蒼と翠の先に映る景色
いざ法国クレスマの都アルテミスに到着した瞬間、俺はあることに気がついた。
思い出せ。
俺はここで何をやらかした?
そしてホモシャスの言葉を。
門を強行突破し、王城に単身突入。
加えて顔を仮面で隠していたため正体はバレていないと思いきや、ホモシャスの言葉から察するに、顔も名前もモロバレしているらしい。
そんなところにありのままの姿で再侵入など愚の骨頂。
英雄になる前に大罪人として投獄だろう。
だから俺は犯罪者のムト・ジャンヌダルクではなく、英雄としてのムト・ジャンヌダルクを再構築しなくてはならない。
「……あの、兄貴? 一体何してるんすか?」
「見ればわかるだろ。変装してるんだよ、変装。しかも今回は超本気モードだ」
そういうわけで現在俺はクレスマの都アルテミスにある、大きな学園の空き教室に隠れ、ちょっとしたお着替えをしているところだ。
どうも今日は休校日らしく、魅惑の女学生の姿はどこにもない。
残念なことだ。俺のリコーダーはメンテナンスばっちりだが、肝心の奏者がいない。
そしてなぜ、俺がコソコソと服を取り替えているのかというと、この格好はよく考えればかなり目立つからだ。
俺はずっとこのケイトリスペクトの全身真っ黒装備で、この姿で沢山の罪を犯してきた。
こんな真っ黒な服装のやつ、秋葉原にも中々いない。
だからここからで衣替えといこうじゃないか。
一気にイメージチェンジ大作戦というわけさ。
俺の想定しているこの世界の文明レベルから察するに、大胆に見た目さえ変えれば俺があの仮面の男だとバレないはず。
「とりあえず黒のイメージを失くすように、明るい色にしてみようかな」
とりあえず真っ白な外套を創ってみる。
案外いい感じだが、これも少し目立ち過ぎるかな。
なのでインナーを地味目な色にして釣り合いをとる。
俺にはファッションセンスがないので、確認は必要か。
「ホモシャス、これどう?」
「え? いや! いいんじゃないすか!? マジカッケェっす!」
「あ、本当? エデンはどう思う?」
「きもい」
「ですよねー」
試しに二人に感想を訊いてみるが、意見は想定通り真っ二つ。
というかこの二人、俺が何着ても同じ感想言うじゃないか?
「じゃあ髪型も変えてみるか? つかできんのかな……《髪型変われ》」
思いつきで自分の髪の毛に魔法を使ってみると、意外にも効果は見られる。
これまでは無造作ヘアーというか、量産型な短髪だったのが、イケメン以外がすると不清潔と罵られそうなロン毛になった。
「おお! パネェッ! 一瞬で髪が伸びたっすっ! これなら一目じゃムトの兄貴ってわからないかもしれないっす!」
「ええ、たしかにそうね。遠くから見たら、性別すら怪しいかも」
「マジで? おし! じゃあこれで行くか!」
しかしこのロン毛案外に評判がよく、俺は満足する。
これでまずは、俺の第一印象がだいぶ改善されただろう。
運が良ければ、やらかした方のムト・ジャンヌダルクとは別のムト・ジャンヌダルクだと勘違いしてくれる可能性だってある。
こうして俺は純白のコートに身を包む、麗しい長髪の貴公子と生まれ変わった。
「ごめん、皆待たせて」
「俺は別にいいっすよ。まあ、なんでいまさら兄貴が変装なんかしてるのかわからないっすけど」
「構わないわ。貴方の好きにすればいい」
「エデンは見た目とか興味ないし」
まったくイメチェン甲斐のない奴らだ。
惚れた濡れたの一言も言えないのか。
「それじゃあ、まあ仕事を始めますか」
勝手に拝借した空き教室をそそくさと抜け出し、俺は本来の仕事にやっとこさ取り掛かる。
ナルシー王子の話ではこの国は悪い奴らに乗っ取られていて、近いうちに戦争が起きるとのことだ。
いったいどうしてそんなことになっているのかは知らないが、とにかくそういうことらしい。
そして俺の任務はその戦争を未然に防ぐこと。
でも実際には何をすればいいんだ?
