イチキ




 パーティー、解散になるかも。

 レンは一人で帰路につきながら、どんよりとした気分でいた。

 顔合わせのための探索が終わり、帰り道に出会った二人。イチキの姉妹だというが、明らかにそれだけではなかった。

 何の用か。ただならぬほど青ざめたイチキの顔色を見て、ミュリナが顔を険しくし、一歩前に出たレンが聞こうとした時だった。


 ――お気になさらないでください。身内の話ですので。


 そう言って、レンとミュリナは追い払われた。身内の話、と言われてしまえば割り込むのもはばかれる。イチキの丁寧な願いを無下にもできなかった。

 なにか、事情があるのだろう。

 帰りの分かれ道までにミュリナと話して出た結論は、そんなものだった。ミュリナに紹介されたイチキだが、あの様子だと、家庭の事情で春のパーティー結成時に支障が出るかもしれない。

 だがそんなことよりも。

 レンは、来た道を振り返って呟いた。


「大丈夫かな、イチキちゃん」


 純粋に、知り合ったばかりのイチキの身を案じていた。

 彼女が、いま何を考えているのか。


「……」


 最初に手紙を差し出してきたときの彼女を思い出して、切に知りたいと思った。



***



 イチキは自分が天才だということを、はっきりと自覚している。

 傲慢ではないし、謙遜もしない。人より努力をしてきたからとか、人より成功したからとか、人より知識があるとか、『やってきたこと』で自分に才があると知ったわけではない。

 イチキはただ、生まれた時から人としての構造が常人とは違った。

 自分が他人とは違うことに気が付いたのは、イチキが一歳になるよりも前だった。

 彼女は、生まれて半年頃から、はっきりとした記憶がある。一歳の頃には、ほとんど自意識と呼べるものを確立していた。もし大人と会話をしようとすれば、その時点で可能だっただろう。

 別に前世の記憶があったとか、超常的な存在から知恵を与えられたからではない。生まれた時から周囲にいた大人の会話を聞いて、目に映る風景を見て、取り入れたあらゆる情報から逆算して世界の仕組みを読み取った末に形成された自意識だ。

 普通の人が十年かけて得るような人格の形成を一年で済ませたイチキは、その時点である判断を下した。

 自分は他人とは違う。

 明らかに、感覚が他人より二つか三つ多い。普通の人間にはない世界観測の知覚があり、そこから得る独特の感覚情報を正常に処理できる頭の構造をしている。それ故に、自分は他の人間よりも優れている。成長すれば、他者を圧倒できる人間になる。驕りでもなんでもなく、ただの事実としてイチキは自分の優秀性を把握していた。

 同時に彼女は、異端なまでの賢さで悟っていた。

 その才覚を示せば、間違いなく疎まれる。

 イチキの生まれた東方清華王朝は、年功序列の世界だった。年を取れば偉くなれる世界で、若く優秀なことが必ずしも歓迎されるわけではない。

 いまの自分は、一人では生きていけないほど脆弱な生き物である。だからこそ、一人歩きもままならない自分の体を自覚した彼女は、生きる指針を決めたのだ。

 隠すこと、媚びること、尽くすこと。

 その三つでもって、自分が異端ではないと周囲に示す。

 当時、一歳の幼児の自己診断である。

 彼女は自分が育ててもらわなければいけないということを知っており、そして愛されるようにふるまうことを決めた。

 まず年長者よりも優れた所作を控えた。教えを乞う姿勢を決して崩さず、勝利による優越感より敗北して侮られることを選び、特に年上を相手にした時に自分を大きく見せようとはしなかった。結果、イチキはそれなりに優秀な子供であったが、それ以上ではなかったはずだ。

 自分個人は優れた人間であるが、人の集団より優れた個人である必要はない。ある程度の組織であれば成長した自分一人ならば打ち勝てるかもしれない。しかし集団が大きくなればなるほど、なにより『国』という規模になれば、イチキ単体では決して勝利など望めないと知っていた。

 自分の幸せのために、イチキはすでにある『一族』という大樹に身を寄せることを良しとしていた。

 だから彼女は、知恵の一族と称された自分の生まれに満足していた。代々の領地を保有する華族でこそないが、代々の官僚一族。原初の図書館の保有血脈という箔もある『知恵の一族』という生まれは、努力すれば将来が保証されていた。

 この一族の中で無事に育って大人になれば、この一族に尽くして生きよう。そう思っていたし『一族の血は絶対』という、東方清華ではごくごくありふれた風潮に異を唱えることもなかった。

 同時に彼女は、よく本を読む少女だった。

 文字を読むのが好きというわけではなく、物語を好むわけでもなく、知識が増えるのが好きだった。自分の異常性をアウトプットすることはせず、ただひたすらにインプットを続けることは、自分の異端性を隠し続けることへのちょっとした反抗でもある。

 異端を存分に発揮した異常なほどの知識の収集は、人目を忍んでいたとはいえ、自分というアイデンティティを満足させる一つの手段だった。

 そして、彼女なりのストレス解消法であった。

 イチキの人生は、自己否定から始まったと言ってもいい。

 他人から見ればイチキは異端だが、イチキにとっては他者と合わせることこそが自分の本質から外れるものだ。

 だから、時々無性にその知識を披露したくなった。イチキはずば抜けて理性的だったが、感情がないわけではないし、合理性の塊でもない。自分の優秀性を多少晒してもリスクがない相手――つまり身内ならば多少、緩くなった。

