飢えた銀狼⑦


「……やはり私は、君のことが大嫌いだわ」


 大嫌い。

 俺にとっては聞き慣れた言葉だが、何度言われてもこの心がチクリと痛む感覚は抑えることができない。

 だが今回ばかりは、この言葉を投げかけられる理由が今一つわからなかった。

 たしかに、俺は歩く公害と呼ばれるほど他者に不快感を与えることで有名だが、どうもレウミカはそんな曖昧な理由ではなく、明確な何かの感情から俺を嫌っているらしい。

 彼女に働いたセクハラは本人に知られていないはずだがなぜだろう。

 それともやはり俺の勘違いで、普通に生理的嫌悪からくる拒絶反応だろうか。

 俺がそんな疑問にのんびり頭を悩ませている間に、お喋りなメイドがご主人様の許しも得ず勝手に喋り出す。


「ちょ、ちょっとそこの人! 命の恩人に対してなんですかその態度は!? あの数の魔物を、そちら一人でもなんとかできたなら別に構いませんが、そうじゃないですよねっ!?!?」

「お、おい、マイマイ――」

「ご主人は黙ってて下さい! 今は私が話してるんですっ!」

「あ、はい。ごめんなさい」


 なぜか知らない間にプンスカ怒っているマイマイの気迫に押され、俺は小さく縮こまる。

 案の定レウミカも唖然とした表情で、突然の激昂に心底驚いているようだ。

 もちろん俺だって驚いてる。

 一体どこで我がメイドのお怒りスイッチが押されたのかまるでわからない。


「なんだかご主人とは元々知り合いみたいですけど、だからって自分を救ってくれた相手に対して悪態をついて良い理由にはなりません! 親しき中にも礼儀ありっ! まず最初に言うべき言葉は別にあるでしょう!?」

「マイマイさん? そ、それくらいで……」

「黙れって言ってんだろっ! このスカポンタンっ!!」

「ひぃっ! すいませんっ!」


 親しき中にも礼儀あり。

 どう考えてもこの言葉の意味を理解していないのはマイマイの方だが、包容力の権化として有名な俺はあえて余計な事は口に出さない。

 レウミカの様子を確認してみれば、顔を俯かせ実に暗い様相を見せている。

 これ大丈夫なのか? 

 ただでさえ低い俺の好感度が、さらに低下していっている気しかしないのが非常に恐ろしい。


「過去ご主人に一体どんなセクハラをされ、どんなトラウマを植え付けられたのかは知りません! でも何より先に感謝の言葉を伝えるべきです! ご主人は貴女の命を救ったんですよ!? 命を救うというのは尊いことなんですっ!」


 俺が過去レウミカにセクハラを働いたことを見抜くとは、マイマイには探偵の素養があるのかもしれないな。

 それにしても人形が命の尊さを説くなんて、これまた珍妙なことがあったものだ。


「……そうね。貴女の言う通りだわ。私が彼に感謝する理由はあれど、悪態をついていい理由なんて何一つない。ムト、君には心から感謝するわ、ありがとう。そして、ごめんなさい。二度も命を救われたのにあんな態度をとって」


