No.8 ファイト・フォー・ヒート



 ポリ、ポリ、と聞こえるのは小気味良い音。

 その音は俺の前を歩くクアトロからのもので、彼女は今、俺のお手製のビスケットを齧っている。

 俺の魔力によって創られたからといって苦味が強いわけではないし、もちろん蛋白質性ホワイトソースもつけられていない。本当だよ。


「そろそろ日が暮れるけどどうする?」

「お腹空いたし、ここら辺で宿取っちゃおうよ」

「だな。久し振りに野宿じゃなく済みそうで嬉しいぜ」


 これまでの畦道を抜け、すでに俺たちは人里の中、つまりはエルフの街に辿り着いている。

 ディアボロの篝火はいまだ遠く、クアトロの地元である神都とやらにもまだ届いていないが、結構進んできたのではないだろうか。

 ちなみに今いるこの街の名前をクアトロに訊いてみたところ、「知らなーい!」と間髪入れずに返事を頂いている。


「それにしても、相変わらずスゲェおれたち見られてんな。やっぱおれがイケメンだからか? 案外エルフ女子に受けがいいのかも」

「まあたしかにジャックくん顔だけは良いもんね。顔だけは」

「おっと、クーちゃん? なんだその含みある感じは?」


 そして人の住む街に入ってからというもの、当然数多くのエルフ人を見かけているわけだが、今のところ大きな騒ぎにはなっていない。この国の人間は外国人に非常に排他的と聞いていたし、俺も実際その実例をホビットの村で見ていたので心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。

 もっともだからといって、暖かく迎えられているわけでもなさそうなのが怖いところではあるが。


「でも見られてるっていうより、避けられてるって感じしないか? なんでだろう?」

「そらお前、畏れ多いからに決まってんだろ。超絶イケメンの俺とスーパーアイドルのクーちゃんがいんだぞ? 下手に手は出せねぇだろ。なんたってここはエルフだからな。色々厳しいんだよ」

「なるほど。そうなのか」


 それこそ王族の行進のように、俺たちの前には綺麗に人の姿がない。

 エルフの民達は揃って端に寄り、どこか怯えた瞳をこちらに向けているのだ。

 この国の法律で、アイドルへのスキンシップは禁じられているのだろうか。ちなみにクーちゃん本人にも自分がアイドル的な存在なのか一度尋ねてみたが、「うん。だいたいそんな感じー!」と答えて貰っている。