まずは情報収集かな。
この国の状況を確認しないと。
「なんか人がやけに少ないっすね」
「休みの日なんだろ。誰か話、聞けそうな人がいればいいんだけど……」
ラーはホモシャスの頭の上の方が気に入ったのか、あれからずっとそこを定位置にしている。
エデンは残念ながらもう俺の腕にしがみついてはおらず、少し後ろをチョコチョコと歩いている。
吹き抜けの廊下を冬の風が走り抜け、その度に俺は慣れていない長髪を整えた。
「あれ? あそこに誰かいるっすよ兄貴」
「ん? 本当だ。女の人だしちょうどいいや。ちょっと話を聞かせてもらおう」
「というかなんで今更アルテミスに? ホグワイツには行かなくていいんすか?」
「それは後だよ」
廊下を適当に歩いていると、広場のようなところを発見する。
その広場で、木製のベンチに座る女の人が一人。
後姿から察するとかなり美人さんだ。
この世界では女性の後姿詐欺がないことはすでに知っている。
俺は頭にお団子頭を作ったその女性に近づいていく。
「あの~、すいません~?」
「あら? どうしたんですか? 今日は学園は休みですよ?」
振り返った女性は抜群な愛らしさを誇っている。
胸もしっかりと大きくてベリーグッドだ。
だが寝不足、というか半分寝ぼけているのか、目がほとんど閉じている。
雰囲気的に教師かな?
女教師というよりは保育士の方が似合いそうだけど。
汗とか舐めたらミルクの味しそうだし。
「ごめんなさい、私昨日は徹夜をしてしまっていて……」
「ああ、そうだったんですか。でも大丈夫ですよ。少し教えてもらいたいことがあるだけなので」
何やら力仕事をした後なのか、団子頭さんのワイシャツが少しはだけていて、官能的な割れ目がちょっとだけ覗いている。
あの溜まった汗拭いてあげたいな。
というかペットボトルで売って欲しいな。
本気で頼めば少しくらいわけてくれそう。
「痛いっ!?」
「質問……するんでしょ?」
俺が煩悩に囚われそうになると、突如皮膚を思い切りつねられる。
痛みの方向を振り返ると、エデンが見たこともないほど優しい笑顔で俺を見つめていた。
うん。余計なことを考えている場合じゃないよね。
わかってるよ。職務をまっとうするよ。
「うっわ……谷間パネェ痛いッ!?」
「失礼よ」
向こうも向こうで、何やら痛みを持って正気を保っているようだ。
あのホモシャスと行動パターン同じとかちょっと嫌だな。
「え、えーと、教えて欲しいことはですね。……この国で最近、戦争とか起きそうな、気配ってあったりします?」
「戦争ですか?」
今にも睡魔に敗北しそうな声で、お団子頭さんは首を傾げる。
質問するには不適合な人だったかもしれない。
まあ可愛いからいいけど。
「何を言ってるんですか。戦争ならちょうど今日じゃないですか。もう今頃、ヘパイストス平原でアミラシルと戦争を始めている頃でしょう」
「えぇっ!? もう戦争始まってるんですか!?!? あの、詳しく話を――」
「ああ、本当に残念です。私たちはあの子を止めることができなかった。レミジむにゃむにゃ……」
「って寝た!?」
衝撃の事実だけを俺に晒した瞬間、お団子頭さんはとうとうベンチに倒れ込んでしまう。
なんでこんな極限状態で、暢気にベンチなんかに座ってたんだこの人。家帰れよ。
しかし今やお団子頭さんのことを心配している場合ではなくなった。
戦争を未然に防ぐはずが、もう始まってるとは。
これは致命的ミスだ。なんとかしないと。
「寝ちゃいましたけど、これからどうするんすか兄貴?」
「そうだな。とりあえずホモシャスはこの人を保健室かなんかに運んで来てくれ。この季節に外で寝てたら風邪ひくからね」
適当な指令を飛ばしながら、俺は性能の悪さ折込つきのマイブレインを必死でこねくり回す。
たしかヘパイストス平原って言ってたよな?
覚えてる。覚えてるぞ。
ヘパイストス平原は俺がケイトやクレハたちと横断した、あのなんもない平野のことだ。
俺には転移魔法が使える。
まだギリギリ間に合うか?
