解散の全肯定・後編


「人生は柵のない野原と同じ!!!! 広すぎる自由の中で群れとはぐれて迷えることはある!!!!! それでもきっと誰かが迎えに来てくれる!!!!!! そんな素敵な世の中なの!!!!」


 奴隷少女ちゃんの清廉な声が吹き抜ける。

 人間関係を歪めてしまう可能性があって口に出しがたい悩み。些細なことだからこそ、誰かに話すまでもないんじゃないかと思って心の奥底に溜め込んでしまうようなしこり。普通に過ごす生活では自分の内に秘めてしまいがちで、だからこそ知らず知らず心を歪めてしまいかねないものを吐き出すための勇気を持たせてくれる声だ。


「実は、俺がいま所属しているパーティーが解散するんだ」

「そうなの!!!!! それは大変なことなのね!!!!!」


 切り出したレンの言葉に、奴隷少女ちゃんは迷うことなく大きな声で同調と心配の言葉をかけた。


「いままで所属していたところがなくなるのは、誰にとっても不安なことなの!!!! でも心配しすぎることはないの!!!!! 永遠に続く現状なんてないんだから、環境が変化した時こそチャンスと思っていままでできなかったことに挑戦するといいの!!!! 培ってきたあなたの地力が試されている時なのよ!!!!!!」

「うん、そうなんだ。解散するパーティーの先輩の一人とか、まさにそれでさ。新しくパーティーを結成するみたいで、俺、そAの人からメンバーに誘われたんだ」

「それはよかったの!!!!! その人はあなたの頑張りをちゃんと見てくれていた人なの!!!!! 大事に縁をつなげていくべき人なのよ!!!!!」

「うん。それも、わかってる。でも、俺はどうしたいか、よくわかんないんだ」

「わかるの!!!! 決断と悩みは表裏一体な分かちがたい関係を持ってるの!!!!! まずは悩みを口にしてみるの!!!! 自分が何に迷っているのか、それが言葉になることで、しっかりと物事を受け止めらるようになることもあるの!!!!!」

「悩み、を……」


 心にある余計なものを押し流していくような奴隷少女ちゃんの全肯定の中で、レンは言葉を探す。

 自分が何を、悩んでいるのか。

 世話になったパーティーの解散が悲しい。弓使いの先輩に誘われたのが嬉しい。急な変化に動転している。変わる環境そのものに不安が募っている。どんな安定していると思っている場所もいきなりなくなってしまうと知って、将来がどうなるんだろうと不安になった。

