No.20 インモラル・エンプレス



(見えてきたな)


 昼と夜の境目。黄橙が紺黒に侵されていく時間帯。

 ソリュブルは歩行速度を遅めつつ、遠く前方を見下ろすような形でみやる。

 岩山の中にある大きな窪地のような箇所。

 その入り口までやってきた彼は、後方に控える仲間達へ岩陰に隠れるよう指示を飛ばしていた。

 

「あれがエルフの軍勢ですか。話に聞いていた通り、数が多いですね」

「……ああ。やはり本気、ということだろうな」


 すでに斥候から話は聞いていたが、こうして実際に現実を目の当たりにするとソリュブルは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 この一帯では最も夜風を凌げるであろう、岩壁に囲まれた広大な平地。その平地がほとんど全てエルフの兵士で埋め尽くされているのだ。

 改めてシミュレートしてみる。

 もしこの大軍がアルセイントの街に押し寄せてきた場合どうなるか。

 いまや過去の栄光もなく、個人的武力を持った兵士も長い年月の間にゆっくりと駆逐されてきたドワーフの首都アルセイント。

 今のドワーフにはエルフの圧力によって軍事的国力が著しく低くなってしまったせいでろくな兵もいなければ、傑出した個人もいない。

 対するエルフには枢機卿カーディナルと呼ばれる、たった一人で街を陥落させることが可能とされる戦略級の魔術師がいて、なおかつ暴力的な数の兵士が伴われている。

 勝ち目は、ない。

 暗い思考に沈むソリュブルは、なんとか気持ちを立て直そうとする。


「ソリュブル兵長、それでこれからどうしましょう?」

「そうだな。まずは敵の指揮官……枢機卿を探す」


 自分たちがいる場所と、エルフたちが野営を敷く場所。

 その二つにはそれなりに高低差があるため、暗闇に乗じれば余程接近しなければ気づかれることはないだろう。

 希望的に考えれば、闇討ちには向いた地形環境といえた。


(たしかに風は凌げて野営はしやすいが、ここで襲撃されたらひとたまりもないとは考えなかったのか? ……いや、違うな。その可能性を踏まえた上で、ここに野営を決めたんだ。襲撃されるわけがない、というよりは襲撃されても何の問題もないと判断して)


 圧倒的余裕と明らかな驕り。

 その事に気づいたソリュブルは、右手を怒りに握り締める。

 だがその相手の油断に付け込めばいいと自分を納得させ、プライドを傷つけられことによる憤怒を収めた。


(こんな場所で暢気に眠るつもりか……さしずめ驕りの牙城、というところだな。いいさ。その俺たちドワーフを見下した態度が、貴様らエルフの破滅を招く)


 そしてソリュブルは辺りが十分に暗くなったことを確認すると、ついに行動を開始する。

 回り込むような迂回経路で、岩を蹴り飛ばしたりしないよう細心の注意を払いつつ、最もきらびやかな天幕を探す。

 おそらくそこに、エルフ軍の指揮官である枢機卿がいるはずだったからだ。


「……ルナ、一つ訊いていいか」

「はい。私に答えられる範囲でよければ」


 月明かりだけを頼りに岩場を歩きながら、ふと気になったことをソリュブルは尋ねてみることにした。

 枢機卿の天幕を探しているとは言っても、エルフ軍の野営地からは距離がある。多少の雑談をしたところで問題はないはずだった。


「お前は、あの青年……ムト・ジャンヌダルクとどういう関係なんだ?」

「私とムトさんの関係ですか? そうですね。そう改めて問われると、なんと言い表せばいいか少し迷います」


 ホグワイツ大陸の英雄ムト・ジャンヌダルク。

 ソリュブルも名前だけは聞いたことがある。

 今から三年前に、あの数千年振りに復活した闇の三王をたった一人で倒したという高名な魔法使いだ。

 実際にルナに紹介された英雄はあまりに凡庸に見えたが、ソリュブル自身は魔法に詳しくなかったため、強力な魔法使いはああいうものなのだろうと理解している。

 しかし、そんな英雄とルナとの関係性は全く持って不透明だった。

 そもそも彼はよくよく考えてみれば、ルナの事もそこまでよく知っているわけではない。

 元々ドワーフに来る前はホグワイツ大陸にいたとなんとなく教えてもらっているだけだった。

 ルナにどんな過去があるのか、まるで知らなかった。


「……私からの一方的な関係性で言えば、ムトさんは私の命の意味の恩人、ですかね」

「命の意味の恩人? あまり聞かない言葉だな」


 命の恩人ならばわかる。だが命の意味の恩人とはどういうことだろう。

 ソリュブルはルナの返事の意味を咄嗟には理解できない。


「私はここに来る前、ホグワイツ大陸にいる頃は、本当に目的なく、ただぼんやりと生きていました。何かが壊れる様を見るのが好きという理由だけで、ちょっとした犯罪組織にも入っていたりもしていましたね」