 すると、ポツリといった感じでレウミカがとうとう言葉を返す。

 瞳は伏せたままだが、俺にも一応感謝と謝罪をしてくれているようだ。

 見たところ、嫌々言っているわけではなさそうだが、釈然としない部分は残る。

 というか大体、なんで彼女はこんなところで魔物に襲われていたんだろう。

 気になるところは沢山あったが、やっと会話に俺も参加できそうなのでとりあえず適当な口上を探す。


「あ、ああ、大丈夫大丈夫。べつに気にしてないって。それに俺の方こそごめん。うちのメイドが失礼なことを言って」

「なに言ってるんですかご主人!? 私は当然のことを言ったままです! 私やご主人がこの人に謝る理由なんて、ひとっ欠片もありませんよ!」

「ええ。彼女の言う通りよ。君が謝る必要なんてどこにもないわ。本当にごめんなさい。あんなことを言うつもりなんてなかったのだけれど……」


 顔をレウミカの方に向けるが視線は合わない。

 俺が逸らしているわけではなく、彼女がずっと俯いたままなのだ。

 マイマイはというと、もうこれ以上口を開くことさえ嫌になったのか、私は不機嫌です! というアピール満載の腕組みをしてレウミカの反対側を向いてしまった。

 なんだこの状況は。

 奇跡の再会のはずが、なぜこんな険悪な空気になっているんだ。

 俺のコミュ障パワーがこれほどとは思わなかったよ。

 そこにいるだけで雰囲気を悪くするムト・ジャンヌダルク。一家に一台、どうですか?


「それじゃあ、私はもう行くわね。改めて感謝するわ。本当にありがとう」

「え? 行くってどこに?」

「近くにもう一人私の知り合いがいるはずなの。その人のところに行くわ。元々、私はその人と二人でこの森に来ていたのよ」

「そ、そうなんだ」


 やがてレウミカは踵を返し、俺とマイマイとは反対側へ去って行こうとする。

 どうやら誰かとはぐれて迷子になっていたときに偶然俺たちと出会ったようだ。

 しかし心配だ。

 彼女はこの決して小さくはなさそうな森の中で、一体何を頼りにその知り合いとやらを探すつもりなのだろうか。

 足取りも少しおぼつかないし、俯く顔には疲れも見えた。


「まったく何なんですかあの女? 感じ悪いです! ちょっと胸が大きいからって調子乗ってます! 胸が大きい人間は性格が悪い! 私はまた一つ学びましたよ!」

「せっかくまた会えたのに……これでまたお別れなのか?」


 小さくなっていく背中を眺めながら、俺は自問自答する。

 この前の別れは、俺がレウミカから逃げた。

 そして今度は、彼女が俺から距離をとっていく。

 変わっているようで、変わっていない。

 本当にこれでいいのか?

 俺のことを嫌っている理由もわからないし、なぜこんな場所にいるのかも知らない。

 いや、駄目だろ。このままじゃ。


「俺、ちょっと止めてくる!」

「え? ご、ご主人!?」


 俺は走り出す。

 一度は俺から手を伸ばすと決めたんだ。それでもなお避けられるなら仕方がない。

 まだ小さな少女の背中に向かって俺は駆けていく。

 少しくらい彼女のことを知ろうとしたって構わないだろう。

 俺のことを知りたいなら、全て教えよう。

 

 そして、すぐにこの手は、銀髪の少女の肩に届いた。



「待ってくれっ! レウミカっ!」

「え?」



 勢い余って肩を掴むと、思わずレウミカを俺の方に向き直させてしまう。

 その際にブルンと揺れる豊かな乳房に当然目がいくが、神聖かつ強靭な精神をもって視線を透き通る翡翠に引き戻す。

 レウミカの視線がやっと合致する。

 相変わらず綺麗な瞳だ。



「俺は! き、君のことをもっと知りたいんだっ!」

「そ、それはどういう意味……」



 俺は今度はしっかりと、自分の気持ちを言葉にして伝えることに成功する。

 数秒の間見つめ合ったまま、レウミカの頬がゆっくりと赤くなっていくのを見て、俺は何か失敗している感触を覚える。

 このシチュエーション。

 俺の言った台詞。

 これじゃあまるで――、


「――なんでご主人、いきなり告白してるんですか? やっぱり胸ですか? 胸が大きいからですか?」

「ピャーーー!?!? ち、違うっ! そういう意味で言ったんじゃないんだってこれは!!!」

「あ、あのできれば肩を離してくれると嬉しいのだけれど……」

「ごごごごめんなさいっ!!!!!」


 俺が慌ててレウミカから詰め過ぎた距離を取ると、彼女は口元に手を当てまたもや俯いてしまう。

 最悪だ。

 完全にやらかした。

 どうしてこう上手くいかないんだろう。

 悪いのは誰だ。

 決まっている。

 あのほんのり赤いプルンとしたレウミカの唇だ。

 奴が俺に混乱の魔法をかけたに違いない。


「ほ、ほら!? あれだよあれ! またさっきみたいな魔物に襲われたら危ないだろっ!? だ、だから、その知り合いに人に会えるまで、護衛てきなことをしてあげようと思ってさっ!?!? 俺、転移魔法使えるし、その知り合いの人のことを教えてくれれば、さ!? な!? わかるだろうっ!?」

