No.13 スプリング・バード



 これは悪夢だ。

 口の中に入った土泥を吐き出しながら、ヒバリは終わらない悪夢に絶望していた。


「もう一度だ」


 地面に這いつくばるヒバリの前に立つのは、黒い髪に黄金の瞳という組み合わせの青年。

 彫りが深いわけではないが、鼻筋の通ったはっきりとした顔立ち。

 少し長めの前髪のせいか、やや幼くさえ見える。

 しかしその青年の風格はどこか超然としていて、瞳の鋭利さには恐怖すら覚えた。


「剣を拾え。もう一度だ」


 青年は淡々と言葉を繰り返す。

 ヒバリは言われた通り、近くに転がっていた愛刀を手に取り立ち上がった。

 冷たい風が、汗を乾かす。

 これまで何回もそうしたように、ヒバリは剣の切っ先を青年に向けた。


「来い」

「《魔力纏繞》!」


 無色の鎧を身に纏い、ヒバリは足を踏み込む。

 青年は動かない。

 ヒバリは致命傷を狙い、無防備に晒された首筋の刃を叩き込もうとする。


「遅い」

「ちっ!」


 ついに刃が届くと思った瞬間、青年が動いた。

 流れるような動作で後退。

 距離が開く。

 回避されることは想定済みだったヒバリは、ここで更に前に踏み込んでいく。

 振り切った剣の勢いはそのままに身体を一回転させ、次は青年の胸元を狙う。


「思考が、遅い」

「なっ!?」


 だが今度は剣を振り抜くまでもなく、その前に足を払われ体勢を完全に崩されてしまう。

 その瞬間、青年の持つ片刃の剣が煌めき、容赦なくヒバリの下腹部を真一文字に切り捨てる。


「がばぁ……っ!」

「私が動いてから次に狙う部位を狙うのでは遅い。後方に回避された場合、左右に回避された場合、上下に回避された場合、防御された場合、ありとあらゆる想定を常に行い、常にその先を行け」


 飛び散る血飛沫。

 あまりの痛みと衝撃、さらには心的ショックによってヒバリの意識が薄まっていく。

 霞む視界の中、ヒバリは手から剣を握る感覚がなくなっていくことを悔しいと思った。





「もう一度だ」


 これは悪夢だ。

 ヒバリは一切の傷の見当たらない下腹部を手で擦りながら、近くに転がっているはずの剣を探した。


「剣を拾え。もう一度だ」


 すぐにヒバリは目当ての剣を見つけ出し、しっかりと利き手でその柄を握り締める。

 痛みはなく、思考は限りなく明瞭。

 息を整えながら立ち上がり、汗一つ浮かべない青年の顔を真っ直ぐと見すえた。


「来い」

「……《魔力纏繞》!」


 身体の奥から力が沸き上がり、自分を包み込んでいく。

 ヒバリは全能感にも似た感覚の中、まずは一歩踏み出す。

 初撃は突き。

 鋭く尖った剣先を胸元目がけ突き出す。


(避けられる……左に!)


 剣先から身体を左に逸らす青年。

 すかさず剣を握っている右手の親指を、内側から外側へ変える。

 振り切ることなく、最小限の動きで矛先を移す刃。

 ヒバリは呼吸することすら忘れて剣を振るおうとする。


「拙い」

「えっ!?」


 しかし剣閃の方向がまさに変化しようとした瞬間、剣が宙で力を失うその刹那、ピタリと青年の剣が当てられ、小風に押されたかのように易々とヒバリの剣が弾き飛ばされる。

 

「ぐばぁ……っ!」

「思考しているのは貴公だけではない。相手もまた思考を続けている。相手の考えを意識しろ。相手の取り得る手を全て把握しろ。常に相手の想像を超えていけ」


 背中を袈裟に斬り裂かれ、真っ赤な血が地面に降り注ぐ。

 いつの間に回り込まれたのか、背後から聞こえるアルトの声に驚きを覚える。

 血が足りないのか、また意識が混濁の一途を辿るのがわかる。

 気づけば剣は手から零れ落ちていて、ヒバリはそれを寂しいと思った。




 

「もう一度だ」


 これは悪夢なのだろうか。

 痩せた大地に仰向けになるヒバリは、悪夢にしては澄み渡っている空を不思議に思う。


「剣を拾え。もう一度だ」


 ゆっくりと上体を起こしたヒバリは、すぐ足下にあった剣をそっと手にする。

 何度落としても、最後はこうやって手に収まっている自分の愛刀。

 剣自体はそれほど特別なものではない。

 どこの街の鍛冶屋にでも売っていそうな、何の変哲もない両刃の片手剣だ。

 身体についた土埃を落としながら、ヒバリは静かに立ち上がった。


「来い」

「……《魔力纏繞》」


 何度口にしたかわからない無属性魔法の詠唱。

 理由はわからないが、肉体の内側、外側を巡る魔力の量、質と両方が、これまでより高まっているように感じた。


(考えろ……考えろ……)


