弓使い先輩の全肯定・前編


「今日もうまくいったな、リーダー!」

「ああ、そうだな」


 ダンジョンから出た礼拝堂で、一人の男性がパーティーメンバーと拳をぶつけ合った。

 レンの先輩だった弓使い、ディックである。

 かつてのパーティーリーダーであるジークの引退を機に独立した彼は、集めたメンバーを率いてそこそこの成果を上げ続けていた。

 今日の冒険も、失敗なく終わった。仲間はみんな気のいい連中だ。ただ、なにもかも順風満帆、というわけにはいかなかった。

 メンバーを見送ったディックは、別れ際に振った手をそのまま使って後ろ頭をかく。


「うまくいった、ねえ。……俺は、調子、でてねーんだけどな」


 ぼやいた言葉通り、ディック個人は調子が悪かった。

 ここ最近、ダンジョン探索への気持ちが入らない理由は自覚している。

 理想通りの成果が上がらないのだ。

 具体的に言えば、自分の前いたパーティー、ジークが率いた頃よりもすべてが一段落ちた。

 なにせジークが率いていたパーティーメンバーの実力は平均的に高かった。時として初心者を入れて育てるようなことする余裕まであったのだ。

 とはいえ、ジークのころと比べるだけなら、まだよかった。ジークは冒険者の中でもベテランだった。経験値が違う。自分もまだこれからだと奮い立つことができた。

 だが。

 ふっと脳裏によぎったのは、まだ少年とも呼ぶ年齢の後輩の顔だ。

 胸の内で消しきれない苛立ちに、がりがりと頭をかく。


「どっかで一杯ひっかけていくか」


 ぼやきながら首を振って雑念を追いだす。神殿から少し歩いた先にある繁華街にでも行こうと決め、出口に足を向けた時だ。


「ディックさん、久しぶりですね!」


 びくっ、とディックの肩が震えた。

 背後からの声は、よく知った少年ものだった。振り返ると予想とたがわず屈託のない笑顔を浮かべるレンがいた。


「お、おお。どうした? なんか用か?」

「はい? 特に用はないです。ディックさんがいたんで声をかけただけですけど」


 用がなくとも知り合いの顔を見れば挨拶くらいするのが当然だと、レンが不思議そうな顔をする。

 よくできた後輩である。

 できすぎなくらいだ、と最近では思ってしまうほどに。


「ダンジョン帰りですよね。今日の俺、この後予定がないんで、よければどっか連れて行ってくれませんか?」

「いや……ははっ。やめとくよ。今日は疲れちまってな。すぐに帰ろうと思ってたんだ」

「あ、そうだったんですね」

「おう、またな」


 笑顔が、引きつっていないか。内心で不安に思いながら、レンを振り切る足取りで神殿を出る。


「……くそっ」


 一人になったディックは、道端で苛立ちを吐き捨てた。

 大通りを歩く彼の足取りには不自然なほど早い。

 レン。

 彼は自分の後輩だ。同じパーティーにいた時には、かわいがっていた。自分と同じく田舎上がりで冒険者を目指していた境遇ということもあって、同じパーティーにいた時には彼なりに気にかけて接していた。

 レンに冒険者として抜かされたとは思っていない。個人としての実力は確実に自分が上だ。レンの戦闘能力は随分と成長したが、まだまだ並の範囲からは抜け出していない。自他ともに一流の弓使いとして認められているディックに追いつくには、あと五年は必要だ。

 だがパーティーのリーダーとしては、どうだろうか。

 レンがディックの誘いを蹴って自分のパーティーをつくると聞いた時は若気の至りだと思った。明らかに早すぎる。まず間違いなく失敗するから、いざとなれば助けてやろうとそれとなく情報を追っていた。

 レンの集めたパーティーメンバーは異例だった。

 まずはミュリナ。彼女は、ディックが扱いきれないと判断した一人だった。

 彼女がレンのパーティーに入ったのは、まあ、納得できる。ジークがリーダーをやっていた時、途中から人が変わったようにレンへと好意を寄せていたのは明確だった。恋愛感情を入れると逆に人間関係でパーティーが壊れる可能性のほうが高いのだが、いまのところは意外とうまくやっているようだ。

 もう一人は、なんとレンやミュリナよりも年齢が一回り以上も幼い少女だ。レンやミュリナにしても若いどころか幼い扱いされる業界である。その下となれば、間違いなく最年少だ。呪術に偏っている手法を見るに、癖が強いの面は否めない。だがそれでも冒険者の中級以上に食い込む力を持っている。年齢を考えれば、彼女の才能の突出ぶりは明らかだ。

