出立の全肯定


 ーーカーベルファミリーの若頭、ボルケーノが検挙。


 そんな文字が紙面を飾った朝。

 新聞で『カーベルファミリー』なるマフィアの大物が捕まったという一報を読んだファーンの感想は、「なんか物騒だなぁ」という、のんきなものだった。


「首都のほうでも捕り物があったって言うし、なんだかなぁ。……いや、平和になったっていうべきなのかな?」


 一読した新聞をばさばさと畳んで、一息。

 善良な一市民だと自負しているファーンにとっても、マフィアがいなくなるにこしたことはない。

 しかし、大捕り物と聞けばなんとなく不安になるのも庶民の常だ。平和になるための過程で起こる摩擦が一般市民を巻き込むことがある。たとえ行いは正義であり、必要なことであったとしても、抵抗するものたちがいる限り被害が発生する。

 皇国の終焉が、そうであったように。

 かつての時代を思い出して、ファーンはほんの少しだけ目を閉じる。


「……今度はうまくやってくれるのかな、ウィトン・バロウさんは」


 治安維持隊を結成し、この国の各地のマフィアを片付けていっているという元勇者の名前を呟く。

 市長の父ならともかく、一介の修道女に過ぎないファーンにはどうすることもできない領分の話だ。マフィアの検挙というニュースが流れても、抗争やら暗殺やらが起こったという話は聞かない。

 ならば安心しておくのが一般市民の作法というものだ。


「レン君のほうの仕込みも終わったって聞くし、あとは平和が一番だよね」


 奴隷少女ちゃんのためにとレンに協力するようになっても、ファーンの日常は基本的に変わらない。マフィアなんて、もっての他である。

 朝刊を適当に読み流して出勤する。

 通りがかり、いつもの公園広場をのぞいてみるが奴隷少女ちゃんの姿はない。肩を落としながらも神殿に到着したファーンは、いつも通りの勤務をこなす。


「ファーンさん。ちょっといいかしら」

「はいはーい」

「この書類の件、イーズ・アン様に伝えてもらえるかしら。急ぎじゃないけど、よろしくね」

「これですか。承りました!」


 業務の途中で差し込まれた他部署の修道女の言づけを笑顔で承る。

 神殿の聖職者の中でも、『聖女』と呼ばれるイーズ・アンとはファーンが一番交流を築いている。こういう伝言の依頼はよくあることだった。

 他部署との連携は大切だ。時間が空いたファーンはイーズ・アンがいるだろう場所を探す。

 礼拝堂、休憩室、渉外係りの部屋、修道院。

 いつもイーズ・アンがいる場所を一通り回ってみたが、どこにもいない。


「あれ?」


 修道院の出入り口で、ファーンは首を傾げる。

 いつもの行動パターンにない不在である。戒律に沿った生活をしているイーズ・アンは神殿から出ることが少ないのだ。

 おかしいなと首をひねっていると、そこに最近仲よくしている十二歳の修道女、タータが通りかかった。


「ファーンさん。どうしたんですか?」

「ええっと……先輩がどこにいるか、知らない?」

「イーズ・アン様ですか?」


 ファーンの問いに、タータは小首を傾げる。


「朝のお祈りの時間は過ぎましたし、修道院にはいないと思いますけど……神殿には?」

「神殿のほうにも、いないんだよね」

「え? 普段なら礼拝堂で祈りを捧げてらっしゃる時間ですよね」

「そうなんだけど、いないの」


 ファーンとタータは顔を見合わせる。


「それは……珍しいですね」

「うん、そうなんだよね」


 なんでもないはずのその日。

 神殿から『聖女』イーズ・アンが姿を消した。





 ここ数日、レンは少し時間を持て余していた。

 聖剣を抜いてからしばらく、レンの日常は平和一色である。

 聖剣が手に入ったらすぐにことが起こるくらいの覚悟をしていたが、覚悟していた事態まではほんの少しだけ猶予があったらしい。忙しく準備をしていた根回しも、聖剣の顕現という成功を見て落ち着いた。

 レンの計画を知っているイチキとしても、少しでも時間を稼いでおきたいということだった。同じく相談の場にいたリンリーがなぜか沈痛な顔をしていたのは気になったものの、イチキの分析以上に信頼できるものなどそうそうない。

