イチキの全肯定
夜もすっかり更けた公園広場に、風が吹き抜けた。
いつもここで全肯定をしている奴隷少女ちゃんの姿はない。彼女も仕事を終えて拠点に戻っているのだ。
そんな静かな夜の公園広場のベンチで、イチキは物思いにふけっていた。
随分と久しぶりに会いに来た、血のつながった人間。自分を放逐して、すっかり忘れているとばかり思っていた相手。捨てられ、自分も捨てたと思っていた過去だ。
オユンとの話し合いは、すぐに終わった。
イチキが知らぬ間に生まれていたというリンリーの紹介もそこそこに、オユンがなぜハーバリアに来たのか用事を知らされた。
オユンが望んでいるのはこの国とのパイプ役だ。いまのイチキならば、ボルケーノを通せば可能な案件である。
そうしてイチキが得られるものは、一つ。
「東国清華へのつながり……」
先々のことを考えれば、悪い話ではなかった。
イチキの姉、奴隷少女ちゃんが少なくないリスクを許容してこの国にい続けるのは、いくつか理由がある。
当然、彼女の生まれ故郷だからというのも一点。国境を逃げる際に捕捉される可能性があるというのも一点。
最も大きい理由は、彼女が持つ先天の秘蹟だ。
ハーバリアという国において、最も奇跡に近い力である『玉音』。
人の心身のみならず、集合意識から派生した概念領域まで干渉し、一声で従える先天の秘蹟。ハーバリアの国土、国民に効果を及ぼす絶大な力だ。
玉音はハーバリアの国内でのみ威力を発揮する。国外に出てしまった場合、彼女は自身の力による絶対的ともいえる身の安全の保障がなくなってしまうのだ。
この国にいる限り、イチキの姉を傷つける可能性があるものは勇者の聖剣だけである。そして勇者の聖剣は『玉音』に対抗することに特化している。
イチキの力は聖剣の勇者に勝り、イーズ・アンは玉音に抗する術がない。この二人の組み合わせがなければ、安全なのだ。だからこそ、ボルケーノという協力者がいる国内に居続けることは決して悪い選択肢ではなかった。
だが。
「……後ろ盾があれば、国外というのも、悪い手ではありません」
ここ最近、よくない流れが続いている。
勇者との邂逅、聖女の活発化、ボルケーノを通して自分たちの地盤にしているハーバリア国の裏社会も、勇者の活動によっていくらか揺らいでいる。
レンとミュリナを通して勇者側の事情をそれとなく探ってはいるが、万全の備えとはいえない。
『騎士隊より厳格なる必要悪』
いまをつくるためにイチキたちが利用した裏社会のおとぎ話は、しょせんは砂上の楼閣だ。基礎的な土台がない概念など、崩れる時はあっという間である。
それでいいと思っている。自分たちの立場の儚さを自覚しているからこそ、いざという時に逃げる場所があるという利は大きかった。
「……」
イチキは、夜空を見上げる。
雲が出ているらしく、星も月も見えない黒空だった。
一族とのつながりはとっくに切れたものだと思っていた。自分から関わることも、相手が関わってくることもないとばかり思っていた。
気になるのは、今回のそもそもの用件である賊軍とやらの存在だ。地方反乱程度のものであれば、広い国土を誇る東方清華王朝ではよくあることでしかない。だというのに、わざわざ中央官僚であるオユンが他国に力を請うのは違和感があった。
鎮圧にてこずるにしても、なぜ他国に頼るのか。
間違いなく語られていない事情があるのだろう。オユンは知恵の一族の長子だ。ならば宮廷政治の一環なのか、もっと大きな理由があるのか。
この国では、東国の情報は遅くなる。大国同士でありながら直接つながる航路がなく、陸路も世界最大級の大砂漠、大山脈のどちらかを挟んでいるからだ。基本的に、他国を経由した迂回路を使うことになる。
「もう少し、詰める必要はございますが……」
大きな問題がなければ、国外に逃げることは検討に値する。
救国の勇者ウィトン・バロウは罪悪感によりイチキの姉を見逃したが、聖女イーズ・アンは決して『玉音』の存在を許さない。そうでなくとも、皇国主義の生き残りや、現政権への不満をくすぶらせている勢力に見つかれば、御輿にされる。イチキの姉が生きているという事実は、安定してきたこの国にとってとんでもない火種になるのだ。
だから、姉の正体を隠したまま、東国に逃れるのは一つの手ではある。
だが。
「……っ」
ぐ、っと下唇を噛む。
頼りたく、なかった。
