友達の全肯定・前編



 女魔術師の遭難。

 それを聞いてレンたちはすぐさま神殿に向かった。

 ダンジョンの入り口は神殿にある。放置すればダンジョンから無秩序にあふれかねない魔物を、神殿が人の祈りを集めて蓋をしているのだ。

 ダンジョンへの出入り口ともなっている祭壇の前で、女剣士が取り押さえられていた。


「アルテナさんっ。落ち着いてくださいって!」

「離してッ。あの子がっ……! あの子を助けに行かないと!」

「だからリーダーが、他の人に救援を頼んでくれてるんだろっ?」

「あなたの怪我だって軽くないんだ! いいから治療を受けに行って……!」

「こんな怪我程度ッ!! いいから退いてっ!!」


 怪我を押してダンジョンに戻ろうとしている女剣士が三人がかりで押さえつけられている。普段は戦闘中ですら穏やか女剣士の気迫にレンは息を飲む。

 対して、勇者は動じなかった。仲間を振り切って今にもダンジョンに飛び込みかねない女剣士に近づき、呼びかける。


「アルテナ」

「……っ!」


 勇者の声に半狂乱になっていた女剣士が動きを止めた。振り返って勇者の姿を確認する。

 じわり、と女剣士の目じりに涙がたまる。


「ウィトン……。あの子が……」

「うん」

「……あの子を、助けて」

「助けるよ。当然だ」

「助けなきゃ、許さないから」

「わかってる」

「今度こそ助けないと……あの子が、いなくなったりしたら、二度と、二度と許さないからぁ……!」

「大丈夫。大丈夫だよ」


 勇者が女剣士をなだめるように抱きしめ、安心させるように背中を叩く。

 なんとなく見ちゃいけないような雰囲気な気がして、レンは現場から顔をそらしてリーダーに聞く。


「あの二人って、知り合いだったんですか? 先輩の救出に、勇者様はあっさりと協力してくれましたし。ていうかリーダーも勇者様と顔見知りみたいですけど」

「ん、まあな。いろいろあるんだよ」


 レンの質問にはぼかして答え、祭壇の裏に回る。リーダーは明らかに神殿内部の構造を熟知していた。女剣士を落ち着かせた勇者も、駆け足で合流する。


「それで、どうしてあの子が遭難なんてことになったのかな」

「転移トラップに飛ばされた。いままでなかったタイプだ。あいつが飛ばされたせいでアルテナが冷静さを失って負傷した。怪我が軽くなかったんで撤退した。文句あるか?」

「いや、ない」


 淡々と事実確認を進める。

 その最中に、リーダーは予定外にこの場にいるレンへと視線を向ける。


「それとレン。悪いがお前は待機だ」

「なっ――!?」


 予想外の言葉に食ってかかる。


「ちょっと待ってくださいっ。遭難の探索なら人数がいたほうがいいんじゃないんですかっ」

「今までとは難度が違う。はっきり言うが、俺たちが今日探索したエリアは、お前がいないから挑んだ場所だ。お前に二重遭難でもされれば手に負えなくなる」


 躊躇のない戦力外通告だった。

 それはレンの訓練を直々に見ていた勇者も同意見なのだろう。彼がレンをフォローすることもなかった。

 悔しいが、何も言い返せない。自分の判断より、リーダーや勇者の判断の方が正しいのは当然だ。

 それでも歯がゆさが募る。女魔術師が危険と聞いて、自分はなにもできないのか。それが悔しい。自分の力足らずがもどかしい。


「それで、ジーク。こっちに来ているってことは、彼女にあれを頼むのかい?」

「ああ、道をつなげてもらう。まあ、ダメもとだが」

「道?」

「ようするに、ダンジョンの入り口を新しく作ってもらうんだ。ダンジョンに蓋をしているのは、教会だ。ダンジョンのどこが出入口の起点となるのか決めているのは、彼らなんだよ」


 レンの疑問に答えたのは勇者だ。


「実際のところ、ダンジョンへの出入り口はダンジョンのどこへでもつなげられる。複数の出入り口をつくることすら可能だ。魔物が出てくるリスクが高まるから一時的にせよ出入り口を増やすのは神殿もやりたがらないし、基本的に魔物が弱い地点を出入り口に定めている。道を変更するにしても新たに作るにしても普通なら時間がかかるけど……この町は、リスクを無視して独力かつ一瞬で道をつなげられる人物がいる」


