加入の全肯定・前編


 日が昇るとともに、鳥の鳴き声が聞こえ始めた。

 朝の身支度を終えたイチキは、間借りしている部屋の窓を開く。早朝の清澄な空気が部屋のそれと入れ替わって、ふわりとイチキの黒髪を揺らす。

 朝一番の空気を胸いっぱいに吸い込んでから、息を吐いた。


「今日、でございますね」


 ミスは、許されない。

 イチキはきりりと顔を引き締める。失敗、するかもしれない。慣れきった日常のルーチンワーク、あるいは手慣れた物事への対処とは違う、ぴりっとした新鮮さ。こういった緊張感は久方ぶりだ。

 イチキは知っている。

 誰かと関係を結ぶのは、難しい。特に自分は、幼少の頃にはそれで失敗した。

 そんな自分を必要としてくれた人がいた。前を向く気力を失っていた自分をただ否定するだけでもなく。肯定するだけでもなく、手を引いて、兄姉になってくれた。

 人として生きて、それ以上に嬉しいことはなかった。

 だからこそイチキにとって、ありふれた人の縁は重要だ。偶然でできた縁、ミュリナとの友情を失いたくないと思っている。姉との絆は、言うに及ばず。何よりも大切な宝だ。

 その二つと密接に関わっている人と、今日、改めて顔を合わせる。

 慎重を期さなければならない。

 少なくとも、今日の顔合わせでうっかり「レンさまは前々から相談していた気になっている方で、実は手紙でやりとりしていたんです、えへ」などということが露見しようものなら、初日から修羅場は必至だ。それだけはなんとしてでも阻止せねばならない。

 逆を言えば、今日を乗り越えれば一気に楽になる。

 どんな状況になろうとも、万全の対処をしてみせると脳内でシミュレーションをしていると、ドアがノックされた。どうぞ、と告げると、ゆっくりと一人の少女が入ってくる。


「おはよう、イチキ。お願いしていたパーティーの件、今日だけど、大丈夫?」

「はい。もちろんでございます」


 笑顔を浮かべつつ、ちょっと胃が痛くなった。







「はい? 部屋の貸し出しなんてしてませんけど」

「え?」


 教会の受付で告げられた言葉に、レンはぱちくりと目を瞬いた。

 今日は、ミュリナの紹介でイチキと顔を合わせる日である。せっかくの挨拶だし、教会で部屋を借りようとしたら、受付の少女にそう言われた。


「ええっと……」


 ジークのパーティーにいる時は、いつもダンジョン探索の前に教会の一室を借りている。それができないと言われてしまっては、レンも困惑を隠せない。


「いつもは教会の部屋を借りてミーティングをしてたんだけど……?」

「いつも、と言いますといつですか? 実際に部屋を借りていた方はどなたで、どこの部屋を借りているかお分かりでしょうか」

「部屋を借りていたのは、ジークさんって人。大体、週に四回くらいの頻度で貸してもらってた」

「少しお待ちくださいね。……ああ、なるほど」


 受付の少女は、十二、三歳くらいの初めて見る子である。

 レンと比べてすら年若いというのにてきぱきと受け答えをした彼女は、何かの記録に目を通して一人納得したように頷いた。


「その方は教会の関係者ですね。彼個人の権限で一室を確保されていたようです。残念ですけど、教会に縁ない方に一室を貸すことはしてません」


 知らなかった事実を告げられ、レンの頬にたらりと汗が流れる。

 顔合わせの初っぱなからミスりそうだ。ミュリナには事前に「俺が部屋を借りておくから」とか大見得切っていたのである。それで部屋が確保できないとなると、格好がつかないこと甚だしい。

 ただでさえレンはミュリナと比べて雑魚なのだ。そもそもあるかどうかも不明なのだが、それでもリーダーとしての威信をかけて何とかせねば、交渉を持ちかける。


「あの、ジークさんの権限で借りていた部屋って、使えない? 俺、その人のパーティーメンバーなんだ」

「申し訳ありませんが、そちらの部屋はジーク様本人の申請がないと許可はおりません。春にパーティーが解散されるようですが、その後はディックさんという方に使用権利が移るようになっているようです」


 理路整然とした説明で、ばっさりである。

 レンはがっくりと肩を落とす。これ以上食い下がっても迷惑だし、礼拝堂の隅か廊下のどこかで顔合わせかと諦めようとした時だった。

 

