錬金術師の全肯定・前編
精神を集中させ、体の奥底を知覚する。
血の巡りを感じるように、魂から精神へと走る魔力の巡りを感じる。循環する流れを意識し、徐々に、しかし確実にその流れを増大させる。早く、大きく、しかし決壊しないように、確実。
それが全身にいきわたると同時に、レンの全身がほのかに発光した。
「うぉっしゃ!」
ダンジョン探索の休憩中、肉体強化の魔術を成功させたレンはぐっと拳を握る。
いまレンがやっていたのは近接魔術の基本、肉体強化である。先輩の冒険者に頼み込んで、コツを教えてもらっては練習してきた成果がようやく出たのだ。
これで荷物持ちから卒業できる目途が立った。近接魔術が使えれば、前衛に立てるようになるはずだ。まだまだ瞑想からしか発動できていないから実戦的とはいいがたいが、間違いない進歩である。
後は魔物と対峙する度胸と、戦う技術を身に着けること。両方とも、魔術の練習と並行して行っていることである。
「ちょっと、あんた。うるさいんだけど」
ガッツポーズをとっているレンに文句をつけてきたのは、長い金髪の一部を二つ結び、ツーサイドアップにした少女だ。
どこぞの良家のお嬢様のような整った容姿の少女が、ただでさえ切れ長の瞳を吊り上げてレンをにらみつけてくる。彼女こそ、レンがパーティーに所属した初日に『やる気も才能もないならやめれば?』ときっつい忠告をくれた女魔術師である。
いつもならこの目ににらまれては撃沈するレンだが、今の彼はテンションが高かった。
「見てくださいよっ。俺、近接魔術が使えるようになったんですよ!」
不機嫌そうな女魔術師に肉体強化の魔術で発光している体を見せる。
レンの声を聞いて、周りで休憩していた先輩冒険者も、おおっとどよめいて集まってくる。
「へえっ、練習してたもんな!」
「頑張ってたものね。ふふっ」
「俺の助言のおかげだろっ。感謝しろよ、レン!」
各々、レンの成長を喜んでくれる。
メンバーの賞賛を受けたレンは、どうだと女魔術師を見る。
自分の成長ぶりはみんなも認めてくれている。もはや自分は初日に魔物にビビッて荷物をばらまいた足でまといではないのだ。短期間での頑張りと成果は、あの高慢ちきな女魔術師でも認めざるを得まい。
そう思って得意げな視線を向けた先で、だが女魔術師は白けた目をしていた。
「え? あんた今まで肉体強化の魔術も使えなかったの? ……うっわぁ。ほんと、なんで冒険者になろうと思ったのよ。ダンジョンは命がけで戦う場所なのよ? 英雄願望しかない田舎者の考えなしって怖いわね」
むしろ評価が下がっていた。
正論と言えば正論な寸評に、その場の空気が凍り付く。固まって何も言えずにいるレンから視線を切った女魔術師は、パーティーリーダーに視線を向けた。
「リーダー。なんでこんな奴、パーティーに入れたんですか。私たち、素人を一から育てるほど余裕があるわけじゃないんですよ。そんなリソースがあったらもっと探索につぎ込むべきで――」
「、いや、そこは将来性を見込んでだな――」
二人のやり取りを聞いているうちに、上がっていたテンションは見る間に落ち込んでいった。
「俺、そんなダメなやつですかね……」
その日のダンジョン探索を終えて、レンはどよんとした口ぶりで先輩冒険者に相談をしていた。
今日も一日荷物持ちだったが、滞りなく終えることができた。パーティーの動きにも慣れてきたし、他のメンバーとも打ち解けている。具体的に自分がやるべきことも見えてきて、正直、今のレンは日々の冒険が楽しい。
唯一の難点は、言うまでもなくあの女魔術師だ。
「まあ気にすんな。あいつは理想が高いからな。自分に厳しくした分、他人にも厳しいんだ」
「そりゃ、確かにあの人の魔術の腕がすごいのは俺でもわかりますけど……」
レンより一年先に冒険者になった女魔術師。レンがやることなすことケチをつける同世代の少女。
新人だからしょうがない。頑張ってるじゃねえか。そういってくれるリーダーや他のメンバーを振り切って、レンのほころびを突っついては罵倒してくる。
「俺、あの人に嫌われてるんすかね……」
「そういうわけじゃねえよ。元気だせって」
女魔術師に責められる度に、自分の至らなさを突きつけられて心が萎びる。
落ち込むレンの肩を叩き、先輩冒険者は苦笑する。
「あいつは今これからのお前じゃなく、今までのお前を見てるんだよ」
「どういうことですか?」