 だからその日、レンはミュリナと待ち合わせをしている場所に向かっていた。

 なにを隠そう、デートである。待ち合わせ場所もベタに町の中央通りの交差点にある噴水広場という、この町ではお決まりのデートスポットの一つだった。


「やっぱ……緊張するよな」


 通りを歩きながら、レンは硬くなっている自分の頬をムニムニとこねくり回す。

 なにせお付き合い宣言をして初めてのデートである。そもそもレンにとっては女の子とデートするということがはじめてだ。緊張しないわけがなかった。

 恋人同士になったのだから、ミュリナとデート。男として、当然の提案である。

 断じて、先日にイチキの色香でほんのちょっぴりぐらいついた心を立て直すためとか、そういう理由ではない。


「俺の恋人は世界一かわいいミュリナは世界一かわいい」


 ぶつぶつと自分の思いの確かさを唱えながら歩いてたレンが待ち合わせの噴水広場に到着すると、おめかししたミュリナが目に入った。


「レン!」


 先に来ていたミュリナが、ぱっと顔を輝かせる。

 いつもの冒険者スタイルではない。ふわりとしたレーススカートを履いた乙女コーデだ。乙女コーデとはつまり、ミュリナがレンが喜んでくれるかなと選んだ乙女心にあふれた姿である。そわそわと

 あ、やっぱりミュリナは世界一かわいい。

 レンの胸に、すとんと感情が落ち着く。頬が自然と緩み、自然と口が開く。


「ミュリナ、すごく似合ってる。いつもと違うけど、かわいいよ」

「え、そう……? ふへへ。うん、時間かけて選んだもの」


 ミュリナはスカートの裾をひらめかせて、上目遣いではにかんでレンを見る。


「レンに喜んでもらえるかなって、考えたのよ」

「すっごい嬉しいし、世界一かわいい」


 初々しいをちょっと通り越しているイチャイチャっぷりだが、待ち合わせ場所の噴水広場はカップルが多いので悪目立ちをすることもない。

 レンとミュリナはお互いに嬉しさと気恥ずかしさを混ぜ合わせながら、初デートを開始しようと手をつなごうとした。

 まさしく、その瞬間である。


「少年」


 無機質な声とともに、つながろうとした手を押しのけるようにして一人の修道女が出現した。


「え?」

「はッ!?」


 レンとミュリナの動きが、驚愕で停止する。

 手をつなごうとした二人の間に突如として出現したのは、大荷物を背負った子供のような背丈をした修道女である。

 『聖女』イーズ・アン。

 彼女は比喩でも何でもなく、レンとミュリナが空けていたちょっとの隙間に、地面から湧き出るようにしてにょっきりと出現した。


「イーズ・アン様!? なんでッ?」

「え、ちょ、え!? どゆこと!?」


 初デート開始の瞬間に恋人との間に『聖女』が生えるという珍事に、二人は混乱のるつぼに叩き込まれる。そうでなくとも彼女は知名度がある人間だ。特徴的な姿であることもあって、有名人の登場に場がざわめく。

 冷静なのは、イーズ・アンだけである。

 彼女は周囲の混乱にはなに一つ気配りすることなく、背中にしょっている荷物の中に放り込まれていた聖剣をレンに差し出す。


「つかめ、少年」

「はい? ……あ、はい」


 衝撃的な登場に思考停止気味のレンが、思わず流されるがままに聖剣を掴む。

 イーズ・アンは無表情のまま、こっくりと頷いて告げた。


「ゆくぞ、少年」

「え? デートにですか?」

「悪しき王の居場所は知れた。今日こそが神秘領域に王権を築く不貞の輩を滅する日である」


 ミュリナとのデートしか本日の予定になったので思わず口走ってしまったレンの珍回答は、完全に聞き流された。

 それを聞いて、レンもようやくイーズ・アンがイチキの妨害をかいくぐって奴隷少女ちゃんの居所を掴んだのだと悟る。

 だがちょっと、あんまりにもタイミングが悪すぎた。


「は、はい……その、イーズ・アン様」

「いかにした」

「今日は、ちょっと、待ってもらっていいですか?」


 レンは真顔で懇願した。

 いくらなんでも、これはない。初デートが始まると盛りあがる真っ最中だったのだ。イーズ・アンの肩越しには、途中で割り込まれてまだ事態に頭が追いついていないで表情が疑問符で埋め尽くされているミュリナがいるのである。


「一日とはいわないです。半日……いえ。三時間だけでも!」


 レンは必死にミュリナとのデートの時間を確保しようと頼み込む。

 イーズ・アンを相手に、これを言えただけでも上等であろう。


「そうか」


 レンの台詞にイーズ・アンが揺るがぬ鉄面皮のまま明らかにデート中ですという二人の距離感を見て、静かに口を開く。


「待つほどの理由ではない」


 レンの言葉など野良猫の鳴き声ほどの価値も感じてなさそうな口調で却下した。

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