「壊れる様を見るのが好き? それはどういう意味だ?」

「そのままの意味ですよ。人の身体が壊れるのを見るも好きですし、精神的に崩壊していく様を眺めるのもわりと興奮します」

「……そ、そうか」


 淡々と語られる意外なルナの過去と性癖を聞き、ソリュブルは少しゾッとする。

 しかし日頃からルナという女性がどこか変わった性格をしていることは薄々感じていたので、そこまで過剰に驚くことはない。


「でも、変わったんです。私は変えられました。この世界で唯一、壊れて欲しくない、壊れる様を見たくないものを手に入れました。それが私にとってのムトさんなんです」

「……恋愛感情ということか? それとも憧れに近い?」

「いえ、たぶん、その二つの言葉はどちらもあまり相応しくありませんね。私がムトさんに抱いている感情は……陶酔とうすい、おそらくそれが最も近い。ムトさんのためなら、私は何だってしてみせますよ」


 陶酔、そんな言葉を聞いたソリュブルは思わずルナの瞳を見つめてみる。


 ――覗き返されたのは、どこまでも純粋な、純粋過ぎる蒼の瞳。


 そしてソリュブルがその瞳に感じたのは恐怖、つまりは怯えだった。


(本気で、言っている。今は俺たちドワーフの味方になっているが、英雄ムトがエルフにつけば間違いなくこいつは向こうに寝返るだろう。……ドワーフで過ごした時間や、俺との信頼関係、そんなものは迷わず全て投げ捨て、こいつは英雄の下へ行く)


 ルナのことを知り過ぎたソリュブルは、不安を抱き始める。

 彼女の陶酔する英雄ムト・ジャンヌダルクは、彼の呼び掛けには応じず、招集場所には現れなかった。

 それがどういう意味を持つのか、悪い考えばかりが浮かぶ。


「そういえば、ムト・ジャンヌダルクとは別行動をとったようだが、彼は今どこで何をしているんだ?」

「さあ、わかりません。あの人が考えていることを全て理解するのは不可能ですから。でもたぶん、ソリュブルさんが考えているようなことはしてないと思いますので、安心してください」

「なっ……?」


 ルナはいつもと変わらない無表情だ。

 それでも自分の思考が見透かされたような感覚のせいで、その鉄仮面が本当に仮面なのではないかとすら思ってしまう。

 仮面の下では、ソリュブルの浅はかな考えを笑っているのではないかと。


(……英雄ムト・ジャンヌダルクがエルフ側につく、さすがにそれは考え過ぎか。それにしても何が慈愛の魔女だ。本当に不気味な女だな。……まさか今も考えが悟られているなんてことはないよな?)


 おそるおそるルナの横顔を窺ってみる。

 しかしその感情の抜け落ちた顔からは何も知ることができず、ソリュブルは諦めたように視線をエルフの野営地に戻した。


「それによっぽどのことがない限り、私も命を懸けてドワーフの味方につくつもりですので、そこは信用してもらって構いません」

「いいのか? その英雄のための命を俺たちなんかのために使って」

「はい。ムトさんからすれば私の命なんて紙屑同然なので」


 平凡で優しそうという、英雄とはかけ離れた印象をムトからソリュブルは得ていたが、その印象を著しく修正せざるを得なくなる。

 

(あんな普通の青年に見えたのに、自分を慕う女の命を紙屑扱い。このヘンテコな魔女の心を奪うくらいだ、やはりあいつも相当頭のネジが外れた奴なんだろう。さすがに常人に英雄は務まらないか。まったく、人は見かけによらないもんだな)


 念のためまたルナの横顔を覗いてみる。

 どうやら自分の頭の中は覗かれていないようだと、ソリュブルはほっと胸を撫で下ろした。


「……ソリュブル兵長」

「なんだ? ……そうか。あれか」


 ルナとの会話が途切れてしばらくすると、後方から一人の警備兵が声を上げる。

 その兵が指さす方向にソリュブルも目線を合わせると、そこには周囲より一際大きく、新雪のように真っ白な天幕が見えた。

 エルフ軍の指揮官である枢機卿の天幕だ。

 一目で探していたものだと判断する。


「よし、皆、止まれ。お目当てのものは見つかった。あとはこの辺りで待機し、エルフの兵たちが寝静まった頃に闇討ちを決行する。


 まだ夜が訪れてから時間が足りないと考え、一旦ここでさらに夜が更けるのを待ち、その後枢機卿の天幕へ忍び寄ることにする。

 

