ぜんこうていの過去・3
革命が終わろうとしていた。
長い内乱の時代に終わりの気配が訪れていることを、多くの国民が感じ取っていた。
聖剣を持った救国の勇者の誕生に、聖女イーズ・アンの登場。彼らの活動によって貧窮を極める中でも声が大きかった皇国主義は駆逐されはじめ、人々の中には希望が生まれつつあった。
大衆は息を潜めて皇国の終わりを待つ。
そんな中、とある市中にある屋敷で静かに向き合う親子がいた。
「……お父さま」
「なんだい」
「私は、教会に入ります」
「……」
なぜという問いかけはされなかった。父が娘である彼女の心情を正確に把握していたからだ。
その察しの良さが、娘である彼女にとって時として、たまらなく受け入れがたくなる。
父は、あまりにも政治家として優秀だった。
娘の彼女が、縁戚の無事を見て嫌気がさすほどに。
「僕は、間違っていたかい?」
「いいえ」
彼女はかぶりを振った。
父の行いは、何も間違っていない。
彼は家族を守り通した。自分の地位も揺るがせなかった。この八年で、それはどれだけの偉業だろうか。
革命の動乱にあって、己の家族を失わなかったものなど、ほとんどいないのだ。
特別に善良でも際立って悪辣でもなく、優秀だからという理由で動乱の時勢を泳ぎ切った父は、傑物というのにふさわしい。
だからこんなワガママが口から出る自分こそが、彼の娘としてふさわしくなかったのだろう。
「お父さま。私は、ただ人を助けたいのです」
「ならば、政治の場に出ればいい。お前は賢い。現実を現実としてしなやかに受け止める精神性には、僕の跡継ぎとして十分以上の資質がある。お前は女だが、女であることすらも利用して政治の舞台に立てる。あるいは、歴史に残れる可能性すらあるんだ」
親の後押しがあれば、という補足は語られるまでもない要因だ。
確かに父の言う通りだと、彼女は納得した。資産家の家に生まれ、市長として選ばれた父の教育を受けて育ち、盤石な地盤を譲られて政治家を目指す。
困難も多く、同時に名誉あるやりがいにあふれた人生だ。
ただ、やりたいとは微塵も思えなかった。
「お父さまの後継ぎは、弟がやってくれますよ。あいつも望んで、頑張っています」
「……お前は、どうして教会に行くんだ」
「自己満足のため、人を助けたいのです」
父の問いに、きっぱりと言い切った。
「指先一つで何千何万もの人も救うのではなく、私はただ、目の前の人を癒し、お礼を受け取り、笑顔を見せてほしいのです」
「……勝手だね。なにかを変える考えもなく、誰かになじられる覚悟もなく人を助けたいのかい?」
「なじられるのならば、目の前の人に。知らぬ人に見えない場所で囁かれる風聞ではなく、手を動かした行いを見てなじられるならば後悔はありません」
「つらいよ。それがどれだけつらいことか、お前はわかっていない。いまのお前は、覚悟をしているつもりなだけだ。目の前の人ですら、自分の行いを見てはくれない。正しい行いをすれば正しく評価されるんだなんて思い上がっているとしたら、お前は手ひどい裏切りを受ける」
父親として、あるいは娘の倍以上を生きてきた一人の人間として、世間知らずの少女へ真摯な忠告をする。
「人は、生来から正しくないんだ」
「御忠告、ありがとうございます」
話を打ち切るために深々と淑女の礼をする。
「正義が欲しいのではありません。私はただ、自己満足を完遂させます」
「そうかい」
彼女の父も説得を諦めた。自分の娘がどれだけ強情か、よくよく知っていたのだ。
「なら行きなさい。二度と、この家の敷居をまたいではいけないよ」
「はい、お父さま」
その言葉は家長である父からの絶縁を意味する。血縁との決別に揺らぐことなく、彼女は顔を上げる。
「いままで育ててくださって、ありがとうございます」
「当然のことに、礼など言わないでくれ」
「……はい」
後日、教会で洗礼を済ませたその少女は、『ファーン』という洗礼名を受け取った。
「ほらよ、これだ」
勇者パーティーの目を盗んで来訪した王宮の一室で、ボルケーノは伝令官に首輪を投げ渡した。
「俺が引き延ばすのも限界だな。さっさと腹を決めろよ」
見た目だけは上等に見える革製で、ちぎれた鎖のついた首輪は『奴隷の首輪』と名付けられている。