 リーダーが迷わず辿り着き、扉を開いた部屋。そこにいたのは弓使いの先輩と、レンに先日を神典を授与した人物、イーズ・アンだった。

 昨日と寸分変わらぬ鉄面皮。そんな彼女に弓使いの先輩が食ってかかっていた。


「だから、クリスタルダンジョンの内部に道をつなげてくれって言ってんだよッ。新しい道を造るのは、あんたならすぐにできるんだろ!?」

「道を繋げる道理を述べよ。ダンジョンは人の感情の坩堝。そこに挑む修験とて段階がある。踏破の道筋を省くは、怠惰への奈落の穴。既に記された道を歩め」

「金なら払うっつってんだろうが!? 人命救助だよっ。第一、クリスタルダンジョンが出たら道をつなげるのは神殿にとって悪いことじゃねえだろ!? あそこは魔物さえ片づけちまえば稼ぎどころだッ」

「人命が試練にて落ちるのならば天命である。また、神典に記載のなき放言を吹聴するな。撤回せよ」

「はあ!?」

「神殿は利益の追求など行わない。蓄財も許さない。我らは神の手足である。神意たるを記した原典に寄り添うためにある。どこに出入り口をつなげるか。それは神典より導き出せる答えにある。虚飾の輝きに目がくらむなど、ありえない」

「うっがああああああ! 言葉が通じねえ!!」


 淀みなく、抑揚もない返答に弓使いの先輩が頭を抱える中、勇者がイーズ・アンに近づく。


「やあ、イーズ・アン。久しぶり」

「汝は何者か」


 勇者に対する第一声が既にやばかった。

 レンの知っている限りでは、イーズ・アンと勇者は革命で仲間だった。少なくない期間、活動を共にしていたはずなのだが完全に知らない人を見る目であるという事実が、レンをたじろがせる。

 だがイーズ・アンがそういう人物だと知っている勇者はめげずに話しかける。


「僕だよ。聖剣を持っていた勇者、ウィトン・バロウだ。かつての仲間のよしみで、僕からお願いがあるんだけど――」

「神のしもべたる同胞でない者に、久闊を叙されるいわれはない」


 取りつく島もなかった。

 平坦な声に、後ろめたさなども一切ない。虚飾を罪とする彼女が嘘をつくはずもない。純粋に目の前の人物を知らないと語っている。


「汝が何者かは知らぬ。名を返上し、神の恩寵の一滴を入れた洗礼名へと置き換え、祈りを持って秘蹟を行使できるようになってから知り合いを名乗れ」

「はははははは、ジーク。さっさとダンジョンに入ろう。この子を説得するのは無理だ」

「ちっ、そうだな。ディック行くぞ。道をつなげるのを頼むのはダメで元々だ」

「はいはいっと。あー、無駄な時間だった」


 イーズ・アンの助力を乞うのは早々に諦める。多少なりとも彼女の実態を知っているからこそ、言葉が無駄だと知っているのだ。

 レンは下っ端だ。一応、イーズ・アンとは昨日少しだけ話したが、勇者で話が通じないのなら自分で通じるはずもないと、何も言わずにリーダーについて行こうとする。ダンジョンには入れずとも、せめて見送りぐらいはしておきたかった。

 そうして全員が部屋を出ようとした時、イーズ・アンがレンに目を留めた。

 鉄面皮のまま立ち上がり、つかつかと歩み寄る。


「少年」


 リーダーと勇者がぎょっとする。まさか向こうから話しかけてくるとは思っていなかったし、しかも呼びかけた相手がレンである。予想外というほかない。

 むろん、イーズ・アンは周囲の反応など一切気に留めない。ガラス玉をはめ込んだような無機質で、美しいほどに透徹した瞳をレンへと向ける。


「神への祈りが届く身になったか。喜ばしい」

「え、ええ」

「一両日で済ませるとは、やはりファーンが連れて来ただけのことはある」


 イーズ・アンが自発的に聖職者でもない相手に話しかけ、ねぎらっている。その事実に信じられないものを見る目を向けていたリーダーと勇者だが、すぐにはっと我に返る。

 彼らにはなぜイーズ・アンがレンに声をかけているかはわからないが、千載一遇のチャンスである。なんとか説得して道をつなげてもらえと無言でサインを送ってくる。

 それを読み取ったレンは顔を引きつらせつつも、イーズ・アンに応える。


「え、えっと、イーズ・アン様。俺、その……ダンジョンに入りたいんです」

「入ればいい。この身はすでに踏破をした故に用なき地だが、かの地は修験としては最適な場所である」


 どうやらイーズ・アンの頭の中ではさっきの弓使いの先輩と今のレンの頼み事が同じ目的を持っているのだとは結びつかないらしい。行きたかった一人で勝手に行けと言っている。

