三年前Ⅴ

希望/サクリファイス



 それは嵐だった。

 どこまでも残酷で、容赦のない嵐。

 嵐はいつも突然だ。

 予感すら許さず、その猛威を奮う。

 そしてデーズリー村を襲った嵐も、他と同様に前触れはなく、逃れる術もなく、また、どこまでも凶暴だった。



「……はぁっ…に、逃げるのじゃ、ロビーノっ……!」

「馬鹿言ってんじゃねぇ……老いぼれ一人残して行けっかよ!」



 猛然と降りしきる雨。

 礫を含んだ強風を受けながらデーズリー村の村長であるジュリアス・マーキュリーは、悲劇の始まりがどこだったのかを追憶する。

 豪雨の中でも真っ赤に燃え盛る炎を眺めながら、彼女は人の皮を被った悪魔がどんどんと自らに迫ってきていることを理解していた。



「罪なき民を救済する。それこそが私の使命。存在理由なのです!」



 クレスマの紋章を印した正装を身に纏った十二の悪魔。

 隣国の兵士と同じ服装をしたその十二人を、ジュリアスは憎々しげに睨みつける。

 

「オイ糞シンプ? この村の生き残りはもうこれだけか?」

「ええ、ほとんど救済はすでに終えました」


 深い藍色の兵士が二人、前に出る。

 その内片方は女で、ジュリアスのよく知る村人頭を鷲掴みし、引き摺りながら歩いている。

 それはもはやよく知る隣人ではなく、ただの物言わぬ骸。

 ロビーノが怒りに地面を叩く。

 必死に彼のはやる気概を制止させながらもジュリアスは、自らのとるべき行動を考えた。


「かぁっー! だりぃ! この村マジ歯ごたえない奴しかいねぇっつの! ねぇ師長! 師長は何人殺ったんスか?」

「丁度十二人です。あと一人、救済しておきたいですね」


 ――グシャ、と会話を交わす悪魔の横で、前に出た女が死体の頭部を砕く。

 脳髄と粘血がこびりついた手を舌先で舐める女を前にして、とうとうロビーノの我慢に限界が訪れた。


「てめぇぇぇっっっっ!」

「待つのじゃっ! ロビーノ!」

「あん?」


 拳を振り上げるロビーノ。

 だが結局それは届くことなく、ジュリアスの予期通りの結果に終わってしまう。


「がっ……はぁっ…!?」

「へぇ? 結構タフだなお前?」


 痛烈な膝蹴りを逆に貰うロビーノは骨が体内で砕ける感触の中、次に頭部を殴りつけられ気を失ってしまう。

 ジュリアスは瞳をつぶる。

 彼女にはわかっていた。

 もう彼女の村で、意識を保っているのは自分だけだということに。


「どうしたのですか? キルフェイス? その男はまだ生きていますよ? しっかり殺してあげないと、彼を救済できないではありませんか? それとも貴女の第三師団では、生者をいたぶる習慣があるのですか?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ。第二副総帥が言ってたろ? 最低一人は生き残りを用意しろって。それがこいつ。アタシは女は全員殺す趣味があんの。だからこいつまで殺したら、全員殺っちまうことになるだろうが」

