イーズ・アンとファーン 前編


「なぜ、ここに」


 戦いが始まってから、初めてイーズ・アンが問いを発した。


「神殿での役目があるはずだ。いかにした」

「ちょっと胸騒ぎがしたので、半休をもらいました」


 ファーンが、あっけらかんと答える。


「先輩がいないから、タータちゃんと一緒に探しに来たんですよ」


 ファーンは神殿にイーズ・アンがいないと気が付き、修道院で出会ったタータと一緒に外に出て探していたのだ。心当たりを探している最中に公園広場に張られていたイチキの結界が解け、入ってきたのがいまだ。

 そこで、まだ年端もいかない少女たちに浄化の光を向けているイーズ・アンを目撃して、慌てて間に入ったのだ。


「それより、先輩」


 ファーンは地面にへたり込んだ少女たちを一瞥し、非難がましい視線を先輩へと向ける。


「ダメですよ。二人とも、まだ子供じゃないですか。教えが違うからってイジメるのは、かわいそうです」

「いじめなど、曲解にもほどがある。浄化による魔の消滅は、神の言の葉を理解しようとしない邪教徒への施しである」

「施しって……もう」


 その言動は大変遺憾です、とファーンは腰に手を当てる。


「それで相手が消えちゃったらどうするんですか。先輩の浄化の光って、普通の人にはちょっと強烈なんですよ?」


 ファーンと一緒に来たタータなど、先ほどの現場を目撃したショックで公園広場の入り口に立ち尽くしている。心から尊敬している人物が、自分の友達に浄化の光を向けていたのだ。顔面を蒼白にしているタータの心中は察するにあまりある。

 とはいえ、ファーンはいまさらこの程度の事態でうろたえることなどない。


「前だって冒険者を消しかけたことだってあるじゃないですか。まあ、私の経験上でも指折りのクソ客だったんであれですけど……とにかく、人に向けるのは控えてください」

「浄化に強弱など関係ない。信心の在り方のまま、世界はあるべきにある。浄化の光は、信仰のあるべき世界を照らすものだ」

「だーめーでーすっ」


 ずいっと詰め寄り、イーズ・アンへと真摯に語り掛ける。


「私たち聖職者は、いつだって神ならぬ自分の言葉で祈りを捧げます。秘蹟での信仰顕現で異なる教えの人々を追いやるのは、祈りの放棄にも等しい愚行です!」

「……一理ある」


 イーズ・アンに顔を寄せながら、ファーンはタータにしっしっと手を振る。その子達を連れて一緒に逃げなさいというジェスチャーだ。

 こわごわ頷いたタータがリンリーに近づいて手を引き、自力で歩けないほど疲弊しているイチキに肩を貸してそろそろと逃げる。イーズ・アンの視線が彼女たちの動きを追うが、ファーンが自分の体を盾にして遮る。


「……ファーン」

「なんですか、先輩」


 咎めるような呼びかけに、ファーンはいささかも動じない。

 だが揺るぎないのはイーズ・アンとて同様だ。あからさまに異教徒を庇ったファーンに問いかける。


「異教徒を異教徒のままとすることに、なんの意味がある? 彼らには、言葉が通じない」


 お前が言うなと思われそうな言葉だが、イーズ・アンの述べる言葉は信仰の真実でもある。

 彼女はイチキたちに対して言葉を尽くした。信仰と魔術の力の差を見せた。根拠となる論理で叩きのめした。その上で改宗の機会を与えた。

 それでもイチキたちが、イーズ・アンの言葉に応えることはなかった。

 もはや、これ以上はどうしたって救いようがないと判断を下すには十分すぎるほどに、手を尽くしたのだ。


「意思の疎通がならない。信仰を同じくしなければ、彼らは人になることすらできない」


 一神教の原理主義者にとって、異教徒は救済の対象にない。一神教の教えにおいて、彼らの神は彼らだけを救う神だ。

 だからこそ、すべての人々を彼らにして救済しようとする『教化』という概念が根強く存在する。


「布教こそが人を人とする唯一の手段だ。教えが通じない彼らには、人になろうという意思がない。どうしようもないのだ」

「通じないなら、距離をとればいいんです。まだ理解し合えなくとも、時とともに変わることを信じましょうよ。私たちだって、いまだ通じない主の言葉を解するために、信仰にいそしんでいるんですから」