「んー。なんて言うかな。あいつ、小さい頃から自分は冒険者になるんだって目標がはっきりしてたらしくてな。それで、子供の頃からずっと訓練してたんだと。魔術だって飛び級でアカデミーに入って卒業したらしいぜ」
「へえ」
はじめて聞く女魔術師の身の上話に感心する。
「アカデミー飛び級って凄いですね。そりゃ、俺と同い年くらいなのに強いわけだ」
「まあな。はっきりいえば、お前とは経験値がちげえよ。そんなあいつからすれば『自分と同い年くらいで冒険者になっているのに魔術も使えないしダンジョンへの知見もないとか、なにしてきたんだこいつ』ってなるんだろ」
「それはっ……でもっ」
いままで積み上げてきたところに、ぽっと出の人間が入ってくるのは苛立たしいというのは、まっとうな感覚なのだろう。
それでもレンの口から悔しさがついて出る。
「誰も彼もがあの人みたいにアカデミーを出て冒険者になるわけじゃないんですよ……!」
女魔術師は優秀だ。遠距離と近接の魔術を使いこなしてパーティーに貢献している。冒険者にならずとも働き口はいくらでもあるような少女である。
それに比べれば、レンは生まれも育ちも冒険者になるために費やしたものなどないに等しい。なるほど同じ年齢だとしても、二人の優劣は明確だ。
でも時間は戻せないし、生まれは変えられないのだ。
「しょうがないじゃないですか……俺には、これからしかないんです」
「お前の言う通りだよ。俺だってお前の歳じゃ、右も左もわからん新人だったからな」
自分のように田舎出身で学もない人間は、がむしゃらに突っ込んで行くしかないのだ。誰しもが魔術を学べる環境にあるわけではない。アカデミーだなんて、入ろうという発想自体が思い浮かばない。冒険者になるための事前準備をしようにも情報も実感もないのが田舎で育つということなのだ。
レンが生まれた田舎で、冒険者をやっている人間なんていなかった。参考にできるような人も、学べる場所もなかったのだ。
「俺だってもっと早くから、いろいろ知っておきたかったです……」
「お前には、これからがあるんだから、あんまヘコみすぎんなよ。それに俺としちゃ、あいつにはもーちょっと丸くなって欲しいんだけどなぁ」
この先輩冒険者も、どちらかといえばレンに似た身の上だ。レンに賛同して、にかりと笑う。
「ま、なんだ。辛気くさい話はここらへんにして、どっかでストレス解消に行くか!」
「ストレス解消?」
「ああ、飲み屋のねーちゃんに慰めてもらうのもいいし、訓練所を借りて汗を流すのもいい。あと、そうだな。昔の話になるけど、殴られ屋っていうのもあったぜ」
「殴られ屋、ですか?」
「ああ。抵抗しないので十分間自由に殴ってくださいっていう商売だよ」
「いや、それはちょっと……」
聞かされた物騒な商売内容に、レンは及び腰になる。
ストレス発散にしたって、さすがに人を殴るのはちょっと、という感じだ。逆にストレスをためてしまいそうである。
「ははっ。殴られ屋は昔の話だって。人死にが出たってことで、廃業になったしな、あれは」
「うわぁ……」
なるほど、ストレス社会の闇は深い。
ドン引きしてから、ふと、レンの頭に先日の広場での光景が思い浮かんだ。
全肯定奴隷少女。彼女も、いわば現代の闇を受け止めるためにあの広場に立っているのだろうか。
「そうですよね……」
奴隷少女の楚々としたほほ笑み、圧倒的なエネルギーの話術を思い出して、レンはしみじみと呟いた。
「いろんな商売がありますよね。全肯定奴隷少女とかいうのがあるくらいですもんね」
「そんなものはねえよ?」
真顔で即答された。
レンは、ぱちぱちと目を瞬く。
「え? いや、ありますよね、全肯定奴隷少女」
「ねえよ。あるわけねえだろ、そんなもん。奴隷制度が廃止されて百年近く経ってんだぞ。あったら怖ぇよ。大丈夫か、お前」
『全肯定奴隷少女』という存在を訴えるレンに、先輩冒険者が心配するような目を向けた。
「疲れてんのか? あんまり根を詰めすぎるなよ。全肯定奴隷少女とか……あんま変なこと言うなって。そんな妄想するくらいストレスたまってたのか?」
「え? え?」
呆れきった先輩冒険者の口振りに、レンは混乱する。
バカな。全肯定奴隷少女が、いない?
そんなはずはない。全肯定奴隷少女はいるはずだ。でなければ自分があの日に見た者はいったいなんだったのか。幻覚か? 何かの夢か?
