決戦の前夜


 拠点に戻ったリンリーは、もやっとした気持ちを残していた。

 レンをほどほどに煽れたのはいい。やはりマウント取りはいいものだ。特にレンの情けない顔を見るのは気持ちがいい。安全地帯だから、どれだけ煽ってもリンリーに危険が及ぶことがない。そのくせ、ほんのごくたまーに、かっこいい顔をする時があるのだ。

 特に、ミュリナに向ける視線が、やさしげで、男らしくなる時がある。イチキに監視報告を任されていたから、よく観察していたからわかる。

 リンリーには、一度としてカッコいい視線を向けないくせに。


「レンおにーちゃんのくせに……生意気」


 リンリーの安全地帯なのに、リンリーよりも優先するものがあるとか、もやもやして当たり前だ。

 自分の感情に答えを出したリンリーが、次に会った時はどんな風に煽ってやろうかと文句を考えていた時だ。


「リンリー」

「はい! どうぞお入りください、尊師!」


 扉の外から聞こえたイチキからの声に、ぴしっと姿勢を正す。

 さっと正座をして、師であり姉である彼女を出迎えるにふさわしい姿勢を取る。イチキを前にすれば、レンのことなどすでに思考の彼方だ。

 リンリーの返答を聞いたイチキが入室する。

 その美貌に、所作に、リンリーは思わず見惚れる。外見だけではない。それ以上に、イチキの頭脳と内面は素晴らしい。現場は見ていないが、ミュリナなんかに付き合いを申し出るレンをあっさりやり込めていたし、やはりイチキは完璧であると自分の師の偉大さを改めて噛み締める。


「今日のことですが、レンさまが聖剣を抜いたということは聞きました。相違ありませんね」

「はい。間違いなく、レンおにーちゃんが抜きました。聖剣は、その後に『聖女』が預かっています」

「そうですか。聖剣のことは、この街の神殿組織は知らぬようです。イーズ・アンにとっては報告する義理もないのでしょう。姉さまを狙うのは、間違いなくパーティー単位の少数で行動します。そこは狙い通りですが……」


 ふっと、語調を沈める。


「……今回の件、人死にが出る可能性があります」


 イチキの重い言葉にリンリーは気を引き締める。

 イチキが前々から、聖剣に関しての準備をしていたことは知っている。その彼女が言うなら、本当にその可能性が高いのだろう。

 レンや自分の周囲で人が死ぬのは、リンリーとしても気分がよくない。なにか対策があるならと、より集中して話を聞く。


「一人は、わたくし。レンさまは交流がある分、『聖女』が人を殺すなどということには思いが及ばなかったのでございましょうが……戦いになった場合、あの者は一切の悪意なくわたくしを浄化するでしょう。前回は幸運だったというだけにすぎません。イーズ・アンの前に立ちふさがる限り、生きる望みは……まあ、高く見積もって、半々でございます」

「そんな! 尊師が負けるなんて、ありえないです!」


 反射的に叫んだリンリーの言葉を聞いて、イチキがわずかに目を見張り、次いでほほ笑む。


「嬉しいことを言ってくれますね、この弟子は」


 イチキの手が、やさしくリンリーの頭を撫でる。

 リンリーはすでに聖人の巨大さを知っている。仙人がなした破壊も聞いている。

 それでも、イチキなら、自分の師であり姉である彼女なら負けるわけがないと主張する。


「ただ己の分際を知らなかっただけの小娘から、ずいぶんと成長しました。師として、嬉しく思いますが、それでも贔屓目はやめなさい。事実は事実として感情よりも優先しなければ、周囲を巻き込む不幸を呼びます」


 『聖人』イーズ・アン。

 彼女の説得は不可能だからこそ、対抗手段になることにイチキは承諾した。前に一度戦った時は、惨敗。殺されなかったのは、幸運だっただけだ。結界を返された後に続け様に聖句を叩き込まれたらどうなっていたか。想像すると、暗澹たる場面しか思い浮かばない。

