ぜんこうていの過去・2

 皇国の辺境で、聖人が生まれたとまことしやかに囁かれ始めてから、およそ半年後。


「なぜですかっ、父上!」


 ハーバリア皇国のとある屋敷で、当主に訴えている女性がいた。

 スノウ・アルト。武門アルト家の息女の一人だ。半年ほど前に騎士となり近衛に配属された彼女は、アルト家当主である父と言い争っていた。


「聖人が生まれたという噂が出るような状況なのですっ。なぜ民のことを思って行動しないのですか! いまの乱れきった治世について、陛下へ諫言をするべきです!」

「スノウ。アルト家は皇国の始まりから仕えた武門だ」


 激昂するスノウに比べ、アルト家当主の声は静かだった。


「軍人が国政に口出しをするな。政治ごっこがしたければ、軍の派閥で遊んでいろ。軍関係者のことならば、いくらでも吠えたてることを許す」


 それは皇帝に仕える騎士として当然の不文律だった。

 ハーバリア皇国は軍国主義ではない。皇帝を中心とした文民統制の治世を続けている。


「我らは官軍だ。国が間違っていようと、民が苦しんでいようと、常に我らは国家権力の代行者であり、執行者たる暴力機関であり、正義そのものである。そのあり方を捻じ曲げることなど、論外だ」

「暴力を司るからこそ、時に主君を諌めることも忠義です」

「それは私たちの役目ではない。国政の忠言は常に文官が合議し、執り行っている」

「きゃつらは正しさなど知りません!」


 とうとう正しさなど語りはじめた若い息女の愚かさに、頭痛がしてきた。国の正しさをいま知るすべなどない。歴史を振り返って初めて知ることだ。

 だからこそアルト家当主は、バカにでもわかるようにかみ砕いて伝える。


「スノウ。我ら皇国の剣の役目は、単純だ。主のままに振るわれ、敵を倒し、時に死ぬ。それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」


 武門の人間の正しさは、スノウが語っている正しさとは機能が違うのだ。


「錆びることはゆるされぬ。鋭い剣であることは努力せねばならない。自分たちがどれほどの切れ味か、知らしめることも必要だ。だが国の行く末を決めるのは、陛下だ。他のどの国がどうであっても、この国は陛下のものである。この国が『皇国』であるという意味を、貴様は知らんのだ」

「今生帝が間違っていたとしてもですか!?」


 最低の発言だった。

 武官臣下の娘が決して口に出してはならない言葉だった。近衛となった騎士の発言では、断じてなかった。場合によっては、いまここで彼自身が娘の首を撥ねていた。

 それをしなかったのは、このやり取りがアルト家の屋敷でされていることで、さらに肉親の情があったからだ。正義感に当てられている娘を前に、アルト家当主は苦り切った顔になる。


「近頃の陛下は、明らかにおかしい! 気を病んでしまわれたのか、あるいは奸臣にそそのかされたのか、もしや御年ゆえのものかはわかりませんッ。しかし、いまの国政の在り方は迷走しています!」

「何度でも言うぞ。我らは官軍だ。陛下の下にある限り、我らは正しく、必ず肯定される。死してなお、永遠なる常世の国でハーバリア皇家に仕える誉を受ける。だからこそ、スノウ」