 だからイチキは、一族で最も優秀な人に自分の知識、解釈を披露した。

 その相手こそ、オユンである。

 長姉であるオユンは、次期族長の最筆頭だ。十以上も歳の離れた姉だ。その彼女になら構わないだろうという範囲で、イチキは自分の知識を披露していた。

 そんな息抜きを、何度か繰り返した。イチキはオユンのことを信頼していた。自分の姉だ。何より東方において『血』という絆は、他の追随を許さぬほど固い縁である。

 だから、忘れられないのだ。


「オユンさま……?」


 首輪を付けられた、あの日のことを。

 隷属の首輪。

 大陸的に禁止された恩恵である。同時に、ダンジョンで生まれる悪意の首輪は手に入れようと思えば手に入れることができる品でもあった。

 起き抜けに首輪をはめられたイチキの戸惑いに向けるオユンの目は、懐疑の一色だった。


「貴様は、何だ。まさかとは思うが……『仙人』の生まれではあるまいな」


 誤解です、と叫んだ。

 自分は確かに異端かも知れない。そして自分如きが『仙人』あるいは『聖人』ではありえないということも、書庫で得た知識で知っていた。

 自分はせいぜい、人より二つか三つ感覚が多く、それを正常に処理できる頭の回路を持っているだけだ。第一、彼らは生まれつきの才能による力で奇跡に到達するのではない。ただ人間だったものが、ある日突然『奇跡』を得るのだ。


「そうか……いや、そうなのだろうな。貴様如き才覚で『仙人』などと警戒するのもおかしいのかもしれんが……他の弟妹に比べて貴様は……」


 考えをまとめるように、オユンはぶつぶつと独り言をつぶやいていた。

 東方において『仙人』の発生は動乱の兆しに等しい。王朝の変遷時には必ず仙人が関わっていた。そこは西方と変わらないが、何よりも東方清華王朝には『皇帝の玉音』を冠するハーバリア皇国と違い国の始祖たる血脈――『天帝』の秘蹟がすでに失われて久しかった。

 もし仙人が生まれたら、清華王朝は抵抗もできずに滅ぶのではという恐れは国事に関わる人間ならば誰もが持っていたのだろう。ハーバリア皇国で『聖女』と『勇者』による革命が起こり、収束しつつある時期だったからなおさらだ。


「貴様には、西方に行ってもらおう。ハーバリア皇国の動乱も決着がつきつつある。情報の収集と、その後の足がかりが欲しいのだ」


 笑顔で言われた。

 なぜ隷属の首輪をつけるのか。なぜ幼い自分なのか。薄っぺらい以前の建前を語るオユンに対する反論はいくらでもあった。

 だが本心が見えた時点で、イチキは諦観の念に支配された。

 オユンはイチキの厄介払いをしたいだけであり、それ以上に『処分』を望んでいた。ありていに言って、遠方で死ねばいいと思われていた。


「なに、すべては貴様の才覚に任せよう。貴様一人にな」


 まだ十歳にもならない子供に、何を言っているのか。

 仙人どうこう以前に、彼女は優秀な本家筋の人間の存在を疎んでいた。年功序列によって次期族長候補筆頭である彼女は、その地位を盤石にするべく、自分より優秀になるかもしれない人間の芽を摘もうとしているのだ。

 どうすればいいのか、イチキにはわからなかった。

 逃げ出すにしても、寄る辺がない。彼女は賢く、その聡明さゆえに後先考えない行動ができなかった。この段になっても、何もないところに逃げるには遠方に飛ばされたほうがましだという判断ができてしまった。


「一族のためだ。行ってくれるな、イチキ」


 なにより、信頼していたオユンに裏切られたショックが大きすぎた。

 雑なことに、西方に向かうルートは違法な人買い経由だった。イチキの抵抗を恐れたオユンが、隷属の首輪をつけたままにした言い訳だろう。ほとんど売り飛ばされたのと変わらない方法で西方に運ばれて、たどり着いた先。


「なんだぁ。お前、くっらい顔してるなぁ。目が死んでるぞ」


 最初に聞いた声は、聴いた人を魅了する天使のようなソプラノボイスだった。


「俺を見習えよ、俺を。自慢じゃないが俺ほど理不尽にさらわれた奴、ここにいないぜ。だが俺はっ、自分を不幸だなんて思ってない!」


 びしっと親指で指をさした少年は、その声よりも生きざまがまぶしく映った。

 どうやっても聞きほれてしまうソプラノボイスとは裏腹な粗暴な口調は、彼が礼儀作法とは全く無縁の場所で生きていたことを示していた。びっくりするくらい弱い少年は、分際知らずなほど態度が大きく、なんでこんなにも不自由な場所で自由に生きているんだろうと羨望を覚えた。

 そして、もう一人。


「……首輪くらいで落ち込むなんて、変なの。嫌なことでも、あったの?」


 美しく怜悧に整っているのに、どこかぼんやりとした表情の少女から発せられる耳に心地よいハスキーボイス。

 同じ首輪を、まったく違う理由でつけた二人に出会って、イチキは救われた。人並みということを、初めて知ることができた。己の内を明かして受け入られる喜びを、知った。

 境遇も、扱いも、生まれも。

 何もかもが違う三人が出会った時だった。

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