雑誌の全肯定・前編


「ふーふーん。今日もー、やっと仕事が終わったよー」


 小さな歌声が響いていた。

 陽気な鼻歌のようでいて、微塵も嬉しさが感じられない。周囲の人には届かない程度の音量で歌っているのは、二十代初めに見える私服の女性だ。教会の治療院に従事する常連シスターさんである。

 常連シスターさんは、仕事が終わったあと奴隷少女ちゃんのいる広場に向かっていた。

 レンが何をしていようが、彼の人間関係が混迷まっしぐらだろうが常連シスターさんの日常は変わらない。安定した生活環境を構築している彼女の生業は、いつものように一定数のむかつく客がいる仕事であり、上司セクハラパワハラ気味の大変よろしくない職場だ。慣れていようがストレスがたまらないわけがない。


「むかつく上司に減らないクソ客ー、どーして奴らは消えないのー。明日もきっとー、消えないのー」


 誰もが一度は考える即興の仕事場消え失せないかな歌を歌いながら、常連シスターさんは公園広場に向かう。

 他人に迷惑をかけない音量でこっそり歌うくらいでは抱え込んだストレスは解消されない。ならばこそ、愚痴をいつものようにきれいさっぱり吐き出して洗い流してもらおうと奴隷少女ちゃんのいる公園広場の入り口に入ったところで、常連シスターさんは、ぴたりと足を止めた。


「ありゃ」


 先客がいたのだ。

 着古した貫頭衣を身に纏い、首に革の首輪をつけた奴隷少女ちゃんの前にいるのは、眼鏡をかけた女性である。かっちりとした雰囲気のできる女性っぽいな、と常連シスターさんはそんな印象を抱いた。

 そんな女性が、奴隷少女ちゃんに千リンを差し出していた。


「お久しぶりです。二回目ですが……よろしくお願いします」


 差し出された千リン紙幣を受け取った。

 すっと看板がどけられる。

 隠されていた口元があらわにされる瞬間は、同性の常連シスターさんから見ても魅力的だ。


「もちろんなの!!!! お願いされたら奴隷少女ちゃんはいつだって答えるのよ!!!!! えへっ!」


 奴隷少女ちゃんの美貌から、ぴかっと輝く営業スマイルが放たれる。


「一度や二度と言わずに、悩みを抱えたその時に迷わず何度だって来ていいの!!!!! さあ!!!!! 言いたいことを大きく叫ぶといいの!!!!」


 奴隷少女ちゃんのハスキーボイスが公園広場に吹き抜ける。常連シスターさんは耳慣れた奴隷少女ちゃんの声に癒されながら、やり取りを観察する。

 奴隷少女ちゃんの最多リピーターである常連シスターさんは知っている。ここに来る人間は、大体二種類に分かれるのだ。

 奴隷少女ちゃんにポジティブな内容を話して自己肯定感を高めるためか、ネガティブな相談をして暗い気持ちを吐き出すかだ。

 今回の記者さんは雰囲気から察するに、明らかに後者である。


「実は、前回相談して以来、冒険者向けの雑誌の創刊企画を立てていたのです」

「新しいお仕事、お疲れ様なの!!!!!!! 

「ダンジョンは迷宮で様相を変えます。だからこそ、世情をまとめてダンジョンにどのような影響を与えるのか、雑誌という発行物を介してダンジョンに関わる有益な情報を発信することで冒険者の方々の信頼を得つつ、記者としてインタビューなどをしてさらに情報を収集し、精度のある情報を発信し続けるというのが趣旨です」

「とっても意義のある企画なのね!!!!! 発案が素晴らしい上に、今後の展望も考えられているの!!!!! 何事も初めが一番エネルギーを使うもの!!!! 最初の頑張りどころなの!!!!!」


 ほう、と傍で聞いていた常連シスターさんは感心する。

 異空間であるダンジョンは、町の人々の感情によって形成されている。そのため一部の冒険者は、新聞などの媒体を介して町の情報のチェックを行い、ダンジョンの変動を予測するのだ。