「そうだな。やれるだけやってみよう。……ホモシャスとエデンはこの人を保健室まで運んだら、適当にどっかで待っててくれ。俺はちょっと戦争地帯まで行ってくるから」
「あら? 一人で行くの?」
「きも。エデンはここに置いてくつもり?」
ラーが猫眉を曲げ、エデンはあからさまに不満な様子だ。
だけど戦争地帯なんてどう考えても危険な場所に、なんの取り柄もないチャラ男、エロ猫、ビッチを連れて行ったって仕方がない。
むしろ俺だけ、というかジャンヌ一人の方が事が上手く運ぶ気がする。
「いや、たぶん俺一人で十分だから。ちゃちゃっと戦争終わらせて、すぐに戻ってくるよ。そしたら皆でホグワイツ王国に向かおう」
「一人で十分とかマジパナいっすね……ってあれ? ちょっと待ってください? 今戦争止めるって言いました?」
「きーも。それでエデンのこと忘れたら、マジキレるから」
「わかってるって。大丈夫。すぐ戻る」
それにしてもいよいよ戦争か。
本当に俺で止められるだろうか。
最強な相棒を信頼はしているが、不安はやっぱりある。
たしか今のクレスマの国王はレミになったと言っていた気もするが、戦争にも出陣しているのかな?
いや、それはあり得ないか。
最前線に最高位者が出るとかまずない。
「それじゃあちょっと行ってくるね。皆はこの人をよろしく」
今この瞬間も、あの灰の大地を誰かの血が濡らしているかもしれない。
そう考えると不思議と気が焦った。
俺っていつの間にこんな正義感強くなったんだろう。
「《ヘパイストス平原へ》」
余計なことを考えるのを止め、俺は身体を委ねる。
戦争に繰り出されるのなんて、ほとんど男だろう。
だけどやらねばなるまい。
だってこの世界を選んだのは俺だからな。俺の理想の世界を血みどろにさせてたまるかってんだ。
でも女兵士もちょっとくらい、いるといいな。
――――
「これは一体どういうことだ……?」
「…人の気配がしない」
世界中でも最たる歴史を持つホグワイツ城に辿り着いたメイリスたちだが、平常時とは明らかに逸脱した様子に困惑を隠せないでいる。
後景の盤上に区画された街並みには生活感が窺えるが、陽気な市民も、呼び掛け盛んな商人も、秩序の象徴である兵士も、いまやその姿はどこにもない。
人だけが綺麗に抜き取られた、空っぽな街がそこには広がっていた。
「うぅ、なんか凄い薄気味悪いです」
「王城の目の前にまで来ているのに、見張りの一人もいないわね」
不自然な静寂の中、レウミカは周囲を見渡してみるが、別段不可解なものを見つけることはできない。
自明の動揺を露わにするマイマイは、底知れぬ危機感を持って、言いようのない不安を紛らわせることに必死だ。
柑子色の城壁は語らず、野鳥の一匹すら羽ばたく姿を見せてはくれない。
「進むしかあるまい。ホグワイツ城に入るぞ」
「…嫌な感じ」
「大丈夫なんですか? これ本当に大丈夫なんですか? やっぱり自分以上のビビりがいないと、めちゃくちゃ不安になりますね」
門を通り抜け、慣れた足取りでメイリスが先導していく。
メイリス・カエサル、ユラウリ・カエサル。
王家に生まれた彼女たちにとっては、帰郷に等しい行為の最中だったが、心が休まることは微塵もない。
残りの二人以上の焦燥感に、彼女たちは急かされていた。
「兄上がご無事だといいが」
「…兄様はへっぽこだから心配」
ガイザス・シーザー・カエサル。
現ホグワイツ国王であり、実の兄である男をメイリスたち二人はそれぞれ思い浮かべる。
魔法に関しては規格外の才を持って生まれたメイリスやユラウリとは違い、ガイザスはあらゆる点で凡庸だった。
魔力は人並み、剣術に優れるわけでもない。
しかしガイザスは慕われていた。
国の民、そして二人の妹から。
卓越した危機管理能力、類まれなバランス感覚、生まれ持っての穏やかな気質。
力こそないが、王にとって必要な条件をガイザスは満たしていたのだ。
「さて、それでは入るぞ」
尊敬する兄の治める国の昭然たる異変。
王城の内部へと続く大扉の前に立つと、メイリスが一呼吸つく。
地を引き摺る重軋音とともに、大扉を開け放っていった。
「む? 暗闇? 何も見えないが……」
扉の先に広がっていたのは不明瞭な闇。
ひっそりとした街と同様の静寂と、見通せない漆黒が城内を満たしているようだ。
進まなければ仕方ない。そうメイリスは闇に向かって一歩踏み出す――、
「……っ!? しまっ――」
