勇者は全否定・前編

 紅葉の葉が散っていた。

 黄色から、茶色に。水気を失った木の葉は、その身の軽やかさを示すかのようにふわりと風に舞う。

 息を吸い込むと、肺を膨らます空気が少し冷えすぎていて、胸に痛い。

 少し夜気が肌に厳しくなる季節の境目。奴隷少女は、貫頭衣で広場に立っていた。

 季節と共に移り変わる自然の装いに反して、彼女の衣装に変わりはない。使い古した貫頭衣に、首に巻いた革の首輪。白塗りのプラカードを掲げて、静かに楚々と微笑み待機する。

 空気が冷えると、音がよく響く気がする。

 遠くの営みのざわめき。吹く風が街並みを揺らす音。木々の木の葉が散る音すら耳で拾えるようになる。

 紅葉の枯れ葉と共に終わる秋の寒さに、奴隷少女は、思い出す。


 ――逃げてやった! あはは! あのハゲどもの面、見ものだったな!

 ――はいっ! 兄さまと姉さまのおかげですっ。

 ――……これから、どうするの?

 ――俺たち三人で、世界を救うんだよ!

 ――おおっ、さすがです! 兄さまは夢が違いますね!

 ――……またバカ兄ができもしないこと、言ってる。

 ――ふふーん、そうでもないぜ。


 白い息を吐いて、笑い合ったあの日。

 本性が陰鬱な自分と、小さくも誰よりも賢かったイチキ。

 そしてあと一人。

 よわっちかったくせに、言うことだけは大きく、誰よりも明るかった血のつながっていない兄。


 ――人の話を聞きもしねーでバカにすんなよ。ほーら!

 ――……ッ!? こ、のクソ兄、殺す。

 ――ね、姉さま! スカートをめくられたからって玉音はおやめください……!

 ――そうだそうだ! 俺はイチキやお前と違って雑魚いんだぞ!? ちょっとしたことで死ぬんだからもっと兄を大切に扱え!

 ――……イチキ。このバカ兄、なぐっていいよ。

 ――え? え!?


 つらい日々だったはずなのに、なぜか、愛おしい。

 あの頃のことを思い出したのは、少し前に、小さな女の子の相談を受けたからなのか。

 自分たちが出会った七年前も、おおよそあの少女に似た年齢の時だった。

 過去を見ている今が感情の起点になっているせいか、現在から見た記憶は、かけがえのないものがあった過去はあまりにも美しい。

 掘り起こした過去に浸っていると、ふと、人の気配を感じた。

 お客さんか。

 そう思って振り返った奴隷少女は、わずかに目を見開いた。


「こんなところに、いたんだね……」


 そこにいたのは、男盛りの三十代の男性だ。

 金髪の、育ちがよさそうな雰囲気の優し気な面立ちをしている。


「……!?」


 思わぬ人物の登場に、奴隷少女といえども動揺を隠せなかった。

 救国の勇者。

 集まる人の感情によって作り出されるダンジョンで、人々の望みが創りだした一本の剣を引きぬいた英雄。

 イチキが張ってくれた結界は。そう思ったが、すぐにこの勇者に効くはずもないことを思い出す。むしろ、イチキの構築した高度な結界に興味を惹かれて様子を見に来た可能性すらあった。

 なぜここに。声を出しかけ、とっさに押し殺す。


「実は、この都市に肉親がいるんだ。あと、昔の仲間も。それで神殿に挨拶をしようと思ったら、たまたま君を見かけて」


 奴隷少女の視線から、疑念を読み取ったのか。勇者は自分がこの都市にいる理由を説明をする。

 ただの、偶然の出会いだという。

 だが奴隷少女の警戒は解けない。じり、とほんの少しだけ後退する。


「それで、フー――」


 誰かの名前を言おうとした勇者の声をさえぎり、くるりとプラカードを裏返した。


『全否定奴隷少女:回数時間・無制限・無料』


 その文言を見た勇者が、虚を突かれたように言葉を止める。

 空いた沈黙にねじ込むように、奴隷少女は否定を突きつける。


「なんのことを言ってるのかわからないの。きっと人違いなのよ」


 言葉こそ全否定ではあるが、彼女のハスキーボイスにいつもの勢いはない。さりとて、素のまま語調というわけでもない。

 ただ素っ気ないだけの声だった。

 力なく、勇者が笑った。


「そうだね。君には、いくら詫びても足りない」

「あなたどなたなの。知らない人に謝られても、困るの」

「あの頃の僕たちは、勝利に浮かれるばかりだった。勝利の後のことなんて考えてもいなかった」

「なんのことを話してるのよ。さっぱりわからないの」

「君のことも、きっと財産を持って逃げ出したんだろうと、行方を捜すこともしなかった。敗者を追い討つような真似はしたくない。そんなことを言っていた。……いいや、違うな。僕は安堵してたんだ。ようやく、終わったんだと。これ以上続けたくないと、そう思っていた」