 レンは必死に考える。

 レンが知っている限り、イーズ・アンと常連のシスターさんとは対話が成り立っていた。それはなぜか。常連シスターさんが神典に基づいて対話に臨んでいたからだ。


「俺は、試練を受けにきたんです!」

「それは感心である」

「それで、今回は虚飾の象徴であるクリスタルダンジョンに挑もうかと! イーズ・アン様には、そこまでの道を敷いていただきたいんです! 『土を盛り上げ、道を整えよ。神への道から、つまづきを取り除け』って!」

「一理ある」


 ふむ、と頷く。


「よかろう。人の感情へ足を踏み入れるのも、修験。虚飾の煌きを踏破せよ。神への道中、宝石などという概念があるなどおこがましい。値札のぶら下がる色のついた石を除去する任を汝が担うというのならば、土を重ねる労を担おう」

「はいっ、ありがとうございます!」


 レンとイーズ・アンで言わんとしていることが微妙にズレていたが、この際構わないとレンは押し通すことにした。とりあえず、道をつないでもらえればいいのだ。


「慧眼を得る一助となるべく、初めに汝に聖句を送る」

「へ?」


 イーズ・アンがレンへ掌を向ける。

 勇者が、まずいという表情になった。


「レン君。スイッチ!」


 さっきまでの訓練で刷り込まれた反射でレンは感情の遮断をする。

 直後、イーズ・アンが聖句を告げた。


汝、勇猛たれがんがんいこうぜ


 頭の中に直接、帯電した氷水をぶち込まれたような衝撃がレンを襲った。

 痛みはないが、すさまじい精神的な衝撃。かろうじて遮断された理性の横で、感情が荒れ狂っている。力が湧く。恐ろしいほどに力が湧くが、体に満ちる全能感が脳みそまでみなぎってきて、ちょっと頭がおかしくなりそうだった。もし感情を遮断しなかったら、完全にやばいことになっていただろう。


「あ、あばばばばあば」

「さあ、いざ行かん。道はすぐにつなげる。汝は祭壇より虚飾のるつぼに向かい、挑むがよい」


 レンの口から変なうめき声が漏れていたのを一切気にすることなく、イーズ・アンはその場で祈りの姿勢になる。おそらくは祈りを経由し、新たな道を形成しているのだ。

 経過を見守っていた面々は、ひそひそと相談。


「勇者さん。いまのレンを連れて行って大丈夫なんすか。いや、連れてねえとそこの狂信者が納得しなさそうっすけど」

「イーズ・アンの加護聖句だ。効果が絶大なのは保証する。ただちょっと、頭がおかしくなるのが難点で……ぎりぎりで感情を遮断したから、たぶん大丈夫だとは思う。指示が聞けるなら問題はないよ」

「そうか……。おいレン。平気か? 自意識は残ってるか?」

「あばば、だい、ば、じょば、でばす」


 半分くらいダメそうな返答だった。

 とはいえ、レンを連れていかないことにはそもそもイーズ・アンが道をつくることを納得しないだろう。レンの頭を生贄に捧げて得た、時間を大いに節約できる手段を放棄するわけにはいかなかった。


「よし、行くぞ!」

「あ、はばばば!」


 リーダー、弓使いの先輩、勇者、狂化レンの四人で女魔術師の救出に向かうことが決定した。










 まずった。

 宝石への思念が形をとった洞窟、通称クリスタルダンジョン。そこに取り残された女魔術師は、大きく反省していた。

 完全に自分の失態だ。注意散漫だった。何が悪かったって、今日の晩御飯の献立を考えながらダンジョンを歩いていたのだ。どう考えても油断のし過ぎである。

 命があるのは、幸いだ。

 ダンジョン探索時に見つけた巨大な結晶の内部である。


「はあ」


 ため息を一つ。立ち上がる。

 周辺は、四方様々な玉石で囲まれている。色とりどりの輝きは、まぶしいほどにきらびやかだ。

 クリスタルダンジョンは、ダンジョンの中にあるダンジョンだ。宝石への思念が集まってできた空間だが、洞窟の一種と考えれば話が早い。

 宝石の種類ごとに階層があり、種別された思念が幾層にも積み重なっている。望む人が多すぎて、ダンジョンからは欲望に応じた数だけ宝石に似た何かが産出される。そのため天然の宝石のような価値は皆無だ。蒼玉は冷気を発するし、紅玉は熱を発するために身につけられないから、装飾品にもならない。逆に実用品としての素材となることが多いので、そういう意味では重宝されている。

