今日はおやすみ・前編
朝食を食べ女魔術師がダンジョン探索に向かったのを見送った後、レンは昼過ぎまで寝ていた。
一晩、寝ずに頭を酷使したのだ。休日ということもあって眠気に逆らう理由もない。
数時間だけ寝て起きたレンは、冷蔵庫から適当なものを出して食べた。ダンジョンから産出される冷気を吐き出す石があるので、冷やしておける箱になるのだ。これは食料の保存庫としてダンジョンが生まれる都市部なら安価に出回っている。
そうして腹を満たして、訓練所へ向かっていた。
リーダーから言い渡された休日も今日までだ。明日からダンジョンの探索。体がなまっていないか確認するためにも剣を振るおうと思ったのだ。
その通りがかり、公園広場に寄ってみる。
もちろん自分の収入が入っていない以上、奴隷少女ちゃんの全肯定を利用する気はない。ただ昨日、全否定をされて自分がヤドカリ以下のクズヒモ野郎だと思い知らされたばかりである。どうしても奴隷少女ちゃんの様子が気になったのだ。
木々に囲まれて外から様子がうかがえない公園広場。入り口から、おそるおそる広場をのぞく。
『今日はおやすみ!!!!!!!!』
勢いのよい達筆で書かれた木札が、広場の真ん中に刺さっていた。
「はあ……」
がっくしとレンは肩を落とした。
訓練所は、非常に広い空間を各々が使うような形になっている。
既定の料金を払ったレンは、そこで知り合いの顔を見つけた。
「おや、君はこの間の」
「あれ? 勇者様?」
癖のない金髪に、育ちの良さそうな穏やかな顔つき。彼は何やら騎士隊とおぼしき人たちの訓練を見ているようだった。
「えっと……」
あんな啖呵を切った上に土下座をしたレンは気まずさで言葉に詰まった。
勇者は気にすることはないとでも言うかのように朗らかに話しかけてくる。
「安心してくれ。もう、あの子を無理に連れて行こうという気もないし、君とここで会ったのは偶然だよ」
「そう、ですか。あ、俺はレンです」
「そうか、レン君。この間は世話になったね」
レンが名乗ると、遺恨を見せずに笑いかけてくる。嫌みではなく、純粋にそう思っている穏やかな口調だった。
「それにしても大丈夫かい? 君、あんまり寝ていないようだけど」
「あはは、その、ちょっと寝れなくて」
午前の数時間寝たとは言っても、目の下に濃いクマが残っている。それを見抜かれたのだろう。
「でも勇者様も少し疲れているみたいですけど」
「おや、わかるかい?」
おどけたように眉をあげる。
「昨日、おとといと、夜が激しくてね」
「へえ」
さすがは勇者。モテるんだなぁと感心する。
だが、昨日、おととい、夜のこと。
連鎖的に勇者の言葉がつながって、ぱっと今朝の女魔術師の寝間着エプロンが頭に浮かぶ。
不意打ちで発動したレンの思春期回路など知ったはずもなく、勇者はしみじみとした口調で昨夜の出来事を離し続ける。
「昨日なんて、こう、首の頸動脈をスレスレに刃がかすめてね。あれは危なかった……」
「え? ダンジョンの話だったんですか?」
「ん? なんでダンジョンの話になるんだい?」
かみ合わない反応に、お互い顔を見合わせる。まさか実家に帰ろうとする勇者に対し、女剣士がガチで剣を振り回していることなど想像も及ばない。
何だろうと首を傾げつつも、レンは尋ねる。
「勇者様は、どうして訓練所にいるんですか? しかも騎士隊と一緒に」
「ああ、それはね。実は、この都市の騎士隊から、正式に治安維持専門の部隊を分派させる案が出ていて、僕はそれに協力してるんだよ」
「へえ。治安維持専門、ですか」
「うん。いままでは凶悪犯や犯罪組織の抗争鎮圧が主だったけど、もっと市民に寄り添った形の『防犯』という役割を負えないか、とね。ただの戦力としてではなく、軽犯罪者の捕縛、指名手配なども含めた組織として編成したいと、一騎士から案が出ていたんだ」
「なるほど。すごくいい案ですね」
この国は革命があって日が短い。落ち着いてきたのは、本当に最近なのだ。四、五年前まで都市部も情勢が不安だったというのもある。騎士隊自体、再編成されたのはごくごく最近だ。