「いつの頃の話か知らないから、もう話すのはやめるの」

「すまない……本当に、すまない……僕の、せいだ」

「……」

「あれから、知ったんだ。君が、どうなったのか……」


 謝り倒す勇者に、奴隷少女はとうとう黙り込んでしまった。

 勇者は頭を下げ続けている。頭を下げる直前の勇者の視線は、奴隷少女の身に着ける首輪に注がれていた。

 別に。

 勇者の態度に、少し不貞腐れた気持ちで彼女は思う。

 勇者が何を知って何を想像したのかは知らないが、別に、自分は不幸などではなかった。

 彼女はこの首輪自体には恨みはない。むしろ、感謝すらしている。

 これがなければ他人との会話すら、ままならないのだから。

 それに。


 ――ほら笑えって。お前、顔がキレーなぶん、無表情だとこえーんだよ。えへっ、って笑ってみ? わざとらしいくらいにさ。口調も柔らかい感じで! ほれほれ。

 ――……こう、なの?

 ――あははははっ。お前、なんだそれっ。くっそ笑える!

 ――……殺すぞ、クソ兄。

 ――ね、姉さま! 落ち着いてくだいませ。兄さまもなんでそう姉さまをからかうのでございますか!


 人の尊厳をはぎ取られるような場所に落ちた。尊位を無くし、人の世の不幸と呼ばれる檻に入った。それまでと真逆の立場、転落していく過程で首輪をつけられて――それでようやく、自分は生まれて誰かと会話をすることができた。

 それを悲劇と呼んで謝罪されるようなことは、されたくなかった。

 帰ってくれないだろうか。そう思うが、なにやら自責に囚われた勇者はまるで動く気配がない。

 奴隷少女は、しぶしぶ口を開く。


「あなたが誰の何の話をしているのか、さっぱりわからないのだけれども……」


 どう話すべきか。迷った末に、全否定の文言を掲げたまま切り出した。


「あなたの言う人は、きっとあなたの思っていた通りに逃げ出したのよ」

「……!」


 はっと顔を上げる。


「そ、そんなはずはないっ。あれから調べたんだっ。調べて、知ってしまったんだ……!」

「調べたとか言われても困るの」


 首輪へと同情するように注がれる視線に、奴隷少女はうっとうしげに顔をしかめる。


「きっとその子供とやらは私財をもって逃げて、行く先を偽装して行方をくらませて、今も辺境の田舎でのほほんと生きているのに決まっているの。あなたの言う少女は、自分の愚かさも自分という存在の罪深さも知らないで、いまもぬくぬく幸せに生きているに決まっているのよ」


 奴隷少女は、勇者に語る。


「あなたが調べたなんて言う出来事なんて、なかったの」

「そんなわけが――」

「いいのよ。そういうことなの。あなたは正義の味方なの。あなたは悪の親玉を撃退したの。めでたしめでたし、終わりなの」


 奴隷少女の脳裏に、一人の少年のソプラノボイスが響く。


 ――ま、なんにせよ自由になったんだ。オレとお前とイチキ。三人兄妹ならできないことなんてねえよ!

 ――ふふっ、そうでございます! 血は繋がらずとも我らの絆は一つ! 世界一でございますっ。

 ――……一人、お話にならない雑魚がいるけどね。

 ――オレのことか!? オレのことだろ!


 愛すべき兄妹と出会えたから、彼女は勇者を恨まない。

 だから、彼女は勇者に感謝をしつつも、彼を許すことなんてできなかった。


「あなたの助けがいらない人も、この世にいると認めるの」


 この人が助けられなかった人が、確かにいるのだから。


「わかったら、とっとと消えるの。ぺっ!」


 唾を吐くジェスチャー。奴隷少女は、くるりとプラカードを裏返す。


『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』


 どれだけバカらしくても、どれだけ奇天烈に見えても、今の自分の役目はこれなのだ。

 イチキと一緒に泣きながら手作りしたプラカードをそっと口元にあてて、奴隷少女は静かに、にこりとほほ笑んだ。

 これ以上、何かを語ることはない。

 奴隷少女と勇者の関係は、そんなものなのだ。

 彼と自分は、過去に一度だって声をかわしたこともないのだから。それ以上に、何かがあるはずがない。


「……」

「……」


 無言で、数秒向かい合う。

 最後まで謝罪が受け入れられることのなかった勇者は、うつむいて踵を返す。

 彼がかつて貢献した革命。圧政をひいて人民を苦しめたという、民衆の怨嗟が注がれた皇帝。

 それが当時、十にも満たない幼子だったということを知る者は、あまりにも少ない。

 勇者が立ち去ったことを確認し、奴隷少女は、そっと目を閉じる。


 ――……それで? 世界を救うって妄言はどうしたの?

