新妹の全肯定・後編
「やっぱりあるのね!!!!! やさしくて強くて美人で気配りも完璧なあの子にどんな文句があるのか!!!!! 言ってみるといいのよ!!!!!」
「ち、ちが! ちが、くてッ!」
大切な妹であるイチキのこととあって、途中から三割くらい全否定になっている気がする奴隷少女ちゃんの言葉に、リンリーはぶんぶんと首を振る。
「なるほど!!!!! まずはなにが違うのか!!!!! ちゃんと言葉にしてみるのよ!!!!!!!」
「う、ぅう……」
リンリー口にしようとしていることは、満身の勇気を振り絞らなければ言葉にできない。ふるふると目に涙を溜めて、それでも促しに答えて口を開く。
「あたし、尊師に、き、嫌われて、るのでしょうか……」
奴隷少女ちゃんが、ちょっと驚いたように目を見張る。全肯定中の彼女の珍しい反応には気がつかず、リンリーは必死に言葉を続ける。
「あ、あたしは、尊師のこと、大好きです。ほんとに、ほんとです。尊敬して、誇りに思って、ああなりたいって、ほんとに思います。でもやっぱり、尊師は、あたしのこと嫌いで……き、嫌いな子だから、すごく、厳しくされて、るんでしょうか……?」
リンリーは自分に対して絶対的な自己肯定感を抱いている。生まれてから他者を優越し続け、自分は世界に愛されていると疑っていなかった。
そんな少女にとって、自分が好きな相手に嫌われているというのは、この世界で唯一恐れることだった。
「そうとも限らないのよ!!!! あなたの成長を望んでいる可能性だってあるの!!!! あなたの言っている子は、とってもやさしい子なの!!!!!! 理由もないことなんて絶対しないし、もしも万が一、億が一、理不尽なことがあるのなら!!!!! ここでいっぱい吐き出していいのよ!!!!!」
「り、りふじん、とかじゃ、なくて! 厳しくされるのも、あたしが、ダメダメだから……さ、最初に会ったときのあたしが、なんにもわかってなくて……言っちゃダメなことも、やっちゃダメなこともして、怒らせて……」
言いながら、どんどん身を縮こませていく。
過去の自分は恨めしいほどに愚かで、けれどもいくら後悔しても切り捨てることなどできるはずもなくいまの自分に続いている己の一部なのだ。
本能的にそのことを悟っているから、リンリーは決して自分の過去を否定しない。自分が愚かだったことを認めて、失敗も受け入れて、その上で自分の力ではどうにもならないことを、遥か格上の彼女に問う。
「家族になるって、よく、わからなくて……でも、あたし、尊師が大好きだか、ら……ぐすっ。そ、尊師とは、やっぱりちゃんと、家族になりたく、てぇ……」
目じりに溜めきった涙をポロポロ流すリンリーが、ぐずぐずと鼻を鳴らす。
「で、でも、あたし……だれかに好かれるのって、当たり前で……。なにもしなくても、ほめてもらえるものだったから、ど、どうやれば尊師にあたしのこと、好きなってもらえるか、わからなくって……頑張って尊師の言い付けをこなしても、尊師、ずっと、冷たくて……」
リンリーは生まれてから十年余り、常に肯定され続けた。自分が誰かに受け入れられるのが当たり前で、人の悪意が自分に向いたことなどない。あるとしても、それは格下からの妬みそねみで、上位者であった彼女にとって歯牙にもかける必要がない感情だった。
だってリンリーは、生まれながらにかわいくて才能にあふれていたから。
育つ途中でなにかを得る必要もなく、生まれ持ったものだけで人から愛されて余りある人生だった。
愛される要素を持って生まれたからこそ、彼女にはわからない。
「だ、だから、教えて、ください」
嗚咽混じりの上、言いたいことがとっ散らかっている。それでも幼い少女は、自分がいま一番恐れて、求めているのに手に入れなくて、どうすればいいのかわからないことを声に出して問いかける。
「さ、最初に嫌われたら、その人とは、もうずっと、そのまま、なんですか?」
「そんなことはないのよ!!!!!!!!!!!」
