雑誌の全肯定・後編


 常連シスターさんが記者さんを引っ張った先は、いつだかレンにおごってもらった喫茶店だった。

 何度か通って、すっかりお気に入りになったお店である。オープンテラス席に座って注文を済ませた頃には、記者さんもずいぶんと落ち着きを取り戻していた。


「すいません、先ほどはお見苦しいところをお見せしました」

「いえいえ、お気になさらず」


 気恥ずかしそうにしている記者さんに、軽く笑みを向ける。

 こうして向かい合ってみれば、ごくごく普通の人である。いろいろとため込んでいたのだろう。人間、追い詰められれば常識人であっても何を口走るかわからない。無表情の先輩の相手が恐ろしく疲れることはよく知っているのだ。

 苦笑しながら、紅茶を飲もうとカップを手に取る。


「それじゃ、自己紹介でもしましょうか。私は――」

「ミルシナ・ぺリオンさん」


 告げられた名前に、動揺が指先に出た。

 ちょうど口元に持っていこうとしていたカップがびくりと揺れて、紅茶の水面にさざ波が立つ。

 ちらりと視線を上げてみれば、相手はまっすぐこちらを見ていた。


「お目に書かれて光栄です。市長の娘さんですよね」

「……」


 ミルシナ・ぺリオン。市長の娘。そう呼ばれた常連シスターさんは、間を作るため無言で紅茶に口を付ける。

 そうか、記者だったかと今更ながら思い出す。関わらない方がよかったかなぁ、と少しの後悔が胸をよぎった。

 一口飲んだ紅茶を、ソーサーに戻す。

 一瞬で対応を決めた常連シスターさんは、にこやかに微笑んだ。


「それは教会に入る禊を済ませる前の名前と立場です。いまはファーンと名乗っていますので、そちらでお願いします」

「失礼しました、ファーンさん」


 訂正しつつも、記者さんは眼から好奇心は消えていない。

 引かないか、と内心でため息を吐く。なるほど、絶好の機会だろう。たとえ仕事ではなくても、こういう機会を逃さない人種が記者というものなのだ。

 運ばれてきたパンケーキにフォークを突き立て、むしゃりと一口。咀嚼する。


「それにしてもよく御存じですね。父はともかく、私の顔なんて知っている人、そんなにいないはずなんですが」


 常連シスターさんの父はこの都市の市長であり、政界人として有名だ。

 とはいえ、彼女自身はその娘でしかないし、いまや俗世からは関係を断った身だ。世間の関心の目を向けられる立場ではない。


「私が記者になり始めたのは、ちょうど革命期の前後でしたから。いろいろと情報を集めていたんです」

「そうですか……」


 さっきの奴隷少女ちゃんと記者さんの会話を思い出す。確かに二十ピ――歳というと、そのくらいの歳だ。


「断っておきますが、私が教会に入って以来、父とは絶縁状態です」

「なるほど……重ねて申し訳ありません。いきなり失礼なことを言いました」


 さっ、と頭を下げられてしまえば、それ以上何を言うこともできない。

 自分と、父。久しぶりに指摘された関係性は、常連シスターさんの胸に苦い思いを湧き上がらせた。

 教会は俗世とは一線を引いている。それは事実だが、同時につながりがないというわけではない。建て前はどうであれ、親子の間柄がまったくの無関係だというほど常連シスターさんは頑なではない。

 自分が教会に入ってから都市からの寄付金が増えたらしいし、いろいろと便宜をはかられたこともあるだろう。細かなことなら他にも思い当たるものは多い。今日のようなことも含め、どこまで行っても自分は父の娘なのだ。

