ぜんこうていの過去・4



 おおよその場合、発展した都市部はスラム街を抱えている

 廃材でつくったあばら屋、考えもなく違法建築が繰り返されたせいでいびつに狭まり複雑化した路地道。不法占拠によって住み着き、公共の手を拒む住人たちが暮らす区画だ。

 人の不幸が住むと言われているほど不潔で腐った空気が蔓延する中で、場違いに明るい声が響いた。


「姉さま! 食料を確保してまいりました!」


 満面の笑みで調達した食料を披露したのはイチキだ。幼い両腕いっぱいに、低所得者が集うスラムでは手に入らないような新鮮な食材を抱えている。


「……えらい」


 今日の食事を調達してきたイチキの頭を撫でるのは、青みがかった銀髪の少女だ。彼女にかわいがられたイチキがくすぐったそうに微笑む。

 とらわれていた場所から逃げ出した彼女たちは、スラムと呼ばれるところに居場所を見つけていた。本来ならば子供だけで暮らせるような治安ではないのだが、そこは有能という概念を結集させているといっても過言でないイチキが基盤を整えた。

 ひとしきり撫でられたイチキは、ニコニコと清楚に微笑みながら両手を合わせる。


「ではすぐに料理をいたします。兄さまと姉さまはおくつろぎの上、お待ちくださいませ」


 言うなり、魔術で火をおこしたイチキは鼻歌をしながら調理を開始する。その様子に、さすがはイチキと感心する。

 イチキは偉い。スラムのバラックとはいえ居場所を見つけたのがイチキならば、安定して食料を調達したのもイチキだ。イチキがいなければ逃亡生活はままならなかった。いま住んでいる場所すら、イチキが構築した結界によって清潔さを保っている。

 翻って、もう一人はどうだ。

 違う場所で行動してきた少年のリンゴが三つあるだけだ。ほとんど手ぶらで帰ってきた甲斐性なしに、彼女は冷ややかな視線を向ける。


「……この、ザコの助が」

「留守番してるだけのお前には言われたくねーんだけど!?」

「……言う権利は、あるし」


 こんな路地裏にすら綺麗に鳴り響くソプラノボイスの文句に、ぷいっとそっぽを向く。彼女には堂々と言い返せる理由があるのだ。


「……最初の最初の資金源は、私。つまり私は、偉い」


 変装のために、長く伸ばしていた少女の髪をばっさりと切ったのだ。そのついでというわけでもないが、切った髪は床屋に売り払った。それが逃亡した当初の大切な資金となった。

 青みがかった美しい銀髪は高値で売れた。それを元手にしてイチキは活動している。もちろん少年のほうにも資金は等分されたのだが、元手を増やしたイチキと違って彼は普通に食料を買って順当に減らしていた。


「……妹に養われるバカ兄とか、どんな気持ち?」

「ぐぬぬ……! イチキならともかく最大に養われてるだけのお前には言われたくねえのに言い返せないこの悔しさ……!」

「……この間とか『全肯定奴隷少女』とか意味わかんない商売提案してたし。商才、ゼロ」

「ね、姉さま。兄さまも頑張っておられます! その心意気こそが素晴らしく、わたくしの原動力になっております! 確かに、そのう……兄さまには商才も甲斐性もないのは事実ですが、それは重要ではございません! 大切なのは頑張るお心なのです!」

「やめろイチキ……! そのフォローはフォローになってない……!」


 血のつながらない三人は脱走を提案した年長の少年を長男に、銀髪少女を長女に、イチキを次女にしている。

 少女に名前がないと知った少年が、ならば呼び名にこだわらないよう兄弟になろうと宣言したのだ。それに最初は一番警戒して、馴染んでいくにつれて一番喜んだのはイチキだった。