 希望的観測をやさしく叱責されて、リンリーはしょんぼりと俯く。


「はい……申し訳、ありません……」

「よろしい。そして、死ぬ可能性がもっとも高い、もう一人ですが……」


 イチキが複雑そうな顔で、なんだか不憫なものを見る目でリンリーを見て、一言。


「お前です、リンリー」

「へぅ?」


 絶対の信頼を寄せる師からの思いもよらぬ宣告に、ふやけた奇声を上げたリンリーの瞳からハイライトが消え失せた。








 異人街の、裏路地深くにある屋敷で、抗争が勃発していた。

 この国で異人マフィアとして恐れられる組織の本拠地に、乗り込んだのは一人だ。正面から屋敷の人員を蹴散らされ、会合で集まっていた幹部はことごとく殺された。最後の護衛だった、男の頭がつぶれる。

 それをなしたのは、筋骨隆々たる小男だ。身長は低いが、威圧感の巨大さは並みではない。彼は頭を握りつぶした手を払って、血肉を落とす。


「よお、手こずらせてくれたな」


 ボルケーノ。

 カーベルファミリーの実質的なボスとも言われる男だ。

 外には『聖騎士』スノウ・アルトがいる。根本的には使えない女ではあるが、こと荒事に限れば彼女より優秀な人間も少ない。屋敷にいても職場にいても邪魔者扱いということもあり、ボルケーノが協力させていた。

 今回の襲撃に際して、人っ子一人、逃がすつもりはないのだ。


「長年の因縁だが、安心しろ。楽に殺してやるよ」


 ボルケーノの言葉に、びくりと肩を震わせたものの、相手も組織の長だ。おびえるだけでは終わらない。


「お、おマエら。こんなコトをして、ただでスむと――」

「あァ? どうしてくれるってんだ?」


 ボルケーノのすごみが、最後に残った男を圧倒する。

 片言に聞こえるイントネーションは、男が異国の人間であることを示していた。海外からハーバリアに入ってきた裏社会の人間だ。

 異人の中でも最大勢力。清華マフィアと呼ばれる集団のハーバリア支部をまとめているのが、この男だ。

 だが。


「清華の後ろ盾は、もうねえだろう」

「――ゥ」


 男が言葉を喉に詰まらせる。

 ボルケーノとって、海外マフィアであるこの連中は非常に厄介だったのだ。世界最大国家『清華』を背景に好き勝手しているという点はもちろんだが、本質的な問題はそこではない。

 異民族である彼らには、『玉音』が通じない。

 玉音は、国土を範囲にして、国民を対象としている。

 それでも国土にいるうちは玉音の持ち主に逆らうことなど不可能だが、海外に逃げられた場合、ハーバリアの国籍を持たない彼らに玉音はまったくの無力だ。そんな彼らに奴隷少女ちゃんの存在をさらすことなどできるはずもなく、かといって壊滅させるには後ろ盾が大きすぎた。

 だからこそ、ハーバリアの裏社会の中でも、清華マフィアだけは、少女たちの掲げた『騎士隊より厳格なる必要悪』からはみ出していた。

 だが、清華という国は、かつてないほどの被害を被った。国が割れている渦中、海外に目を向けている余裕など、あるはずもない。

 そのことは片言男もわかっているようで、必死に違う話題に誘導する。


「こんなコトをしてるバアイじゃないはずダ! わ、わたしタチがすべきは、ウィトン・バロウのタイサクだろウ!? なァ、ボルケーノ! わたしタチのイダイなユウジンよ! イッショにタタカおう。あのチアンイジタイをホウっておくと、このクニの黑社會がツブされてしまうゾ!」

「いいんだよ。なくなっちまっていいんだ、黒社会なんざな」


 ウィトン・バロウが築き上げた治安維持隊は、着々と力をつけている。

 首都で数々のマフィアを摘発し、地方にも手を伸ばしている。ハーバリア治安維持隊の名は、裏世界の住人にとって、警戒と嫌悪の対象となっている。ウィトンの名も『勇者』ではなく、治安維持隊の長として認識されているのだ。

