三人目の旅人



 リーンリーンと、鈴虫の鳴く声が鼓膜に響く。

 そういえばよく婆ちゃんの家に泊まった時に聞いたな、この鳴き声。

 俺がお婆ちゃんの家に一緒に住もうと思った矢先、大好きだった婆ちゃんは唐突に心臓発作で死んじちまったんだよな。

 もしあの時婆ちゃんが死んでなかったら俺は今頃、田舎で悠々自適に畑仕事して、大好きな婆ちゃんと一日中たわいもないお喋りをして、田舎のエロ娘とあんな事やこんな事して……。


 俺は頬が濡れている事に気がついた、泣いていたのだろう。

 そしてゆっくりと瞼を開く、すると視界いっぱいに輝く星々に埋め尽くされた満天の夜空が広がる。



「綺麗だ」



 こんなに純粋な気持ちになったのは久しぶりだな。

 なんといっても小学校三年生の時にマイ・フェイバリット・スポーツを発見してからというもの、俺は常に邪な事ばかり考えて、下半身の赴くままに生きてきたからな。

 でも本当に綺麗だ。

 こんな星空が見える場所まだ日本にあったんだな。


「……ってん!?」


 いや待ておかしくないか?

 星空? 何で俺外で寝転がってんの?

 というか俺東京在住だよね? 濁り切った東京の残念な空はどこにいったの?


 俺はガバッと身を起こすと身の辺りの景色を見て思わず息を飲む。


「そうか。俺は……」


 右を見渡せば何もない草原、左を見渡してもただただ広がる大草原。

 俺は二つの草原の間の土が剥き出しになっている所、恐らく歩道だろう、にどうやら寝転がっていたようだった。

 闇夜の空をよく見回すと月らしきものが二つほどあるのがわかる。

 俺は自分の記憶を完璧に思い出し、自分が今置かれている状況をしっかりと完全に理解した。



「ここは異世界……俺は本当に転生したんだな」



 心臓がドクンドクンと波打つのが感じ取れる。

 俺は居ても立ってもいられなくなって、両足に力を込めてすくっと立ち上がった。


「ん?」


 すると俺は自分の視界に大きな違和感を覚える。

 そう、何と言うか、視界がいつもより広い?


「違う!!!」


 そして俺は違和感の原因に思い当たり、思わず狂喜の声を出してしまう。


 俺の身長が伸びてるんだ。


 自分の顔をペタペタと触ってみると、鼻が高くなっていて髪もサラサラになっている事が判明する。


「イケメンになってる!!!」


 身長の伸びも相当なものらしく、着ていたジーパンの裾が足りずにぱっつんぱっつんになっていて、黒のTシャツが前世以上にピチピチと体に張り付いている。

 俺は自然と顔が弛んでだらしない笑みを浮かべてしまう。

 だがきっとそんな俺の怪しげな微笑みも昔みたいに気持ち悪くはなく、それなりに絵になったものになっているんじゃないか?


「鏡ないかなぁ?」


 一刻も早く自分の顔を拝みたい。

 まさかこの俺がこんなナルシスト的な思考を持つなんて。異世界万歳。

 そして俺はもう一度辺りを見回したが、やっぱり一面の草っ原が俺を包んでいるのが見えるだけだった。

 駄目だな。

 鏡の代わりになるような物も見当たらない、しばらくの間はお預けか。

 俺は一旦自分の顔を観賞しようとするのを諦めて、これからの方針を考える事にした。

 とりあえず女の子を探すか。この世界には美女しかいないはずだから、とにかく人が沢山いる町のような場所にさえ行く事さえ出来ればあとはもうウハウハ、そうだろう?

