妹の全肯定・前編

 公園広場での気絶。

 それは突然起こったかのように見えるが、実のところ当然の帰結だった。

 粗食に冒険者としての活動による肉体の酷使。普通に空腹を感じる臨界点を超え、変なテンションに突入していたところも通り抜けて、順当に限界が訪れたのだ。それがたまたま、あの広場でということだっただけである。

 そして、その場に居合わせたシスターさんが応急処置と神殿への運び込みをしてくれたらしい。


「運び込まれてから一回、目を覚ましたらしいわよ。用意された栄養食を食べたらそのまますやすや眠り始めたって」

「マジですか……」


 その時の記憶がまったくない。

 脳天気すぎるだろうと記憶のない自分の行動に頭を抱えるレンに、女魔術師は厳しい目を向ける。


「それよりも、よ」


 ばちりと弾けるような怒りに満ちた声と視線。向けられた怒気に、レンはびくりと肩を震わせる。


「断食で感覚領域を広げて魔力運用を高めるっていうのは、割とありふれた手段だけど、やり方がおかしいわよ。どこで聞きかじったの?」

「いや、その……」


 探るような、咎めるような女魔術師の視線と目を合わせられずに、レンは視線を泳がせる。

 どうやら魔力を高めるため、れっきとした修行方法として『断食』があるらしい。お金がないからということで続けていた粗食生活は、意外にまっとうな修行だったのか。しかし、誰から聞いたという訳でもない。


「……その様子だと、誰かから入れ知恵されたわけでもなさそうね」


 どう答えたものかと返答に迷うレンに、きつめの口調で女魔術師が告げる。


「いい? そういう精神修行は、普通なら環境を整えてやるものよ。ダンジョンの探索もやりながら断食修行もするなんて、体が保つわけないじゃない。バカとしか言いようがないわ。やたらと調子を上げていると思ったらとんでもない無茶をしてたって、他のみんなも怒ってたわよ」

「うぐっ。す、すいません……」


 探索帰りに町中で倒れたのだ。反論などできるはずもない。レンは再度うなだれて謝罪をする。

 ダンジョンで倒れなくて本当によかった。

 調子が上がっていたなど勘違いにもほどがあった。ただ切り詰めた生活が結果的に修行になっていただけで、たまたまかみ合っていただけだ。一歩間違えれば、ダンジョンで倒れてパーティーメンバーに直接的な損害を被らせていたかもしれない。

 ぞっと背筋が冷える。

 自分のなってなさを反省してから、レンはいまいる場所に改めて気がついて冷や汗を流す。


「あ、俺、治療費が……」

「大丈夫よ」


 治療は慈善事業ではない。どの程度の費用がかかるのか。お金ないぞと青ざめるレンの心配を女魔術師がぬぐい去る。


「うちのパーティーは、こういう時のために資金をプールさせてあるから。治療費はパーティー資金から出してくれるわ」


 自己管理不足だった分、好意がざくりと胸に刺さった。

 ダンジョンの外での体調不良。しかも自分の不摂生が原因なのだ。倒れたのがダンジョンの探索時でなくとも迷惑をかけたことには変わらないと自覚して、レンの胸に自責の念が押し寄せる。


「いや、俺の責任です。すいません。次の給料から引いておいてください」

「はあ? なに言ってんのよ。あんたいつから責任なんて語れるほど偉くなったの?」


 レンの言葉に、女魔術師がきりりと眉を吊り上げる。


「何のために利益分配を削ってまでパーティーとしての資金を溜めてると思ってんの? こういう時に還元するのは、パーティーとしての義務よ。それをあんたが個人で補てんしようなんて、リーダーが認めるわけないでしょう。思いあがるのも大概にしなさい」

「ぐっ……」


 言葉が厳しいのに、扱いが真っ当で優しすぎる。

 一言も言い返せないありがたさが身にしみて、自分の馬鹿さに泣きたくなった。

 奴隷少女ちゃんのもとを訪れた騎士さんがそうされたように、わずかな賃金で他人の誇りを利用して使い倒して搾取しようとものもいる。

 だというのに、ちゃんと他人に対して惜しまずにお金をかけてくれる人も、確かに存在するのだ。

 本当に自分は恵まれている。


「ほんと、ありがとうございます」

「どーいたしまして。リーダーにもちゃんとお礼と迷惑かけた謝罪はしておきなさいよ」

「もちろんです」

「そ。目が覚めたんなら、あとは簡単な診断をして神殿からは今日中に出て行くことになると思うわ。ただ、探索は三日間休めって、リーダーからの伝言。これ、強制休暇だって。その間に体調を整えておきなさいよ」