再会したオユンは、イチキのことを自分が送り込んだ手札だと言った。だから協力しろと、当然のように要請できるのだ。いまは「自分はこのような事態を予見してイチキを送り出した」と本気でそう思っているのだ。
売り飛ばしたくせに。
だましたくせに。首輪を嵌めたくせに。怖かったから他国に追い払って、なのに自分の地位が盤石になった今となっては都合のいい記憶ばかり残している。
幼い頃の自分が、どれだけ傷ついたと思っているのだ。
被害者意識が首をもたげて暴れだそうとしたのを自覚して、いや、と息を吐く。
「感情的に、なりすぎでございましょうか」
心が乱れていた。
ゆっくりと、息を吸う。心と体は不可分だ。心が乱れれば体は変調をきたし、体調が悪化すれば心は弱る。意識して呼吸することで、心を平時に近いものに落ち着けていく。
もっと、冷たく考えてもいいのかもしれない。
好きだとか、嫌いとかではなく、純粋なコストとリスク、リターンでのみ考えればいいのかもしれない。自分は、オユンとの協力などしたくない。なるほど確かにその通りだ。だが姉のためになるのならば、飲み込むべき感情であるとささやく理性もあった。
なにより、イチキは警戒していた。
リンリーもそうだが、オユンがその身の内になにかを隠し持っている。少なくとも、自分が幼い頃には持っていなかった力を身に宿していた。巧妙に隠され過ぎており、イチキでも正体が掴めない何かだった。
要請を無碍にして、敵に回していいものか。それすらも判断がつかない。
「わたくしも、未熟者でございます」
自分一人で、なにもかもを解決できるなど思いあがっていない。しょせん、自分は多少強く、少しばかり小賢しいだけの小娘だ。
オユンに売り飛ばされたときと同等の孤独感に襲われる。
誰かに相談したかった。
だが、姉ではだめだ。彼女は、イチキのことを大事にし過ぎている。今回の件を知れば、即断で否と告げるだろう。下手をすれば、彼女自身が直々に動きかねない。
友人であるミュリナには、そもそも事情が話せない。彼女を巻き込みたいとは思わない。そもそも勇者の妹だという理由もある。
イチキが自分でなんとかしなければならなかった。
まずは情報収集を進めるかなと考えを打ち切ろうとした時だった。
「……イチキちゃん?」
声をかけられた。
覚えのある声にやや驚きつつも振り返ると、レンがいた。
「レン様?」
まさか、自分を追いかけてというわけではないだろう。そもそもレンでは、自分の居場所を特定できるはずもない。
「どうして、ここに? あ、とりあえず、隣をどうぞ」
「あー、なんていうか……」
裾から布を出して、ベンチの隣に座る場所を差し出す。イチキの問いかけに、レンは気恥ずかし気に頬をかいた。
「ここの公園にいる奴隷少女ちゃん、って知ってる?」
「はあ……存じております」
知っているもなにも、イチキの姉である。
曖昧に首肯したイチキに、それなら話は早いとレンは続ける。
「イチキちゃん、あの人たちにあって何か困ってるみたいだからさ。そのことについて奴隷少女ちゃんに、相談しようと思ってたんだ」
姉に、と目を瞬く。
そういえば、レンは自分が姉の妹だということを知らないのだった。
「俺とイチキちゃんって、そんなに付き合いないでしょ? だから情けない話、今日のことも、どうすればいいのかぜんぜんわからなくてさ」
「いえ、お気になさらないでくださいませ!」
「いやいや、気にするよ。俺、パーティーリーダーだよ? ……俺が一番弱いんだけどね」
おどけたように言ったレンは自虐で傷ついたらしく、こっそり息を吐いて。
レンとイチキは夜の公園のベンチで二人、少し距離を開けて並んで座っていた。
「ミュリナもイチキちゃんも、同い年くらいなのになんであんなに強いかな……」
「ミュリナは、意思が強うございますから。きっとすごく努力したのでございましょう。本当に小さい頃から頑張ってきたとわかるから、わたくしはミュリナが好きでございますよ」
「うぐっ。それはわかる。……イチキちゃんは?」
「わたくしは、才能でございます」
言い切ったセリフは、純然たる事実だ。
イチキは自分の才能をひけらかすようなことはせずとも、隠すことはしないと決めていた。
いつもは謙遜するイチキの言葉が意外だったのだろう。きょとん、としたレンはやがて苦笑した。
「才能、かぁ」
「はい。才能でございます。わたくし、普通の人とはちょっと違うのでございますよ。生まれ持ったものばかりは、どうしようもございません」
