No.11 ネームアウト
実に微笑ましい心洗われる光景が打ち止めになったのは、結局ピルロレベッカの監視役、というよりは世話役の女たちにガロゴラールが退出を促してからだった。
部屋を出る際に、こちらを睨みつけていた時の修羅の如き形相はしばらく忘れられなさそうだ。
「それにしても凄い部屋だな……」
やっと静かになったのでおずおずと中に入っていくと、俺は一気にカフェインを多量摂取したかのような錯覚に襲われた
視界を埋め尽くすのは、いつチェシャ猫が出来てきてもおかしくないファンシーに溢れた世界。
ショッキングピンクの絨毯に、綿菓子みたいなクッションが散々と置かれている。
奇妙な動物のぬいぐるみはどれもこれも不気味な笑みを浮かべていて、俺並みに気持ち悪い。
お菓子か何かのせいで部屋中に漂う甘ったるい匂いで、若干気分が頭が痛くなってきた。
「や、やあ、久し振りだね、ピルちゃん。なんか、俺が思ってたより楽しそうにやってるみたいで安心したよ」
「……なんじゃ、貴様か。まったく恨むぞ。貴様のせいで妾は毎日が拷問の日々じゃ」
様々な小物で溢れたソファーの腰掛けるピルロレベッカは、死んだようにぐったりとしていて憔悴しきっている。
頬はやつれ、目には深いクマ。
どうも拷問の日々というのはあながち比喩でもないようだ。
「あやつらは一体なんなのじゃ? 悪魔より
俺が彼女と戦った三年前に比べても、明らかに元気がない。
胸部と下半身を覆う黒い鱗にも、きもち艶がないような気がする。
しかしだからといって、俺が彼女にしてやれることなど何一つなかった。
むしろあのキャッキャウフフの薔薇色ワールドに、俺も混ぜて欲しいくらいだった。
というか俺もマスコットになって、ちょっと人見知りなマイリトルドラゴンを玩具にして欲しくて仕方がない。
「……それで妾に何の用じゃ? 貴様が妾を訪ねるなどずいぶんと久しい」
「いやほら、俺もたまにはピルちゃんとスキンシップを取らないといけないなって思って。俺と会えなくて寂しかったでしょう?」
「黙れ希少種。さっさと要件を話せ」
「……うす」
ピルロレベッカはまったく乗ってきてくれない。
本当に疲れているようだ。
俺を睨む目がマジだった。
外見がどっからどう見ても竜のコスプレをした幼女なので、迫力はまるでなかったが。
「実は俺とそっくりな顔をした奴が巷で暴れててさ。そいつについて訊きに来たんだ」
「なんじゃ? それでなぜ妾に話を訊こうということになる? 人間の顔などそれほど個性もない。貴様に似た顔の者が一人や二人いたところで不思議はあるまい」
「それがただ似てるってレベルじゃないんだよ。俺の顔だけじゃなくて、体格まで完璧に同じなんだ。しかもそいつは俺が魔力を探知できないほど、魔力の隠蔽にも長けてる」
「貴様が魔力を探知できない? ……ほお、なるほど。それは面白い」
だがそこまで話してやっとピルロレベッカの声に力が宿り始めた。
この反応からするに無駄足にはなさらなそうだ。
立ちっぱなしなのもあれなので、適当にクッションの上に座る。
ちなみにガロゴラールは、部屋の入り口で静観に徹していた。
「貴様はその者に直接会ったのか?」
「会ったよ。それで自分のことを“キアス”とか名乗っていて、なんか前に一度俺に会ったことがあるかのような口ぶりだった」
「キアス? ……ふむ。やはりな。しかしそれは……実に興味深い」
「やはりって、やっぱりピルちゃん心当たりがあるの?」
短い足で必死に足を組むピルロレベッカは顎に手を当て、意味深な表情で何かを考え込んでいる。
だてに長生きしてるわけではない。
俺の期待通り、彼女は一つの答えを導き出してくれそうだ。
「妾が知る限り、他人の姿を借り写すなどという力を持ち、さらに自らの存在を隠匿するのにそこまで長けている者はたった一人じゃ」
「ほんと? 教えてよ」
「だが解せないことが一つある。それはなぜその者がまだこの世界に存在しているのかじゃ」
「え? どういう意味?」
ピルロレベッカは呆れたような、嘲るような顔で俺を見る。
美幼女に小馬鹿にされるというのも中々得難い経験で、俺は少し興奮した。
「まず貴様に問おう。今から三年前、貴様がこの世界から葬った者は誰じゃ?」
「今から三年前?」
物騒な質問を放り投げられた俺は、素直に三年前の記憶を掘り起こす。
あの時俺が倒した相手といえば魔物の支配者たち、やはり闇の三王だろう。
“
“
“
とある犯罪組織のせいで封印を解かれ、この世界に出現したこの太古の王たちを討伐するのはそれなりに面倒だったためよく覚えている。
しかし闇の三王は全て、再封印したピルロレベッカを除けば完璧にこの世から消滅させたはずだ。
当然実際に戦ったのは俺ではなく、我らが最強無敗の魔法使いジャンヌ。
彼女が倒し損ねるなんて凡ミスをするはずがないので、この幼女風キューティクルドラゴンを除けばもう闇の三王はどこにもいない。
「ピルちゃん以外の闇の三王とも闘ったし、夜の王と影の王は封印じゃなくて完全に倒した。他にも寂しがりやな堕天使とも闘ったけど……彼女も、もういない」
回想を続けていると、胸にチクリとした痛みがさす。
余計なことまで思い出してしまった。
俺が英雄の名を手に入れるために犠牲となった人の顔が、ふと頭をよぎってしまったのだ。
「ほお? ならば妾は奴を褒めなければならんな。まさか貴様から逃げ遂せることのできた同胞がいたとは。妾は奴を少しばかり過小評価していたようじゃ」
「……どういうこと? 奴って誰のことだよ?」
「決まっておる。貴様も直接戦ったことがあるのなら、わかるのではないか?」
「……っ! まさか!」
だがそこでピルロレベッカのやけに勝ち誇った笑みを見て、俺の脳内にある閃きが走る。
たしかに、一人だけいた。
自らの姿を影に隠し、他者に幻影を見せる能力を持った怪物を一人俺は知っている。
三年前に倒したと思い込んで、すっかり頭から抜け落ちていた。
なんて簡単なアナグラム。
なぜ俺はもっと早くに気づかなかったんだ。
しかしなぜ? なぜ奴がまだ生きている?