「おお! そうでした! つい救済に夢中になってしまい、グレゴアントニオ様のお言葉を忘れていましたよ!」


 吹き荒れる暴雨の中、悪魔たちは愉快そうに言葉を交わし続ける。

 ジュリアスはたった一日で、全てが変わってしまった村を孤独に見渡した。

 家々は一つ残らず燃やされ、黒い煙は暗い雲へと昇っていく。

 村中のいたるところに見知った顔をした死体が転がっていて、雨は血と炭の匂いを掻き消し切れていない。


「……貴様ら、こんなことが許されると思っておるのか? 間違いなく戦争になるぞ!」

「は? なんだこのババア? そのために来てんだろうが、アタシらは。ったく、どんだけこの時を待ったと思ってんだよ?」


 女が意地悪そうに口角を引き揚げ、ロビーノの頭部に踵を乗せる。

 ミシミシと音が鳴るたびに、女は嬉しそうに笑う。


「ちょっと師長ー。もう寒いですよー。早く帰りたいですー。殺るならさっさと殺ってくださいー」

「そうですね、ウルル! 他の救済を待つ無垢なる魂のためにも! 彼女を救ってみせましょう!」


 声高々にそう叫ぶ男は、ずっと深く被ったままだったフードを取る。

 そこから姿を見せたのは金色の髪と、灰色の瞳。



「貴様……クレスマの兵士じゃな―――」



 ――雨空に舞う紅い髪をした頭部。

 首から上を失った頭部から噴水のように血が噴き出し、雨が赤く染まる。

 ジュリアスだったソレは泥と血の混濁した水溜まりに倒れ、もう動くことも、言葉を発することも叶わない。




「さあ! 世界に救済を!」




 法国クレスマの兵装を纏った十二の影は静かに宣言する。

 