 皇国の剣として連綿と続いた武門の長は、重々しく告げる。


「陛下が間違えれば、我らは真っ先に死に、最後の一兵まで死兵とならねばならん。それが官軍の騎士であることの重みだ」

「納得、できません」

「誰が納得しろと言った」


 納得などと、くだらない。

 彼は鼻を鳴らす。

 アルト家は、皇国の剣であるとことが存在意義だ。そうして皇国の三百年を支え続けた。

 皇国がなくなればアルト家の意義などない。


「ただ、陛下の玉音に従え」


 国の行く末を考えることに、意義はない。

 スノウは、頷かなかった。唇をかみしね、無言のまま立ち去った。

 さきほどの言葉の通り、納得していないのだろう。短絡的な彼女がどのような行動に出るのか、父である彼には手に取るようにわかった。


「……バカめが」


 苦味走った表情のまま、彼は息を吐く。

 愚かな娘を処断するため、部下を呼んで手配を回した。

 手は抜かなかった。身内だからこそ、アルト家から裏切り者を出すわけにはいかなかったのだ。

 皇国臣下であるアルト家の名は、軽くない。

 何よりスノウは、近衛隊に所属する騎士なのだ。

 彼は万全を期して、娘を処分したつもりだった。

 だが皮肉にも、皇国主義のギフトを持って生まれたスノウ・アルトは生き残る。

 武門の名家アルト一族の追っ手を振り切って生き残り、教会に身を寄せることになった事実は、皇国の重大な瑕疵として残った。







 とある都市のダンジョンの中。

 国家情勢の荒廃を反映して荒れ始めたダンジョンは、恩寵が減り続けていた。


「おい、聞いたか。近衛から離反者が出たらしいぞ」

「聞いているわ。しかも、あのアルト家の息女っていうから驚きね」

「いよいよ末期って感じがするね。聖人が生まれたって言う噂もあるし、皇国もそろそろまずいんじゃないかな」


 世間話をしているのは三人の冒険者パーティーだった。

 うら若い少女の女剣士と、若手の秘蹟使い、そしてオーソドックな冒険者スタイルの青年だ。それぞれの名前を、アルテナ、ジーク。そしてウィトンといった。


「どうかしら。皇国は皇帝がいる限り盤石だっていうのも、あながち間違いじゃないわよ」

「まあなぁ。聖人が万軍を討ち果たせるような秘蹟を身に秘めていようと、皇帝の秘蹟は聖人よりも強いからな」

「それにしたって、国のおかしさは誰だってわかってるよ。ダンジョンの荒れ具合を見てみなよ。攻撃的な魔物が湧いてるし、何より変動の幅がひどすぎる」

「そうよね。気を付けないと。誰か、国の荒れ具合をどうにかしてくれないかしらね」

「国をなんて、どうすればいいか見当がつかないほど広いからね。僕は家族を守れればそれでいいさ」


 若手の中でもトップクラスの実力者である彼らがダンジョンの中で噂話程度の国の現状をささやいていたときだった。

 不意に、彼らの視界が開けた。

 彼らはとっさに警戒姿勢をとる。

 ここは先日まで平原だったはずだ。それが一転してまた地形が変わり、昨日までは存在しなかった湖が、忽然と現れていた。

 国が荒れ始めてからというもの、地形変動や新種の魔物やトラップの出現などが日常茶飯事なこととなっていた。


「泉、か。ジーク。どういう由来があるかわかるかい?」

「ダンジョンの泉は、そのまんま『感情が湧いている』っていう意味のはずだ。どういう感情かまでは、見ただけじゃわからねえが……」

「……ずいぶんと、綺麗な水よね。新しい恩寵かもしれないわ」


 彼らは水辺に近づいて水質を調査する。おそろしいほどに純度が高い水は、こんこんと湧き上がり続けているようで、泉の面積を広げていた。

 源泉となっているものを見つけてしまったのは、ウィトンだった。


「……ん?」


 泉の中央にあるその剣は水面に突き刺さり、誰かに引き抜かれるのを待っていた。誰でもいいから早く引き抜いてくれと言わんばかりに、遠目からでもよく見えた。

 美しいだけの、人々の希望でできた恩寵。


「これは……」


 人々の望んだ聖剣が、ただの冒険者だったウィトン・バロウの運命を、大きく変えることになった。








「聖剣が見つかったと聞き及んだ」


 教会の総本山。

 どこの国にも属さぬ、小さな町をそのまま教会の聖地とした場所。絶大たる権威でもって、信者ですら足を踏み入ることが難しい聖地の奥の院に呼ばれたのは、苛烈な審問会を無傷で潜り抜けた女性だ。

 ハーバリア皇国の辺境で滅んだ村で発見された生き残りであり、存在の異常さから西方教会で審問を受けていた修道女である。

 あらゆる拷問と処刑を潜り抜けた彼女は、聖人として認定される最後の審判を受けるために、とある人物に引き合わされた。

 一人の老人である。

 年老い、全身が干物のように干からびた彼は目の前に座る修道女を見ていない。顎を引き上げ、口端からよだれを垂らしながら虚空を見て、ぶつぶつとうわごとを呟く。


「なぜじゃろうなぁ……世界は、人の目の中にある……人が見た世界こそが、世界じゃ。どうして、あらゆる人の目の中に世界が映るのか……観測されることが世界の確定というのならば、世界とは主観に瞬くうたかたでしかないのかのう……しかし、それでは、あるべき世界にたどり着くには……」


 修道女は躊躇なく二本指を相手の瞳に突き立てた。

 本来ならば眼球を貫く修道女の指は、相手を傷つけることはなかった。突き立てた眼窩には眼球がなく、ぽっかりと穴が空いていた。


「殉教をし損なった分際が、譫言をほざくな」

「……ああ、なんじゃ、いたのか」


 虚ろな眼窩がイーズに向けられた。


「声をかければよかろうに、最近の若いものは乱暴じゃのう。怖い、怖い。まったく、目も当てられんわい」


 ぶるりと身を震わせた気味の悪い老人こそがこの教会の最高峰。

 西方教会において最初に聖人になり、教義に殉じることができないまま死に損ない、千年以上もの間、教会のトップの座にい続ける老人。そしてこれからも、己の身に宿った教義を果たさねば朽ちることすら許されない、聖人の成れの果て。