――が、その瞬間、扉の中から触手のような得体の知れない何かが飛び出し、メイリスを一瞬の内に拘束し城の内部に引きずり込んだ。
あまりにも咄嗟の出来事。
そこにいる誰一人として反応することができない。
「…姉様っ!」
「嘘っ!? なんなんですか今のっ!? 超気持ち悪いんですけどっ!?!?」
「また来るわっ!」
メイリスが突然闇に飲み込まれ消え、残された三人は予想外の出来事に動きを止める。
だがその隙を狙ったかのように、もう一度正体不明の触手が獲物を狙う。
レウミカが注意を喚起するが、それも間に合いはしない。
「やだっ! 超気持ち悪いで――」
「…速い! せめて一人だけでも――」
マイマイを中身にする黄金の全身甲冑が巻き取られ、やはり闇の中へ。
ユラウリは無詠唱で転移魔法を使おうとするが、すでに触手に捕まっていて効果が意味をなさないことに気づく。
そこで発動する魔法の種類を変え、彼女は希望を残すことにした。
「ぐっ!」
ユラウリが無詠唱で最後に発動させたのは中級水属性魔法。
高速の水弾をレウミカに当て、城外まで弾き飛ばす。
その結果、ユラウリの思惑通り闇の触手はレウミカを捉えることに失敗した。
メイリス、ユラウリ、マイマイの三人は闇に支配されたホグワイツ城に取り込まれてしまったが、かろうじてレウミカだけはそれを免れたのだった。
「はぁ……はぁ……」
城門の前に吹き飛ばされたレウミカは呼吸を整えながら、ゆっくりと立ち上がる。
頼りの賢人は二人とも謎の触手によって囚われ、それはムトのメイドを名乗る少女も同じ。
「はぁ……助けてもらった責任を果たさないといけないわね……」
残された自分が何をすべきか。
やがてレウミカは踵を返し走り出す。
彼女が為すべき事として選んだのは、この状況を他の誰かに伝えることだった。
「あれ。こんなところにも侵入者がいますね」
「ん~~~? 本当だぁ~~~! これは僕チンたちがどうにかした方がいいかもしれないねぇ~~~!?!?!?」
だが、使命感に走り出したレウミカの前に立ちはだかる二つの影。
一人は金髪をポニーテールに纏めた少女。
もう一人は鳥を倣った仮面をつけた大男。
味方ではない。
レウミカはすぐに断定する。
「でも僕チン、アイランド君に呼ばれてるし~~~! そうだぁ~~ルナ君一人にここ任せていいかなぁ~~~? ルナ君って
「はい。別に構いませんよ」
「じゃあよろしく~~~!」
レウミカが局面を打開する方法を考えている間に、しかし大男の方が離脱し別の場所へ向かって行った。
軽んじられている。
でもそれは幸運。
レウミカは決意する。
屍を踏み越えていくことを。
「それでは、というわけで死んでもらって構いませんか?」
「悪いわね。私はこんなところで死ぬわけにはいかないのよ」
眠たげに半開きの蒼い瞳が、レウミカを見つめる。
辿り着きたい場所がある。
使命以前に、今のレウミカには行きたい場所があった。
そこへ辿り着く前に、倒れるわけにはいかない。
「私には目指す場所がある。だから貴女にはここで倒れてもらうわ」
「これは奇遇ですね。実は私にも行きたい場所があるんです。だからこんなところで倒れるわけにはいかないんですよ」
ぶつかり合う視線。
至上の七振りの内の一つ、無形のメタモルフォーゼが鎌状に変形する。
魔力が迸り、強い覚悟が具現化されていく。
「貴女をここで殺し損ねれば、私が使えない駒として殺されちゃうかもしれないので。すいませんが、私の代わりに死んでください」
「私がここで死ねば、色々な人の努力が無駄になる。孤独な英雄の戦いを、私は徒労に終わらせたくないのよ」
意見は平行線。
似通った瞳、似通った決意、似通った情熱。
しかし、二人の刃は互いに向けられている。
「私はこんなところで死ぬわけにはいかないんです。私はもう一度行きたいんですよ――」
「私はここで立ち止まるわけにはいかない。追いつくために。いつか並び立ちたいの――」
地面を蹴り、風を切る。
一度認めてしまえば、もう目を逸らすことはできない。
一度転がり落ちてしまえば、もう見上げることしかできない。
譲れない思いは加速し、真正面からぶつかっていく。
蒼と翠の瞳の先に映る景色は、どちらとも同じだった――――、
「あの人の隣りに」
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