「はい……」


 返す返すもありがたいやら申し訳ないやらで、感謝の念よりも自己嫌悪のほうが勝った。ずうんと気落ちする。


「俺、ほんとダメですね」


 思わず漏れた弱音だった。


「なにもできない初心者がから回って、上手くいきはじめたと思ったらこんなんで……ははっ。いつまで経っても、ダメなやつはダメなんですかね」


 情けなかった。


「……」


 レンの自虐に、機嫌が悪そうなしかめっ面をしていた女魔術師は「はぁ」と息を吐いた。


「時間は、人の中を流れないわ」


 何の話だろうか。顔を上げたレンに、女魔術師は強い瞳で続ける。


「時間はすべての人の中に積み重なっていくの。流れて過ぎたりはしないわ。全部、たまっていく。だから変わらないことなんてあり得ないし、なくなることなんてないの。仕事でもプライベートでも、誰かと一緒に過ごせば、その人の時間も共有して積み重なるわ。今回のことだって……そりゃまあ、叱られてしかるべきことだけど、無駄にはならないわよ。実際、魔力の運用精度はあがっただろうし」


 自分のものを自分のものとして掴み取るあり方。失敗も自分のものにするという女魔術師の理念である。

 それをレンに合わせて提示してくれている。


「あるでしょ、あんたの中にも。あたしたちと過ごした時間が」


 一拍遅れて、気が付く。

 叱咤してるわけではなく、慰めてくれたのだと。


「認めなさい、認められていることを。みんなとの時間を否定することは、許さないわよ」


 ぐっ、と唇をかみしめる。

 レンにとって、女魔術師は同世代だというのに、どうしても敵わない存在だ。競い合う以前の数段上にいる相手である。

 悔しいし、見ていてたまに嫌になる。

 だがこの人の、こういうところには――どうしようもなく心を奪われるほど、強いのだ。


「はいっ……!」


 悔しい時のバネに、失敗した時の教師に、迷った時の目標に。

 自分の起点となるのは、この人なのだと、レンは思い知らされる。


「わかればいいのよ、わかれば。だから、無理はやめなさい。……心配になるでしょうが」


 レンの返答に、女魔術師は鋭い切れ長の瞳の目元を緩める。

 その態度でレンも気がついた。

 機嫌が悪いように見えた女魔術師だったが、純粋に心配してくれていたからこそのものだったのだ。

 本当に、自分は周りに恵まれている。

 それを自覚してから、しかし、とレンは与えられた休暇の過ごし方を考える。

 体調を整えるにしても、どうするか。結局生活費はギリギリである。給料日まで、一週間近く。さすがに奴隷少女ちゃんのところに通うのは控えるとして、塩と水みたいな生活にはならないが滋養のある食事となると高くつく。

 もちろん臨時収入などない。売れるものもない。服を売るか? 一瞬考えたが、やめておく。どうせ買い叩かれるのがオチだ。

 あーでもないこーでもないと考えつつも、黙ったままなのは女魔術師にも悪いので雑談を振る。


「そういえば、なんで先輩がここにいるんですか?」

「他のメンバーはダンジョンの探索。一人、残って待機しておく役目を押し付けられただけよ。なによ、あたしが残っちゃ悪い?」

「あ、いえ。そんなことはないです」


 人選が意外だったから疑問に思ったのだが、確かに失礼な質問だった。

 そこで女魔術師が当初の不機嫌さを思い出しかのように、つーんとそっぽを向く。


「どーだか。目が覚めた時に、あのシスターさんがいてもらったほうがよかったんじゃないの? あのシスターさん、私服だったし……プライベートで会うほど仲がいいんでしょ?」

「シスターさんと、ですか」


 レンは目をぱちくりさせる。

 この神殿には多くのシスターが駐留しているが、常連のシスターさんのことだろう。

 レンとシスターさんの関係。仲が良いと言われれば、まあ、悪くはない。だが仲が良いとも言えない。シスターさんはレンの名前を知っているが、レンはシスターさんの名前を知らない。仕事で顔を合わせるし好意的な関係でいたが、プライベートでの接点を増やしたいというほどでもない。だいたいそんな感じだ。


