No.18 ブレイブ・ファントム



 行く手を阻もうとする帝国兵たちの波を掻き分けながら、レウミカはアレスの街を北に向かって駆け抜けていた。

 先頭を走る彼女の後ろには、マイマイとヒバリが少し遅れながらもついてきている。

 正気を失った兵との衝突は最低限に留め、目的地にいち早く到着することだけに意識を割く。


「おそらくあそこね」


 遠目に覗く硝煙。

 レウミカは顔に突き出された剣先を躱し、氷弾を撃ち込みながら耳を澄ます。

 聞こえてきたのは獣染みた唸り声で、街が瓦解していく崩壊音だった。

 地面を蹴る足に力を込めれば、砂埃が舞うひらけた場所へ辿り着く。

 破壊の限りを尽くされたそこにあるのは、帝国ゼクターの頂点に立つ者の姿。


 “暴帝”オシリウレス・アリストテレス八世。


 ディアボロ世界に君臨する各国の王の中でも特に個人的武勇の優れた五人の王、通称“五帝”のうち個人戦において最強と呼ばれる人の形をした怪物が、狂ったような雄叫びを上げていたのだ。


「これは骨が折れそう」

「オッシー! 私です! マイマイです! 私の声が聞こえてますか! しっかりしてください!」

「オシリウレス様……」


 黒と赤の二色に染められた眼光が、レウミカたち三人を捉える。

 凶暴な魔力が吹き荒れ、暴帝の強靭な肉体に血管が浮き上がった。

 圧倒的な威圧感はまさに王者の風格で、迂闊に近寄ることはできない。


「……吾輩の国に、手出しはさせん」


 暴帝が一歩踏み出すだけで、地面に大きな裂け目が生じる。

 握り締められた拳は、すでに戦闘態勢に入っていることを暗に示していた。


「二人とも、来るわ!」


 刹那、暴帝の姿が消失する。

 再びその黒い影を捕捉する頃には、すでに目と鼻の先で拳を振りかぶっていた。


「《アイスウォール》!」


 すかさず氷壁を創り出し拳撃を防ごうとするが、暴帝の勢いはまるで止められない。

 氷の防壁は爆散し、その余波で近くの建屋が粉々になった。


「ちょ! なんですか今の!? オッシー化け物過ぎません!?」

「うぐっ! や、やっぱ異次元に強い……無理だ。オレなんかにこんなの止められるわけがない」

「どうやら二人とも無事みたいね」


 暴虐の憤撃を間一髪回避したレウミカは、あらためて暴帝オシリウレスが持つ規格外の力に嘆息する。

 宙返りで躱したマイマイは少し足下をふらつかせながらもなんとか着地し、ヒバリは大きく横っ飛びをした際に体勢を崩したのか瓦礫の上を転がっていた。


(暴帝オシリウレス……噂以上の怪物ね。まともにやりやって勝てるとは到底思えない。ムトを除けば私の知っている中でも単独でこの人を無理なく抑えられるのは会長と五番目、後は一番目おとうさんくらいかしら)


