんばんは――」



 扉が開かれた瞬間、チリッチが動いた。

 堂内に足を踏み入れた、大柄な男のやけに腰の低い挨拶をまるで無視して、太腿に付けられていたダガーを彼女は抜き去り、刃を露わにする。


 その男は残りの幹部のフィーゴとは別人だった。

 

 たったそれだけの情報で、男の命を奪う理由は十分であるとチリッチは判断したのだ。


「――待て、チリッチ」


 しかし、全くチリッチの強襲に反応できていない男が無残に斬り裂かれようとする一瞬前に、ロイスが制止の声を上げた。


「うっ……!?」

「え? どうしたの、ロイス? こいつ知らない奴じゃない?」

「そいつは知ってる。この前の紛争で、レミジルーの部下の中にいた」

「あ、本当だ。よく見たら革命軍の証つけてるわ」


 首にダガーを突きつけられた男が息を飲み硬直していると、やがてチリッチは「ごめんね」と小さく呟いて後ろに下がっていく。


「お前はレミジルーが言っていた代理だな?」

「は、はい! 俺はゴードンという者で、レミジルー指揮官に言われてここまでやってきました!」


 予想外の命の危機から解放され安堵したのも束の間、ロイスのかけられた言葉に対し大柄な男――ゴードンは敬礼を見せる。


(まさか本当に代理を送ってくるとはな)


 革命軍幹部の会議に代理を送るのは様々なリスクがあるため、相当重要な案件を伝えなくてはいけない場合を除き実際に送ることはない。

 それにも関わらず、部下の一人を送りつけたということは何かしら意味があるのだろう。

 おそらく、ただのメッセージだけでは済まないレベルの情報を伝えなくてはいけないという意味が。


「俺たちは忙しい。レミジルーからの伝言を簡潔に話せ」

「はっ! レミジルー指揮官からの用件は二つです。まず一つ目はムト・ニャンニャンという男をドワーフの首都アルセイントまで送ったということ。道案内は自分が務めました!」

「アルセイントだと?」


 想像していた通り、代理の男から伝えられた情報はこの場において非常に貴重なものだった。


(ドワーフの首都に何の用だ? しかもこの口振りからだと革命軍とは一旦距離を置いているらしい……もう革命軍での用件が済んだということか?)


 今や革命軍にとって幻帝ヨハン並みの警戒対象となった青年の謎の行動に、ロイスは不安を抱く。

 そしてその嫌な予感はすぐに、彼の前に明確な形となって現れることになる。


「そしてもう一つが、こちらを幹部の皆さまに届けろといったものです」

「おー、なにそれ? 私たちへのお土産?」

「どうやら箱みたいだね。何が入っているのかな」


 ゴードンはおもむろに背負った鞄から中程の箱を取り出し、それをロイスに手渡す。

 横からリックマンとチリッチが覗き込む、興味津々といった様子を見せていた。


「……中身は何だ?」

「はっ! 自分は知らされていません!」


 ごくりと生唾を飲み込みながら、ロイスは恐る恐る箱を開く。

 すると、箱を開いた瞬間、強烈な腐臭が鼻に付き、彼は自らの不安がまたもや的中してしまったことを知る。

 中にあったのは袋に覆われた丸みを帯びた形状の物体で、彼は袋の包みを開かずともその正体に見当がついてしまっていたが、仕方なくその中身を月光の下に露わにさせる。


「……嘘、だよね?」

「え、え? あ、ありえない。そんなわけ、ないよ。私、嘘、だって……」


 リックマンとチリッチの凍り付いたような声を聞きながら、ロイスは大きな溜め息を吐く。

 もはや革命軍の総指揮官の居場所を探す必要はなくなったのだ。



「……二人はレミジルーのところに行ってくれ。俺はムトに会いに行く。できればフィーゴより先に会いたいところだが、それはたぶん無理だろうな」



 箱の中から光を失った瞳でロイスのことを見つめるのは、革命軍総指揮官ヴィツェル・アロンソに他ならない。

 やはり、杞憂ではすまなかった。

 彼が革命軍幹部を集めようと奔走している間に、事態はもう後戻りできないところまできてしまっていたのだ。




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