 家族となった三人でわいわいと盛り上がりながら、少女はしゃくりと瑞々しい音を立てて兄が持ってきたリンゴをかじる。


「……おいしい」


 小さく微笑んだ彼女には、確かな個性と自意識が生まれていた。

 少し前まで自分を知らず、他人も知らなかった。自分のことも、他のこともすべてどうでもよかった。

 それが、どうだ。

 イチキと少年との会話で急速に自意識を育み始めた彼女はいま、人と話すことが楽しくて仕方ない。

 この日々を続けるためにも、よしっと少女は決意を固める。


「……バカ兄。次は、わたしが食料調達に行くから」

「やめとけ。どーせイチキのおんぶにだっこだぞ。足を引っ張るのがオチだ」

「……そんなことないし。私は、役に立つ。バカ兄よりは有能」

「そうでございますよ、兄さま! 姉さまはやればできる方でございます! ……あ、ですが姉さま。初めてのおつかいでございますので、わたくしにぜひ付き添わせてくださいませ! 姉様さまの勇姿、しかとこの眼におさめさせていただきます!」

「……ん。私がバカ兄と違うところ、御覧じるといい」

「この妹ども、甘やかし好き過保護と天然ポンコツの自覚がねえのがまたなぁ……」


 そうして、イチキと青みがかった銀髪の少女が出かけて、帰ってきた日。

 少年の姿が、三人の居場所から消えていた。

 見張りに残された男たちを叩きのめしたイチキは、自分たちを――正確には銀髪の少女を追いかけている勢力に兄が連れ去られたと即断した。表情をなくした姉をなだめて結界で隠し、すぐさま兄の行方を追った。







 兄の連れ去られた居場所を特定したイチキが乗り込んだのは、その三時間後。

 兄の遺体を片付ける男たちを目撃した彼女は正気と理性をかなぐり捨てた。







 ボルケーノは、機嫌の悪さを隠していなかった。

 部下から、逃げ出した子供のひとりを捕まえたという報告があったのだ。

 玉音の持ち主の脱走と同時に、カーベルファミリーは総力を挙げているといっても過言ではない捜索体制を敷いていた。事情を知っている幹部の中で、逃げた子供を真面目に探していなかったのはボルケーノくらいなものだ。

 そうして、二か月と少し。

 よりにもよって、自分がいる町で子供が見つかった。


「どうせなら、逃げ切っちまえばよかったのによ」


 無茶苦茶なことを言っている自覚はあった。たかが十かそこらの子供が、マフィアから逃げ切れるはずがない。数か月という期間隠れているだけでも称賛できるのだが、そんなことを言いたくなるほど自己嫌悪に駆られていたのだ。