 冷静に考えて勝利、制圧を狙うのは無謀。

 自らのやるべきことは可能な限りの時間稼ぎだとわかっていた。


「……《コールドパージ》」

「ウオオオオオオッッッ!!!」


 地面伝いに暴帝の身体を凍り付かせようとするが効果はない。

 氷を足で踏み砕き、冷気を肩で裂き、驚異的な身体能力のままに暴れまわる。


「くっ! なんてスピードとパワーなの!」

「ウオオッ!」


 魔力を身に纏い、ただ拳を奮うだけ。

 たったそれだけで暴帝は戦況を支配していた。

 膨大な魔力と常人離れした制御力。

 何度も氷刃を叩き込むが、そのどれもが暴帝の身体に傷一つ付けられない。


「潰滅せよ」

「間に合わないっ!?」


 怒涛の連続攻撃にとうとう耐えきれなくなる。

 絶対零度の冷気を至近距離から叩き込むが、それにも一切動じず暴帝はレウミカを強烈に殴り飛ばした。


「ぐぅ……っ!」


 身体が爆発したかのような衝撃。

 思い切り吹き飛ばされたレウミカは壁に打ち付けられ、打撃に内臓を傷つけられたのか吐血する。

 またも咆哮する暴帝は、一気に止めを刺そうと追撃に跳躍した。


「オッシー! 早く目を覚ましてくださいぃぃっっっ!!!」


 その時、横から暴帝のわき腹にマイマイが飛び蹴りを突き刺す。

 十分な力の乗った蹴りは渾身の一撃で、空中で足の踏ん張りが効かない暴帝は勢いよく吹き飛ばされた。


「危なかったですね、レウミカさん。大丈夫ですか?」

「……貴女が私のことを素直に心配してくれるなんて。もしかして私も影の王の幻覚に囚われてしまったのかしら」

「なんですかその態度? せっかく助けてあげたのに! これだから乳のデカい女は嫌いなんです! その無駄な贅肉に良識を吸い取られているんですよ!」

「よかったわ。私はまだ正気を失っていないみたい」


 おもむろに差し出された手を掴み立ち上がると、レウミカは口元についた血を拭う。

 隣りのマイマイを見てみれば、悪戯に微笑んでいた。


「さてと、それでどうですかね。ショック療法的なアレで、オッシーも今ので目を覚ましましたかね?」

「そうね、今ので影の王の支配が解けたのならば実に助かるのだけれど」


 ゆらりと、大きな黒い影が静かに頭を上げる。

 首を何度か鳴らすと、身体に纏う魔力密度を上げ、その影は獰猛な笑みを浮かべた。


「あら、とても楽しそうに笑っているわ。もしかしたら本当に正気を取り戻したのかもしれない」

「え? あれ、笑ってるんですか? 私にはどうも野獣が牙を剥き出しにて威嚇しているようにしか見えないんですけど」


 レウミカは無属性魔法の重ねがけを行い、清流の如き魔力に意識を集中させる。

 マイマイは独特のフォームで重心を低くし、いつでも動けるよう体勢を整える。

 何度目かわからぬ雄叫びを合図に、暴虐の化身との交戦が再開された。


「ウオオッッ!」

「メイド流奥義穀潰しキック!」


 俊敏な動きで暴帝の背後を取ると、マイマイは脳天に向けて踵を叩きつける。

 回避不能の直撃によって得られる確かな手応え。

 しかし何事もなかったかのように暴帝の腕が伸び、マイマイの細い脚をわし掴みにした。


「はっ!? うそでしょ!? ちょっとそれはまずいですって!?」

「捻り潰す」


 逃げることのできなくなったマイマイに、暴帝が拳を振りかぶる。

 なんとか逃げ出そうとしても、驚異的な握力はビクともしない。


「させないわ! 力を貸して! 《英雄の宝玉ジャンヌクォーツ》!」


 瞬間レウミカの魔力が銀色に染まる。

 加速度的に倍増していく力を、彼女は牙に変えた。


「《アイスプレイトシュー》!」


 白銀に塗り替えられた氷が、四匹の竜を形づくる。

 空気すら凍えさせながら、氷竜の牙が容赦なく暴帝に噛みついた。


「グゥ……ッ!」


 暴帝の動きが止まり、握力が弱まったその隙にマイマイは身をよじり掴まれた腕から抜け出す。

 

(手加減も、余裕も必要ない。私のありったけを、全て注ぎ込む)


 そして膨れ上がった魔力をレウミカは一気に凝縮させ、自らの放てる最大出力の魔法を顕現させた。



「眠りなさい……《零の聖域エターナル・サンクタム》」



 ピキリ、と世界が銀麗に停止する。

 暴帝を中心に猛吹雪が炸裂し、視界全てが真っ白に染まり上がった。

 凍てつく風は街を氷のオブジェに創り変え、吐息は白に零れ落ちる。




「……超寒いです。これ、オッシー生きてるんですか?」

「……さすがに死にはしないと思うのだけれど」


 荒れ狂った銀吹雪が去ると、そこには綺麗に凍結した暴帝の姿があった。

 目は大きく見開かれ、鬼気迫る形相を浮かべているが、動く気配はない。

 魔力枯渇間近の脱力感にレウミカは片膝をつく。

 これ以上はもう呼吸するので精一杯だった。


「はぁ……でも、これで、なんとか暴走は……止められたかしらね」


 息も絶え絶えに、レウミカは再び喉をせせり上がってきた血溜を吐き捨てる。

 氷属性絶級魔法の直撃。

 普通に考えれば死は免れないが、相手は暴帝オシリウレス。

 身動きこそ止められたように思えても、命を奪うまでは至っていないだろう。


「あとはムトを――」

「レウミカさん! 危ない!」


 しかしその時、突如黒い閃光が迸る。

 何が起きたのか理解が追いつかず、レウミカはただ自分が何者かに強く押し飛ばされたことを遅々と自覚するだけ。



「《軍神の暴虐アレスズ・アーマー》」



 落雷でも落ちたのかと錯覚する轟音。

 レウミカは地面を無様に転がりながら、つい一瞬前まで自分が片膝をついていた場所を見つめる。


 そこにはあったのは人間離れした巨躯をさらに倍に大きくさせた暴帝と、先ほどまではなかった地面の大きな窪みで横たわるマイマイの姿。


 肩に乗った氷片を払い落すと、暴帝は倒れ伏すマイマイの腕を掴んで持ち上げる。

 危険な予感にレウミカは魔法を発動させようとするが、限界に達し、疲れ果てた身体は彼女のいうことを聞こうとしない。



「吾輩は暴帝オシリウレス・アリストテレス八世。暴虐の化身なり」



 まるで紙を千切るかのように易々と、マイマイの掴まれた右腕が肩口から引き裂かれる。

 冷え切った空を貫く、痛々しい悲鳴。

 痛みか、それ以上の何かのせいか、蒼い髪の少女はそこで意識を手放し瞳を閉じる。

 その光景を見ていたレウミカは疲労と精神的ショックのせいで視界がモノクロになり、心臓の音は段々とテンポを遅めていった。


(そんな……マイマイさん……うっ…意識が……)


 小さくはない振動と、頬に当たった固く冷たい感触で初めて、レウミカは自分が凍結した地面に倒れ込んだことに気づく。

 もう声を発することすら叶わず、瞼の重みは増し続けている。

 霞んだ目に映るのは、動かなくなったマイマイがゴミのように放り捨てられる様子。

 黒の爪先がやがて視線の先と合致し、暴帝が大股で自らの方に向かってきているのがわかった。


(……誰か、助けて……ムト……)


 気を失うのが先か、暴帝の手によって息の根を止められるのが先か。

 レウミカはついに遠のき始めた意識の中で、救いの手を待つ。

 願うだけで、救われる程、現実は甘くない。

 その事を彼女は誰よりも強く理解していたが、それでも願わずにはいられなかった。

 いつだって救いに来てくれた、英雄の姿を――――、



「そ、そそそこまでだ。オ、オレが、戦う。オレが、救う。……オレだって誰かの英雄になれる!」



 とうとう完全に意識を失う寸前、レウミカはたしかに見た。

 漆黒の衣服で全身を覆う、癖のない黒髪をした一人の少年の姿を。


 それが気休めの幻か、勇敢なる現実かはわからない。



 白銀の雪が舞う中、自らを守るように立つ英雄の背中を、それでもたしかに彼女は見たのだった。




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