「……もしかして、今日の人たちとイチキちゃんの才能って、なにか関係がある?」
意外に、と言っては失礼だが、鋭い質問だった。
一族から放逐されたのは。確かにイチキの才能が遠因となっている。
適当にごまかせばよかったのだが、なぜかレンが相手だと嘘をつきたくなかった。ついっと目をそらすという中途半端な反応をしてしまう。
「あー……やっぱり、言えない?」
「申し訳ないのですが……」
「そっか。俺じゃ力不足だよな。だからあの子に相談して、どうすればいいのか糸口を見つけようと思ったんだけど……奴隷少女ちゃん、もう帰っちゃったみたいだね」
いないのは当然だ。イチキも姉がいない時間を見計らって公園に来たのだ。
姉に事情が漏れてしまっては、身もふたもない。
「大丈夫でございますよ? 本当に、どうしようもないという状態ではございませんから」
「どうにかなる状況でも、つらい時はつらいんだと思うんだ」
線を引こうとしたイチキに、静かな声が返ってきた。
「余計なことかもしれないけどさ。俺も、あの子を見習いたいんだよ。もちろん、あの子みたいに誰でもっていうのは無理だと思う。でも、パーティーを組んで俺がリーダーになるからには、そのメンバーくらいは全肯定したいんだ」
それは、レンがパーティーを組むと決めた一つの理由でもあった。
「俺はあの子に救われたからわかるけど……言葉で人を助けられるって、本当にすごいことだと思うんだ。だから俺は、そういう人になりたい」
「……あはっ」
似ていない。
こうして、ちゃんと話してみて、よくよくわかった。
レンは、全然、兄とは似ていない。兄はもっと楽天的で、だいぶ無責任で、だから救われたところがあった。
何より――彼は、兄だった。
妹たちに、責任を分けてくれなかった。イチキと姉のことを、本当のところで頼ってくれなかった。明るくて、前向きで、最後まで弱くて、それでも自分を引っ張ってくれた。
姉のことを見習いたいなど、兄の口からは決して出てこないだろう。
「素晴らしい理念だと思いますよ、レン様」
「……ちょっとバカにされる覚悟もしてたんだけど、ほんと?」
「もちろんでございます。この公園広場のお方に憧れる気持ち、よくよくわかります。なにせ世界一、素敵な方でございますものね!」
「お、イチキちゃんもわかる? すごいよね、奴隷少女ちゃん!」
「はい、もちろんでございます!」
この人は、兄とは違う。
情けなくて、時々後ろ向きで、責任をしょいすぎるところがあって、周りを気にして他人の影響をよくも悪くも受けてしまって、いまはまだまだ弱いけど、きっと将来強くなる。
姉を守れるくらいに、強くなるまで止まらない人だ。
別人なんだな、とレンの横顔を見て思う。胸が、とくんと音を立てた気がした。イチキは、その音に気が付かないふりをした。
「ねえ、イチキちゃん」
「はい、なんでございましょう」
「俺に、なんかできることはある?」
「……それでは、ひとつだけ」
今回のことが全部が終わったら、自分からレンのことを姉に紹介しようと決める。姉とレンが相思相愛だというなら、なおさらだ。ミュリナには申し訳ないが、自分はやっぱり、姉を選ぶ。
自分のしたいようにするべきだと、そう言ってくれたのもミュリナなのだ。
「ひとつだけ、よろしいですか?」
「うん。俺にできることなら、なんでも言って」
「では、お手をよろしいでしょうか」
「はい?」
この人の、妹になるのだ。
それは、悪くない。尽くし甲斐のある姉と兄ができる。
だから、ちくりと痛んだ胸のうずきを無視して、レンの手を両手で握る。
マメがつぶれて、固くなって、掌の皮膚が厚くなっている手だった。
最初は好奇心だけだった。人づてに聞いて、気になっていた。それがどんどん重なって、会った時には憧憬だった。姉から聞いた話を通してみるその人は、なんだかまぶしい気がした。
けれども言葉を交わして心を知って、いつの間にかまぶしさに慣れてちゃんと彼の顔を見れるようになり、そうしてこうして触った今となっては――
「あの、イチキちゃん」
「もう少しだけ」
戸惑っているレンの手を、イチキはぎゅっと握る。
欲しいものを欲しいと言えない自分がちょっとだけ恨めしくて、でも、それでも、イチキは姉が大切だった。
誰かのために諦めることには、慣れていた。
ただ、今だけは。
「もう少しだけ、このままでいさせてくださいまし」
