イチキ+リンリーVSイーズ・アン 中編



 神降ろしによる神性付与。

 イチキがリンリーとともに成した神業を見ても、イーズ・アンに動揺はなかった。

 いまのイチキは、イーズ・アンを傷つけることが可能だ。術の力もイーズ・アンと同等まで跳ね上がっている。いまのイチキの力は神秘を宿しており、彼女の指先は泥の身を削り取ることが可能となっている。

 それでも、異教を恐れるイーズ・アンではない。


「天に掲げた火のごとく、祈りを絶えさせることなかれ」


 聖句。

 ちりりっ、と空気が焦げる音がした。

 降り注ぐ光の焦点がイチキに合される。イチキの半身が、天から降り注ぐ浄化の光によって焼き焦がされる。過密に照射された浄化の光が物理的な熱すら持って光線上にある存在を蒸発させる。

 あらゆる壁を無視し、距離という概念をねじ伏せて届く、神の言葉の切れ端。


「くっ……!」


 神秘そのものを打ち込まれたイチキは、焼かれる身を無視して掴みかかる。

 いまの彼女は泥を捏ねることができる手を持っている。さすがにこれは無視できなかったのか、イーズ・アンの右手から断罪の剣が伸びる。

 異なる教えをことごとく切り裂く光の刃。

 それを、イチキは受け止めた。

 袖から取り出したのは古代の宝剣だ。どのような魔術的な意味があるのか。イーズ・アンの秘蹟に対抗する。

 次に裾を出した杯から大量に水が溢れ落ちてイーズ・アンに迫り、それを彼女が二つに割る。時ならぬ雷がイチキの身を撃てば、鏡で散らす。

 秘蹟と魔術が、拮抗する。

 目もくらむような、魔術と秘蹟のぶつかり合い。放たれる術からして、個人レベルだと信じられないほどのものだ。

 リンリーは、ぎゅぅっと膝の布を握りしめる。彼女では手出しをするのが不可能な領域だ。イチキによって叩き込まれたのは、神降ろしの儀式のためのものだ。到底、目の前の戦闘には届かない。

 あるいは一生、届かない領域かもしれない。

 それでも目に焼き付ける。

 イチキという一流の魔術師の御業を。

 いつか自分もこうなりたいという目標を、必死になって記憶する。命を懸けて観戦する価値がある。

 多様な魔術で互角を演じながらも、イチキはこれで相手を撃退できるとは思っていない。イーズ・アンを殺害するのは、ほぼ不可能だ。死なないということにかけて、彼女に勝る聖人は史上にすら存在しない。『泥を捏ねて人をつくる』ことから由来するいまのイチキの手でも、捕まえることしかできないだろう。