 ヒバリは動かない。

 涼やかな無表情で立つ青年を注意深く観察しつつ、自らの神経を研ぎ澄ましていく。


(剣は右手に持ち……左足は若干前……理想の動きは……)


 身に纏う魔力が最高潮に達したところで、ヒバリはやっと足を踏み出す。

 剣を左下に構え、やや前傾のような姿勢で間合いを詰める。

 その動きに対し、青年も右足を一歩分、斜め前方に出そうとした。


(右足を踏み込み……オレの剣が勢いに乗る前に上から叩き潰そうとする……)


 青年は剣を掲げ、間髪入れずに振り落とす。

 空気の斬り裂かれる旋音を耳にしながら、ヒバリはそのままに前に突き進む。

 遅れて振り抜かれ始めたヒバリの剣はあまりに微力で、重力すら味方につけた青年の刃に敵うようには思えない。

 

(……集中っ!)


 それでもヒバリは一歩前にさらに踏み込んでいく。

 刃と刃が接近し、ついに交わる。


 

「はあああああっっっっ!!!!!」



 だが衝突の音は一切なく、代わりにヒバリの咆哮が天をつく。

 真っ直ぐに振り落とされた青年の刃と、迎えうったヒバリの刃の接触面積は最小で、引き擦れる甲高い音が響き渡った。


(角度を固定……圧し掛かる力全てを受け流す……!)


 自らの剣で歪な傾斜をつくりだし、青年の一撃をそこで滑り落とす。

 身に受ける力は最低限のはずにも関わらず、手首に凄まじい負担がかかり、骨が軋む音が聞こえる。

 それでも剣を手から離すことはなく、指に力を込め、剣先を大地に埋めた青年の顔を見る。


(……笑ってる?)


 微かに、ほんの微かに上がっている口角。

 これまで一切の無表情を保っていた青年が笑っている。

 少なくともヒバリには、そう見えた。



「弱い」



 空いていた青年の左手が動き、今度こそ首筋に叩き込まれようとしていたヒバリの剣刃にかざされる。

 そしておもむろに人差し指を親指に引っ掛けると、思い切り弾き飛ばした。

 

 ――ゴキュ。


 指先はヒバリの剣の腹を的確に叩き、同時に右肩から嫌な鈍い音がする。

 痺れたような感覚に眉を顰めれみれば、なにかに引っ張られたかのように剣先は宙に向けられていて、自らの右腕があり得てはいけない方向に捻じれ曲がっているのがわかった。


(意味わかんねぇ……むちゃくちゃだろ……)


 次の瞬間には痛烈な膝蹴りを顎にもらい受け、視線までも真っ青な空に強制的に方向転換させられてしまう。

 酩酊状態のように揺れ動く意識の中で、視界に空白が増えていく。

 しかしそれでも、たしかに自分の手はまだ剣の握ったままで、ヒバリはそれを嬉しいと思った。





「お疲れ様です。大丈夫ですか?」


 慈しみを感じる穏やかな声に目を覚ませば、茜色に染まる空が目に入った。

 ヒバリが慌てて立ち上がり隣りに目移せば、そこには蒼髪の少女、マイマイが心配そうな顔で覗きんでいた。


「あれ、マイマイさん。ムトは?」

「ご主人は向こうでテントを張ってます。今日の分の鍛錬は終わりみたいですよ」

「そうなのか」


 オリュンポス島からこの荒山に転移し、鍛錬という名の悪夢が始まってからもう半日は経っていた。

 日はとっくに沈み始めていて、もう目を凝らせば月が昇ってきているのも見える。

 

「それにしてもヒバリさんもよくやりますね。気絶しては魔法で回復させられて、気絶しては魔法で回復させられて、気絶しては魔法で回復させられる。私だったら頭がヘンになりそうです」

「オレ、なんか夢中だったから。相手がムトだし、凄い格上ってのはわかってるけど、死ぬことはないっていう変な安心感があってさ」


 ヒバリの言い渡された模擬戦闘のルールは至極シンプルだった。

 ただ一太刀食らわすことができれば終了。

 肉体の治癒を司る光属性の魔法も使用可能なため、殺す気で、また死ぬことを恐れず挑めというのがヒバリの受けた言葉だ。


「それでどうですか? ご主人には勝てそうですか?」

「いや、それは絶対無理。ほんとうに人間なの? あの人?」

「私の個人的な意見ですが、たぶん違いますよ」


 だが想像通り、いや想像以上にこの模擬戦闘は困難なものだった。

 どんなに傷を負っても、どれほど魔力を使用しても、全快してもらえるため肉体的な疲労はないが、精神的疲労が尋常ではなかった。

 あらゆる手を使っても、何度挑戦してもほとんど一瞬で意識を刈り取られてしまうのだ。

 一太刀を浴びせる前に、まともに闘うことすら不可能に近い。

 元来鍛錬、修行といったものが嫌いではないためヒバリはなんとか続けられたが、さすがにこれが何日も続くとなると気が重くなった。


「あとなんか普段と全然雰囲気が違うんだね。本当に最初は別人かと思った。いつもはヘラヘラしててなんとなく気持ち悪い感じだけど、魔力を纏うと、まさに英雄って感じになる」