「皆、覚悟はできてるな?」

「もちろんです、ソリュブル兵長。俺たちが死ねば、ドワーフも死ぬ、そうですよね?」

「……ああ、その通りだ」


 岩陰に身を屈め、ひとかたまりになった仲間達を見渡しながら、ソリュブルは力強く頷く。

 たしかにエルフの軍勢の数は驚異的で、敵軍の指揮官は名のある魔術師だった。

 だがソリュブルが集めた仲間達もまた、彼自身が選んだ選りすぐりの兵であり、今回は慈愛の魔女と呼ばれる実力だけはたしかな女魔術師も味方にいる。


「俺たちは勝てる。ドワーフは勝てる。エルフに勝てる」


 仲間達一人一人の目を見ながら、ソリュブルは言葉を重ねていく。

 勝機は、ゼロではない。

 ソリュブルはそう思いを奮い立たせる。



「いや~ん? ちょっとごめんなさ~い? 誰が、誰に、勝てるって? アタシ聞き間違えちゃったかしらん?」



 月が雲に隠れたその刹那、突然ソリュブルの仲間の一人の首が宙に舞った。

 空を汚していく、真紅の漿液。

 その場にいる全員の思考が一瞬空白になった後、彼は悲鳴にも似た声を叫ぶ。


「全員退避! 敵襲だ!」

「な、なんでこんなところにエルフが――」


 二度、三度、宙を舞うドワーフ兵士の生首。

 口を半開きにしたまま空で回る仲間の顔を見て、ソリュブルは剣を抜いた。


「まさか向こうから来てくれるとは思いませんでしたね。手間が省けました」

「クソッたれエルフがっ! ふざけやがってぇっ!」


 味方を無残に殺された怒りと、あまりにも自分たちを侮辱した敵の行動にソリュブルはその目の前に突如として現れた一人のエルフ人を睨みつける。


 金色の髪を頭頂部以外剃り上げ、鳥のトサカに見えるような髪型。

 嗜虐的な色に染まった青色の瞳は、辺りを楽しそうに見回している。

 純白の衣装には汚れ一つないが、両袖から伸びる円月形の剣には赤い血がこびりついている。


 そこでは、本来は自分たちの獲物であったはずの存在が、狩人としてソリュブルたちを睥睨していたのだ。



「うっふん。どうもドワーフの豚ちゃんたち初めまして、アタシの名前は“サード”。どうもアタシに会いたがってるみたいだから、アタシの方から会いに来てあげました~ん」



 サード、自らをそう名乗るエルフの男は、袖から右手の代わりに伸びる剣に付着した血を舐め回している。

 その特殊な呼び名から男が枢機卿というエルフ軍の指揮官であることはわかる。

 しかしその男以外にはエルフの姿はない。

 確信しているのだ。己一人で十分だと。


「よく私たちのことに気づきましたね」

「だってぇ、絶ぇっ対来ると思ったも~ん。でも、あまりにも来るの遅いから、アタシの方から来ちゃったん。というかアレ? 貴女はドワーフ人じゃないわよねぇ?」

「どうも初めまして、私はルナ・ラドクリフです。ドワーフ人ではありませんが、貴方を殺すつもりなので、どうぞお気遣いなく」

「ああんっ! 貴女って、超アタシの嫌いなタイプぅ! 超殺したいわぁ!」


 男は身体をクネクネと捻じりながら、高らかに哄笑する。

 その様子を見たソリュブルは一気に加速し、男の懐まで潜り込む。

 エルフ人とまともに言葉を交わす気など、彼には初めからなかった。


「貴様の命、もらい受ける!」


 完全な隙。

 必死の一撃に自信のあったソリュブルは勢いよく剣を振り抜いた。



「あらやだ。不細工な猪が一匹。ごめんなさぁい? アタシって、面食いなのよ」

「――なっ!?」



 しかし剣閃は空をなぞり、その瞬間絶命の気配をソリュブルは感じ取る。

 無理矢理身体の向きを変え、全力で横に飛び退く。


「があっ……!」

「いやん。元気のいい猪ちゃんね」


 白の刃がソリュブルの真横を通り過ぎる。

 雷に打たれように走る激痛。

 血鉄の匂いに目を逸らせば、そこには彼にとって唯一の武器が消失していた。


 ――斬り裂かれたのは、ソリュブルの右腕。


 平衡感覚を失い、岩肌を転げまわった彼は中々立ち上がることができない。


「豚如きが人間に刃向うなんてぇ。本当に獣って頭が悪いのね~ん?」


 男は手近なドワーフ兵の命を二つほど奪った後、苦痛に悶えるソリュブルを見下ろし冷たく笑う。


「同族嫌悪ですか?」

「……あ゛? 今、なんつったお前?」


 しかし、唐突に自分に投げかけられた淡泊な声に、男は視線の矛先を変える。

 その視線の先で月光に照らされていたのは、金髪碧眼の魔女だった。 


「あ、すいません。あまりにも貴方が醜いので、自分も含めて獣と卑下しているのかと」

「……いいわよぉ? そんなに早く死にたいなら、ドワーフの豚どもより先に貴女から殺してあ、げ、る」

「いえ、私は死ぬつもりはありません。死ぬのは貴方の方です」

「あんまし調子くれてんじゃねぇぞぉクソアマァっ!?!?」


 男は激昂に目を血走らせる。

 彼の人生の中で、これほど馬鹿にされたことはなかった。

 より残忍に、より惨たらしく殺す。

 サード――エルフの王よりそう呼ばれる男は、彼にしては珍しく全力を持って一人の女を叩き潰すことを決意した。



「……《メタモルフォーゼ》。さて、それでは国一つ救いましょうか。世界を救った人の隣りにいられる権利へ、少しでも近づくために」



 英雄――そう世界から呼ばれる彼女にとって唯一の王のために、そしてルナもまた命を賭して一人の男の命を奪うための力を解放したのだった。




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