「いままでは犯罪者を捕縛するための捜査をするみたいな組織はなかったからね。そもそも犯罪捜査のための人がいないし」
「なかったんですか? え、でも治安維持ってもっと人がいませんでしたっけ? ほら、巡回の人とか」
「ああ、それは彼らが雇っていたんだよ」
レンは訓練所にいる騎士をざっと見渡す。
十人くらいしかいなかった。
「あの、これで全員……?」
「うん。まあ、二、三人はこの場にいないけど、ほぼ全員だよ。というか、巡回自体、騎士隊の一部の隊員が仕事の後か、休日を潰してボランティアでやることだったんだ。人手を自費で雇ってパトロールの人数を増やしたり、あとは町内会の夜回りと協力したりしてね」
人数は少なくとも部下を雇う裁量と予算があるんだと思っていたレンの顔が凍りつく。
予想を上回る惨状である。あの騎士さんが、予想以上にひどい立場にいて精神がズタボロになったのだと知った。
この都市の人口はおおよそ十五万人。十人っぽっちで彼らは死に物狂いで努力をしていたのだ。
「それで、彼らだよ。彼らがダンジョンでお金を稼いで、そのお金で治安維持のための隊員を募って育成する。彼ら自身は騎士だから、国から給料がでる形になるね」
「へえ」
つまりは、今まで彼らがボランティアでやっていた活動を、正式に仕事にしようというのだろう。ただ人手を雇うのに身銭を切るだけでは生きていけないから、ダンジョンで自分たちで稼ぐということだ。
「軍隊をダンジョンに入れるのは、将来的には不安要素が大きくなる。ただ小人数が稼いで、その資金で治安維持のための部隊を作るのならば、あってもいいんじゃないかとね。ダンジョンは世情にも影響されるから、そういった点から見ても優れている」
「なんか、すごく負担の配分がおかしそうなんですけど……」
「もちろん、問題は多いよ。ただ随分と熱意のある案でね。既存の軍隊として役割を担う騎士隊と、これから結成する治安維持隊とで対立構造を作れば互いの増長を抑制はできるんじゃないかと、そういう構想も描いてあった」
ふと思い出したのは、奴隷少女ちゃんのところに愚痴を吐き出しにいった騎士の顔だ。
この場にその姿は見えないが、もしや彼が立案したのかもしれない。なんとなく、そう思う。
「僕はそれに興味を惹かれて、教会に聖剣を預けることで協力しようと思ってね。指揮官という立場で勇者としての名義を貸せるし、昔は冒険者だったからダンジョンでどうやったら稼げるかの観点からの助言もできる」
彼が語る最中に、ふとレンは勇者のエピソードの一つを思い出す。
彼は、勇者の活動の最中に離れていた家族を襲われ、母親を亡くしていた。そういう理由で、彼も都市の治安に貢献したいのかもしれない。
神妙になっているレンに、勇者は提案する。
「よかったらレン君も訓練に参加するかい?」
「いいんですか!?」
「もちろんだよ」
勇者直々の指導がもらえるとなれば、これ以上のことはない。
意気込むレンの肩に、勇者が穏やかな表情で手を置いた。
「まずはパターンを体に叩き込もう。難しいことはしようとしなくていいんだ。なにかをされたらこう返す。そういう動きを教えるよ」
「それって相手に動きが読まれやすくなりませんか?」
「読まれやすくなるけれども、なにもできないよりはましだからね。読まれることを前提として、フェイントや返し技につなげていくのもいい。徐々にパターンを増やしていって、組み合わせられるようになればいいんだ。さ、彼らに交じって特訓をしようか!」
にこりと笑う勇者に促され、レンは騎士たちに交じって訓練を始めた。
訓練は、続いていた。
レンは淡々と剣を振る。型をなじませて、試すように騎士と模擬戦を。休憩の間には、一緒に訓練を受けている騎士の治療をレンが請け負う。今朝に習得したばかりの治癒の秘蹟だ。かすり傷や打ち身が多いが、秘蹟の治療はとてもありがたがられる。
そうして再び剣を振るうレンへ、勇者は激励を投げる。