 もちろんカーベルファミリーの若頭としては、歓迎せざる事態だ。

 だが、それこそがボルケーノが望む結果だった。


「やっとだ」


 万感の思いを吐露する。

 七年前に、自分の部下が一人の子供を手にかけ、その復讐に二人の子供が来た時から、ずっと願っていたことが。もしかしたら、マフィアに入るしかなかった人生だったボルケーノが心の奥底でずっとずっと理想としていた流れが。

 必要悪などというものがいらなくなる国が、できつつある。

 達成しようとしているのは、ウィトンだ。社会の裏も知らなかった彼が、身内を失った辛酸により治安維持に注力するようになったのは当然だろう。もしも奴隷少女ちゃんが裏社会を統制していなければ血で血を洗う報復があったのは間違いないが、すでに『玉音』によってマフィアは表社会に対する牙を失っている。彼は絶好の機会であるいまを見逃さなかった。

 それでもウィトンでは、法に則る限り、目の前の男を追い詰めきれないだろう。裏社会の首魁は多くの場合、直接的な犯罪を決して犯さないからだ。

 だから、ボルケーノがいまここで殺すのだ。

 そしてウィトンのほかに、もう一人。


「やっと……ほんの少しだけ、この世界がマシになりそうなんだよ」


 一度だけ、ウィトンと一緒にダンジョン探索をともにした少年を思い出して、静かに笑った。







 一人の少女が、瞑想でもしているかのように瞳を閉じて静かにたたずんでいる。

 涼やかな美貌に、青みがかった銀髪。首に革の首輪を巻いているのは、公園広場で奴隷少女ちゃんと呼ばれている少女だ。イチキの結界によって厳重に守られる中で、静かに佇み、己のうちにある神秘領域に感覚を委ねる。

 彼女は、聖剣の発生を感じていた。

 それが、誰の手に渡ったのかも。

 聖剣を携えた人間のやることは、ただ一つしかない。

 人々の思いに背中を押されるがまま、進むしかない。

 それが勇者だ。

 皇国の打倒のために生まれるのが、ハーバリア皇国に生まれる勇者なのだ。民の思いを受けて生まれる聖剣に、持ち主の意思など考慮されない。恩寵によって生まれるモノは、引き抜いた者のための武器などではない。どのように振るわれるかは、すでにあの恩恵が生まれた時に決まっているのだ。


「……それが、聖剣」


 レンがどう思おうが、聖剣が悪い王様を討つ結末は、変わらない。

 多くの場合、与えられる恩恵には個人の意思など考慮されていない。魔物が悪感情から生まれて人を襲うように、人の都合のいい影響を及ぼす感情の結晶を利用しているだけにすぎない。

 だから、集まる思いが大きければ大きいほどに、人の手に余るようなものも生まれる。

 国という形がなくなっても、ここにいる彼女が、いまもなお『皇帝』であるように。

 十年前に消え去った皇帝。現世からなくなったハーバリア皇国だが、いまでも人々の胸に刻み込まれている一文がある。


「『皇国よ、永遠なれ』」


 少女は、建国から続く一文をそらんじる。

 皇国の民が願い、神権にまでなった奇跡『玉音』の元祖。

 皇帝がいる限り、皇国は滅びない。信仰が信じることで続くように、『皇帝』という崇拝を捧げる核があれば、愛国者の思いによって皇国は存続する。たった一人、先天の秘蹟を宿した頂点がいれば皇国という概念は崩れない。

 だから皇国で生まれた聖剣は、皇帝を完封するためだけにある。

 多くの人々の願いから生まれた奇跡は、玉音を完封する唯一の武器だ。


「……あと、少し」


 イチキが張った結界に隠されていた彼女は、聖剣の誕生の導き手である聖女が、自分の居場所を探り当てたことを感じていた。

 聖剣と聖女が揃うことで、神秘領域により深く没することができる。神秘領域への観測を完全に阻害することは、イチキですら難しい。


「やっと、決着がつく」


 自分の罪を裁く者が、あの少年だと知っている彼女は、終わりが訪れる安堵にほほ笑んだ。

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