 そういった高度な危険管理が徹底されているかといえば、必ずしもすべての冒険者に当てはまるわけではない。

 そもそも町の世情なんて知ったことではないという冒険者が多いし、世情の流れとダンジョンの変動を予測するのは長年の経験が必要だ。

 それが、冒険者向けの専門誌という形になって世情がまとめられるようになれば特に新人や中級層にはありがたられるだろう。


「情報の収集内容に関してはベテラン冒険者のインタビューや、逆に新人冒険者の実情をコラムにしたり、実際にダンジョンに変動があった際の世情比較などの考察も随時まとめて、いままで各冒険者が経験的にしか蓄積していなかった情報を多くの層に共有できれば、全体のレベルアップも見込めるのでは、と思っていました」

「情報の発信だけではなく、収集も兼ねているのは情報媒体の真髄を体現しているの!!!!! 雑誌という媒体の有効性を認識して使いこなせているなんて、さすがとしか言いようがないの!!!!!」

「はい。やりがいも感じていました。購買層も冒険者という需要に絞ってしますので、発行部数の見込みも立てやすかったです。無事に上司を説得して企画は通せたのですが……問題は、神殿です」


 神殿、と聞いた常連シスターさんは、はてと小首を傾げる。

 確かに神殿は刊行物に対しての検閲を行っている。法的拘束力はないが、この国では神殿の権威が絶大なのであらゆる業界は教会に気を遣っているのだ。

 さらにいえば、ダンジョンといえば冒険者というのが一般のイメージだろうが、実際は教会の管理下にある。だから教会にお伺いを立てるのはわかる。

 だが、教会に身をおく常連シスターさんであっても、企画の趣旨が教会の理念に反するとも思えない。普通にあっさりと通るはずだ。


「ここは、さほど問題がないと思っていました。発行物の内容からして過激なものでもありませんし、教会の教えに抵触する要素もなく、冒険者の皆様の活動の一助になれるものです。刊行の際に内容チェックをしてもらえればと思っていたのですが……」


 そこまで言って何を思い出したのか、記者さんは震える手で顔を覆う。


「対応の人に、まったく話が通じないんです……!」

「それは大変なの!!!!!!!!!!!!」

「はい、本当に大変で、私は一体どうすればいいのか……」


 表情を手で隠した記者さんは、震える声を絞り出す。


「新しいことをやるのだからと多少の反発は覚悟していましたが、反発だとかそういう問題ではないのです。仕事で打ち合わせに行っても、延々とまるで関係のない話を聞かされてしまうのです。関係ない話と言うか、その方の教義を延々と聞かされるためだけに神殿に向かっているという気すらします」

「なるほど!!!!! とっても困った人なのね!!!!!!!」


 むむ、と常連シスターさんは眉根を寄せる。

 話の通じない人間というのはどこにでもいるものだ。話の通じない友人、話の通じない上司に部下、話の通じない客と、人間が人間である限りコミュニケーションで必ず齟齬が通じる。

 しかし、自分の教会にいるとなれば問題だ。これはびしっと内部告発でもしようか、と常連シスターさんが組織の健全化に想いを巡らせる。


「人と人とのやり取りにはすり合わせが必要だってことすら理解してない他人とのお話はどうしようもないの!!!!! 仕事のお話と自分個人の話を区分けできていない相手とのお仕事はとっても面倒だと思うの!!!!! まったく、一度その面おがんでみたいくらいなの!!!!!」

「イーズ・アンという方です」

「ぅむぐっ」


 告げられた名前に、いつもはすらすらと全肯定を吐き出す奴隷少女ちゃんの口が一瞬閉じられてしまった。珍しいことに、言葉を選ぶために、ひょろりと目が泳ぐ。

 同時に常連シスターさんの顔が、非常に気まずいものになった。


「そうです。あの革命の立役者とも評されている、『聖女』イーズ・アン様なのです。なぜかその人が検閲の渉外担当の一員として活動しているんです。意味が分かりませんよね。でも事実なんです」