 たくさんの思いがよぎって、最後に、ミュリナの顔が思い浮かんだ。


「俺、もう一人、大切な先輩がいるんだ」

「そうなの!!!!」


 あと三か月後には変わってしまうパーティーで、最も大切なことはそれだった。

 ミュリナがただの先輩だなんて言わない。彼女とどういう関係か、言葉にできない。好きって言ってくれる彼女に自分がどうこたえたいのか、いまだにわからない。

 それでもレンにとってミュリナが大切なのは嘘偽りない感情なのだ。

 そんなレンの感情を、奴隷少女ちゃんは丁寧に掬って、元気に形にする。


「大切だって言葉に出して言える人がいることは、とってもいいことなの!!!!!! あなたがそれだけ深い交流を結べた印なのよ!!!!!」

「その人とは、最近ちょっとうまくいってなかったんだけど……それでも、大切なんだ」


 恋愛感情のあるなしは別として、ミュリナのことは大切なのだ。

 なのに自分は。


「俺、その人ことをないがしろにしかけたんだ」


 逃げかけたのだ。

 すごく迷っていて、いくら考えても答えがでないから。弓使いの先輩に誘われた時に、ミュリナの気持ちに向き合わずに逃げたら楽だ、と思ってしまったのだ。

 なんて情けない男なのだろうか。自己嫌悪が、じわりとレンの胸を苛む。背筋が丸くなり、視線が地面を向いてしまう。


「なんでだろ。ちゃんとやろうって思ってたはずなのに、あの人たちの世話になってばっかりで、恩も返せていないのに……俺、本当にダメだよな」

「…………君は、本当に」


 静かなハスキーボイスと共に、はあ、とあきれたため息を吐かれた気がした。

 たぶん、気のせいだったのだろう。レンはとっさに顔を上げたが、奴隷少女ちゃんは、いつも通りの営業スマイルを浮べていた。


「うつむいてばかりだから、考えも落ち込むの!!! まずはしゃきっと背筋を伸ばすのよ!!!!」

「え、あ、う、うん!」


 全肯定の最中に、行動自体を指示されるのはなかなかない。レンは目を白黒させながらも背筋をしゃんと伸ばす。

 ちゃんと前を見ると、改めて奴隷少女ちゃんの明るい笑顔が視界に広がった。

 彼女の形の良い唇が、活き活きと上下に開く。


「あなたはしっかりもののレン太郎のはずなの!!!!! あなたは、まずあなたが今までやってきたことをまずは思い返すの!!!!」

「いままで、俺がやってきたこと……? いや、そんな大したことなんて――」

「あなたはちょっとうじうじしすぎなところがあるの!!! たまには根拠のない自信で、もっとポジティブに考えるの!!!!!」


 世界を救う戦いも、お姫様を救う旅もない、ただの冒険者生活を送っていた。

 自分のダメなところばかり見つめてしまうレンに、奴隷少女ちゃんは力強い笑顔でポジティブシンキングを浴びせかける。


「自分の道に迷った時は、いまの自分じゃなくて過去の自分を見直すの!!!!! あなたの人生を知っているのは、あなたなのよ!!!!! 自分が嬉しかったこと、自分ができること、自分が経験したこと、なによりも自分が好きなこと!!!!! それら全部を見直してみるの!!!!!! そうすれば、あなたの『したいこと』がきっちり見えてくるのよ!!!!! 道に迷ったら、まずは思い出すの!!!!」


 背筋を伸ばしたレンを、ちょっと見上げる形で奴隷少女ちゃんは笑顔を輝かせる。


「あなたが嬉しいと思ったものは、あなたの好きなものなの!!!!! それがきっと、あなたのやりたいことにつながるの!!!!!! 嬉しかった思い出が、大好きな宝物が胸にある限り、あなたは前を向けるの!!!!」


 生きて、悩めるすべての人に答えを出すかのような、きらきらの言葉だった。

 自分の好きなものが自分の起点になるんだと、あなたも自分自身の中に自分の道を照らすランタンを持っているのだと、揺るぎのないハスキーボイスが保証する。


「大丈夫なの!!!!! ここであなたのことを聞いただけの奴隷少女ちゃんでも、あなたが頑張ってきたことは知ってるの!!!!!!!」


 返す言葉も忘れて聞きほれるレンの背中を、奴隷少女ちゃんはさらに押してくれる。


「あなたが初めてここに来た時の自分と、いまの自分を見比べてみるの!!!!!! きっと、あなたはとっても変わって、成長して、たくましくなっているはずなのよ!!! それが自分でもわかるはずなの!!!!! あなたがやってきたことに無意味なものなんてなかったって、自分自身で認められるはずなの!!!!」


 奴隷少女ちゃんの声が、冬空の高い雲まで届きそうなほどに鳴り響く。


「自分は自分のことをずうっと見ているからこそ、少しずつ変わる自分に気がつけないこともあるの!!!! でもここは、情けなかった時の自分を記憶できる場所でもあるのよ!!!!!!」


 いままで考えもしなかったことを言われて、はっとする。


「あなたはつらかった時、嫌なことがあった時、ここに来て吐き出していたはずなの!!!! その時の自分を思い出せば、時間を飛ばして過去の自分といまの自分を見比べることが、きっとできるはずなのよ!!!!!」


 弱った時にここを訪れたレンの愚痴や不満、そして成功や成長の喜びを報告しては肯定してきた彼女だからこそ、奴隷少女ちゃんの全肯定は胸に響く。

 そして、十分が終わってプラカードを口元に寄せるぎりぎりの最後に、一言。


「……君は、ちゃんと前に進めてるのよ?」


 奴隷少女ちゃんは、口元にプラカードを当てて静かに微笑む。

 しん、と静寂が落ちた。

 冬の空気に似合う静かな公園で、レンは上を向く。寒空の下にいるというのに、目元がじわりと熱くなっていた。

 この場所のありがたさが、また一段と身に染みた。

 いまなら認められる。自分は、いろんなものを得て、いろんな人と交流して、変わることができた。まだまだ足りないし、目指す先は遠いけれども、それでも。

 自分は前に進めていたんだって、きちんと認めることができた。

 大切な想いを見つめ直したレンは、目元をこすり、涙を拭き取る。

 やるべきことが、ちゃんとわかった。ミュリナに、弓使いの先輩に、会って話さなきゃいけないことがあった。

 だから。


「俺、やっぱり君のことが好きだ」


 ほとんど無意識にそれだけ告げて、レンはやるべきことをなすために立ち去った。








 レンが立ち去った後、奴隷少女ちゃんは首を斜めにしていた。

 さっき言われた言葉が頭の中でリフレインする。相談内容を最初から想起して、なぞるように思い起こし、レンの最後の一言を思い出す。


 ――俺、やっぱり君のことが好きだ。


 脳内で、一言一句違いないレンの台詞を再生した奴隷少女ちゃんは、首を傾けたまま一音だけ。


「……………………は?」


 寒空の下に響いた疑問符は、ぴゅうと吹く風にさらわれた。

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