人の力を封じて、自由意思を奪って支配するためだけの効力を発揮するダンジョンの産物だ。どこの都市部のダンジョンでも必ず発見され、そしていかな理由があっても使用が禁じられている一品だ。
「こんなものを、つけなければならないのか……? 陛下に……この皇国の主に……!」
未練がましい忠誠心を引きずる伝令官の態度に、カーベルファミリーの使いとして王宮に訪れているボルケーノは鼻を鳴らす。
「いまの勇者パーティーから逃げるなら、玉音の力を封じる必要がある。最低でも見えなくする必要がな。勇者やら聖騎士はともかく……そうじゃなきゃ、あの宗教女は止まらねえんだよ」
実際のところ、これで玉音が封じられるかどうかは定かではない。奴隷の首輪は類を見ないほど強力な支配と封印の力を持つが、先天の秘蹟に抗えるほどのものかどうかは怪しい。
だが着用者が抗う心を持たないのならば、玉音の気配を遮断するという必要最低限の効力を発揮する可能性はあった。
「逆に言えば、あのガキの先天の秘蹟さえ感じられなくなれば教会の大義名分はなくなる。イーズ・アンさえ止まれば、あとはチョロイもんだ。支配は無理だろうけど、試してみる価値はあるぞ」
「だが、このようなものを……!」
「うだうだと、うるせえなぁ。皇帝さえ生きてれば、皇国は残るんだろ。『皇国よ、永遠なれ』。あんたら皇国主義者の常套句じゃねえか」
ボルケーノとて、好きでこんなことをしている訳ではない。なにが楽しくて、子供に奴隷の首輪などはめるのか。
だが、玉音の価値は皇国全土と等価で結ばれるほど絶大だ。カーベルファミリーのドンが、伝令官を通じて掌中に入れたがる気持ちも理解はできる。
中途半端なのは自分も同じか、と内心で自嘲する。
国を潰す片棒を担ぐことは割り切れているのに、年端もいかない子供を操ろうという自分のボスの思惑にはどうしようもない嫌悪感といらだちを感じている。だから勇者パーティーのスパイをしていることは割り切れているのに、あの幼い皇帝に関わる仕事だけは自分の感情とは比べようもない利益を先に考えている。
「さっさと選べよ。時間はねえぞ」
首輪をもって手を震わせる伝令官と己が同類であることを自覚して、ボルケーノはたとえようもない嫌悪感に苛まれた。
ハーバリア皇国の崩壊。
自分が頂点にいた国が崩れていくのを、偽りの皇帝であった少女は他人事のように感じていた。
「お逃げください。私はここに残り、しばし時間を稼ぎます」
伝令官にそう言われ、首輪をはめて王宮から移送された時ですら、彼女にはなにが起こっているのか理解できなかった。
なぜ逃げなければならないのか。いまに至るまでの理由もわからないし、そもそも現状がどうなっているのかすら把握していない。未来の展望など、思慮に浮かぶことすらない。
言われるがまま首輪を嵌めて皇都を出て、地方の都市にやってきた。
皇帝から転落した彼女だが、別に自分のことを不幸だとは思っていなかった。そもそも、なにが起こっているのか、何一つ知らされていなかったからだ。
国が滅んだと聞いた時も、なんで滅んだんだろう、滅んだからなんなんだろうと疑問に思っていたくらいだ。
そうして移動した屋敷でも、少女は最上級に丁重に扱われていた。だから別に、国が滅んだところで不便は感じていなかった。
変わったことといえば、二つだけ。
変な首輪を、首に巻かれたことと、もう一つ。
傍に置かれる人間が変わったことだ。
「お前が大切なお客さんとやらか?」
「……」
少年の声に、びっくりと目を見開く。
相手から話しかけられたのも初めてだが、それ以上に少年の声が少女が聞いたことがないほどきれいに響いたからだ。
極めて希少な、天然のソプラノボイス。
はじめて聞く透き通った声に、まじまじと彼の顔を見る。天使のような声に反して、見た目にはなんの特徴もない。彼の首に自分と同じ首輪が巻かれていることに気が付いたがそれだけだ。
「それで、俺は何をすればいいんだ? なんか知らんが、余興をやれって言われたんだけど」
「……うん」
「いや、うんってなんだよ。俺が仕込まれたのなんて歌ぐらいだけどさぁ、それでいいのか」
「……うん」
「……お前、ぜってー人の話を聞いてないだろ」
「……うん。………うん?」
適当に聞き流してから、首を傾げる。いまのは頷いてよい言葉だったのだろうか。いけなかった気がする。