「あれ? レン君どうしたの?」

「あ、ファーンさん」


 声をかけてきたのは、常連シスターさんである。彼女の名前を呼んだレンに合わせて、受付の少女も軽く頭を下げる。


「実は部屋を借りようと思って、はい。いま断られたところです」

「部屋を? なんでレン君が? いつもジークさんが申請してるじゃない」

「実は春から新しいパーティーを組もうと思ってるんです。その顔合わせですよ」

「おお、レン君が!」


 事情を話すと、常連シスターさんは驚きつつも笑顔になった。


「レン君がパーティーをかぁ。成長具合がすっごいなぁ。それなら……ごめんね、タータちゃん。ちょっと見せてくれる?」

「はい。こちらです」

「ありがと。タータちゃん、今日からお仕事と思えないくらいしっかりしてるよね。すごい!」


 おそらくは部屋の貸出記録か何かなのだろう。受付の少女を褒めながら紙の束を受け取った常連シスターさんは、ぱらぱらとめくって確認していく。


「あらら、やっぱり空きはないね。となると……あのさ、レン君」

「はい」

「レン君なら、相部屋でよかったら使えるとこ紹介できるよ?」

「本当ですか?」

「うん。ここなら大丈夫。レン君も知っている人が使ってる部屋」


 常連シスターさん教会内の部屋割りの図の一点を指す。

 指差された場所を見て、受付の少女が顔色を変えた。


「ま、待ってください! この部屋は――」

「いいのいいの。レン君だったら大丈夫。そもそも、あんまりこの部屋にいない人だし、個室があること自体が不満で共用場所にしたいみたいなこと言ってたから」


 噛みつくような受付の少女の声を、常連シスターさんはあっさりと流す。

 事情はわからないが、レンにとってはありがたい話である。


「ありがとうございますっ!」


 レンは誰との相部屋かすらろくに確認しないで頭を下げた。







 その場には、緊張感が漂っていた。

 今日集まったのは、レンがリーダーとなる予定のパーティーである。

 レンとミュリナとイチキ。人数こそ少ないが、レンを除けばその世代の才能ある人間しかいないという不思議なパーティーだ。

 それは、初顔合わせだからという理由ではない。実のところ、レンは一度イチキと顔を合わせたことがあるので、そんなに気負ってはいなかった。イチキは別の理由でいろいろと覚悟を固めていたが、そんな用意がすっ飛ぶような緊張感に襲われていた。

 問題は一つ。


「……」


 顔合わせのために用意した部屋が、無言で祈りを捧げる聖女さまとの相部屋だった。


「ねえ、レン? これは一体どういうことなの……?」

「俺もよくわかりません……」


 絞り出すような声色のミュリナの疑問はもっともだった。

 パーティーをつくるための挨拶をしようということになったら、同室に聖女様である。意味がわからないにもほどがあった。

 当の聖女様は、自分の個室に人がいることをいっさい気にした様子はない。

 レンが入ってきた時にメンバーを一瞥し「少年か。異教を導く役目を担うとは、感心である」と言ったきりだ。あとは目をつぶり、彫像のように祈りを捧げるのみだ。

 ただ、彼女はそこにいるというだけでただならぬ緊張感を生む。


「ごめんね、イチキ。リーダー(仮)のせいで、こんな訳のわからないことになって」

「いえ、なんといいますか、はい。いますぐにでも宗教勧誘をされるのではと気が気でございませんが、はい。大丈夫でございます」


 予想だにしない状況には、さすがのイチキも顔が強ばっていた。

 なにせイーズ・アンはこの国でも数少ないイチキ以上の存在で、姉とは存在からして相容れない敵でもある。どうせ顔は覚えられていないと確信しているが、一度無神論者を名乗った手前、万が一があると背筋に冷や汗を流していた。

 それと同時に、イーズ・アンとどういう知り合いなのかという興味が引かれてもいる。


「ま、まあ『聖女』さまについては、気にしない方向でいこう。大丈夫、だと思う。うん。俗世に興味ないから、この人!」


 このままでは自己紹介もできないと、レンは無理やり話を進める。一応、自分がリーダーになる予定のパーティーなのだ。


「今日は簡単に自己紹介したら、軽いダンジョン探索だけしようと思っている。俺の名前はレン。多少の秘蹟と簡単な魔術が使える、このパーティーのリーダー予定が俺です」

「わたくしはイチキと申します。若輩者ですが、幅広い魔術を修めている身ですので、前衛、中衛、後衛、都合のよろしいところに配置してくださいませ」

「あたしはミュリナよ。まあ二人とも知り合いだから自己紹介の意味はあんまりないけど……基本的には前衛で、遠距離魔術も修めているわ。イチキほどじゃないけど、戦闘面ならそうそう遅れはとらないわ」


 手早く簡単な紹介が終わる。というか、全員が早く終わらせようとしていた。

 さて、それではダンジョンに行こう。というか、この部屋から早くでようと無言の合意をなした三人が動き出した時だった。


「少年」


 イーズ・アンが、不意に目を開けた。

 気配のない唐突さに、イチキとミュリナがびくっと肩を震わせる。特に他の二人の存在を認識している素振りもない。


「修練の旅立ちに、聖句は必要か」

「いりません」


 レンは真顔で、きっぱりと断った。


「そうか。身で一つで修練の場に挑み、異教の者に信仰を示すか」

「はい。大体そんな感じです。それでいいです」

「なればこそ、教えが何たるかを身に宿して――」

「いいですって! 本当に! ミュリナ、イチキちゃん! 早く行こう!」

「そ、そうね」

「か、かしこまりました。しかし、レンさま。どういうお知り合いで……?」


 三人は逃げるように礼拝堂に向かう。

 途中で受付をやっていた少女に「なにか失礼なことしていないだろうな」的な恨めしそうな目で睨まれながらも、レンはダンジョンへと向かった。

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