恐怖と不安に満ちた疑問を、奴隷少女ちゃんのハスキーボイスが、ぴゅうっと吹き飛ばす。
経験不足で行き詰ってしまっている少女に、奴隷少女ちゃんは明るくはきはきと道を照らし出す。
「確かに信頼を取り戻すのは難しいの!!!!!!! 一を十にするよりも、ゼロを一にするよりも、マイナスをゼロに変えるのは、すっごくすっごく大変なのよ!!!!!! いくら頑張っても目指す最初のところは『ゼロ』だから、頑張りがまるで報われた気分にならないのはよくわかるの!!!!!!!!」
「そ、そうなんです……! あたし、それで、もう、わかんなくなっちゃって……自分の頑張りが無駄じゃないかって……!」
「大丈夫なの!!!! 目に見えずともあなたはきちんと信頼を積み重ねているのよ!!!!!」
マイナスから始まった関係は、負債を減らすことから始まる。負債の償却は、負債がなくならない限りはいつまで経ってもプラスにならない。同じことをするにしても、プラスを積み上げていくのに比べれば、圧倒的に達成感が満たされない。
それでも決して、無駄ではないのだ。
「腐ることなく真摯に交流を続けていけば、いつかきっと!!!! 信頼を取り戻すことができるの!!!!!! だからまずは、相手にどう思われているかばかりじゃなく!!!!! 自分が相手をどう思っているか伝えることが大切なの!!!!!!!」
「あたしが、尊師に……?」
「そうなの!!!! 畏れるばっかりで伝える努力を怠ったら、どっちにとってもよくないの!!!!!! あなたが尊敬するその子のためにも!!!!!
「は、はい!」
「とってもいいお返事なの!!!!!!!!!」
営業スマイルとはちょっと違う笑顔で、にこっと笑う。
「それを伝えるお手伝いだったら、奴隷少女ちゃんはいくらでもできるのよ!!!!!!! だからあなたは今日、なんの不安もなく安心して家に帰るといいの!!!!!!!」
リンリーにとって、一日よりも長く感じた十分の全肯定が終わった。
口元に看板を戻して楚々とほほ笑む奴隷少女ちゃんに、ぺこりと一礼。丁寧に頭を下げたリンリーは、早足にタータの元に寄る。そして無言のままタータの袖を引っ張り、公園広場から離れたところで立ち止まった。
「どうでしたか、リンリー……わ!?」
ぽすり、と体当たりというには力なくタータの肩にリンリーの額がぶつけられる。お腹に腕を回して、ぎゅっとしがみつく。
いきなり抱き着いてしがみついてきたリンリーに、驚きの声を上げる。
「な、なんですか?」
「タータのバカぁ」
「なんでですか!?」
いわれない暴言だ。言い返そうとして、リンリーが体を小刻みに振るわせて涙声になっていることに気が付き、タータは困り顔になる。
「ばかばかばかばかぁ……! ほんとに……ほんっとーに、怖かったんだからぁ!」
「えぇ……?」
意味不明な文句をぶつけられるタータは、どうすればいいのかと反応に困って手を迷わせる。
だが泣く子は放っておけない。ひどく子供っぽくなったリンリーに困惑をしつつも、よしよしと頭を撫でてなだめる。修道院で年少者の世話をしてきた分、泣く子の世話には手慣れているのだ。泣きたい子はひたすら泣かせて疲れるのを待つのが一番である。
そうして、十分ほど。
涙をひっこめたリンリーが顔を上げる。
「ねえ、タータ……」
「はいはい。なんですか、リンリー」
せっかく泣き止んだというのに、泣きはらした真っ赤な瞳のどんよりとした暗い顔で告げる。
「あたしが今度の探索の時にいなかったら、レンおにーちゃんには『リンリーはすごくいい子で頑張ってた最高にかわいい女の子だった』って伝えておいて……」
「なんの心配をしてるんですか、あなたは」
なにも恐れることないとばかりに近い距離感で生意気三昧と思えば、とたん殊勝になって甘えてくる。ころころと鈴が転がるように変わる態度もこの子の魅力なのかもしれない。
新しくできた友達に、そう思うタータだった。
イチキは台所で料理の準備をしていた。