「そ、そういう意味だったのね。少しだけ驚いてしまったわ」

「本当にそういうつもりで声かけたんですかぁ? ご主人? 私の耳がたしかなら、どうも知りたがっていたのは、その知り合いの人のことじゃなくて、そこのデカ乳女のことのような気がしたんですけどぉ?」

「き、気のせいに決まってんだろ? 俺はただせっかく助けたのに、俺の知らないところでまた魔物に襲われたら寝覚めが悪いなと思っただけだよ!」


 はい。強がりました。

 まったく当初の予定にないこと口走りました。

 もうレウミカの事情凄い聞きづらくなりましたね。

 でも仕方がないんですよこれは。

 もうね、だってね、この流れでなんで俺のこと嫌いなんですかなんて尋ねたら、それはもう告白ですよ、告白。

 普通に嫌われて避けられるのと、告白に失敗して避けられるのは、これまた別物なんですわ。

 知ってましたか? 皆さん? 


「でも探知魔法なんて使えるんですか? ご主人? だってその乳女の知り合いとやらの魔力の波長、ご主人は知らないですよね? どうやってその人を探すつもりなんですか?」

「そうね。そこの貴女の私に対する呼称には、かなり言いたいことがあるけれど、概ねその指摘には同感だわ。魔力探知の魔法と転移魔法とやらを、私のために使ってくれるというその申し出は嬉しい。でもどうやって探知するつもりなの?」

「そ、それは、なんか手掛かりとかない?」

「手掛かり? そうね……」


 魔力探知の魔法。

 口から適当に言ってみた言葉だが、たしかにどの魔力を探知すればいいのかわからない。

 さすがのジャンヌも一切の記憶、手掛かり無しでたった一つの魔力を見つけ出すことはできないか。

 

「実は私が探しているその人は、九賢人といってそれなりに有名な人らしいのだけれど、九賢人の魔力に心当たりはある?」

「九賢人? ごめん。わかんない」

「そう……じゃあ――!? ちょっと待って? そこの貴女がしているその指輪はなに?」

「え? 私ですか?」


 頭を悩ませるレウミカは、突如マイマイを鋭い視線で射抜く。

 ついにこれまでの失礼な言動の鬱憤を発散させようとしているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 蒼く煌めく宝石が飾れた指輪。

 真剣な面持ちで、彼女は俺が知らぬ間に持っていた指輪を注意深く見つめていた。


「この指輪は最初から……というかご主人が知ってるんじゃないですか?」

「ん? あ、ああ。そうだな。それは俺がどっかで適当に拾ったやつだよ」

「……少し、触らせて貰っても構わないかしら?」

「ご主人?」

「俺? いやべつに構わないけど」


 なぜか俺の許可を確認してから、マイマイは渋々とレウミカへ指輪をした手を差し出す。

 この指輪が一体どうしたのだろうか? 

 指輪を観察するレウミカのことを、俺は間抜け顔で眺め待つ。


「……間違いない。これは、賢者の宝玉と呼ばれる、九賢人だけが持つことを許された代物よ。彼女も同じような指輪していたわ。この魔力の波長、そっくりね」

「そうなの? なんか凄いの?」

「正直言って凄いなんてものじゃないのだけれど……拾ったというのは本当なの?」

「え? た、たぶん」


 九賢人? 賢者の宝玉? 