 自分の出自を知っても何一つ態度を変えなかったのなど、あの無表情の先輩くらいなものである。


「それにしても、なぜ市長のご息女のあなたが修道院に? 御父上は、偉大な方だと思いますが」

「偉大ですよ」


 修道院は女性の逃げ場所という側面が強い。だから、なにか不祥事でもあるのかと勘繰られることもあった。

 だが、なにもないのだ。

 市長という政治家としても、一人の父親としても。心の底から尊敬できる人物だと思っている。

 ハーバリア皇国の革命前後で、市長が変わらなかった数少ない都市がここだ。

 あの動乱期で地位を失わず、家族を一人たりともこぼさず守り切った父は紛れもなく偉大だ。

 それでも、この都市ですら多くの人が死に続けた。死ななくてもいい人が、死に続けたのだ。

 ミルシナ・ぺリオンという十代半ばの少女は、それを遠くの国の出来事であるかのように感じていた。

 父に守られて、守られ続けて、何の実感もなく革命を終えて、彼女の主観ではまるで何も変わってなくて。


「偉大だからです」


 だから彼女は、父の庇護のもとから離れたのだ。

 初対面の相手に、それ以上話す気はない。常連シスターさんは笑みを浮かべる。


「でも、やっぱり記者さんですね。修道女になるには、俗世への好奇心が死んでませんよ」

「あ、あはは。確かにそうですね」


 突っ込んだ質問をした後ろめたさがあるのだろう。やや気まずそうに頬をかくあたり、この記者さんには良識がある。


「まあ、そんな話よりは企画されているという雑誌のお話をしましょう。そっちのほうがよっぽど建設的です」

「そうですか。いえ、そうですね」


 それ以上話す気はないと悟ってくれたのか。切り替えた話に乗ってくる。


「冒険者向けの雑誌、っていうお話でしたよね。私もそこそこ勤めが長いですし、先輩――イーズ・アン様とも親交があるので多少の口添えはできますよ」

「本当ですか!」


 本題に入ると、ぱっと表情が輝く。


「ありがたいです! いや、あの方はまるで突破口が見えなくてっ。助かります!」

「いえいえ。さっきの奴隷少女ちゃんとの会話を聞いていましたけど、冒険者のみなさまの助けになる企画のようですし、断る理由もありません」


 あとで渉外部に口利きをしておけば大丈夫だろう、と段取りを考える。

 上司には嫌みを言われるかもしれないが、今更である。そもそも、渉外の仕事に無表情の先輩を回した上司が悪い。よほど自分の近くにいて欲しくなかったのだろうが、それにしたって無責任にもほどがある。


「どうせなら、ここで簡単に企画内容を聞いてもいいですか? 私も知っていたほうが、話が通しやすいので」

「おおよそは、先ほど奴隷少女ちゃんに話したものですね。それと、どこかのパーティーに絞って、実録コラムでも連載できればいいなと思ってます。一貫性のある連載で、評判が良ければ本にもできますしね」

「なるほど。やっぱり問題ないと思いますよ。話は通しておきます」

「ありがとうございます!」


 誠実な内容でありつつも、実利を考えてあるのならば、早々に企画がつぶれるということもないだろう。記者として必要な好奇心はあるが、踏み込み過ぎない人柄も信用に値する。

 それに、と一つ思いついた。

 コラムとなれば話題を提供する冒険者に謝礼も出るだろう。常連シスターさんは、金欠で絶食して死にそうになっていたこともある少年の顔を思い浮べていた。


「ちなみに創刊はいつ頃の予定なんですか?」

「今春予定ですよ。どうしても準備に時間がかかるので、それくらいになります」


 ちょうど、どこかの少年のパーティー結成と同じような時期だった。

 ふっ、と口元がほころんだ。


「それだったら、ちょうど面白くなりそうなパーティーを紹介できるかもしれません。春ごろに新しくパーティーをつくる、若い子たちがいるんですよ」

「へえ。あなたのご紹介だったら、とてもありがたいです!」


 春までに、彼のパーティーがどういう形になるのか。

 愉快な気持ちを抱きつつ、常連シスターさんは記者さんと話を進めた。

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