少女達は旗を立てる・後編

 それにレンが気づいたのは、女魔術師がシャワーを浴びにお風呂場に入った時だった。

 女魔術師のお金で買い出しをして夕食の準備をし、完全に『目上の先輩』に対する態度で接待さながらな雰囲気をつくりつつ一緒にご飯を食べた。

 そしてお腹が満たされることで余裕が戻ったレンは風呂に入ってさっぱりし、続いて女魔術師がお風呂に入ってシャワーを使っている音を聞いて、初めて実感した。


 え? この狭い部屋で女の子と一緒に暮らすの? 一か月以上も? マジで?


 と。

 考えなくともわかる事実に、空腹の飢餓と金に目がくらんでいたせいとでいまのいままで深く考えていなかったのである。

 レンの住んでいる場所は貧相な平屋建ての賃貸だ。ダンジョンの恩恵を得られる都市部はライフラインが充実しているから、生活基盤は非常に高い。なんの後ろ盾もないレンが借りられた部屋でも風呂とトイレがちゃんとついているくらいだ。

 でもワンルームである。

 貧乏一人暮らしの想定なので普通に狭い。仕切りもない。家具も大してない。そしてベッドが一個しかない。

 どう考えてもアウトだった。

 がらりとお風呂場のドアが開く音がした。


「先輩っ。やっぱりこれ――」


 今からでも考え直しましょうと訴えるべく振り返ったレンは、ものすごい勢いの精神的な衝撃をくらった。

 肌着のような薄い寝巻姿の女魔術師が、そこにいた。

 お風呂あがりのしっとりした濡れ髪。お湯を浴びて上気した玉肌。水分を吸っていつも以上に艶やかになった唇。

 湯気のたつ女の子の色っぽさを生まれて初めて目にしたレンは、とっさに自分の頬をグーで殴った。


「え、なに? どうしたの、いきなり」

「いえ、虫がですね、ほっぺにとまったもんで、つい」

「……冬よ?」

「たまに冬でもいますよ、はははははは」


 落ち着け。

 ドン引きしている女魔術師に雑な言い訳をしたレンは、恐ろしいまでの吸引力を持つ彼女の薄着姿から視線を引き剥がそうとする。

 いままで先輩後輩の関係でさほど意識してこなかったが、女魔術師は紛れもなく美少女である。

 良家のお嬢様のようなかわいらしさを持つ顔立ち。目つきこそ鋭いが、彼女の強さを知ればそれも好ましく映るようになる。いつもはツーサイドアップにしてある金髪は、ほどかれただけでレンの意識に新鮮さを提供してくれた。

 スタイルも綺麗だとしか思えない。均整のとれた体つき。確かな自己主張で薄着を押し上げている柔らかな胸元は、彼女が動くたびに僅かに揺れ動く。丸みを帯びた肩や腰のラインに、ショートパンツをはいて半分以上あらわになった太ももはまぶしいばかりだ。

 つうっとぬぐいきれていない水滴が肌を伝って、女魔術師の内股を滑り落ちる。

 視線をそらそうとしていたはずなのに目が釘付けになっているレンに、女魔術師はことりと首を傾ける。


「なに?」


 いやらしい視線を咎める口調ではなく、自分を見ているレンになにか用があるのかと不思議そうに問いかけてくる声音だった。

 罪悪感により、レンの理性が強制発動した。

 歯を食いしばり、錆びたブリキ人形のような動きで、ぐぎぎっと首を動かし顔を俯かせる。


「な、んでもッ、ありません……!」

「ふぅん?」


 気が強い性格なのに無防備ってどういうことやねんとどぎまぎし始めた心臓を抑えつつ、レンは理性を強制労働させ続ける。

 自分が好きな子は奴隷少女ちゃんなのだ。女魔術師ではない。そのことをしっかり意識して自制心を総動員させる。

 もちろんそれが効果を上げることはない。誰かを好きなんだという感情と、かわいい女の子がお風呂上がりの艶やかさで薄着かつ無防備な態度で目の前でうろつている(しかも自分の部屋で)ということは全く話が別だということすらよくわかっていないお年頃のレン十七歳であった。