 安穏なる平和の時代が終わったことを。



 ついに嵐が、その猛威を振るい始めたことを。




――――




「おおっ! 姉さんっ! 着いた! ここがホグワイツ王国の都、ゼウスか!」

「そんなこと言われなくてもわかるよ。はしゃぐんじゃないよ。恥ずかしい」


 雲一つない晴天。

 風が冷気を運ぶ。

 賑やかな喧騒。

 商人たちが熱気を飛ばす。

 足早に行き来を寄せては引いてを繰り返す人の波。


「すっげぇっ! やっぱ都会って凄いなっ!」


 そして目一杯に広がる新鮮な景色に、嬉しそうな大声を上げるのは赤い髪の少年だ。

 甘酸っぱい果実や香ばしい肉焼きの匂い。

 これまで自分が住んでいた場所とは違った活力あふれる景色に、少年の心は逸りを抑えられない。


「あんまりうろちょろすんなよ、コノリ。まずは宝玉を売りに行くんだろ? スリにでもあったら、どうしようもないからな」

「べぇー! わかってるよ、ダンおじさん」

「こら、コノリ。ダンにそんな言葉遣い。失礼でしょ? ごめんなさいね? ダン?」

「え!? いや、構いませんよ! ミキエさん!」


 少年の言い草に顔を歪めたのは、くすんだ金髪で髭が伸びた男――ダンロップ・ハワード。

 しかし怒ろうとするダンの肩に、柔和な笑顔が特徴の女性――ミキエ・マッカートニーが手を置くと、途端にその勢いが萎んで消えてしまう。

 そんなミキエとダンの様子を見た少年は、いやらしくニヤニヤと笑った。


「ちょっとぉー、息子の前で見せつけないでよ、母さん?」

「え? そんなつもりは……」

「ば、馬鹿野郎っ! コノリお前っ!?!?」


 少年の言葉に顔を真っ赤にして口ごもるミキエ。

 そしてダンはミキエ以上に赤面を目立たせる。

 からかい甲斐のある大人たちに少年――コノリはさらに笑みを深めさせたが、死角から彼の頭上へ拳が振り落とされるとそれも泣き顔に変わった。


「痛いっ! なにすんだよ姉さん!?」

「あんたがいつまでも下らないことしてるからだよ。まったく、ダンも母さんも、コノリに一々構わなくていいのに」

「そ、そうね」

「わ、わかってる」


 大きく一つ溜め息を吐く背の高い女――クレハは、文句を垂れる弟を睨みつけて黙らせると、先頭に立って先へ進む。



「ほら、行くよ」



 そして、クレハの後に続くようにして残りの三人も駆け足気味に地面を蹴った。




――――




 まずは腹ごしらえと適当な喫茶店に入った四人は、しばしの休憩時間をとっていた。

 四人が座っても余裕のあるテーブルにいるのは、今はクレハとダンの二人。

 ミキエとコノリは甘い香りに誘われて、喫茶店内にあるお菓子売り場の方へ向かっている。


「それにしても、本当にお前らが宝玉を手に入れてたとはな」

「まあね。私も驚きだよ。自分がまだ生きてここにいることには」


 上品な苦みが特徴のニンフの紅茶を口に含みながら、クレハは自嘲が覗く笑みを見せる。

 思い出すのは、黒い髪をした心優しい青年。

 彼女はそんな彼のことを思い出す度に、無性に自分に腹が立つのだった。


「ムト・ジャンヌダルク、と言ったか? その、お前らを助けてくれた黒髪の男ってのは」

「……そうだよ。でも、あんまりその話はしないでおくれ。私にあいつのことを語る資格はないからね」


 重い沈黙。

 苦しそうな表情さえ見せるクレハに、ダンは一瞬言い淀むが、それでも話しておきたいことがあった。


「すまねぇな。お前がそいつのことを詳しく話したくないのはわかってるんだが、どうしても言っておきたいことがあるんだ」

「なんだい? あいつに……ムトに関係すること? ダンにもあいつとの接点が?」

「ああ、そうだな。接点というほどじゃないが、あいつに、そしてお前たちにも関わることだ」

「私たちにも?」


 クレハの形の良い眉が困惑に曲がる。

 しかしいつにもなく真剣なダンの表情に、彼女は佇まいを整えざるえない。


「実は、ミキエさんに渡したあの薬……おそらくあれをくれたのはそのムト・ジャンヌダルクとかいう奴だ」

「なっ!? それは本当なのかい!? ダンっ!?」

「おい!? 落ち着けよ、クレハ!」

「わ、悪いね……」


 突如身を乗り出し迫るクレハを、ダンは慌てて押し留める。

 集まる周囲の視線。

 恥ずかしさに若干頬を染めながら、彼女は咳払いで誤魔化す。


「ごふんっごふんっ……それで、母さんの病気を治してくれた薬をくれたのがムトっていうのは? たしか、得体の知れない男に貰ったって言ってたけど、まさかそれがムトなのかい?」

「ああ、お前らがあまりそのムトとかいう奴について話してくれなかったから確信はなかったんだが、おそらくそうだろう。俺も詳しく話すのは情けない問答だったけどな」

「頼むよ、ダン。詳しく教えてくれ」

「わかってる。今から話すさ」


 渇いた口を紅茶で潤し、ダンはテーブルに視線を落とした。


「俺はあいつに散々失礼な事を言っちまった。実はあの薬をもらった時、俺は見返りはおろか礼すら言えてない」

「そうか……私たちだけじゃなく、母さんのこともあいつは救ってくれていたんだね」


 静かにクレハは瞳を閉じる。

 脳裏をよぎるのは、自分にナイフを突きつけられ驚きの表情を見せる青年。

 そして、そのナイフを青年の代わりに受け止めた、もう決して会うことの叶わない少女の鋭い瞳。

 いつまで経っても消えることのない後悔の中で、彼女は拳を静かに握り締めた。


「癖のない黒髪に、明るい茶色の瞳。どうだ? 俺に薬をくれた男はムト・ジャンヌダルクだと思うか?」

「まず間違いないだろうね。私も不思議に思ってたんだ。母さんの難病を治せるような薬。たしかにあいつなら持っていても不思議じゃない」

「やっぱりか。なあ? あいつは何者なんだ?」

「さあね。とても強くて……そして誰よりも優しい魔法使いってことくらいしかわからない。でも、きっと私たちのことは恨んでるだろうね。恩を仇で返すような真似をしてしまったから」

「なるほどな。そっちも俺と似たようなもんか」


 ほんの少しだけ青年に似たところのあった少女の葬式。

 そこに彼が姿を現さなかったことを思い出しながら、クレハは重い溜め息をまた一つ吐く。

 彼は今どこにいるのだろう。

 また感謝一つ必要とせずに、誰かを救っているのだろうか。


「実はな、あの男、九賢人に追われていたようだぜ」

「九賢人に?」

「ああ。薬を貰ってしばらく経ったあと、サンライズシティに開闢の九番目が訪れたことがあったんだ」

「それは知らなかったよ。でも、もし国際魔術連盟とムト、どちらにつくかと言われたら、私はムトにつく」

「そんなもん。俺だってそうさ。ふと思い出して、口にしてみただけだ」


 言葉が途切れ、それぞれ物思いに耽っていると、賑やかな足音が聞こえてくる。

 甲高い少年の喋り声と、おっとりとした女性の笑い声。

 