「否」


 イーズ・アンはファーンが語る信仰の多様性と共存を、一文字で否定する。


「時間は偉大だ。しかし信仰は時を超える。それすら理解できぬ蒙昧な不信に邁進するのが異教徒だ。距離に触れ、時間を測り、世界を定義して構築して神を名乗り始める不遜を、どうして許せるものか」

「許せますよ。先輩が、自分で気が付いていないだけですよ。先輩なら、許せるんです」


 イーズ・アンの無表情に気おされることなく、ファーンは穏やかに断言する。


「だって先輩は、どんな立場の人も、信じていますもん」

「当然だ。隣人とは信仰を同じくする人のことをいう。ならば信仰を持たず、人である前の者を導くことは聖職者としての義務だ」

「違います。そういうことじゃありません。神の言葉を解さずに信仰を探すことを許すというのならば、やっぱり先輩は、人のことを信じているんです」


 ファーンの台詞は、イーズ・アンと同じ神を信じて、それでも人を信じている言葉だった。


「否。人は、人のことを理解できない。思いをともにする信仰を通じてしか、人は言葉を交わせない」

「確かに、そうです。私だって先輩との付き合いは長いですけど、先輩のことはまだまだよくわかってないです。きっと私が先輩のことを完全に理解することなんて、一生かかってもできません」


 ファーンは照れくさそうに笑う。

 これから自分の発する言葉が、素面で言うには気恥ずかしいことを自覚して、それでも声に出して伝える。


「でも、私は先輩のことを信じています」


 この六年、彼女はイーズ・アンと一緒に働いていた。

 最初は彼女の秘蹟の力に圧倒され、それでも交流することを諦めず、そのうちに教えの解釈を交わすにようになり、いつの間にか一緒にいるのが当たり前になった。

 人生の一部をともにしたことで、ファーンはイーズ・アンの信仰を丸ごと信じることはできずとも、彼女の人格を信じることに迷いはなかった。

 信じているからこそ、わかる。もしかしたらわかっていないかもしれないけれども、ファーンは自分の不理解を承知で信じていた。

 誰の目から見ても分かりづらく、もしかしたら本人も気がついていないのかもしれないが、無表情ながらひたすら真摯に信仰に邁進するイーズ・アンの胸には確かな人間礼賛があるのだと。

 ファーンは理解する以前に知っていた。


「だから先輩も、まずは自分のことを信じてください」

「自分、を、信じ、て……?」

「そうです!」


 ファーンは彼女を肯定する。

 理解よりも共感こそが、ファーンの信じる世界だ。教え導くのではなく、気づきを与えるために他人と共に過ごす信仰をファーンは選んだ。


「先輩自身のことを、まずは信じることから始めてみてください」

「我が身、を……信じ、る?」


 イーズ・アンの言葉が、途切れる。

 静かに顔を俯けて、長く沈黙する。

 自分の内面を見つめて黙考するイーズ・アンを、ファーンは辛抱強く見守る。

 いつも無表情で、信仰と戒律しかない彼女も人間なのだと、彼女自身に自覚してほしい。信仰以外のイーズ・アンという人格を、肯定してほしい。

 六年という年月で育まれたファーンの願いは、イーズ・アンの長く固まった心に波紋を広げた。彼女の芯となる部分に響いてしまった。

 そう。

 響いて、しまったのだ。

 イーズ・アンの心に変化をもたらしてしまったファーンの想いは、『聖人』という存在への救いになりえないというのに。


「ファーン」


 のろのろと、イーズ・アンが面を上げる。

 表情は動かず鉄面皮のままながら、顔を上げる動作に、いままでない迷いと感情の乱れが現れていた。

 皇国崩壊より幾数年、『聖女』は聖人として揺らぎ続けていた。

 仙人と出会い、聖剣が代替わりし、そしていま、信仰を同じくする修道女の言葉により、彼女という聖人の信仰が、ひび割れた。

 自分を、信じること。

 自分の人生を顧みる行為には、祈りよりも先に疑念と思考を必要とする。

 秘蹟とは、信仰の力だ。


『|泥の身(ルトゥム・ゴレム)』イーズ・アン。


 時代の末期に生まれた聖人。一度死んだはずの彼女は、信仰によって生かされている。

 ゆえに、ほんのわずかでも自らの信仰に疑念を抱いた瞬間、彼女の身を支えていた秘蹟は力を失う。

 ファーンがもたらした信仰を変化させる思いは、唯一正しく、聖人を殺す刃となるのだ。


「それは……不可能だ」


 ぴしり、と乾いた音を立てて、イーズ・アンの指先に亀裂が生まれた。

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