「そ、それより先輩。ベッドが一個しかないんですよ。だから俺が――」

「ああ、大丈夫よ」


 家賃を前払いで受けとったし、お金には余裕ができた。もういっそ自分がこの部屋出てどこか安宿を借りていきますと言おうとしたのを遮り、女魔術師は持ってきた荷物から寝袋を取り出す。


「寝袋があるもの。あたしが居候だし、床で寝るわよ」

「……俺がそれを使いますんで、先輩はベッド使ってください」

「は? なんでよ。別に慣れてるからいいわよ。ダンジョンじゃ泊りがけのこともあるし、それに比べれば天国みたいな環境でしょ」

「いや、ほんとにいいんで。お金出してもらって床で寝かせるとか、マジでありえないんで。俺がただのクズみたいじゃないですか」

「あ、ちょっと――」


 反論には聞く耳をもたず、ほとんど奪い取るようにして寝袋を受け取る。


「じゃ、寝ましょう。おやすみなさい」


 これ以上の議論はしたくないと打ち切って、レンは部屋の明かりを消す。


「なによ……」


 寝袋を奪われたことに対するものか。すねたような声を出しつつも、女魔術師がベッドに入った気配がする。

 寝袋に入って床に寝転がったレンは目を閉じて、そのまま数十分。

 漏れる寝息、寝言なのか時々聞こえる特に意味のない声、毛布の中で寝返りを打つ音。

 寝れるかっ!

 カッと目を見開き、心の奥で絶叫した。


「……はあ」


 女魔術師の『女の子』を意識してしまったレンは、彼女と一緒の部屋で寝られる気がしなかった。

 ゆっくり立ち上がったレンは、女魔術師を起こさないように静かな足取りで風呂場に向かう。

 ワンルームのこの部屋で唯一の仕切りがあるのが風呂場だ。

 寝心地? 間違いなく最悪だが、ここよりはいいだろう。

 風呂場に移動したレンは、浴槽の中で寝袋にくるまる。足を延ばして寝れられる広さではないから体育座りに近い体勢だ。

 それでも、さっきまでよりはずっと健やかに寝れそうだ。

 壁って偉大だな。ようやく平穏を手に入れたレンは、区分けの大切さをつくづく感じいる。男女は別々の部屋で寝る。すごく当たり前のことだと思う。

 しかし、とレンは記憶に引っかかるもを感じていた。

 育ちのよさそうな顔つき、流れるような金髪。美少女で魅力的な女の子なのは無理やり考えないようにさておいて。


「最近、どっかで……?」


 似たような人に心当たりがあるような、と思いつつも、うとうとと睡魔に襲われたレンは眠りにおちた。






 市内にあるバーのカウンター席で、三人の男女が並んで座っていた。

 レンや女魔術師のパーティーのリーダーを務める秘蹟使いの男、そして女剣士。その二人の他に、もう一人の男性が同席していた。

 育ちのよさそうな顔つきに、金髪。穏やかそうな雰囲気の男。

 勇者、ウィトン・バロウである。

 彼らは古い知り合いだ。もともと勇者が聖剣を抜く前、ただのウィトンであった頃に彼らはパーティーを組んでいたのだ。

 聖剣を抜いたウィトンが勇者となり彼の離脱が余儀なくされたが、パーティーを組んでいたのは決して短い期間ではなく、結ばれていた絆も浅いものではなかった。

 古い仲間でもある勇者がこの都市に戻って来た。彼の帰還を機に旧交を温めている、というにはこの場の雰囲気が非常に微妙だった。

 特にいつもは穏やかな女剣士の態度が尖りに尖っている。昔から空気が読めないことで定評がある勇者はなにも気が付いていないようだが、秘蹟使いのリーダーは早くも家族の待つ温かい我が家に帰りたくなっていた。