「貴様の魔力探知から逃れる者などそう多くはいまい。可能性があるとしたら、最低でも妾クラスの力を持った者。まず間違いなくラグナが貴様の偽物の正体じゃろう」
「で、でも待ってくれ! それはおかしいんだ! 俺はたしかにあいつを倒したはずだし、それにこの前会った時のあいつは、俺の知ってる影の王とは人格があまりにも違い過ぎる」
俺は可能な限り影の王のことを思い出すが、キアスと名乗った人物と辻褄が合わないことはいくらでもあった。
あいつは俺のトラウマを抉ろうと、それはもう色々な姿になって俺を惑わそうとした。
しかしその時のあいつの変身は雰囲気まで全て完璧だったのにも関わらず、キアスに関して言えば、顔と体格こそ同じだが声も話し方も違った。
加えて人格もおかしい。
俺の知ってる影の王は他者に変身しているときに、違う名前を名乗ったりはしないし、あれほど流暢にお喋りをする奴でもなかった。
もっと完全に他人になりきる奴だったはずだ。
そして何より、ジャンヌが倒し損ねたというのが最もあり得ない。
「ラグナの能力は妾が知る限り三つじゃ。一つ目は“看破”、相手の心を読み取り、相手の影を見つけ出す。二つ目は“幻影”、相手の心に影をかけ、相手に幻を見せる。そして三つ目が“同調”、相手の影に同調し、その影を取り込み自らの糧となす」
つらつらと語られる言葉を聞き、俺は戦慄する。
聞けば聞くほど、ピルロレベッカの予想が正しいであろうことが直観的にわかってきたからだ。
「ラグナには元々確固たる人格などない。全てはありとあらゆる影を同調してきた末の、集合体的意思しか存在せぬ。もし貴様の知らない人格を今の奴が持ち得たとしたら、それは間違いなく新たな影を同調した結果じゃろう」
「それってつまり……?」
「まず間違いなく貴様の影を取り込み、ラグナは新たな人格と力を得たのじゃ」
これは面倒なことになった。
倒し損ねただけでなく、そのせいで影の王はパワーアップまで果たしていると来た。
しかもその力の源は俺。
考えるだけで鬱になりそうだ。
「この三年間大人しくしていたのが、力が十分に回復するのを待っていたのか、それともまた別の理由かはわからぬが、貴様にとっては厄介であろうな。妾でも奴に関しては知らないことの方が多い。これは実に興味深いぞ」
影の王とのいまいち思い出したくない記憶を振り返る。
しかしそこでやっと俺は、致命的な前提の勘違いに気づく。
違う。
違ったのだ。
影の王と戦ったのはジャンヌではなく、俺の方だ。
「マジかよ……」
そうだ。
そうだった。
正確な記憶を取り戻した俺は、自らの無能さに腹が立つ。
他者に幻影を見せるという能力を使った影の王は、まずジャンヌ相手に俺に変身した。
そして誰よりも俺に甘い超過保護系魔法使いことジャンヌは、たとえ幻でも俺に傷をつけられない。
そういう過程を通り、最終的に影の王を相手したのはこの俺だったのだ。
もちろん自虐界のレジェンドである俺は、たとえ影の王が俺自身の顔をしようと問答無用で魔法をぶっ放したはずなのだが、さすが俺というべきか、どうも見事に止めを刺し切れていなかったらしい。
「ハッハッハッ! 愉快! 実に愉快じゃ! 妾たち闇の三王で最も力が劣るラグナが、よもや貴様を最も苦しめることになるとは! 奴ならば妾の封印も解いてくれるかもしれんなぁ!」
「……うるさい」
「うにゃっ!? な、なにをするのじゃ!?」
少しピルロレベッカとかいうただの幼女が調子に乗り出したので、その可愛らしいおでこにデコピンをお見舞いしておいた。
大人を舐めるな。
舐めていいのはチのつくアレだけだ。
むろん二つあるクビの方でも可。
「貴様! この妾を誰だと思っておる! そんな無礼な態度をとって許されるとでも思っているのかぐぎゃっあ!? ク、クソッ! この忌々しい呪いを早く解くのじゃラグナっ!」
顔を真っ赤にして怒ったピルロレベッカは俺に爪を奮おうとするが、その瞬間見事に足を宙に放り出し尻もちをつく。
この黒の王には、人に危害を加えようとすると転んでしまうという呪縛がかかっていたからだ。
「
しかしこれでキアスを名乗る、俺の偽物の正体はわかった。
これで後はその闇に塗り潰された顔をぶっ飛ばすだけだ。
次こそは完膚無きまでに、影一つ残さず消し去ってやる。
ムト・ジャンヌダルクは俺だけの名ではない。
俺たちの名前に泥を塗った代償、しっかりと払って貰うぞ。
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