 イチキは、それをブラフとした。手を伸ばすと見せかけて、袖から取り出した翡翠の勾玉を宙に放る。

 イーズ・アンの四肢が宙に散った。

 勾玉から伸びた石柱が、認識不可能な速度でイーズ・アンをはね飛ばしたのだ。五体がちぎれながらも、血肉が現れることはなかった。

 ただ、泥だけが散る。

 イーズ・アンに対して封印がもっとも有効だというのは疑いようもない。

 イーズ・アンの体が戻る数瞬で、イチキは真珠を取り出す。

 一度、イーズ・アンに敗北してから勝利するための方法を考え抜き、丹精込めて作り上げた祭具だ。

 真白の玉には、針で世界が彫ってある。指先の大きさの、星球儀だ。

 イチキはそれを、手のひらで握りつぶす。

 粉となった真珠を、ぱっとばらまかれる。ミルク色の粉がイーズ・アンの周囲を囲む。

 同時に目にも止まらぬ速度で手印を組み、口から圧縮した言語で高速詠唱を重ねた。


「‰δ⇔‱¶ж∂!」


 意味を成しているとは思えない音声がイチキの口から響いた。

 周囲に散った白粉がイーズ・アンを中心として集結した。修道女の姿を概念的に圧縮して、閉じ込める。

 作り上げた渾身の魔術の意は、一つ。


『天地修復の理』


 擬似創世の魔術が発動し、イーズ・アンをこの世から消し去った。


「か、勝った……?」


 リンリーが、呆然と、それでも喜色を込めて快哉を上げる。

 イチキは、厳しい顔をして形成される星球儀を見つめていた。







 世界が、構築されていく。

 イーズ・アンの目の前で世界が、つくられている。無形からの創造ではない。砕けた有形の世界の修復だ。


「……」


 イーズ・アンは静かに周囲の変遷を見守っていた。

 ひび割れた空が修復されていく。砕かれた大地が平地となる。枯れ果てた窪地がなみなみ海となる。

 気がつけば、イーズ・アンは街の一画に立っていた。


「隔離閉鎖世界……いや、それのみならぬか」


 一度、似たような隔離結界は経験している。だが、これは前の鏡面世界を遥かに発展させた世界だ。

 あの時は、物理的に断絶した世界だった。惑わせ、壁を作り、距離を伸ばす。人閉じ込めるための要素が詰め込まれていた。

 だがいま閉じ込められた世界は違う。


「……」


 イーズ・アンが手のひらを広げる。だがそこに浄化の光が灯ることはなかった。

 イーズ・アンの祈りが、届かない。

 秘蹟が発動しない。加護も切れている。聖句も意味をなさないだろう。ただ一つ、彼女の身に宿る泥の奇跡を除いて、一切の秘跡が使用できない。

 乞えども祈りが届かない。これは一神教のない概念で隔離世界を構築したことを意味する。信じるまでもなく、神は唯一だという意識が他に存在しない異端が共通概念として成立している世界だ。

 イーズ・アンが神秘領域に接続する余地すらないほど完全に、一神教の祈りが届かない世界になっている。

 いま構築されている結界は、物理はもちろんのこと――神秘領域のレベルで完全に外界から寸断されているのだ。

 イーズ・アンは周囲を見渡す。

 彼女がいまいるのは、町だった。見た限りでは、普通の人間と変わらぬ人々が生活を営んでいるようにしか見えない。

 イーズ・アンが経験した限り、これほど完全な結界は存在しなかった。


「すばらしい」


 イーズ・アンは自分を取り巻く結界を、手放しで称賛した。

 結界をつくる手段には、三つある。

 一つ目に、壁を築くこと。二つ目に、距離をつくること。

 そして三つめに、意識を欺くこと――すなわち、幻術だ。

 結界に分類される三つを組み合わせことで、時間と空間、そして意識の三要素を生じさせることができる。

 すなわち結界とは、人が創世の奇跡に指をかける魔術なのだ。

 この隔離世界の真骨頂は、幻術にある。神秘領域をも遮断する結界をつくれた理由は、人の意識に干渉する幻術を発展させて、擬似的な人格意識をつくりだしたところにある。


「意識ある世界を造るか」


 意識ある者が観測した瞬間に、そこに意識が生まれる。

 いまある街並みは、間違いなく幻術の賜物だ。

 主観者による観測にのみ存在する人格意識を幻術によって構築させているのだ。

 この世界は、ひとつの思想で統一された神秘領域に満ちている。

 イーズ・アンの理想に最も近い世界だった。完全に思想が統一されているのだ。

 同時に、もっとも彼女の理想から離れた世界でもある。


「惜しむらくは、信じるものをはき違えている点のみだ」


 統一された宗教思想は、一神教によるものではなかった。

 おそらくは、東洋の思想。どの神を支柱にしているかまでは絞りきれない。

 そこに、この結界を構成している鍵がある。

 閉じ込められた世界を、イーズ・アンは歩き出す。作り上げられた世界は、驚くべきことに世界そのままだ。大地も、空気も、天も、違和感などない。知らなければ、異国に転移させられたと勘違いをするだろう。


「学術神秘により、神秘領域へと意識を置く手法。権能を振るえるとなればいささか分が悪いのも確かだが……しょせんは学識という虚飾に彩られた張りぼてでしかない」


 イチキはイーズ・アンのことを過小評価していない。だからこそ、彼女が力を振るえない封印結界を作り上げた。事実として、この結界を秘蹟の力で破ることはイーズ・アンでもできない。

 ならばと考える力をイーズ・アンが持っていたことが、イチキにとって最大の誤算だ。


「これを天地修伏の奇跡と呼ぶには、あまりに薄い」


 内部より学術的に結界の瑕疵を証明すれば、それを根幹とする魔術は崩壊する。

 それを学者として、証明すればいい。

 静かな歩みで前に出る。

 たった一人、仮想世界で秘蹟のほとんどを封じられてもいささかのあせりもない。

 当然だ。彼女の本質は、外界に向けて振るわれる力ではなく、内面で完結した精神性にこそある。

 学術が神秘のふちに指をかけたからといって、いかほどのものか。

 イーズ・アンという存在も神秘の体現者なのだ。彼女の内面にこそ、神秘は宿っている。

 結界に閉じ込められて、秘蹟の行使を封じられた彼女は、この『世界』を人の身で放浪し始めた。


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