「そうなんですよ。ご主人はやればできる人なんです。実際普段のご主人が嫌ってわけではないですけど、戦闘モードのご主人はカッコいいですよね」

「う、うん。かっこいいよな。ちょっと怖いくらいに」

「ギャップ萌えでも狙ってるんですかね? まったくあざといご主人です」


 初めの頃こそ険悪だったが、今は主にマイマイの態度から刺々しさが抜け、二人は友好的に喋れるようになっていた。

 二人そろって離れた場所で焚き木やらの準備を進めるとぼけ顔の青年を見つめる。


「まあ普段のムトも、なんというか、安心感みたいなのがあっていいんだけどさ」

「……そうですね。悪くは、ないです」


 ヒバリは自分の手をじっと見つめる。

 傷ひとつない、綺麗な手だ。 

 回復魔法のおかげで体調もどちらかといえば好調だ。

 そのせいか、ヒバリは自分の変化を自覚できない。


「……ムトは凄いな。あれだけ長時間戦い続けて、オレにも魔法を何度もかけたのに、全然疲れてるように見えない」

「まあご主人は人外ですからね。あ、駄目ですよ、ヒバリさん。アレと自分を比べちゃ」


 ヒバリの表情にかすかに雲がかかったことにマイマイは目ざとく気づく。

 弱さは罪ではない。

 そうわかっていても、自然と比べては自嘲してしまうのだ。 

 空気の冷たさが増し、夜の訪れを肌で感じる。


「……なあ、マイマイさんはどうやってムトと知り合ったんだ?」

「え? あー、それは、ちょっと中々に説明しにくいものが……」


 ふと気になったことを何の気なしに尋ねてみると、意外にも狼狽えた反応が返ってくる。

 色々と文句を言いつつもご主人と慕うくらいだ、何か明確な理由があって付き添っているはずだとヒバリは考えていた。


「……ムトと結婚、してるわけじゃないよね?」

「は、はいぃっ!? け、けけけけ結婚っ!? してませんよもちろんいきなりなに言ってるんですかそんなのあり得ない!」

「指輪してるから、そのてっきり。でもやっぱり違うよな。メイドだし」

「当たり前ですっ!」


 発汗に顔を赤らめ、マイマイは必死で否定する。

 左手の薬指に深蒼の宝石を装飾した指輪があったので、適当に思いつきを口にしてみたがどうやらそれは違うらしい。


「そ、それでヒバリさんはどうなんですか? 今日のご主人との鍛錬で、少しは強くなった感じします?」

「……いや、それも全然。オレはやっぱ弱いなって思う。オレは無力だ。冬の涸れ木さ」


 話題を変えようと話を元に戻すが、そこでマイマイはしまったと思う。

 慌てて彼女はヒバリを励まそうとする。


「あー、えと……大丈夫ですよ、ヒバリさん」

「ありがとう、マイマイさん。慰めてくれて。気休めでも嬉しいよ」

「気休めなんかじゃありません。あの、そのだから、あれです。春は必ず来ます」


 マイマイは必死で言葉を紡ぐ。

 彼女の信頼する穏やかな顔が特徴の青年に、どことなく似ているヒバリの沈んだ顔を見るのが嫌だったから。


「今は力が無くても、必ず変われます。冬の間は緑が無くても、春がくれば花が咲き、緑溢れる大樹になれます!」


 冷え切った手を突然握りしめられ、ヒバリは少しギョッとする。

 しかし伝わってくる温もりが、真摯な思いを表していた。 


「マイマイさん……ありがとう。そうだよな。オレが変われるって思わなきゃ、変われないよな。いっつもウジウジしちゃって、ほんと自分が情けない」

「そうですよ。ファイトです、ヒバリさん!」


 力強く頷くヒバリを見て、マイマイはやっと安心する。

 どこかの誰かに似て、手のかかる子だ。

 そんなことを彼女は一人考えていた。



「ムトには魔法をかけてもらい、マイマイさんには言葉をもらった。これで変わらなきゃ男じゃないぜ!」

「いや、男ではないじゃないですか」

「……え?」

「……え?」



 ふいに見つめ合う二人。

 困惑気に瞳を揺らすヒバリに、マイマイは一人思う。


 やっぱりどこかの誰かに似て、手のかかる娘だと。




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