 十歳前後のガキ三人を、裏社会の人間が追い回している。

 カーベルファミリーといえば『騎士隊より厳格なる必要悪』を源流に持つマフィアだ。

 それがどうして、と歯がゆさに苛立つ。

 玉音には価値がある。そんなことはわかっている。それでも思わずにはいられないのだ。


「なんでこんなことになっちまったかね」


 ボルケーノには暴力しかなかった。

 暴力でしか会話が通じない父親。そんな場所から抜け出すには暴力に頼ることしかできなかった。

 だが、断じて子供をしいたげるためにカーベルファミリーに入ったわけではない。自分が成り上がって、少しでもクソみたいな世の中を変えられればと思っていたはずだ。


『騎士隊より厳格なる必要悪』


 こんなクソみたいな世界に、そんなものがあってもいいじゃないかと思ってカーベルファミリーに入った。

 当たり前のことだが、裏社会にそんな御伽噺はなく、より深い闇が広がるばかりだ。


「クソがッ」


 抱えがたい苛立ちを吐き捨てながら、少年を捕らえたという建物に入った時だ。


「ボルケーノのアニキ! た、たすけてくれ!」

「あ?」


 助けを求めておきながら、手に持った刃物で斬りかかってくる。

 決して鋭い動きではない。眉をしかめながらも、相手を取り押さえる。


「てめぇ、なんのつもりだ?」

「違うんですっ。俺じゃ、どうしようもなくて――あぁぁあああああああ!」


 部下の腕が、関節と逆に動いた。

 ぐにゃりとまがった腕が人外の動きで絡みつこうとする。ボルケーノは瞠目する。驚愕しつつも部下の男を突き飛ばし、攻撃をしのいだ。


「あ、あ、ああ、あ、ああああ」


 部下の腕が、軟体動物と見まがうような動きをする。壮絶な痛みに襲われているのか、全身が痙攣している。

 肉がぶちぶちと千切れる音が聞こえる。正気のまま自分の手足が他人の意思で動き、ボルケーノに襲い掛かってくる。

 手法はわからないが、明らかに誰かに操られている。しかも精神的な操作ではなく肉体の内側に何かを仕込んで強制的に動かしている。

 これは手遅れだ。

 一度判断すれば迷いはない。動かされている男に拳を叩きこむ。

 ボルケーノの拳の威力で上半身がはじけ飛んだ後で、軸が残った。


「なんだこりゃ……結界か?」


 おそらく部下を操っていただろうものを見て顔をしかめる。

 ボルケーノは知る由もないが、それは高度な結界の一種である。皮膚に小さな穴を開けて体内に侵入し、肉を食い破って骨に入り込み、骨を砕ききった空洞部分は物理障壁の極小結界を詰め込み芯にしたものだ。ボルケーノに体を砕かれ、人の肉体よりよっぽど丈夫なこの軸が残ったのだ。


「お見事でございます」


 ぱちぱちぱちと拍手の音。


「仲間だというのにためらわぬ殺害。畜生風情にふさわしい心意気でございますね。誠、感心でございます」


 健闘を称えるように褒める。もちろん彼女が操っていたのだが、それがあたかも本人たちの功績であるかのように讃える。

 ボルケーノの前に現れたのは、探していた三人の内の一人だ。


「なにやってんだ、ガキ」

「あなた方のお得意の手法を、真似させていただきました」


 兄を殺された彼女に、一切の情はなかった。

 黒髪を揺らして首を傾げたイチキは、光のない酷薄な瞳で告げる。


「まずは周囲から切り崩して食いつぶすのが、あなた方のご流儀でしょう?」


 まだ十にもならぬ少女が壮絶な笑みを浮かべる。


「本当はあなたさま方のご家族を使いたかったのですが……姉さまが反対されましたので、それは控えました。致し方ございませんので、順当に構成員の末端からすり潰して差し上げます」


 幼子がしてはならない発想に、ボルケーノは絶句する。

 イチキの後ろから男たちが現れる。小さな少女の盾になるように前に出た彼らは、痛みにうめきながらもボルケーノと相対する。

 見知った顔だ。カーベルファミリーの中でも実働部隊として動いていた者たちである。一様に尋常ではない痛みに襲われているようだ。

 意識があるのに、体を無理やり動かされている。先ほどの男と同じだ。意思を操っているのではなく、内側から物理的に動かしている。助けるのならば体に入り込んだ結界をどうにかしなければいけないが、浄化の光で魔術を消し飛ばせる秘蹟使いではないボルケーノにはその手段の持ち合わせがない。 


「お行きなさい」


 イチキの指令と同時に、操られた男たちが絶叫を上げてボルケーノに襲い掛かる。


『一隔世壺世隠一』


 極小な結界の集合体を増殖、高速回転させて人体を内部から食い殺す凶悪な魔術だ。イチキの意思で動かせるこの術で、骨という芯の代わりに微細な結界を詰め込まれた男たちの手足が普通の人間ではありえないぐにゃぐにゃとした動きをする。

 それらすべてが、消し飛んだ。

 軸となった結界ごと死体も残らない威力で殴り殺したのは、ボルケーノだった。

 追われることになった子供たちに同情はしていた。

 だがここまでされて、黙って見逃す選択肢はない。血煙が上がる中、二人は剣呑な視線をぶつけ合う。


「覚悟はできてるんだろうな、ガキ」

「そちらこそ、まさか命乞いなどなさりませんよね?」

「上等だ」


 命のやり取りをする決意はあるらしい。ボルケーノは手加減を捨てた。

 ボルケーノは足裏ですべるように前へ出る。気がついたら、眼前にいる。そんな錯覚を引き起こす滑らかな動きと同時に、握りしめた拳を叩きつける。

 イチキが三重に張った障壁をボルケーノの拳が打ち砕いた。

 磨き抜いた近距離魔術は、時として多様な技をねじ伏せる。

 威力を減衰しながらも直撃した拳に、イチキの小さな体が跳ね飛ばされる。

 だがボルケーノも無傷ではない。イチキと接触した拳から体内に極小の結界が入り込もうとしていた。ちっ、と舌打ちを一つ。ぐっと固く拳を握り筋肉の膨張で、肉体に入り込んだ極小結界を押し潰す。