「仲が良いのかは分かんないですけど……まあ、道でばったり会ったら世間話をする程度には。あ、やっば。勤務時間外で時間使わせちゃったの、あのシスターさんに謝らないとですね。――って、そういえば、名前も知らないや……」

「……ふーん。名前、知らないんだ」

「ええ、まあ。仕事で顔を合わせるか、偶然外で会うかですし」


 助けてもらったことには感謝の念しかない。そして、あのシスターさんに迷惑をかけて放っておいたら隷少女ちゃんへの愚痴コースだ。頭を下げる相手がまた増えたと嘆くレンに対し、女魔術師は自分で質問しておきながら素っ気ない。


「そう。そうなんだ……」


 どことなく上の空な女魔術師は、人差し指に自分の金髪をくるくる巻きつけていじりながら、また別の質問を。


「あたしの見舞いの時のこと、あったじゃない」

「はあ」

「あんた、あれ以来、何もしてこないわよね」


 何の話だろうか。

 雑談だからどうでもいいといえばどうでもいいのだが、脈絡のない話題の飛び方にレンは戸惑いを隠せない。

 レンの交流関係の話になったかと思えば、唐突にお見舞いの時の恋愛相談の話に飛んだ。なんだろうか。何もしてこないとは、この人にもっと恋愛相談をしろということだろうか。なにゆえ? 正直、弓使いの先輩に相談する以上にこの女魔術師に恋愛相談する意義が見いだせない。

 変なことを口走ったと思ったのか、女魔術師が顔を赤くする。


「あ、いや、なんでもないわよっ。今のは忘れなさいっ」

「はあ」


 忘れろというなら、気にしないべきだろう。人間だれしも、変なことを口走ることはあるのだ。

 だから、レンはいまの話題には触れない。相手の気に障らないように穏やかに微笑み、これからの自分の方針を告げることにした。

 今回、レンは無茶をして倒れたと思われてるのだ。ならば、こいつはもう大丈夫だと安心させるような言葉を考えて選び、口に出す。


「大丈夫です。焦らずじっくり認めてもらおうと思っているので」

「なっ。あ、んたは――~~っ!」


 頬の朱をのぼらせた女魔術師は、さっと顔をそらす。

 そして赤くなった顔で立ち上がって、一言。


「ちょ、調子に乗るんじゃないわよっ、ばーか!」


 子供じみた捨てセリフを残して立ち去っていった。

 そして残されたレンはといえば。


「うん、確かに調子に乗ったらまずいな。今回、調子がいいと思ってたら倒れたし」


 真剣な顔で、うむうむと女魔術師の言葉に頷いていた。









 神殿から出た女魔術師は、一人、少し頼りない足取りで歩いていた。

 秋も終わりかかけの季節。冷える空気に反して、はっきりと熱を持っていると自覚できる頬。歩きながらも内面に向かう思考。どことなく、ぼうっとしている視線。

 頭に、ふわふわした熱が残っている。

 不快な暑さではない。ただじんわりとした熱はなじみがなく、胸にまで伸びて心を落ち着かせなくするような不確かさをもたらす。


「ああっ、もう!」


 苛立たし気な声が口をついて出る。ただの八つ当たりの発声で何かが変わるということはない。

 ここ最近の自分は、あまりにも自分らしくない。

 それを女魔術師は自覚していた。その原因もだ。考えるまでもない。あの新人、レンのせいである。


 ――俺、好きになっちゃいました。


 至聖所アバトン入りしていた自分に向かって放たれた、考えなく漏れ出したような軽い告白。

 当時はいきなりすぎて焦ったが、もちろん自分はその場で断った。本来なら、それで少し気まずくなりつつも終わりになるはずだった。

 だというのに、あの新人が続けた言葉たるや、予想の斜め上だった。


 ――でも、この気持ちは抑えられないんですっ。


 バカの一言である。

 そんなことをことを言われたものだから、多少、警戒した。しつこくアプローチをかけられたら嫌だし、仕事をおろそかにするような真似もされたくなかった。恋愛感情をこじらせた人間がどれだけ厄介か、それは誰もが知っていることだ。