自分の記憶を疑ってから、いやいやと首を振る。
今のは自分の言い方が悪かったのだ。さっきの言いようでは、奴隷制度自体が残っているような言いぐさではないか。誤解されるのももっともである。
「あ、いや、違うんですよ。本当に奴隷ってわけじゃなくてですね、奴隷みたいな恰好をした女の子が愚痴を聞いてくれるっていう商売っぽいんですよ」
「いやぁ?」
レンよりずっと昔にこの町に来て、いろいろと詳しい先輩冒険者は首をひねる。
「聞いたことねえぞ、そんなの。特にこの町は、風俗の規制が厳しいからな。この辺りはカーベルファミリーっていうマフィアが仕切ってるから、変な個人営業はできないはずだぞ。知ってるか? 『騎士隊より厳格なる必要悪』の直参マフィアだぜ」
「い、いや! 俺は見たんですよ!」
カーベルなんちゃらやら騎士より厳格ななんちゃらやらは知らないが、奴隷少女は確かにこの目で見たのだ。
楚々とした微笑みで立ち、圧倒的なエネルギーで人の心の澱を流した彼女が幻覚だとは思えなかった。
「銀髪ショートカットの女の子がですね! 真っ白な貫頭衣を着て、革の首輪をつけてですね!」
「だからそんなもんはありえねえって――あ、いや。ははぁん」
先輩冒険者が、いやらしく笑ってレンの肩を叩く。
「ああ、わかったわかった。お前も若いもんなぁ。そういうのが好きなのか? なんだよ、そういう話ならもっと自分をさらけ出していこうぜ! うっしゃ! 酒でも飲んで語りあかすかぁ!」
「いやそういうことじゃないんすよぉ!!」
あそこからの流れがただの下ネタ大会になったのち、レンはふらふらとした足取りで歩いていた。
全肯定奴隷少女の存在を否定されたレンは、広場に向かっていた。
あれから何度話しても先輩冒険者は納得しなかった。いや、そんなもんいないから。その一言で終わりである。
冒険の初日で落ち込んだあの日。もしや、自分は妄想を見ていたのか。いいや、そんなはずはない。その一心でレンは、全肯定奴隷少女を目撃した広場へと足を進めた。
そうしてたどり着いた広場の中心には、貫頭衣を身にまとい、プラカードで口元を隠した銀髪の少女がいた。
「今日もありがとう、奴隷少女ちゃん!」
ちょうど例のシスターさんが愚痴を終えていたところのようだ。
やっぱりいた、とほっとするのと同時に、大変いい笑顔で奴隷少女ちゃんに手を振っているシスターさんを見て、レンは何となくいたたまれない気持ちになる。
あの人、もしかして常連か?
というか、疑問符を付けるまでもなく常連なのだろう。十分が経過したら奴隷少女がぴたっと口を閉じてプラカードで口元を隠すため、プライベートな会話こそないが、なんとなく親し気な雰囲気がある。
しかし日常的に奴隷少女に会いに来るとは、どれだけストレスを溜めているのだろうか。神殿治療とは、そこまでストレスをためる仕事なのか。
「……」
レンに気が付いた奴隷少女が、にこっと微笑む。その笑みに、はたとする。
今日は奴隷少女の実在を確かめに来てただけなのだが、どうするべきか。
愚痴はたまっている。
具体的に言うと一年先に入ってきただけで、歳は大して変わらないのにひたすらレンの欠点をあげつらってねちねち責めてくる金髪の女魔術師とか女魔術師とか女魔術師とかにだ。
思い出したらまた胸がむかむかしてきた。
よし、せっかくだし自分も利用してみよう。
レンは決意する。あの女魔術師の愚痴を大声で叫ぶのはさぞかしすっきりするだろう。そう思った時だった。
ふらりと奴隷少女に近寄る影があった。
「あ、あの……」
レンに先んじて奴隷少女に声をかけたのは、二十代後半の錬金術師風の青年だ。線の細い体格から、ダンジョンに潜る戦闘的なタイプではなく研究に没頭するタイプだと推測できた。
うへぇと、レンは思う。
おそらく彼は、
自らの研究に多くの素材を必要とする彼らは、冒険者のよくクエストを発注するお得意様ではあるのだが、偏屈な人間が多いのだと注意を受けていた。注文が細かいし、ケチをつけてくる。厄介な客だと聞かされているため、レンは彼らになんとなく苦手意識を持っていた。
その青年は、人生に絶望したような顔をしていた。
「ここで、どんな愚痴でも……聞いてくれると、噂で聞きました……」
「……」
ぼそぼそとして聞きづらい青年の言葉に、奴隷少女は楚々と口元を隠してほほ笑んだまま、こくりと頷く。
「では、お願いします……」
錬金術師風の青年は今にも死にそうなのろのろとした動きで千リンを手渡す。
奴隷少女は、そっと口元からプラカードをどけた。
現れたのは、はっとするほどの美貌だ。顔を半分隠したほうが見目がよいという人間はざらだが、この少女に限っては口元を晒しだすことで美貌が完成する。プラカードをどける瞬間、水平線から満月が現れるかのような心持ちすらする。
そうして静かに美貌を顕わにした奴隷少女は形のよい口を大きく開く。
「うん!!!!!! お願いされたのよ!!!!!! いっぱい愚痴を叫ぶといいの!!!!!!! えへっ!」
透き通るようなハスキーボイス。そして輝くようなあざとい笑顔が解き放たれた。
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