 ん? でもこの世界ってどんくらい発展してるんだろうか。

 いくらなんでも旧石器時代並の生活水準とかあり得ないよな? まぁそれはそれでいやらしい事への抵抗が少なくて簡単にヤレるかもしれないからいいか。


「さて、どっちに行けば美女の巣はあるんだ?」


 兎にも角にもこの世界の人に会ってみないと始まらないと思断した俺は、とりあえず何となく人がいる気がする方に向かって歩く事に決めた。

 自分の性格までもが生まれ変わって、俺は楽観的な人間になったようだ。これまで常に何かに怯えてきた臆病な俺は前の世界に置いてけぼりにされてしまったと言い変える事も出来る。


 ふっふっふ……おれの異世界での勝ち組セカンドライフが、今、始まる!











「疲れた。お腹すいた。お家に帰りたい」


 美女というものはその絶対数に関わらず俺の前にあまり姿を現さないものらしい。

 俺は転生を終えてからひたすらに歩き続けている。

 しかし歩けども歩けども、一向に美しい女子おなごはその優美な姿を露わにしようとしない。

 それどころか男の人間にすら今のところ出会えていない。

 いや勿論、もしこの世界にいる男が俺だけならそれはそれでアリなんだけれども。

 だがそうは言ってもそろそろ何かしらのリアクションが欲しい。

 もう二つの月はとっくの昔に見えなくなって、今は大きな真っ赤な太陽らしきものが一つ俺の真上にあって大地ごと俺を燦々と照らしつけている。

 景色は確かに多少変わってきてはいるがそれでも辺り一面緑なのは変わらずで、俺を満足させる変化は認められない。


「あれ?知らない間に上り坂になってる?」


 嘘だろ? 最悪だ! これ以上負担が増えたら本当に死んでしまうよ!

 そろそろ歩き始めてから経った時間が数えられなくなってきた。まぁ元々数えてないのだがな。

 それでも長い間飲まず食わずで歩行し続けている事には変わりない。

 それにもう足が限界を告げて、いつでも攣れるように筋肉を緊張させている。

 しかしそんな両足を俺は宥めながらも動かし続ける。俺には歩き続けるという選択肢以外存在しないからである。

 俺は悲鳴をあげる全身に喝をいれて、まだ見ぬ美女を求めて歩き彷徨う。


「どんだけ田舎に生まれさせてんだよ……」


 こういう場合普通、人里近くに転生させないか?

 このままだと転生して直ぐに餓死するという笑えない事態になりかねない。

 だがここで感覚的に上り坂が終わり、雰囲気の違う道に突入する気配がした。

 やっとか。これでこの阿呆みたいなカントリーロードともこれでおさらばだ。

 俺は整ってるはずの顔に安堵の笑みを浮かべて、疲れているくせに調子に乗って一気に坂を駆け上がった。

 別にいいだろう? やっと異世界の人に会えるかもしれないんだ。臆病者の人見知りだって寂しくなる事もあるさ。

 そして一気に走り抜けた俺の目の前に期待通りこれまでとは違う光景が広がる。


「こ、これは」


 そう、立ち止まった俺の眼下では果ての見えないほど広大な大森林がその圧倒的な存在感をこの世界に主張していたのだ。


 膝から下が崩れ落ち、頬を水滴がつたう。

 どうやら俺は最近涙もろくなったみたいだ。






 散々歩き果てた結果巨大な森の入り口に辿り着いた俺は、見事に心をへし折られ、その場で呆然と仰向けに倒れて動けなくなってしまっていた。

 それからどのくらい時間が経ったのだろう。

 いつの間にか太陽は消え、二つの月が目線の先で妖艶に煌めいていた。


「綺麗だ」


 まだ慣れていないからだろう。俺は昨日見たばかりの幻想的な夜空を眺めて、またもや感動で胸を打ち震えさせていた。

 俺はこの先どうすればいいのだろう。

 この森を本格的に探索したところで人間には出会えないに決まっている。

 ではどうする?

 最初の場所に戻って反対の道を進むか? 

 いや、無理だ。そんな体力は残っていない。

 というか本当にそもそもこの世界に人間はいるのか? 神様のたちの悪いドッキリなんじゃないのか?