 そんな中か、深刻ぶった顔の勇者が憂いの表情で女剣士へと語り掛ける。


「ねえ、アルテナ」

「なに」

「うちの妹は――反抗期、なのかな」

「……」


 女剣士は返答しない。無言のままグラスをあおる。ものすごい勢いで琥珀色の液体が減っていく。ゆっくり味わうべき度数の酒なのに、一息で飲み干すような勢いだった。

 秘蹟使いのリーダーは取り返しのつかないものを目にしてしまったため、そっと視線を落とした。


「アルテナ? そういう飲みかたは良くないと思うよ」


 的はずれにもほどがある勇者の忠告を無視した女剣士は、飲みほしたグラスを掲げて追加の注文。やたらと度の高いウィスキーをロックで頼んだ。

 二人の間で会話が成立しそうな気配がなかったので、リーダーはしぶしぶフォローしようとする。


「あのよぉ、ウィトン」

「なにか妹と和解できるいい案があるのかいっ、ジーク!」


 そんな都合のいい案はこの世に存在しねえよと思ったが、とりあえず反省を促すために続ける。


「まずさ、お前なんでいきなり帰って来たんだよ」

「え? いや、自分の家だし……連絡、いるかい?」

「……そうか」


 こいつは自分の家に十年近く帰ってきてなかったんだが、リーダーはそこには触れないでおく。

 それはまあ、ぎりぎりだ。十年間帰らなかったのには、勇者としての相応の事情がある。それに手紙はマメだったのは褒めていいことだとも思う。女魔術師はある時を境に届いた端から勇者からの手紙を開封することなく破り捨てていたことをジークは知っているが、まあ、仕方のないことだ。

 そしてあの家はすでに女魔術師と女剣士の家みたいになっているが、実際に勇者の実家だ。名義も彼のものである。そこに何の連絡もなく突然帰ってくる。ぎりぎりアウトだが、まだぎりぎりだからアウトでも許されるみたいなところは、この世の中には多々あると思う。

 誠意だ。大切なのは、アウトゾーンに踏み入ってしまった時にどれだけ誠実な対応がとれるかなのだ。


「それで、いきなり帰って顔出して、あいつに家出をされたんだろ? 妹とはいっても、それで嫌われてるってのお前でもわかっただろ。しかたねえよ」

「いや、まあ、ショックだったけど、うん。十年間放っておいたんだ。嫌われて、当たり前だと思う」

「そうかそうか。わかってたんだな。じゃあさ」


 実家に帰ったら、十年ぶりに妹と出会って嫌われているというのもおこがましいほど恨まれていることは、さすがにこの勇者でもわかっていた。面と向かって「死ね」と言われたのだから、誤解のしようもなかった。

 ちなみにこの勇者、故郷の都市に帰ってきて真っ先にやったことが家に帰ることではなく、とある少女の周辺調査でその間ホテルを渡り歩いていたのだが、リーダーはそれを知らない。ついでにその少女を十年以上帰っていなかった実家に招き入れて保護しようとしていたのだが、当然そんなことをやらかす人間がこの世に存在するなどとは良識のある彼は考えもしない。同じ歳位の少女だから妹と仲良くやってくれるに違いないとお花畑なことを思っていたあたり、勇者はレンに止めてもらったことをもっと彼に感謝したほうがよい。