「いい感じだよ、レン君! 反射のパターンは確立できたね! あとはこう、うまい具合に感情を消せないかなっ」
「感情を、消す……」
「そうっ。自分の中にスイッチを作るんだ。頭のスイッチを入れた瞬間、感情の回路が遮断されて一つの機能になるイメージだよ!」
「スイッチ……機能……」
ちょうど昨日の夜と今日の朝とで自分の煩悩に流されそうになったレンである。この教えは非常にしっくりくると積極的に取り入れる。
「理想は昆虫だ。彼らのように恐怖もなく、躊躇もなく、喜びもない闘争を! ブレることのない戦いを! ただの知覚したものに反応して対処するだけの剣となるんだ!」
「昆虫……理想……剣となる……」
感情を消せば煩悩に流されることはない。我慢ができる。
あの女魔術師の笑顔が守れる、一振りの剣となるのだ。
ぱちん、とスイッチが入る。
自分は蟷螂だ。自分は蜂だ。自分は兵隊蟻だ。ただ敵を打ち倒すだけの機能となるのだ。
レンの瞳からは、完全にハイライトが消え失せていた。
「いいねっ、レン君! 筋がいいよ! しかも秘蹟が使えるなんて素晴らしい! 君はいい隊員になれ――」
「やめろやめろ! ウィトン! お前、うちの新人になにやってんだ!?」
突如として声が響いた。
レンのパーティーのリーダーである。彼は訓練を監督する勇者へと詰め寄る。
だが勇者は、友人が現れたと普通に笑顔で挨拶をした。
「やあ、ジーク! 見てくれっ、この子を。レン君は逸材だよ! これから結成される未来の治安維持隊のホープだ!」
「勝手に引き抜くな! そいつはうちのパーティーの期待の新人なんだよっ」
「えぇ……」
勇者は非常に物欲しそうな視線をレンに向けるが、リーダーは取り合わない。
「第一こいつは影響されやすいんだから洗脳しようとするんじゃねえよ!」
「洗脳だなんて人聞きが悪い! レン君に僕の戦い方を伝授していただけだよ! それに、彼はきっと僕の指揮のもとにいるほうが向いているよ! 彼ならなれる! 指揮官が夢見る理想の一兵卒になれるんだ! なあっ、レン君! 君もそう思うだろう!?」
「俺は昆虫。ただの機能。命令を遂行する。指示をくれ」
「ほらどうだい!」
「どうだいじゃねえよ! 人間らしい感情が消え失せてるじゃねえか!」
目から光が消え伏せて声に抑揚がなくなり、イーズ・アンの三歩手前みたいになっているレンを見たリーダーは勇者に食って掛かる。
「ウィトン! お前の戦い方の理論が怖ぇんだよ! お前みたいなのがいるから、人間の感情から形成されているはずの迷宮に、どう考えても感情がないみたいな昆虫系の魔物が生まれるってなんでわっかんねかなぁ!?」
「それは風評被害もいいところだよ!?」
「うるせえ! 自分のことがよくわかってない割には自分の欲求には素直で強情で強欲なとことかさ、そういうとこ、兄妹だよなぁって思うんだよっ。おいレン! 戻って来い!」
「俺は群体の中の一匹……人間の感情など捨てて――はっ!?」
リーダーにがくがくと肩を揺さぶられて、レンは正気に返る。
「あ、あれ? 俺、何かもうちょっとで掴めたというか、人間を超越できた気が――」
「惜しかったね、レン君」
「何一つ惜しくねえよ。気のせいだから忘れろ!」
口惜しそうにする勇者を一蹴する。
勇者は肩をすくめ、リーダーへと疑問を投げる。
「それより、ジーク。探索を終えたにしては早くないかい?」
「ああ、そうだった。お前に救援を頼みに来たんだよ……!」
くだらないことをしている場合ではなかったと、リーダーの顔に焦燥が浮かぶ。正気に戻ったばかりのレンは、ちょっと事態についていってなかった。
「あいつが、ダンジョンの中で遭難しちまったんだよっ」
「遭難? 誰が?」
「あいつだよっ――」
勇者の問いに対して出された遭難者の名に勇者と、そしてレンの顔が凍り付く。
リーダーが口にしたのは、女魔術師の名前だった。
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