人のためになる家事炊事をこなすのは、イチキにとっては苦痛ではない。ましてや敬愛する姉のためとなれば、尽くすことが喜びだ。
鼻歌混じりに調理を進めていると、背後で姉の気配がした。
「どういたしました、姉さま――おりょ?」
途中でセリフを途切れさせたのは、台所に来たのが姉だけではなかったからだ。
偉大なる姉が連れてきたのは、リンリーだ。特殊な感覚を持つイチキだが、彼女の姉の場合魔術的に気配が大きすぎるので、影に隠れたリンリーの存在を視認するまで見逃していた。
「あの、尊師……」
「なんですか。あなたにはこなすべき修練を言いつけていたはずですが?」
姉にかけていた声の温度とは真逆。冷たく素っ気ない声に、びくっとリンリーの背筋が震える。その言葉の温度は、最初に出会った時ほどではなくとも子供相手にとしては十分に冷たい。
「イチキ」
たしなめる一声が響いた。
なにも言えなくなったリンリーを助けたのは、奴隷少女ちゃんだ。たとえ首輪をつけたままでも、彼女のハスキーボイスをイチキがないがしろにすることはない。
「……今日から、家事はこの子と一緒にやって」
「む」
イチキは口をつぐむ。台所はイチキの聖域だ。基本、誰にも触れてほしくない。
だが、その時イチキの脳裏をよぎったのは、炊事をしようとしてなぜか大量の皿を周囲に降り注がせている姉の姿だった。
これから先、自分が不在の時があるかもしれない。姉に炊事洗濯の手を煩わせないためには、リンリーに仕込むことは有効だ。
だがイチキはリンリーのことを決して好ましいとは思っていない。修行させているのも情でもなんでもなく、鍛えれば手駒として使えそうになるからと、あとはレンとリンリーの仲が良好だからだ。そうでもなければ、首を落としていてもおかしくない。
なにせ出会いからして最悪だったのはもちろん、リンリーは知恵の一族の出だ。
イチキは人を見る時に、個人の人格だけではなく相手が身を置いている環境も含めて判断する。特に血縁関係は、出身地の影響もあって重視している。
そしてイチキにとっては自分の血族は、決して許すことができない存在だ。関りがあるだけで、嫌悪感を抱くほどに。
だが。
「……あのね、イチキ」
奴隷少女ちゃんが静かな声で語り掛ける。
「……この子は、反省してる。家族になりたいって気持ちは、血のつながりよりも大切だ、私は思ってる」
「それは……そうですが、姉さま。この子は――」
「……なのにね。同じ血族だからっていうだけで突き放すのは、よくない」
「うっ」
まったくの正論だ。先回りされたイチキが言葉を喉に詰まらせる。
リンリーは身内に連れてこられたこの国に完全に取り残されている。本人の性格がポジティブだからこそ周囲は気にしていないが、境遇だけ見ればかなり悲劇的だ。
「あ、あの」
リンリーがおずおずと前に出て、自分から願い出る。
「修行だけじゃなくて、尊師の手伝いを、したいです。ダメ……ですか?」
目線の下にあったのは、精一杯、幼気な勇気を絞り出した、まだ十一歳の少女だった。
はあっとイチキは息を吐く。
「しかたありませんね。リンリー。手伝いを許します。……こちらに来なさい」
「は、はい!」
不安げだったリンリーの表情が、ぱあっとほころぶ。
駆け寄ったリンリーがイチキと並んで、料理の指導を受け始める。その姿を見て、奴隷少女ちゃんも満足気に頷いて、台所を後にする。
「……うん」
血縁。
自分は、見たことすらないものだからこそ、イチキには捨ててほしくなかった。
もし、かつての罪によって自分がいなくなることがあれば、それがイチキの支えになってくれるかもしれないのだから。
たぶん今日は、いつもの料理より少し雑になった食事が出てくるだろう。
「……今日のご飯が楽しみ」
それでも奴隷少女ちゃんは食卓で頬杖をついて、機嫌よく呟いた。
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