 一応生き物はいるらしい、ここに来るまでに青い鳥らしき生き物が空を飛んでいるのを見たからな。

 はぁ、何だか考えるのにも疲れたな。元々俺は賢い方じゃない、むしろ馬鹿だ。考えたって何もわかりゃしないんだ。


 もう寝よう。もう疲れたよ。


 俺はおもむろに目を閉じる。ここは少し肌寒い事に今更気づいた。

 目が覚めたら元の世界だったりして……。


 あれ? でもそれは良い事なのか?


 そして俺が答えを出す前に意識は深く深く沈んでいった。






 目を開けると、眩しい光が乾いた眼球に差し込んでくる。


「君、大丈夫?」


 透き通るような声が俺の浅い意識に呼びかけている。


「誰?」


 聞き慣れた掠れぎみの低い声がする。

 そういえば俺の声は前とちっとも変わってないなぁ。


「君は誰?」


 透明感のある声がまたも俺に呼びかける。

 何だよこいつ、俺の質問に同じ質問で返すなよ。

 光に慣れてきた俺の眼がやっと目の前の情報を正確に伝えてくれる。


「……え?」


 驚くことなかれ、なんと俺の目の前には天使がいた。勿論比喩だが。

 しかし、天使に限りなく近い存在なのは確かだろう。これまでに感じたことのない神秘的なオーラをは纏っていた。

 そう俺の網膜には絶世の美少女が写っていたのだ!

 肩に軽く先端がもたれかかる程度の長さの煌びやかな銀色の髪、魅惑的な緑色のまなこ、そして、華奢な体格に似合わないふくよかな胸の膨らみ。

 地面に伏す俺を妖精のように美しい少女が見下ろしているではないか!


「あわあわあわ……!!」

「ねえ? 生きてるわよね?」


 俺は西洋人のトップモデルすら軽く凌駕するその美貌に完全に過剰反応していた。

 神が言っていた事は本当だったのだろうか、それとも俺は転生して初めて出会った人間が偶然この世界で一番の美女という幸運の持ち主だというのだろうか。

 とにかく前世でのつもりに積もった不運が、途轍もない幸運に変換されて今俺の元にやって来ているのは最早疑いようがない。

 こんな近くにこんな美人がいたらもう俺はもう……壊れちゃうっ!

 多分俺は今過呼吸になっている。

 こんなに興奮したのは死ぬ直前以来だ。


「ね、ねえ!? どうしたの!?」

「え? 何が――」


 ――その時、ヌメっと嫌な感触が口の中に入ってきた。

 この匂い、この生温かい液体の舌触り。どうやら俺は無意識の内に鼻血を出していたようだ。それも大量に。


「だ、大丈夫大丈夫!」

「全然大丈夫には見えないのだけれども……」


 おおっと、こりゃマズイ!

 ちょっと体を起こすと服が血だらけになっているのが目に入る。黒いTシャツなのに赤い染色がしっかりと視認できてしまった。

 だからすかさず俺は目の前の天使を安心させるために、必死で手を振って懸命に大丈夫だとアピールする。

 しかし俺の鼻血は一向に止まらない、むしろその勢いを増しているようだ。


 ん? あれ? 視界が揺れていく……。


 ドサっと体がまた冷たい大地に倒れ込むのがわかった。

 どうやら俺はこれまで飲まず食わずな上、多量出血(全部鼻血)で貧血を起こしてしまったようだ。

 慌てる天使が何か言っているのがわかる。しかし天使の言葉が届く前に俺の意識はどんどんブラックアウトしていく。

 あぁ、もっとその可愛い顔を見ていたかった。


 もはや俺には意識を保つ力もすべも残されていなかった。

 俺の意思とは無関係にまたもや俺の意識は闇に落ちていく。



 ていうか最近俺、気失い過ぎじゃない?


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