 そんな勇者に、リーダーは呆れつつも自分の暴投を自覚しろと指摘する。


「なんであいつが出て行った次の日の朝に、ホテルのロビーまで迎えに行ったんだよ」

「心配じゃないか! あの子はまだ十六歳で、子供なんだっ。この十年間、関われなかったからこそ、これからは――」


 ダァンッ、と音が鳴った。

 びくっと勇者が肩を震わせた。リーダーは片手で顔を覆った。

 飲みほしたロックグラスをテーブルへと乱暴にたたきつけた女剣士は勇者を冷ややかに一瞥。だが、声をかけることはない。

 彼女は自分の無作法を詫びるためにマスターへ多めに料金を渡して立ち上がる。帰る気だ。

 とっさに勇者が追いすがろうと腰を浮かせた。


「あるて――」

「死ね」


 にべもなかった。

 呼び止めようとした勇者をただの一言で鋭く切り捨て、女剣士は店を出る。

 残されたのは、男二人だけだ。

 勇者はおとなしく自分のカウンター席に座りなおし、沈痛な表情になる。


「……ねえ、ジーク。僕は、どうすればいいのかな」

「俺が知るわけねえだろ」


 この勇者の家には、いま女剣士が住んでいる。なにせ彼女は、女魔術の後見人をしていたのだ。女魔術師を守るために、彼女が一緒の家に住んでいた。

 最初の後見人だったジークが結婚して以来、女剣士が女魔術師の世話を見ていた。当時、二十歳そこそこの彼女が血縁のない子供を引き取り、守り続けたのだ。

 それが誰のためなのか。もちろん女魔術師のためということもあるだろうが、それだけのわけがない。

 そしてこの勇者、勇者のくせに今日その女剣士がいる自分の家に帰れる勇気がなかった。


「ジーク」

「なんだよ」


 勇者は覚悟を決めた顔を、旧友に向ける。


「今日、君の家に泊まっていいかな」

「……ホテルに泊まって逃げるかあいつに斬り殺されるかの二択を選べ、勇者様」


 こいつみたいになりたくないから、早く家に帰って家族との時間を過ごしたいなと、しみじみ思ったリーダーであった。








 それに女魔術師が気づいたのは、ベッドにもぐりこんだ時だった。

 兄への怒りが限界突破をして、レンのところなら予想外で探索の手も及びようがないだろうと思って転がり込んだのだ。ホテルが一瞬で特定されたぐらいである。不動産関係も手が回っているかもしれないと彼女は警戒して賃貸を借りることを選択肢から除外し、普通ではあり得なさそうな場所を真っ先に選んだのだ。

 当初、女魔術師に危機意識はなかった。

 確かにこの新人は自分のことが好きらしいが、だからこそ自分が泊まりたいと言えば断らないだろうと思っていた。そして万が一、レンが血迷っても自分の方が強い。その自信が、同世代の男子の家に泊まるという暴挙を許したし、レンの人となりを観察して信用していることも大きかった。

 しかしベッドにもぐりこんで初めて気がついた。

 異性と、一つ屋根の下で寝ているということの意味に。


「……あれ?」


 もちろん何かあったりしない。レンは寝袋に入って床で寝ている。

 だが、そういう問題ではないのだ。

 女魔術師を動揺させたのは、いつもとは違う寝心地だった。いつもとは違うベッドの感触。いつもとは違う天井。いつもとは違う夜の音。五感が他人の家にいるんだと訴える。

 そして暗闇になったいつもとは違う夜、最も雄弁に女魔術師の意識に訴えかけたのは、嗅覚だった。

 呼吸と共に、自分の中に入り込んでいる香り。これは、知っている。ダンジョンの冒険の時に、覚えがある。

 頑張ってる時、汗だくになって剣を振るっている時、空気から伝わってくる、


「あいつの……」


 におい。

 思ってしまって、かあっと血がのぼる。

 とっさに毛布にもぐりこんで、直後にそれが逆効果だと気が付いた。


「ふゃっ」


 密集された毛布の中でますますレンの残り香を強く感じてしまい、全身がぶるりと震えて変な声が出る。

 慌てて顔を出すが、何せいつもレンが使っているベッドに寝っ転がっているのだ。逃げ場所なんて、あるはずがなかった。

 乱れた思考に呼吸を整えようとして、それすら役に立たない。呼吸の意識は、嫌が応もなく嗅覚を意識させる。

 自分とは全然違う、レンの、でも別に嫌ではなくて、むしろ――


「ッ!」


 ビクッ、女魔術師は肩を震わせる。

 突然レンが立ち上ったのだ。

 女魔術師の思考が一気に混乱する。

 え、まさか、もしかして、そんな。

 可能性は考えつつも事前では対処可能に決まっていると信じて疑っていなかったもの。なのにパニックに近い感情が暴れ出す。ばくばくと心拍数跳ね上がる。なんでなんでそんなわけと何に向かってかわからない思考がぐるぐる回る。

 しかしレンは、ベッドの方には近づかなかった。静かに歩いて、お風呂場に。ドアの開け閉めの音が響いた後には、また静寂が訪れる。

 女魔術師は、ほっと安堵の息を吐いてから、一拍置いて今のがレンの誠実さのものと悟る。

 異性の自分がいるから、彼は寝心地が最低だろうお風呂場に移動してくれたのだ。

 彼女は無意識の内に、ぎゅうっと毛布を胸に抱き寄せて、顔をうずめる。

 やっぱり自分のとは、違う香りがした。


「……なんなのよぉ、もぉ」


 今夜の彼女は、なかなか寝付けそうになかった。


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