そこでようやく目の前の人物の声以外に焦点を合わせた。
「……あなた、誰?」
「俺か? 俺は、ここの連中に買われた奴隷だよ。お前が暇を感じないように楽しませろってさ。俺と同じ首輪つけてるやつを楽しませろとか、どーいうことだよ」
少年は忌々しそうに、ぺっと唾を吐く。
そんな下品な仕草がなにを意味するのかも分からず、少女は目を丸くする。
どれい。
初めて聞く言葉だ。意味がよくわからなかった。だから少女は、この部屋にいるもう一人に問いかけた。
「……あなたも?」
ぽつりとつぶやいた先にいたのは、黒髪の少女だ。自分より、きっと年下だろう。彼女は慎ましく、心の距離と同じようなよそよそしさで控えていた。
異国の服装をした彼女も、やはり首輪をつけている。
「わたくしは、イチキと申します。見ての通り異国より売り飛ばされ、なんの因果かあなた様の世話をしろと申しつけられています。年齢が近いのと……わたくしが見苦しくならない程度に行儀作法のおおよそは修めておりますからでしょうね。この通り、逃げも隠れもできないように首輪を嵌められておりますし。余計な見張りすらいないのは、これのせいでございましょうね」
刺のある口調だったが、自分より年齢が下の人間に初めて出会った少女は、興味をそそられて近づく。
王宮から移った屋敷で世話係として傍に付けられている少女だ。自分と同じくらいの年齢の中でも、ずば抜けて見目麗しく賢かったからという理由で選ばれたらしい。
近づかれた分、黒髪の少女は後ろに下がった。距離をとられるという反応が新鮮で、彼女は相手を追いかける。
数度、そんなことをしていたら、黒髪の少女がじろりと彼女をねめつける。
「なにがなさりたいのですか? 用事があるならお申し付け下さい」
「……さあ?」
なにがしたいかなど、自分でわかっているはずもない。幼い仕草で首を傾げると、冷ややかな声色をした黒髪の少女の瞳に嘲笑の色が浮かんだ。
「自分で自分のなさりようもわきまえておられないとは、惨めでございますね。そういう風に育てられたのでございましょうが……人が己の意思を持たない心理的状態を『奴隷状態』と呼びます。あなたさまの状態は、まさしくそれかと」
「……どれい?」
また、同じ単語が出て来た。
不思議そうに目を瞬かせた彼女の反応に、黒髪の少女が皮肉げに口端を上げる。
「ええ、奴隷でございます。古今東西、奴隷が消えてなくなった時代はございません。制度を禁止したところで、人が支配を求める欲求は消え失せないのです。真に人を貶めるのは人の心であり、あなたがどれだけ高貴に生まれていようと、考える頭を失ったあなたなど奴隷同然に違いありません」
皮肉をたっぷりにじませた彼女は、首に巻き付けられた首輪に触れ、自嘲する。
「まあ、いまのわたくしがそのようなことを言える身の上ではございませんが……」
言葉を切り、ちらりと青みがかった髪を見る。
幼いながらも知識に優れるイチキは、人体にあるはずない青の色素を見ただけで彼女が誰か把握した。
「あなたさまは少しくらいご自分の責任というものを感じるべきかと思いますよ?」
「……?」
この少女は一体なにを言っているのだろうか。
少女にはまったく理解できなかった。
『どれい』という言葉も不思議で、責任という概念もよくわからない。なにより不思議なのが、彼女が前提としている、とあることだ。
「自分って……なに?」
黒髪の少女の表情が凍った。
なぜ言葉を止めたのか、どうしてそんな顔をするのか。フーユラシアート四世の名を失った少女にはわからない。
「えと、つまりは、その……人間が自発的行動に出るための衝動といいますか……よ、欲求の発露でございます」
「よっきゅう?」
「何かをしたい、ですとか。生理的欲求以外の、何かを求める心です。ひ、人の欲求には段階がございまして――」
「……?」
しどろもどろな口調でなにやら頭でっかちに難しくなっていく話に、彼女は首を傾げる。
基本的に、彼女は何かをしたいと思ったことがない。
彼女の人生は常に満たされていた。不便を感じるより前に、かいがいしく尽くされた。一人でいることに特別寂しさも感じたことはない。
なにより彼女の精神には、玉音の核である先天の秘蹟が自意識より先にあるからだ。
そんな彼女が生まれてから他人に求められることは、一つだけ。