 だが情念が強い分、難度も高い。

 特に、ありとあらゆる幻惑、錯覚に関してはダンジョンの中でも最上位に属する。本質と虚像が入り混じって成立している空間だ。

 問題が起こったのは、金剛石ダイヤモンドの階層地帯。

 そこに、虚飾の罠があったのだ。


「普通はなかった、はずなんだけどね……」


 ダイヤモンド。その価値は古来より高い。

 最高硬度。きらめくような透明度。最高峰の稀少価値。人の欲が集積するには十分だが、虚飾の性質は薄いはずだ。むろん宝石である限り虚飾の性質が皆無ということはない。だがダイヤはその希少性から価値を疑うものは少ない。売り手も、買い手も、欺瞞を挟むことはない。

 だというのに透明なまま、転移でクリスタルダンジョンの最深部近くに叩き落すという極悪の罠を張ってくれていた。

 なんとまあ殺意の高い罠である。クリスタルダンジョンの深部は、人の欲の権化だ。単身で挑むような人間はいないし、女魔術師の力量でも生きて帰れるか、計算するとかなり分が悪い。そんなところへ転移させるなど、虚飾を隠し通そうという意思、剥いだものを絶対に殺すという悪意に満ちている。

 今回はレンがいないということもあって挑戦しようということになっていのだが、よりにもよって自分が足を引っ張ってしまったとはと女魔術師は内心で舌打ちする。

 転移罠は、どこに飛ばされたがわからないという類の罠だ。少しでも深部から浅層に上がらなくてはと歩を進めていた女魔術師は、ぴたりと足を止める。

 前方に、気配があった。

 ぞろりと蠢くような影。終始、何かをつぶやいている言葉は、一言一句そのすべてがこの世を呪う呪文となっている。まともに聞けば精神が侵される呪言。どのような姿をしているかもわからないほど濃い瘴気に包まれている。

 きらびやかな洞窟に見合わぬ、いいや、むしろ宝石の名を冠するクリスタルダンジョンに最もふさわしい類の悪意だ。

 女魔術師は、ぐっと両手に短剣を握る。


「……」


 間違いなく高位の魔物である。一対一で戦って、無傷で勝てる可能性はない。だが、闘わないという選択肢はない。

 先制をとろうと構えた瞬間、魔物の動きが止まった。


「……?」


 まき散らしていた呪言も途絶え、ぴたりと静止している。なんだ、と訝しんでから気が付いた。

 結界に、囚われているのだ。

 正面から見るとわからないが、横に回ってみれば明白だ。厚みが、消えうせている。まるで絵画に閉じ込められたような様相だ。

 一枚の紙切れになり果てた魔物に近づく影があった。

 一流の冒険者パーティーでも踏み込むのはためらう場所、クリスタルダンジョンの深部。そこに一人で歩いてきた人物は、結界にとらわれた魔物に手をかざし、ぺりりと紙を割くようにあっさりと処分する。

 高位の魔物を問答無用で薄紙に描かれた一枚にし、あっさり引き裂くその魔術。それがどれだけ複雑怪奇な術式によるものなのか、女魔術師でも読み取れない。魔術の心得がない人間では、まるで素手で魔物を引き裂いたかのようにも見えるだろう。

 摩訶不思議な手法で魔物を処分した人物は、一連の推移を呆然と眺めていた女魔術師へくるりと振り返ってほほ笑んだ。


「このような場所でお会いできるとは、奇縁でございますね。またお会いできて光栄でございます」


 丁寧な所作でお辞儀をして再会を喜ぶのは黒髪の、異国の少女。


「……イチキ?」

「はい、お久しぶりでございます」


 東の大国の民族衣装をまとうイチキが、大輪の花のような笑顔を咲かせた。

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