 だから当初は注意深く距離を計った。

 だというのに、レンは女魔術師があっけにとられるほど、普段は普段通りなのだ。

 彼女とレンが顔を合わせるのはほとんどがダンジョンでの仕事なのだが、その時のレンの態度は本当に普通としか言いようがない。彼女と他のメンバーと、接する態度に大きな変わりはない。あんなことを言っておきながら、レンは何でもないかのような態度で自分に接する。

 そんな風にいつも通りで、あまりに普通すぎるから「あれ? もしかして気が変わったの?」と油断したタイミングで、今日みたいなことを言うのだ。

 だから、油断できない。

 油断しまいと思うと、自然とレンの挙動を目で追うようになる。

 他のパーティーメンバーとよく交流してるな、とか。弓使いのディックさんと特に仲が良いのか、とか。ああ、なんにも知らなかった時とは比べならないくらい魔力運用が上手くなったな、とか。剣の扱いがさまになってきて、あいつも冒険者になってるんだな、とか。本当に頑張ってるんだな、でなきゃ、ただの素人が短期間でここまでになれないよな、とか。少し痩せてきたけど、体の調整でもしているのかな、とか。その変化を見ていた矢先に断食修行なんていう無茶で倒れて、自分はちゃんと見ていたのになんであいつが無茶してるのに気が付かなかったんだと自分に腹が立って、だから今日も自分が残ってレンが目を覚ますまで待ちますなんてリーダーのジークさんにお願いして、それでレンを運んできたシスターさんに事情を聞いてそのシスターさんが私服だったのに気が付いて、自分に告白したくせにプライベートでこんなきれいな人と会っていたのかとなぜか腹が立って――はたと気がついた。

 まるで、自分ばっかりレンのことを考えているようではないか。

 こんなのは、おかしいだろう。

 なんで告白された自分のほうが余裕がなくなるのか。

 違うのに。向こうが、一方的に言ってくるだけなのだ。だから自分の方からあいつがどうだなんて、あるわけない。

 ぐっと拳を作って握りしめる。

 息を、鋭く吸って溜める。精神が平衡を失った時、彼女はほとんど反射的に呼吸を整え思考をフラットにする訓練している。それは、六歳の時に倒す相手を定め戦うと決めて以来、積み上げてきた成果の一つだ。体の変化が精神に直結すると知っているからこそ、彼女は自分の肉体を律する術を身に着けた。

 もっと、研がなくては。

 薄く、鋭く、触れれば切れる刃のように。己の人生を、一振りの矛にするために。

 そうして、目標に刃となった己を突き立てるのだ。

 そのために、自分は。

 なのに。


 ――焦らずじっくり認めてもらおうと思っているので。


 握りしめた拳を、思わずそのまま自分の額にぶつけた。


「~~っ!」


 ごつん、と鈍く音が鳴る。自分でやっておきながら、思わず涙がにじむくらい痛かった。

 その痛みでさえも、雑念が振り払えない。


「なんでよ……」


 痛みで涙目になりながら、ままならない自分へのうめき声が漏れる。

 こんなんじゃだめだ。自分は、目的があるのだから。

 そう思うのだが、制御できない。精神を、心拍を、呼吸を。乱れていく心が、どうしようもない。

 なんで、こんなざまになっているのか。

 ぜんぜん、わからない。

 わかりたく、ない。


「――ん?」


 定まらない気持ちそのままでふらふらと歩いていて、いつの間にか入り込んでいた場所で気が付いた。

 この公園、結界が張ってある。

 非常に薄く、しかし洗練された職人技の結界。攻撃性はなく、精神に干渉して人を避けるような効果を持ったものだ。効力は強いものではないが、構築練度が並外れている。


「……ふーん?」


 興味をひかれた女魔術師は、なんとなく、その起点になっているところに向かう。

 彼女自身、魔術師だ。公共の場に結界が張ってあるのはおかしいし、これほどの結界となると関心が湧く。なにより、いまのぐるぐる思考が別に向かってくれればなんでもよかった。

 そうしてたどり着いたのは、公園の広場から少し離れた場所に設置してあるベンチだった。

 そこに、一風変わった衣装の黒髪の少女が座っていた。


「あら?」

「およ?」


 金髪の魔術師と、黒髪の異国風の装束を纏った少女。

 初対面の二人は、お互い同年代の相手を見て意外な遭遇に小さな驚きの声を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る