この人の手だけ、握るくらいは許してほしかった。
夜も更けた道を、スノウはぶらぶらと歩いていた。
本日、とうとうボルケーノから提供されていた仮住まいから追い出されたのだ。主の服装の改善を要求したのが悪かったのか、主の仕事している場所まで護衛すると主張したのが悪かったのか、いまは首都にいるらしい勇者のやつを暗殺しようかと提案したのが悪かったのか。ひとまず前の雇い主のところに戻れとボルケーノに叩きだされた。
「ボルケーノめ」
不当な扱いに唇を尖らせながら、大通りを歩く。
いきなりいなくなったら相手に不審がられ主に迷惑がかかると言われてしまえば否ともいえない。ならば一旦帰って、正式に東方の奴らとは縁を切ろうと考えていた。
宿は覚えていないが、勘を頼りに歩いていれば望む場所にたどり着くだろうと根拠なく歩き回る。普通なら永遠の迷子になりそうな方法だが、そこは聖騎士とまで呼ばれたゆえんである。
はたして、スノウに声をかける人物がいた。
「スノウではないか。おぬし、どこへ行っておったのだ」
オユンである。やはり、東方人は顔の違いがよく分からないと思いつつも、ぞんざいに返答する。スノウは相手の特徴的な服装と、歳の離れた姉妹であることを判断材料に相手を識別していた。
そうして数日ぶりに再開したリンリーとオユンを見て、とある問題に気が付いたスノウはむうと腕を組んだ。
「そういえば主の妹も東方人だったな……むう。どうやって他の東方人との見分けをつけるか……」
「なんだ? 妹……リンリーのことか? なにか問題でもあったのか」
「気にするな。野暮用だ」
「そうか? まあ、貴様が言うならよかろう」
まあどうにかなるだろうと考えることを止めたスノウへ、数日離れていたことは深く追及されなかった。
実際のところ、オユンのスノウへの信頼は厚い。拾われて以来、スノウがオユンの命令を遂行できなかったことはないのだ。生きる気力もなかったので、無駄話をしたこともない。驚くべきことにオユンのスノウへの印象は『寡黙でありながら汚れ仕事もいとわず失敗のしたこともない極めて優秀な手ごま』である。なにが悪いって、結果だけみると間違った認識ではないことが最悪だった。
「スノウ。貴様に仕事だ」
「わかった」
宿に戻ってから切り出された話に、スノウは詳細も聞かずに二つ返事で頷いた。
スノウはこの仕事を最後に、さっさとオユンとは縁を切ると決めていた。故郷に着いて里心がついたとか言っておけばいいだろうと画策する。そのために、さっさと仕事とやらを終わらせることしか考えていなかった。
そんなスノウの考えなど当然知らず、オユンはリンリーに確認をとる。
「リンリー。今日あった奴らの場所は補捉しているな」
「もっちろん!」
大威張りでリンリーは頷く。
この幼い少女には、常人にはない感覚がある。いわゆる第六感と呼ばれるものであり、神秘領域の一部を感覚的に捉えることができる。ト占はリンリーの感覚を補助し、他人にもわかる形にして表すものでしかなかった。
「ならばリンリー。明日にでもスノウを連れて、愚妹と連れ立っていた二人のどちらか、面倒にならなそうなほうを攫え」
「えー……。スノウと二人っきり?」
「わかった」
陰気な護衛と二人は嫌だと顔をしかめるリンリーと、子守をしながら誰か攫えばいいのかと納得するスノウ。
「オユン大姉。なんでわざわざ誘拐なんてするの? そりゃイチキ小姉、答えは保留にしてたけど、一族の血は絶対! って言えばいいじゃん。一族の血は絶対なんだよね?」
「致し方あるまい。あの愚妹、どうにも反応が悪い。故郷を離れて一族への恩を忘れたか、くだらぬ逆恨みでもしているのかもしれぬからな。こちらも手札をもっておく必要がある」
「えぇー。でもさ、誘拐とか国際問題にならないの?」
「何事もバレなければ問題にはならんよ。なにより、実行犯はこの国の人間だ。なあ、スノウ」
「そうだな」
「じゃあスノウが一人でいけばいーじゃん……」
「場所がわからん。神秘領域への接続探知は専門外だ」
「むう!」
「いい加減にせぬか、リンリー。これは決定事項だ」
めんどくさいことは嫌だとほっぺを膨らませるリンリーに、オユンは一族の後継ぎたる傲慢さで告げる。
「人質がいれば、あやつも己の分際を思い出すであろうよ」
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