「そろそろ店を出るか」

「それがいい。母さんとコノリも戻ってきたし、ちょうどいい頃合いだね」


 もし次、あの青年に会ったとき、自分は何と言えばいいのか。

 一体どんな顔をすればいいのか、どんな償いをすればいいのか。

 思いつくのは自らへの罵倒だけ。

 やがてクレハとダンは、同じ青年の泣き顔を記憶に浮かべながら、座り心地のよい椅子からゆっくりと腰を上げた。



――――――



 外に出ると、あれほどの晴天が消えていて、穏やかな風も止んでいる。


「あれ? なんだろう? この感じ?」

「どうしたんだい? コノリ?」

「いや、なんか変な感じしない? 姉さん?」


 喫茶店から出るクレハたち四人。

 しかし、コノリが外に出た瞬間に足を止め、顔を曇らさせた。

 言いようのない異変。

 周囲を見渡してみるが、嫌な気配の正体はわからない。

 

「どうしたの? コノリ?」

「母さんは感じない? ダンは?」

「さっきから何を喚いてんだお前は。ほら、さっさと行くぞ」


 ミキエの不思議そうな表情。ダンのやや苛立った様子。

 どうやら違和感のような何かを感じたのは自分だけのようだ。そうコノリは判断し、もう歩き始めている三人の背中を追おうとするが――、



「あっ! 皆っ! あれ見てっ!!!」



 ついに異変の正体をその目で見つけた。


「だからなんだってん……あ? なんだありゃ?」

「おい、これはまずいんじゃないのかい?」

「……クレハ、コノリ、私の後ろに回りなさい」


 コノリの指さす方向を見た瞬間、三人全員に緊張が走る。

 同時にざわめき始める街の人々たち。

 視線が集まる場所、明らかな不穏の下は、やはりコノリのさす指の先にあった。



「あれは一体なんだ?」



 誰かが疑問を呟く。

 しかし当然答えを返す者はいない。

 ホグワイツ城から空へ一直線に伸びる闇黒のすじ。

 一目でわかる邪悪な気配。

 自然に満ちる静寂の中、天変の時は一瞬だった。



「《闇の供物ダーク・サクリファイス》」



 ――視界の逆転。

 

 何が起きた?

 

 コノリは混乱する。

 地面が頭上に、足下には空が広がる。

 そしてひっくり返った世界の中で、コノリは絶望をその瞳に映した。



「うわぁぁぁぁっっっ!?!?!?」



 悲鳴、絶叫、叫喚。

 鼓膜を震わすのは、劈くような負の叫び声。

 気づけば視界にある、何もない空間にぽっかりと空いた黒い穴。

 そこから気色悪い触手が何本も出て、手当たり次第に近くの人々を絡み取っていく。


「嫌だ嫌だ嫌だぁっっ――」

「来ないで! やめて来ないで――」

「おお神よ、どうか導きを――」


 絡み取っては、闇に放り込み、絡み取っては、闇に放り込み、絡み取っては、闇に放り込む。

 前触れなく始まった邪悪な蹂躙。

 黒い穴は街のいたるところにあり、人々に逃げ場はない。



「コノリっ!」

「姉さんっ! 助けて――」



 ぬるりとした気味の悪い感触。

 自分がなぜさかさまになっているのかにやっと気づいたコノリだが、すでに時は遅く、自分の名を必死で叫ぶ姉の姿は加速度的に遠のいていく。


 ああ、俺はもうだめかも。


 そしてついに全てを闇に支配され、コノリの意識も深く深く沈んでいく。


 いや、そういえばこの程度の絶望、前もあったな。 


 だが彼は信じていた。彼だけは知っていた。



 もう一度、きっとあの人なら照らしてくれる――――、



 ――どんなに深い闇の中でも、光を灯してくれる英雄ヒーローがこの世界にはいることを。




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