「そ、そうなのね!!!!!! それは、ほんっとうにとってもとっても大変だと思うの!!!!!!!」


 記者さんは顔を覆っていた手をだらりと下ろし、陰鬱に続ける。

 びっくりするぐらい権威権力に興味がない人間である。教会の後ろ盾があろうがなかろうが、常連シスターさんの職場の無表情な先輩ことイーズ・アンの言動が変わることはない。だからこそ厄介なのだ。


「問題は話が通じないということだけではありません。最初はさっぱり意味が分からなかった彼女の言説なのですが、最近はなぜかイーズ・アン様の教えが少しずつ身に染みていくような感覚があるんです……」


 そういえば最近、あまり仕事場で見ないと思っていたら、外部の人の対応をやっていたらしい。あの人を渉外担当に据えるとか上司はいったい何を考えているのだろうかと思わずにはいられない。

 とはいえ無表情の先輩の秘蹟の効果は絶大だが、絶大過ぎて人体に使うのはちょっと、ということで見解が一致している。昔に治療するべき人間をうっかり浄化で消し去りかけた事件があったので、よっぽど追い詰められている時でないと秘蹟を使ってもらうわけにもいかないのだ。


「仕事の話をしてなぜか返答が神典の一節になって説法へとつながるあの方の話を何度も何度も聞いていると、仕事のことがどうでもよくなってきて、世界の在り方に疑問がわいてくるんです。自分が間違っているんじゃ……というか、この世の中のすべてが間違っているんじゃという気持ちになってきて、怖いんです」

「お、落ち着くの!!!!!!! 現実を無視しても、何一ついいことはないの!!!!!! 人というのは、どんなにつらくって理不尽であっても、現実を土台として生きているものなの!!!!!! いままで自分が積み重ねてきたものを思い出すの!!!!! あなたはとっても立派に生きてきたのよ!!!!!!」

「しかしですね!」


 仕事レベルではなく思想レベルでの浸食が始まっているご様子の記者さんの目が、怪しい光を宿す。


「現実におもねったところでいいことがないのですっ」


 そうだね、と常連シスターさんはうっかり頷いてしまった。

 現実におもねってもいいことがない。まさしくその通りである。現実というのは、おもねる人間に対して容赦なく搾取をかますのだ。善良で真面目な人間こそが悪徳のターゲットになる点については、世の中間違っているとしか言いようがない。


「現実とはいったいなんですか!? 苦しいことが現実であり、耐え難いことを耐えるのが人生というならば、正しいのは神典に描かれた理想郷なのではありませんか!? 聖女様の言説はやはり真理であって、この世界はやはり間違っているのではないのでしょうか!? 私は彼女の洗礼を受けて、教えに身を沈めるべきなのでは!?」


 お仕事と現実に疲れすぎたところに聖女さまの説法を食らった記者さんは、眼鏡の向こう側のお目目がちょっとまずい感じになっていた。


「そう! まずは喜捨からです! 記者という身分を捨て、全財産を喜捨し、世俗と別れを告げて修道女としての人生を歩めば幸せを手に入れられるのではないでしょうか!? 婚姻が禁じられた聖職者になれば、実家に帰った時に親から『結婚まだ? あなたもう二十ピ――歳でしょう?』とか『いい人はいないの? ……はぁ。孫がね、ほしいだけなのよ』とか言われることもなくなるのでは!?」


 親と絶縁状態の常連シスターさんにはちょっとよくわからなかったが、非常に切実な叫びだった。

 相談内容があっちこっちに飛びまくっているが、それでも奴隷少女ちゃんは果敢に拾って何とか心の澱を流そうと声を張る。


「一方的な期待がつらいのはよくわかるの!!!! 親だろうがなんだろうが、自己都合と願望の押し付けは重圧なの!!!! でも解決の仕方が違う方向に根本的すぎるの!!!!!! 親孝行には他にも手段があるはずなのよ!!!!!」

「ありませんよあの年の人間には」


 きっぱりと断言する。


「実家に帰ってもいいことがないんですよ! 仕事でどんなに成果を出そうが親に認められないんですっ。結婚して子供つくらないと前に進んでいるとみなされない社会っておかしくないですか!? 私、結構社会貢献をしているはずなんですけど!?」

