宣戦布告の全肯定・前編
とある屋敷の奥深くに一組の姉妹がいた。
同じく黒髪に、印象は違えど将来は艶やかな大輪に花開くだろう蕾の美しい顔立ち。性格が正反対といってもいい彼女たちだが、並べば姉妹なのだと一目でわかる。
イチキとリンリーである。二人の間には、姉妹という間柄以上に純然たる上下関係があった。
師弟、という関係だ。
「以上が聖人、あるいは仙人が生まれる過程です」
「はい」
イチキの講義を聞くためにリンリーは足を整え正座をし、まっすぐに背筋を伸ばしている。イーズ・アンという具体例をもとに、聖人の特性を習っていたのだ。
まるで優等生の見本だと言わんばかりの姿は、昨日ダンジョンでさんざんミュリナをからかって追いかけっこをしていた少女と同じには見えない。取り繕っているわけではなく、リンリーは純粋に姉へ畏怖を抱き、同等の敬意を捧げているからこその態度だ。
「イーズ・アンの例からもわかるように、国の滅びの節目に『奇跡』を身に宿し、聖剣や宝貝と共に生まれる彼らは、支配者への反逆の始まりを知らせる存在だとされています。翻って、支配者の頂点たる先天の秘蹟は、『神権』。この授与者はいままで四通りしか観測されていません。『皇帝』『天帝』『ファラオ』『アウグストゥス』。この四つの血筋、あるいは個人です」
この四つの存在は、それぞれの歴史で広大な土地と多大な民衆を治め特異な『神権』を授与された支配者たちだ。リンリーでもこの国に来る前から知っていたほど有名な存在である。
「『神権』は支配する君主に与えられるものであり、『奇跡』は国に虐げられる民に与えられるもの。これは国という集団が、君主に絶対的な保護を求めると同時に、絶対の服従を認めないという反発の象徴でもあります。おそらくですが、いまのハーバリア国や清華王朝がそうであるように、共和制および民主制ではどれだけ多くの土地と民を治めても国のトップに『神権』が授与されることはないでしょう。民に選ばれたものでは、神に選ばれることはないのです」
「つまりそれは、国政が神秘領域から脱出しつつあるということですか?」
「いい質問です」
教えられた知識で、考えを巡らし疑問を呈する。一を知ることで十の事柄に考えが及ぼせるようになっているリンリーの様子を見て、イチキは満足げに目を細める。
「あなたが好んで用いていた卜占が神秘より迷信へと位を転落させたように、国の支配を支えていた『神権』は近代化にともなって民へと分散されつつあります。これも知識階級の増加による神秘領域からの脱出。学術進歩の成果です。あなたもだいぶ、考えることができるようになりましたね、リンリー」
リンリーの顔がぱっと輝く。表情が誇らしげなものになり、頬が紅潮する。もしダンジョンの時のように狐を憑かせていたら、耳がふにゃりと緩んで尻尾をぱたぱたと揺らしていただろう。
姉であり、師であるイチキの講義は心休まらない。少しでも予習を怠り講義への集中を欠けば、容赦のない叱責が飛んでくる。
同時に、とても刺激的である。
知識を得ることで、思考の段階が変わる。認識が広がる。蒙が開くとはこのことかと感心したほどである。
「いまの説明で予想はつくと思いますが、聖人や仙人は被虐の象徴であって、『神権』打倒には至りません。だからこそ共に生まれるのが聖剣の類ですが……リンリー」
イチキが鋭い視線になる。
「もし、ダンジョンでレン様が『剣』を見つけたら……あなたは口を挟まず、一切の手を出さず、ただ見守りなさい。その後、レンさまがどのような行動をしたかだけわたくしに報告するのです。あなたがその時の判断に関わることは、どう転ぼうともあなたのためになりません。わかりましたか?」
「は、はい」
重々しい言いつけに、慌てて頷きながら考えを巡らせる。
実際問題として、リンリーには聖剣の意味を知らないのだ。なにせ彼女は、十年前から始まったハーバリア皇国の崩壊に居合わせなかった。同時にいままさに滅びが進行している祖国清華王朝からも脱出を果たしたという幸運を持ち合わせている。
そもそもレンのパーティーに自分を混ぜた理由も、いま言いつけられたことが目的なのだと悟る。なにせ、もともとは姉が自ら所属していたほどのことなのだ。ミュリナに誘われたからイチキがパーティーに一時的に所属していたのはリンリーも知っている。ただ、それだけが理由ではないだろうというぐらいは察していた。
しばらくして講義が終わった。イチキはどこかに出かける予定があるようだ。
もちろんイチキの邪魔などしない。リンリーはイチキの前ではひたすらにいい子である。口答えはおろか、自ら進んで準備を手伝い、姉を見送るべく玄関の扉を開けて頭を下げる。
「尊師。今日は、どこへ向かわれるのですか?」
ここのところ、姉は非常に忙しそうにあちこちに出払っていた。
それもひと段落ついたということで今日の授業だったのだ。次の姉の行動となれば、弟子として気になるところである。
「少し、ミュリナに打ち明けなければならない秘密がございます。友として、正々堂々と向き合わなければなりませんから」
出かける際のイチキのほほ笑みは、とても艶っぽく見えた。
残されたリンリーは、不貞腐れたように唇を尖らせていた。
リンリーにとって師匠にして姉であるイチキは絶対。他の有象無象とは違うのだ。尊敬度の格が違う。だからこそ、ミュリナとイチキの関係が気に入らない。
「ミュリナごときが尊師と対等なんて、ぜーったいありえないもんっ」
姉の方がずっとすごいという確信。やたらミュリナにつっかかっている理由がそれだというあたり、プライドが木っ端微塵になった後も、リンリーは非常にこじれた性格をしていた。
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