「でもなんか居心地悪いね。ここまであからさまに反応されるとさ。俺、目立つのあんまり得意じゃないし」

「はぁ? この租チン英雄様はどの口が言ってんだ? 魚取るだけで湖干上がらせたりしてたくせによ」

「べ、べつにあれは目立ちたくてやったわけじゃないから」

「へーい、へい。そうですかい」


 ジャックは俺を何か生粋の目立ちたがり屋か何かと勘違いしているようだが、実際はそんなことはない。

 むしろ正反対の資質を持っていると言っていいだろう。

 俗にいうあがり症という奴に近く、本来ならば他者からの視線を一身に集めるだけで尿意のコントロールを失ってしまうタイプだ。


「おい、あれ宿じゃねぇか?」

「あ、そうだね。どうする? クーちゃん、あそこでいい?」

「うちはどこでもいいよー」


 しばらくホビットやドワーフに比べると近代的なエルフの街を散策していると、三階建ての宿泊施設らしきものが見つかる。

 全員基本的にどこでも寝られる種類の人間なので、特に悩むこともなく偶然目に入ったその宿に泊まることを決める。


「じゃあ、ちょっと二人はここで待ってて。うちが中に入って話してくるから」

「え? クーちゃんが一人で? あ、そっか。俺たち外国人だもんね。色々交渉が必要なのか」

「うん。うちこういうの得意だからさ。任せてよ」

「おいおい大丈夫か? 変に気負わなくていいんだぜ? どうせ金だすのはムトなんだからな。最悪、金でゴリ押しすりゃなんとかなんだろ」

「……言っておくけど、宿泊代も夕食代もジャックの分は出さないぞ?」

「は? なんでだよ?」

「えぇ……? なんでそんな素直な表情で疑問に思ってるの? 絶対払わないよ?」


 なぜか当たり前のように全てを俺に奢らせようとしているジャックに戦慄する。

 やはりこいつ根っからのクズだ。

 だいたい九賢人なんてそれなり良い給料をもらっているはずだ。むしろ俺が奢って貰ってもいいくらいだろう。


「ふふっ! じゃあとにかく行ってくるねー! ……一応、弄っとこっか。あんまり目立つのは好きじゃないんだもんね」


 パチンッ、とクアトロは薄く微笑みながら、一度指を鳴らす。やけに鼓膜に響く、凛とした音だった。

 そして下らない言い合いをしている俺たちを置いて、クアトロは先に宿の中に入っていく。

 あえて俺たちを外で待たせる意味はあまりわからなかったが、特に反論する理由も思いつかなかったので、大人しく彼女の言葉に従うことにした。


「ん? なんだ?」

「どうしたんだよ、ジャック」

「いや、なんか今、街の雰囲気が変わったような気がして」

「街の雰囲気……ああ、たしかに」


 するとジャックが唐突に変な事を言うので、辺りを見回してみると、たしかに奇妙な感覚を覚えた。

 先ほどまでと街の様子は特に変わっていない。

 所々石で舗装された細道。 

 道と同じく石造りがメインで、時々木造の混じった異国情緒を匂わせる建築物。

 金髪碧眼で彫りの浅い顔立ちのエルフ人以外誰も見当たらない、統一された人景色。

 ほとんどはここまでと全く同じだったが、唯一異なっている点があった。

 それは、視線。

 つい寸刻前まではあれ程ぶしつけに注がれていた視線が、今は一切こちらに向けられていないのだ。


「俺たちのこと、もしかして見えてないのか?」

「は? なに馬鹿なこと言ってんだよムト。そんなわけねぇだろ。……まあ、たしかにおれのイケメンフェイスへの注目は無くなっちまったみたいだけどな」


 エルフ国のアイドル的存在であるクーちゃんがいなくなったからといって、これほど急に視線がなくなるだろうか。

 見た限り、街にいる人間は全てエルフ人だ。

 それにも関わらず、こんな胡散臭い外国人二人組がぽつんと街中に突っ立っているというのに、誰もこちらを一瞥すらしない。

 そんなことあり得るのか?

 俺は限りなく違和感を抱いていたが、その答えを出すことはできない。

 あとさっきからジャックが言い続けているイケメン云々の話は、事実顔だけは優れていて非常に突っ込みづらい。早く止めて欲しい。

 

「おーい! 二人とも! おっけーだって! 入って来ていいよー!」


 クアトロを待つこと五分程、扉の中からひょっこりと彼女の首が飛び出てきて、俺たちを中に入るよう誘い込む。

 国境を超える時もそうだが、中々に手際が良い。こういったネゴシエーションが得意なのかもしれない。



「お待ちしておりました。クアトロ様のお連れ様方ですね。部屋に案内させて頂きます」



 宿の中に入ると、想像していたよりは立派な内装をしていて、若干テンションが上がる。

 パッと見ではビジネスホテルのような印象を受ける。宿の主人なのか、ただの案内役なのかは不明だが、金の短髪を綺麗にかためたエルフの男がエスコートまでしてくれるらしい。


「なんか、タダで泊めてくれるらしいよ」

「マジで!? すげぇ! クーちゃんマジパネェ!」

「え!? そうなの!? クーちゃんは神かな?」


 しかも何とクアトロの事前の交渉の結果、今晩の宿泊代を無料とのことだ。

 これがアイドルの交渉能力というものなのだろう。素晴らしい。

 だがたしかにこれほど天真爛漫な美少女にお願いされたら、俺でも宿泊にお金は取らないかもしれない。むしろこちらから泊って下さいお願いしますと頭を下げることだろう。もちろん宿泊後のシーツは永久保存だ。プライスレス。