「それは――ぁ」


 非常にタイミングが悪いところで、十分が過ぎてしまった。

 十分が過ぎれば奴隷少女ちゃんは看板を口元に持っていって物静かな美少女に戻る。もちろん千リンを再度取り出せばいいのだが、記者さんは財布を取り出すことはなかった。

 何やらよろしくない面を中途半端に引き出して変な方向に吹っ切れてしまった記者さんは、怪しい笑みを浮かべる。


「ああ、終了ですか。しかし、色々と吐き出してみてわかりましたが……ふふふ、やはりこのまま現実を無為に過ごすよりは――」

「ちょっとお待ちください」


 もちろん常連シスターさんに責任はない。責任はないが、かといって放って見て見ぬ振りができるほど器用な生き方をしていなかった。奴隷少女ちゃんの一ファンとして全肯定の結果が変な方向に振り切って終わられても嫌だし、職場の先輩の不始末をぬぐうのも後輩の仕事だと、記者さんの肩に手を置く。


「私は、通りがかりのシスターです」

「はあ、そうですか。なぜ教会の方が――は! もしかして、教えを導いてくださる方なのでしょうかっ」

「違います」


 常識人を自認している常連シスターさんである。大して信仰もない自分と無表情の先輩を一緒にされても困るので、きっぱりと断る。


「あなたのお悩みを解決できるような気がしなくもないので、お話を伺おうと思ってお声がけをしました。うちの先輩がほんとに申し訳ないことをしました。謝りたいことが山ほどあるので、よければ続きを喫茶店でお話していきませんか?」

「いえ、私はもう――あれ? あなたは、もしかして……」


 何に気が付いたのか、記者さんが目を瞬く。常連シスターさんの顔をまじまじと見つめる彼女の瞳には、好奇心が宿っていた。


「気が変わりました。ぜひご一緒させてください」

「よかった。じゃあ、近くにいい喫茶店があるのでそこに行きましょうか。私もそこそこ教会勤めは長いですし、先輩とも話せるほうなのでなにかのお力になれると思います」


 奴隷少女ちゃんは、どうも常連シスターさんが全肯定の利用なしで帰ってしまいそうだと口元を看板で隠したまましょんぼりする。常連シスターさんが奴隷少女ちゃんの全肯定を楽しみにしているように、奴隷少女ちゃんも常連シスターさんとのやり取りを楽しみにしているのだ。


「あ、そういえば奴隷少女ちゃん」


 自分の仕事の不始末を引き受けさせてしまった申し訳なさを瞳に宿した奴隷少女ちゃんは、常連シスターさんに呼ばれて首を傾げる。


「なんかレン君、新しくパーティーを作るみたいなんだよね。新しい女の子連れてたよ。すごく仲が良さそうな金髪の女の子と、東国衣装を着た、これまたすっごくかわいい女の子」


 ちょっとだけ奴隷少女ちゃんに恋するレンにも味方をしようと決めていたシスターさんである。実は女の子を二人引き連れていたというパーティー内容に「なにやってんだこいつ」と、ひそかにイラッとしていた彼女は、こっそり告げ口をする。

 どんな反応をするかな、と野次馬根性でちらりと奴隷少女ちゃんの表情をうかがう。


「……」


 奴隷少女ちゃんの物静かな微笑みに、変化は一切なかった。

 ま、そんなものかと肩をすくめて、常連シスターさんは記者さんと連れ立って歩き始めた。








「……」


 奴隷少女ちゃんは、笑顔のまま固まっていた。

 ちょいちょいよく来る客の一人。冒険者のレンのパーティーにいたという、東国衣装の美少女。

 なにをどう考えても、家出をしてここ数日家を空けているイチキのことだ。奴隷少女ちゃんの大切な妹のことである。

 もちろん、奴隷少女ちゃんは妹の優秀さを信頼している。彼女は何らかの意図でへっぽこレン太郎のパーティーに付き合っているのだろう。

 だが、それはそれだ。


「あの、たらしぃ……!」


 かわいい妹になにかあったら、絶対に許さないと決意する。

 常連シスターさんの意図はさておき、レンへの憎悪ポイントが追加されていた。

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