 またもや俺の勉強不足のツケが回ってきたようだ。

 というかこの指輪相当ワケありっぽいぞ。

 本当に何で俺はこんなものを持っていたんだ?


「まあいいわ。君に話せない事情があるのはいつものことだから。それで、この宝玉と似た波長を探すことはできるかしら? もし可能なら、おそらくそれで私の探している人物は見つけ出せるわ」

「そ、そうなんだ。わかった。試してみるよ」


 なんだか結局よくわからないが、どうやらこの指輪に付いた宝石の魔力を探ればいいらしい。

 ジャンヌを呼び起こし、俺は自らの目的を伝える。


「(ジャンヌ、この宝石と似た魔力を探せるか?)」


【ああ、可能だ。……この宝石を除いて八つ。八つあるな。そしてその内四つと二つはそれぞれ固まっていて、残り二つはそれぞれ独立している】


 寝起きにも関わらず、ジャンヌはいつも通り仕事が早い。

 正直先ほどなぜ、レウミカの所に転移されたのかいまだによくわかっていないが、どうせ何かしら失敗しているのは俺の方だろう。


「八つ感じるんだけど、その内四つと二つがそれぞれ固まってて、残り二つがそれぞれ独立してる感じっぽい」

「八つ? それって世界全てを探知したってことに……いえ、今は関係ないわね。あの人はたぶん一人でいるはずだから、そうね。その独立している二つの反応で、とりあえずここから近い方に連れて行ってくれないかしら?」

「おっけー。了解」


 これでレウミカをその知り合いの人のところに連れて行ったら、結局またお別れになってしまう。

 しかし、それもまた仕方がないか。

 一度再会できたんだ。

 二度目の再会があってもおかしくはないはず。

 次、会ったら、今度こそレウミカのことを色々教えて貰おう。

 べ、別に、今更、自分が嫌われている理由を知ることにビビり出したわけでは決してない。


「(その独立している二つの反応の内、ここから近い方に俺たち三人を転移させてくれ)」


【叶えよう】


「それにしても、さっきから何を一人でブツブツと話しているの?」

「探知魔法を使うときはいつもこうらしいですよ」


 俺が大きく咳払いをすると、レウミカとマイマイも大体の準備が整ったことを理解したらしい。

 すると胸の中に暖かい感覚が沸き上がってくる。

 俺の意識は薄く、透明になっていく。

 だけど次の目覚めた時に見える景色も、どうせこの何の面白味もない森景色なんだろうな。



「よし、行くぞ。二人とも」

「了解です!」

「感謝するわ」



 白光が俺たちを包み込む。その瞬間、俺の意識は消失し、短い眠りにつく。

 そろそろ俺たちは、この森を出ようかな。

 やっぱり最初は墓参りがよさそうだ。




「……ん? ここは……」




 数秒後、ゆっくりと自分の物に戻る視界に映っていたのは、青一色に染まる一面の海。

 風には生臭い潮の匂いが混じっていて、ずいぶんと懐かしく新鮮な気分にさせてくれる。

 墓参りの次は、一度海を見に行くのも良いかもしれない。

 記憶に間違いがなければ、この世界にも海は存在しているはずだからな。

 視界一杯に映る大海原。

 この世界の海も、こんな風に蒼いのかな。


 っては? 俺の瞳に映っているこれは一体――、



「お前……レウミカなのか?」



 ――誰かが俺たちの方に声をかける。

 かなり渋めの男の声だ。

 そちらへ顔を向ければ、知らないはずなのに、どこか見覚えのある顔が驚愕を俺たちに見せつけていた。



「……お父さん?」



 返答代わりに、声を漏らしたのはレウミカ。

 しかしそれもいまやどうでもいいことだ。

 俺に眩しく照りつける太陽が、やけに久し振りに思える。

 どうやらこの世界でも海は青いらしい。

 それを教えてくれる浜辺の上で、俺は強い風に煽られていた。



 ……ちょっとごめん。


 マジすいません。


 ここ、どこすか? 




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