料理の全肯定・前編



「レン。今日、あんたの家に行くから」


 レンがミュリナからそう言われたのは、その日のダンジョン探索が終わったあとのことだった。

 金髪をツーサイドアップにした、育ちの良さそうな年下の先輩。最近は鋭く研がれていた目つきが心なしか柔らかくなってきたミュリナの突然の言葉に、レンは虚を突かれた。


「え? なんでですか?」


 もちろん、事前に約束が会ったわけではない。いきなりの申し出に面食らうレンの反応を見て、ミュリナはことりと小首をかしげる。


「なに? なんか予定でもあった?」

「いえ、ないですけど……」


 さすがにこの流れで「奴隷少女ちゃんのところに行くつもりです!」と言えるだけの蛮勇は、レンにはない。大人しく暇ですと返答する。

 

「そっかぁ。……ふへへ、よかった」


 小さく呟いたミュリナが、ほっと安堵したように頬を緩める。それから、はにかんだ笑みを向けてきた。


「ごめんね、いきなり。でも今日はね、レンの好きなものを用意しようと思ってたの」

「好きなもの、ですか?」

「うん」


 特に記念日というわけでもないのに、なにかプレゼントでもされるのだろうか。

 むむ、とレンは眉根を寄せる。

 正直、ミュリナの気持ちは嬉しい。当たり前だ。嬉しくないわけがない。

 だが仮にも告白を断った身としては、きっぱり退けるべきかもしれないとも思うのだ。ここであっさり自宅訪問を受け入れるのは、奴隷少女ちゃんへはもちろん、ミュリナに対しても誠意がないのではないだろうかという悩みが浮かぶ。

 そんなレンの懊悩を知ってか知らずか、ミュリナは悪戯っぽく笑う。


「だって、好きなんでしょ? 私――」


 人差し指で自分を示したミュリナはわざとらしく言葉に間をあける。


「え、いや――」

「――の料理」

「――ごふっ」


 奴隷少女ちゃんが好きだと明言しているレンがとっさに慌てて否定しようと口を開いたのを見て、さらりと言葉をつなげた。

 レンが思いっきりむせた。見事にレンの声を詰まらせたミュリナは、くすくす肩を震わせる。


「ちゃんと覚えてるわよ。私の料理がレンの好物だって。あんたが言って、私にくれた言葉だもの」

「い、いや、はい。確かに言いました、けど……」

「でしょ? ということで、おいしい夕ご飯をつくってあげるから楽しみに待ってなさい。レンの好きなもの、増やしてあげるから」


 鮮やかに約束を取り付けたミュリナが、弾む足取りで立ち去っていった。


「……うわぁ、うわあ」


 いまの膨らませる自分の気持ちを、なんと言えばいいのか。情けないほど何も言えず、言葉にならない気持ちで頭を抱えてうずくまるレンに、弓使いの先輩が近づいてくる。

 ぽん、と肩に手を置いて、一つ質問。


「少し前から気になってたんだけどさ、お前ら付き合ってんのか?」

「いえ、付き合ってはないです……」

「マジかよ……それはそれで信じられねえな」


 ミュリナの変わりっぷりは、それほどだった。








 弓使いの先輩にミュリナとの関係をしつこく聞かれたのをごまかしつつも家に帰ったレンは、まんじりともせず座っていた。

 なんとなくそわそわする。

 いや、なんとなくではない。ミュリナが家に来ると決まっているから、わかりやすく緊張しているのだ。

 少し前まで、四日間という短い期間だが同居をしていた関係だ。今更な気はするのだが、今更だとは到底思えなかった。

 心を落ち着けるために、できる限りの部屋の整理整頓をする。なるたけ清潔に見えるようにするため窓を開いて換気をする。

 しばらくも待たずして、料理の材料の入った手荷物を抱えたミュリナが来た。


「来たわよ」

「い、いらっしゃいませ」


 屈託のない笑顔に、部屋の主のレンの方がたじろいでしまう。

 まっすぐな笑顔は、卑怯なほど魅力的だ。ミュリナが来ただけで、ふわり、と部屋の空気が変わった気がする。

 二人きりなのだ。改めて自覚して、レンの心がどきりと緊張感を高める。


「んっ」


 不意にミュリナがすうっと大きく息を吸う。なにをしているのか。不思議に思ってレンが目を向けると、彼女は満たされた様にふにゃりと笑うのだ。


「……ふへへ。レンの空気ね。久しぶりだわ」


 幸せそうな声で、そんなことを言う。

 当然、言われたほうとしてはたまったものではない。ごすっ、と額に拳を当てて一呼吸。気持ちを落ち着けてから、懇願する。


「あの、ほんとそういうこと言うのは勘弁してください」

「なんでよ」

「なんでもなにもないですよ……! そもそも、ちゃんと換気しましたし!」

「……別にしなくてもいいのに」


 ミュリナの言葉がうれしいのに、喜んではいけないと理性が言う。ミュリナの仕草に、言葉に反応しようとするたびに、お前は奴隷少女ちゃんが好きなんだろう、とささやく。

 相反する自分の心理に板挟みにされてうめくレンに、ミュリナは不満げに頬を膨らませる。


「あのね、レン。人を好きになるってすごいのよ」


 直球だった。


「私はレンが好き。だから、レンの匂いだって好きよ? 前にも言ったけど、私はレンをいっぱい感じたいわ。レンの全部が好きだもの」


 狭い部屋で二人きり。そんな場所だからこそか、隠すことなく好きを伝えてくる。

 ミュリナは決して小さくない自分の胸に手を当てて、微笑む。


「今だって、レンと二人きりでいるだけで、ドキドキする。レンを好きだって思った時から、心も体もぴったりレン専用に合わさろうってなって、レンを感じるだけで幸せになるのよ」


 もはや何も言えなかった。

 自分が奴隷少女ちゃんを好きだといっているのとは、またまったく違った『好き』だ。

 ほんのり頬を染めたミュリナが、ぽつりと砂糖よりも甘い一言を。


「……だから、レンに私を独占してほしい」


 ここまで言われて、体の温度が上がらない奴がいるのだろうか。

 もはやミュリナが好きとかそうじゃないとか飛び越えて心臓に直撃する一声だ。レンの理性が溶けなかったのが、ちょっとした奇跡である。

 みるみるうちに心臓の音を早くするレンに、ミュリナは自分のセリフに照れたのか、慌ててキッチンへと向かう。


「じゃ、じゃあ料理を作るわね」


 するりとエプロンをつける彼女の仕草の指先にまで、レンは抵抗のしようもなく見惚れてしまった。

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