「こちらです。階段にお気を付け下さい」


 ピチピチヘアーの男に従って宿の廊下を進み、その後階段を昇っていく。

 二階を通り過ぎ、最上階である三階へ。

 もしかしたらこれはVIPルームという奴ではないだろうか。

 そんな期待をしつつ、俺は素直に部屋を案内をして貰う。


「こちらが皆様方の部屋になります。この階の右の廊下を進めば浴場もありますので、是非ご利用ください」

「え?」


 三階に辿り着き、左の廊下を曲がりある程度行くと、そこでピチ髪男は一つの部屋の扉を開いて中に入るよう促す。

 少し中を覗いてみた限り、部屋自体には問題はなさそうに見える。


「お客様、どうされました?」

「ん? ムトくんどうしたの?」

「……いや、おれには分かるぜ、ムト。お前が何を言いたいのか」


 思わず立ち止まった俺に、ジャックが真剣な眼差しを向ける。

 俺の意識を奪っているのは、もちろん部屋の構造ではない。その事にやはり同士である奴も気づいたのだろう。


「……部屋、一つしかないんですか?」

「部屋に関しては、その、クアトロ様が一つで構わないと仰っていましたので……」

「うん。そうだよー。なんで? 部屋三人で分けた方がいい? 皆一緒の方が楽しくない?」

「皆一緒の方が楽しいですっ! 余計な事を言って申し訳ありませんでした! さあ! 部屋に入ろう! 今すぐに入ろう!」

「ムト、お前って奴は……最高にクールだな!」

「それでは、何か御用がありましたらお声をおかけください」


 俺が問題にしていたのは部屋の数、まさにその一点であったが、クアトロが問題ないというのなら何も問題はない。あるわけがない。

 そして俺は意気揚々と部屋の中に突入していったのだが、そこで更なる驚きに襲われた。


「ピャアアアアア! ベッド二つキタコレェッッ!!!」

「おっしゃあああああっ!!!! おれの時代だあああぁぁっっっ!」


 次いで部屋に入ってきたジャックも、俺と同じように感動の声を上げる。

 そう、壁際に並べられていたのは二つのベッド。

 繰り返す、二つのベッドだ。

 これはもうフラグが立ったとしか思えない。

 栄光の未来が見える。素敵な肌の温もりがすでに感じられるような気がしてきた。


「あー、そうそう。言い忘れてたけど、ベッドは二つしかないんだって。でもムトくん、魔法で寝袋創れるし、べつにいいよね?」

「……すまない。クーちゃん。俺はたった今、魔力切れを起こした。おそらくこれは一晩経たないと魔法は使えないだろう」

「えぇっ!? なんで!? てかどこで魔力を消費したの!?」


 ヒリヒリと肌が熱い。

 確固たる意志を秘めた熱視線が身体に突き刺さるを感じる。

 わかっているさ。栄光には苦難が付き物。

 ねだるな、勝ち取れ。さすれば与えられん。つまりはそういうことだ。


「……よし、ムト。ベッドを誰が使うか、決めようぜ。とりあえず一つは、クーちゃんでいいよな?」

「……もちろんだ。三人の中で一番小柄なのはクーちゃんだからな。クーちゃんと誰かが一つのベッド、そしてもう一つのベッドを残った奴が独り占めということにしよう」

「あ、でも、うちは床でもべつにいいよ。うちけっこうどこでも寝れるし」

「それは駄目だぁっっ!!! 絶対に! 絶対にぃ駄目だぁっ!」

「おう駄目に決まってんだろクーちゃん! それだけは絶対に許されねぇっ!」

「え、えぇ? というかムトくん魔力切れ起こしてるわりには元気じゃない?」


 身体の調子は悪くない。どちらかといえば軽いくらいだ。

 何度か深呼吸を繰り返す。思考は最高に澄み渡っていて、ありとあらゆるものがクリアに見えた。


「やっぱり、お前とは戦うことになっちまうんだな、ムト」

「どうやら、そうみたいなジャック。でも悪いな、今回も俺が勝たせてもらうぞ」

「……あの、なんかベッドを巡って勝負してるみたいだけどさ、これ、勝った方が空いてるベッド使うんだよね?」


 ジャックには申し訳ないが、今回も俺は手を抜くつもりはない。

 正々堂々、真っ向から叩きのめすつもりだ。正直に言って、俺が負ける可能性はほとんどないだろう。

 