 そして一時期レンのパーティーに参加していた黒髪の少女などに至っては――格が、違った。

 なぜあれほどの使い手がダンジョンに関わっているのかと目を疑ったものが、どれだけいたか。強さの天井が見当もつかないほどの術者だ。国が高官として召し上げるべき人材だった。

 なにより恐ろしいことに、今となっては彼女の顔が思い出せない。認識阻害の魔術を、知らないうちにかけられていたと気がついた人間がどれだけいたのか。あるいは、この教会にいるイーズ・アンと同種のなにかなのではないかと思えるほどだ。

 レンはどんな縁によるものか、そんな少女たちを集めて、曲がりなりにもパーティーとして機能させていた。

 ディックには異彩揃いの彼女たちをまとめる自信など、まるでない。

 年齢の違い。性別の違い。生まれ育ちの違い。どれを取ったところでディックは彼女たちとパーティーを組むほどに親しくなれるはずもない。ビジネスライクの付き合いならば別だが、そもそも彼女たちを誘えるビジネスライクな場をつくる能力だってない。

 人と知り合うのも能力の内だ。むしろ人との出会いが生きる上で最も大切なものだと言っていいことをディックは承知している。

 レンのもとに集まるのは、異様なほどに才能にあふれ、将来の輝かしさを感じさせる者ばかりだ。

 レンのパーティーに所属している少女たちだけではない。

 ディックが知っているだけでも『聖女』イーズ・アンに『勇者』ウィトン・バロウ、さらには最近教会に来た『聖騎士』スノウ・アルトとも親しくしている。他にも、ディックが知らないような縁もあるだろう。

 この都市に来て、一年も経っていないような少年が、冒険者ならずとも誰もがうらやむような縁を結んでいる。

 翻って、自分はどうだ。

 もう十年もこの都市にいて、どれだけ人脈が広がった。ディック個人の実力だって、上級に近いとはいえ、代わりを探そうと思えば替えがきくレベルだ。


「クソッ」


 二度目。こらえきれない苛立ちに悪態をついて、頭をかきむしる。

 自分と他人を比べたってしょうがないことなのはわかっている。ディックだって、できることとできないことの折り合いはつけてきたつもりだった。自分よりはるかに進んでいた先達との差に、縮まらない距離にいつか食いついてやると進んで来たはずだ。

 この春に、自分のパーティーを持ったのだって、自分を先に進めるためだった。

 だが、後ろから迫られたのは、初めてだった。

 ましてや、その相手が冒険者に成り立ての頃から世話をしていた直近の後輩だ。いまのディックは、自分が初めて抱く感情に呑み込まれかけていた。

 いまのレンを見る度に、どうして、という黒い感情を押さえられないのだ。


「俺はっ……――ッ!」


 なにか言おうとして、寸前で呑み込む。

 これ以上、思考を進めたくなど、ない。

 ぎりり、と拳を握る。感情を表に出さないために、小さく固めて押しつぶすために、強く強く拳を握る。

 考えるな、考えるな、なによりそれ以上感じるなと念じ続ける。

 レンが悪いわけでもない。自分が悪いわけでもない。誰が悪いわけでもないのに一回り年下の後輩に嫉妬しているだなんていう、いまある心を認めてしまったら。

 あんまりにも自分がカッコ悪いだろう?

 だから必死に心を殺す。

 言葉にしない。表に出さない。深層心理の奥底に閉じ込める。

 頭を冷やすために、ベンチにでも座って休もうと公園広場に入った時だ。

 変な少女がいた。


『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』


 それを見て、記憶が刺激された。

 半年以上前に、ほかならぬレンが『全肯定奴隷少女』なる存在を口走っていたことがあったのだ。その時は女の趣味がちょっとばかり特殊なのかと一笑に付していたが、まさか本当にお悩み相談の商売人として存在していたとはと瞬きをする。

 視線が合った少女は、にこりと笑う。

 その笑顔に、毒気が抜かれる。

 いつも利用している酒場やその手の店にいる女性たち特有の擦れた雰囲気はない。彼女たちが作り出す雰囲気も心地よいのだが、耽溺に浸れる酒場とは違う空気に新鮮味を感じた。

 どうせ、千リン。酒の一杯か二杯で消える値段だ。十分で終わらせれば、酒浸りになって管をまくよりはるかに格安である。


「これでいいんだったっけな、嬢ちゃん」


 ものは試し。いっそ若い美少女に寄付する気持ちで千リンを差し出した。

 看板を下げる。芸術的なほど整った顔が見れただけでも、千リンの価値はあるな、と感嘆した時だ。


「いくつも抱えるお悩み事!!!!! 吐き出す場所は一つじゃなくてもいいものなの!!!!! ここがあなたのよりどころの一つになれれば嬉しいのよ!!!!!! えへっ!」


 酒場の店員でもお目にかかれないほど元気にハスキーボイスが轟いた。


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