「……玉音を、響かせること?」
だって自分は、正しく玉音を響かせることを求められていた。自分の中にある先天の秘蹟には、確実に民意があった。
正しい玉音をくれと。
そして、正しい玉音の内容は伝令官が伝えてくれた。
それが自分だと言うと、なぜか異国の少女の瞳に憐憫が浮かんだ。
「……あなた様が、それでよろしければ、それが――」
「いいわけねーだろうが」
「――あぅ!?」
突然割って入ってくたソプラノボイスの少年が、黒髪の少女の頭をこづいた。
「よくわかんねーこと話しているから聞いてたら、お前はちょっと頭いいだけで偉そうだな! 他人の生き方に口出して否定してばっかで楽しいのか?」
「わ、わたくしはそのようなことは――!」
「いいから黙れっての」
「――ぅ、ううう!」
額にデコピン。その一撃で、なにか張りつめていたような態度をとっていた黒髪の少女は、じんわりと涙を浮かべる。
それでも果敢に言い募った。
「わ、わたくしは間違ったことは、言っておりません! 正論を述べて注意されるなど、道理に沿いません!」
「間違ったこと言わなかったら正しいとは限らねーだろ! 相手のことを考えて言葉を選べよっ。こんなぼーっとした奴に小難しいこと言って通じるわけねーだろう」
「せ、正論を通すことが正しさです! 先人に学んだ知識で得た正しさを活かせば報われるはずでござます!」
「あのなぁ」
少年は呆れたように息を吐く。
「そうだったら、俺もお前もこんなとこにいねーんじゃねぇのか?」
黒髪の少女が、うっと言葉に詰まった。
頭でっかちの少女を論破した少年は、視線を彼女に移した。
「で、お前だよお前。お前が一番バカじゃねーの」
バカと言わて、むっとする。そんな失礼なことを言われたのは、生まれて初めてだ。
「……バカじゃないし」
「はーん? お前、何歳だよ」
「……十一」
「ほーん。俺は十三歳。お前より年上だ」
「……だから?」
「敬え」
「……バカは、尊敬できない」
年功序列など知ったことではない。
彼女は偉いのだ。この世界で一番、尊き存在なのである。みんなみんな、そう言っていた。
黒髪の少女はとても賢く、自分の知らない知識を語ってくれる。それはとても素敵なことだ。
翻って、目の前の少年はどうだろうか。
恨みがましい目をしてる黒髪の少女を慰めようと、彼女は手を伸ばす。その途中で、黒髪の彼女の首輪に触れた時だった。
「え?」
彼女の手が触れただけで、奴隷の首輪の機能が破壊された。
黒髪の少女が目を丸くしながら、首輪に手をかける。力を封じる機能だけはそのままで、支配の呪いだけがかき消える。するりと、なんの抵抗もなく首輪が取れた。
首輪には特に興味がなかったので、彼女は少女の黒髪をよしよしと撫でる。
「はず、れた……嘘……支配の呪いが、触るだけで……? なんてずば抜けた先天の秘蹟……! これほどでございますか、玉音とは!」
「お、おい。マジかよ。ちょっとお前、俺の首輪にも」
「……え。…………なんで?」
「なんでもだよ!」
少女の艶やかな黒髪を撫でることに夢中になっていた彼女は、しぶしぶ少年の首輪にも触れる。
同じように、なにかが壊れた感触があった。それに少年が快哉を上げる。彼らの興奮にはつゆとも興味を示さず、彼女は黒髪の少女の頭を撫でくり回す作業に戻る。
「なあ、逃げようぜ」
「……逃げる?」
「で、ですがわたくし、ここから逃げて行くあてもございません……」
「俺だってねーよ。でも、こんなところであんな奴らに捕まりっぱなしよりはマシだろ。すぐにとはいかねーけどさ。あいつら、油断しきってるぜ」
「……ふーん」
「……なんでお前、そこまで他人ごとなんだよ」
「というか、そのぅ……そろそろ頭を撫でるのをやめていただけませんでしょうか……?」
そうして出会った彼女たちは、まだ知らなかった。
人の尊厳をおもちゃにする、人の悪意を。
少女の二人は知らずとも、彼だけは知っていた。
「ま、何にせよだ。俺たち三人で協力して、こんな腐った場所からおさらばしようじゃねーか!」
幼い三人の中で、もっとも命が安い少年だけが、自分の命の軽さを知っていた。
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