 同レベルの達人二人がにらみ合う。

 一触即発。次の交錯でどちらが死んでもおかしくない死闘を繰り広げようとした時、こつり、と小さな足音が響いた。


「……!」


 後ろから現れた少女に、ボルケーノは目を見開いた。

 髪の長さと色こそ変わっているが間違いない。その少女こそ、カーベルファミリーがあらゆる犠牲を惜しまず求めた存在だ。


「……あなたには、二つ、選択肢がある」


 勝てない。状況が詰んだことを悟る。

 先ほどまで戦っていた黒髪の少女は、ボルケーノと互角か少し劣る程度。そこに玉音の持ち主が現れた。

 黒髪の少女の妨害をかいくぐって、彼女が首輪を外して玉音を発するのを止める手段をボルケーノは持ち合わせていない。


「……あなたの意思で従うか、あなたの意思をなくして従うか。すぐに選べ」

「はっ。玉音なんてもんを使って見ろ。『聖女』が飛んでくるぞ?」


 勝機を模索するために、あえて強がる。


「自意識を持ったくせに逃げ回ってたのは、聖剣と聖女が怖かったからだろ。じゃなきゃ、玉音を使えるお前が隠れなきゃいけねえ理由がねえからな」

「……ああ、うん。そう、だね。そうだったよ。でもね? 怖がるくらいに守りたい場所は……もう、ないんだ」


 少女の声の質が、がらりと変わった。幼さに見合わぬ威厳に満ちながらも、ぞっとするほど捨て鉢な声だ。


「最悪……私はもう、『聖女』と聖剣が来るまでにお前らを根絶させられれば、それでいい」


 こいつは、やる。駆け引きが無駄だと確信ができる声色にボルケーノをして背筋が凍った。

 事実として、彼女には言葉通りのことができた。

 玉座から引きずり降ろされ、民衆が皇帝を不在として認識しているいま、彼女の内にある神秘領域は現在の民意とつながっていない。

 だからこそ彼女には明確な自意識が生まれている。

 いままで歴代の皇帝がなしえなかった、個人の感情で玉音を振るえる身勝手を持ち合わせている。なんなら、いまこの場でごく少数の例外である数人を除いた国民全員を自死させることすら可能だ。

 そして、いまの彼女はそれを実行しかねない雰囲気を纏っていた。

 ごくり、とボルケーノの喉が上下する。


「そこまでできるなら、なんで問答無用で玉音を使わねぇ?」

「……あなたに、中途半端な良心が残っているから」

「あ? どういうこった」

「……いまのカーベルファミリーの幹部の中で、私たちへの捜索が手ぬるかったのは、あなたのシマだけだった。あなただけは、少なくとも子供を見逃そうという甘さがあった。イチキが、そう言ってた」


 自嘲がもれた。自分の甘さが命をつないでいるらしい。黒髪の少女に視線を向けると、彼女は油断なくボルケーノの動向を見据えている。


「……それで、答えは?」


 断るべきだと理性は言っていた。

 自分を拾って育てたカーベルファミリーを裏切ることになる。なにより彼に残る良心が、この少女二人をこれ以上、裏社会に関わらせるなと訴えていた。まだ幼い二人にそんなことをさせるべきではないと常識を述べている。どうせファミリーを裏切るなら、二人が逃げ出す手伝いをすればいい。


「……わかった」


 それでも頷いてしまった。

 もしかしたらできるかもしれないと思ってしまった。


『騎士隊より厳格なる必要悪』


 子供の頃にあってくれと願って、カーベルファミリーにはいったときにもしやここがと胸踊らされた場所が作れるかもしれないと。


「俺はいまから、お前ら二人を仰ぐ」


 分不相応にも、望みが見えてしまった。

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