「へへっ、おい、ムト。本当に悪いな。こういった場面で戦うのは卑怯かもしれないけど、仕方ねぇよな?」

「なんだ? 何がおかしい!?」


 しかし、俺とはかなりの実力差がある知っているはずのジャックは不敵に笑う。

 なぜだ。なぜこいつは笑っている?

 卑怯だと? いったいどういう意味だ?


「……だってお前は今、“魔力切れ”、起こしてるんだもんなぁ? こんな状況で戦うのは、ほんと、心苦しいぜぇ? なぁムト・ジャンヌダルクくぅん?」

「なっ! しまった!?」


 ジャック・オル・ランタン。福音の七番目と呼ばれる男は、邪悪に嗤う。

 なんて醜く、卑怯な奴なんだ。ここまでのゲスは見たことがない。

 本来この抗争は、俺の魔力切れという演技、というよりは善意によって成り立っているにも関わらず、そこを突いてくるとは。

 これがプライドを捨てた童貞の力か! 小賢しい!


「もうー、二人とも、ベッド如きでなんでそんなガチの戦いしようとしてるの?」

「そ、そうだね! よし! ジャック、今回はもうちょっと大人しめの戦いにしよう! うん! それがいい! そうするべきだと思う!」

「は? お前卑怯だぞムト! 逃げんのかよ!?」

「なぁにぃが卑怯だ!? 卑怯なのはどう考えてもお前の方だろ!」

「でも何がいいかな。せっかくだし、うちも参加できるやつがいいなー」


 しかしここで大天使クアトロのスーパーアシストによって、俺は何とか勝負の場を拳と拳のぶつかり合いから別のものに変更する流れを手に入れた。

 さすがに相手は九賢人だ。魔法抜きで勝利するのは難しいだろう。ジャンヌならもしかしたらなんとかしてしまう可能性もあるが、百パーセント勝てる勝負しか俺はしないのだ。


「あ、じゃあ、こうしよう? 大食い対決にしようよ!」

「「大食い対決?」」


 ポンと、クアトロが手を叩くと、思いついた勝負の内容を口にした。

 大食い対決。つまりはフードファイトだ。

 俺は刹那の間思考する。

 大食いなら、バレずに魔法を使いイカサマしまくれるのではないか?

 口角が自然と上がる。賛成するしかあるまい。


「……乗った。俺は大食い対決でいいと思う」

「……奇遇だな。おれもありだと思うぜ?」

「やった! じゃあ決まりね! 今日は久し振りに本気で食べるぞぉ!」


 意外にもクアトロの提案にジャックも乗ってくる。

 こいつも何か作戦があるのか? いや、きっとただ馬鹿なだけだろう。


「ならルールは基本的にムトくんとジャックくんの戦いだけど、うちが一位になった時だけ、うちがベッド独り占めね! それでいい!?」

「俺は構わない」

「おれもそれでいいぜ」


 目指すは圧倒的一位のみ。

 クアトロはたしかによく食べるが所詮女の子だ。男の俺が魔法を全力で使えば敵にならないだろう。

 ジャックが何かしら仕掛けてくる可能性が捨てきれないのが気掛かりだが、それすらも捻り潰してみせよう。



「……絶対に勝つ」

「……勝つのはおれだ」

「うぉー! 盛り上がってきた! うちも頑張るぞぉー!」



 ねだるな、勝ち取れ。さすれば与えられん。

 英雄たる者に、敗北は許されないのだ。


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