 ――妄言いうなし。魔物ってのは、人のイヤな思いから生まれるんだろ?

 ――そうでございます。ダンジョンというのは人の感情領域が人の集団生活より漏れ出した魔力により定着したのものでございます。ですから人に害をなす魔物というものは――

 ――あー、よくわかんないから詳しくはいいんだよ。ようするにさ、町に人のイヤな気持ちを受け止める人がいればいいと思うんだよ。


 両手を広げてそんなことを言った、ボロボロに薄汚れた、普通の少年。

 明るかった声。輝いていた笑顔。世界を祝福するようなボーイソプラノ。


 ――オレは弱いからわかる! 疲れたりムカつくことがあったら、そりゃ魔物も生んじまうような気持ちになる! それはしかたない! だからさ、そんな人の愚痴を受け止めるような人がいたら、きっとダンジョンからも魔物が消えるんだよ。愚痴を叫んでさっぱりすれば、イヤな気持ちなんてなくなるだろ?


 自分のような秘蹟の産物でもない。

 イチキのような、深い学識もない。


 ――そうやって悪意を発散させてやれば、ダンジョンは人の善意の結晶になる!


 声が、綺麗だったから。

 そんなくだらないことで故郷から攫われ、首輪と値札を付けられた、天使のようなソプラノボイスを持っていた少年。


 ――それができたら、オレみたな雑魚野郎でも世界を救った英雄だっていえるぜ! どうだ! すっげえ考えだろ!


 もちろん、そんなことはありえない。

 ダンジョンは、確かに人の感情でできている。だから、町ゆく人の悪意が残らず消えうせれば、確かにダンジョンから魔物の存在はなくなるかもしれない。あくまで、理論上は。

 だが現実、人の悪意は消え去らない。表にぶちまけられる程度の悪意は、とてもささやかなものだ。


 ――せっかく自由になったんだ。夢はでっかく、世界を救う商売をするんだよっ。1回10分1000リンってとこだな。へへっ、看板を用意して、いろんな人を励ますんだっ。

 ――……やっぱ、クソ兄の考えはくだらない。

 ――そうでございます! いけませんよっ、兄さま! そんな変な看板を持ったら姉さまに変なことをお願いしようとするクズが現れるに決まってます!

 ――なら自衛の時は全否定になるんだよ! イチキがいれば、大体大丈夫だろ? 第一、こいつ自体すげえ強いじゃん。むしろ危ないのはオレだ。オレを守れ、妹たちよ。

 ――はい! 全力でお守りいたします!

 ――……うわぁ。他力本願。


 首輪をつけた三人の子供が、人畜から逃げながら語り合った、くだらない想像。


『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』

『全否定奴隷少女:回数時間・無制限・無料』


 奴隷少女は、プラカードを口元に寄せる。

 彼女は、もう知っている。

 それが、ただの限りなく意味のない行いだということを。

 こんなことをしても、世界を救えないということを。

 それでなかったら――『騎士隊より厳格なる必要悪』など、ただのおとぎ話で終わって存在しなかった。

 そしておとぎ話がつぎはぎの現実になり、奴隷少女がここに立つようになってからも、ダンジョンで生まれなくなった魔物は、ほんの微々たるものだろう。

 それでも、それでもだ。


「奴隷少女ちゃーん!」


 常連のシスターさんが駆け寄ってきた。

 勇者の相手をして、知らず緊張を高めていた奴隷少女は、ふっと口元を緩める。

 ここ最近、とある少年の利用がやたらと多くなっているが、それでも一番のお得意様は彼女だ。……そういえばあの少年、なんだか日に日に痩せていっているが大丈夫なのだろうか。

 そんなことを思いつつ、奴隷少女はシスターさんの取り出した千リンを受け取る。

 あの日に血のつながらない三人の兄妹が語った、一回十分千リンの夢。


「今日も疲れたんだぁ! はい、千リン!」

「今日もお疲れ様なの!!!!! えへ!」


 形になった夢を掲げて、奴隷少女は今日も明るい笑顔でハスキーボイスを響かせた。

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