 教皇『神の見えざる目』だ。

 

「イーズよ。お前の目は、いらない。お前の目は、あまりにもつまらない、ありふれた目だ。目を奪われることなどない、魅力のない目だ。泥とて磨けば光ろうに、貴様はあまりにも怠慢な目の色をしている。つまらない目、くだらない瞳、必要ない眼だ」

「我が信仰に怠惰などない。見るものしか見ない貴様などと同列に並ぶものでは断じてない」

「ひひっ、そうか、そうか」


 彼女の瞳に、己の身の上に降りかかった苦難、滅んだ故郷に対する思いなど、微塵もなかった。

 なぜそうなったか視てきた老人は、猿のように笑う。


「なあ、イーズよ。貴様は、歴史のどこにでもいる犠牲者の寄せ集めでしかない。本当に、ただそれだけでしかない。そのことを自覚しているか。貴様に特別なところなど、砂粒一つとして存在せぬのだぞ」

「痴れごとを。人の身に正しさなどあるものか。わが身に特別などという傲岸不遜はあり得ぬ。貴様が人の目を覗けようとも、それが人の目である限り神に至ることなどない」

「ああ、イーズ。村娘のアンだった、修道女のイーズ。なんと的外れな言葉か。なんと見当はずれな信仰か。だからこそ、貴様の祈りは紛れもない聖人に相応しい。どこにでもある絶望に身を寄せたからこそ、貴様は聖人なのだ。そのつまらない泥の瞳で、皇国の滅びを見届けるといい。そのためだけに再誕したのが、貴様さ。ひ、ひひひ」


 ひきつったような笑い声を、不意に止めた。


「……聖剣のもとに行きたくば行け『神の泥』イーズ・アン。いまの貴様の生きざまなど、見る価値もない。貴様の瞳には、何一つ、見るべきものがないのだから」


 聖人認定を受けたイーズ・アンは、用が済むなり消え去った。聖剣のもとに向かったのだろう。

 イーズ・アンが立ち去った後、教皇は一人で笑う。


「ああ、くだらない……まったくもって、くだらんのう……神がなんだ。異端がどうした。世界は広い。瞳の数だけ世界は映る。くだらぬ狭量な宗教の不完全な原典などでは我らが主を語りきれんと、どうしてわからんのだろうなぁ……。言葉など、無力。目だ。人の目こそが、世界を映す。光こそが救いというのならば、目に見えるものだけが真実だというのが自明だろうに、人はどうして言葉で祈ろうとするのか」


 くけけと怪しく笑う。


「だからあやつも、わしが救ってやらねばならぬのう」


 瞳をなくした老人が、気味悪く笑い続け、祈る。


「ああ、光あれ、光あれ。ただの世に光が満ちますように、世界が平和でありますように。光あれ、光あれ」


 ごもごもと聖句を唱え、彼はまた世界中の瞳を覗きこんだ。








「『聖女』が勇者パーティーに入ったとよ」


 王都にある一室で、ボルケーノはカーベルファミリーの頭に報告をしていた。

 政情が不安定になればなるほど裏社会は活発になる。政治家の腐敗は治安機構のぐらつきに直結し、市民生活のひっ迫は瞬く間に国家荒廃を招く。なにもかもが、彼らの身を軽くする。

 カーベルファミリーは、機会を見逃さずに瞬く間に大きくなった。この乱れの元凶である伝令官の資金提供者であるという立場は、マフィアである彼らに莫大な利益をもたらした。


「そうか。これで名実ともに、革命の正当性が揃ったな」


 カーベルファミリーの頭は何事か考え込んでいた。

 ボルケーノは幼い頃、当時は若頭だった彼に拾われた。以来、カーベルファミリーの中でも腕っ節で成り上がった武闘派だ。


「ボルケーノ。てめぇ、聖剣を拾った若造のサポートをしろ」

「オヤジ? あんた、伝令官の支援をしてんじゃなかったのか?」


 いまのカーベルファミリーは金銭面で支援をしていた。交友により政府に深く食いこんだカーベルファミリーの権勢は、皇国中のマフィアを飲み込んで統合しつつあるほどだ。

 それが、どうして皇国に反旗を翻している勇者パーティーに自分が参加することになるのか。


「バカかてめえは。手の届くところで対立しているやつがいるなら、どっちも支援するのは当然だろう」


 どちらが勝とうが負けようが、利益は得る。

 鼻で笑った彼は、「なにより」と付け加える。


「こいつぁ、もしかしたら――『玉音』が手に入るかもしれねえんだぞ」


 皇国の裏社会を牛耳るカーベルファミリーの頭のぎらぎらとした目は、野心に満ちていた。

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