浮気の全否定・後編


「なにがよくてなにが悪いかすらわからなんて、あなたにはがっかりなの!!!!! あなたみたいなクズが存在するから戦争が勃発して世界が平和にならないってことをしっかり自覚してほしいのよ!!!!」


 明るく爽快な全肯定の時とは違い、攻撃的な迫力にあふれるハスキーボイスが吹き荒れる。

 世界各地の戦争の原因にされた錬金術師の青年は慌てたように手を前に出した。


「ま、待ってください!」

「待つ必要性を感じないの!!!!!! いいからさっさと世界各地の恵まれない子供たちのために全財産をなげうつといいのよ!!!!! それがあなたにできる贖罪なの!!!!!!!」

「だから、違うんです! 本気だったわけじゃないんです。ちょっとした出来心というか……遊びの一環で、教え子の方も、そうなんです。遊びなんです!」

「ほら!!!!!! やっぱり待つ必要が皆無だったの!!!!!」


 ばっさりだった。

 だが、悲しいことに奴隷少女ちゃんの言う通りである。いまの錬金術師の青年の主張は、レンでもかばう気にはなれない。


「自らゴミ箱に入れないゴミ野郎とはあなたのことなの!!!!  こんなところで自分のために千リンさんを使えるようなご身分じゃないことを自覚するべきなの!!!! 全財産を寄付したら速やかに出国許可証をとって、紛争地帯のボランティア活動に向かってほしいのよ!!!!!」

「そ、その教え子とそういう関係になったのは、泊まり研究の時の流れでっ。その一回きりで、それきりなんです! それ以降は、誓ってなにもないんです!」

「回数の問題じゃないということすらもわからないとは信じられない脳みそしてるのね!!!! 前は朴訥でも誠実そうだったあなたが、ちょっとした成功で調子に乗ったらこのざまなんて、心底がっかりなの!!!!! 自制心がないなら全裸になっておサルさんの群れに入れてもらった方が幸せになれると思うのよ!!!!」

「で、でも!」


 はたで見ているレンですら言い訳の余地がないというか、なんで言い訳してるのこいつと疑問に思える状況だというのに、錬金術師の青年は諦めなかった。自己弁護のために、必死になって声を上げる。


「教え子とのことは、昔の話なんですっ。それ以来は過ちもないですし、彼女にも許してもらったことなんです。なのに、ことあるごとにそれを引き合いに出して疑いを向けてくるんです! それは卑怯だと思いませんか!?」

「ちっとも卑怯だなんて思わないの!!!!!」


 絞り出された言い訳に対して、奴隷少女ちゃんの全否定には淀みがない。


「疑われるようなことをした人間が疑われるようになるのは当然なの!!!! それが罪を犯すってことなの!!!!!! 遊びだからなんて言っていたけれども、遊びだからって彼女さんが傷つかなかったと思っているの!!!??!!? あなたの彼女さんは嫉妬深いのではないの!!!! あなたのことを信頼できなくなっているのよ!!!!」

「信頼……」

「そうなの!!!!! かつてあったことは、例え許されてもなかったことにはならないの!!!! なにがあっても、その人が行ったことは残っているのよ!!!!!」


 響き渡るハスキーボイスの語調が、いつもの全否定の時とは違うことにレンは気がついた。

 込められている感情は、ただの嫌悪だけではない。嫌悪の表情よりも、怒りの熱が奴隷少女ちゃんのハスキーボイスにこもっている。

 それは、浮気というよろしくないことをした男を責めているから、というわけではないようだ。


「謝罪が受け入れられたから、罰をくだされたから、区切りとしての禊ぎがあったとしても!!!!!」


 どこか切実な怒りでもっての全否定が言及するのは、犯した罪に対する罪人としての姿勢だった。


「自分が誰かに犯した過ちは、決してなくなったりしないの!!!!!」


 奴隷少女ちゃんは、大きな声で人の罪はなくならないと叫ぶ。なにかの確信でもって、過去は覆らないと断定する。

 一度やってしまったことは、取り返しがつかないのだと全否定でもって罪人に叩きつける。


「あなたはもしかしたら、まだなにも成し遂げていなかった、あるいは女性と付き合えなかった頃の自分から成長していると思っているかもしれないけれども、それは違うの!!!!! いまのあなたは、あなたをないがしろにし続けた教授になりかけているの!!!!!!」


 錬金術師の青年が、はっとした顔をする。


「ぼ、僕が、あいつに……?」

「そうなの!!!!」


 青年の反応を見て、奴隷少女ちゃんはすかさず断言する。


「仕事で認められて、女性とお付き合いができて、成功体験が続いたあなたは前より多くの人に必要とされるようになったはずなの!!!!! そのおかげで他人とのコミュニケーションができるようになったと思っているかもしれないけど、それは違うの!!!! 人を傷つけまいとして奥手になっていたあなたが、成功したことによって他者から自分のふるまいを指摘されることが減っただけなの!!!!! その分、あなたが人を傷つけることに慣れてしまっただけなの!!!!!」

「人を、傷つけることに……僕が、慣れた……?」

「そうなの!!!! あなたが確かに持っていたはずの『他人を大切にする』という思いやりを忘れてしまったの!!!!! 成功体験の全能感によって、自分が大人物であるかのように錯覚してしまったの!!!! 」

「あ、ああ……」


 きびしい口振りで奴隷少女ちゃんは弾劾する。

 錬金術師の青年が頭を抱えて震えはじめた。


「あなたの浮気相手の教え子さんが、あなたの権力が目的だったとは考えられないの!!!?!!? 体の関係をもったことであなたがその教え子さんに便宜をはかったとして、それは不正ではないの!!!???!!? あなたが考えなかったせいで生じる不具合が、どれだけあると思っているの!!?!!?」


 奴隷少女ちゃんの指摘は的確だ。ここぞとばかりに言葉を並べる。


「かつて被害者だったから、加害者になることを許されると思っていたのなら大間違いなの!!!!! あなたの被害者にとって、あなたはただの加害者でしかないの!!!!!! 事情はくみ取られるべきだけれども、それが免罪になると思っているのならば、大いに改めて欲しいのよ!!!!!!」

「僕は、僕は……やっと成功して、一人前になれたって……ダメな僕が、まともになれたって、思って……」

「成功体験は必要なことで、自分に自信を持つのは素晴らしいことなの!!!! けれども自分大事になって他人をないがしろにすることはよろしくないのよ!!!!!! 踏まれて、踏みつけにされたあなたが誰かの人生を踏みつけようとしているの!!!!!」

「うあ、ああ……ぼ、僕が間違っていました」

「自分の過ちに気が付くのはいいことなのよ!!!!! ただ、そこから改善できるかどうか、一歩素踏み出して行動できる人間であるかどうかという話はまた別なの!!!!!」

「はい、その通りです……!」


 錬金術師の青年は、膝を地面に付け差し出すように頭を垂れる。


「僕が、バカでした。僕はいまもらった指摘を、この痛みを忘れたくありません」

「それはいい心がけなの!!!!! 失敗に痛みが伴うのは、同じ過ちを繰り返すなということなの!!!!! 痛みに怯えるのではなく、痛みを訓戒とするの!!!!!」

「だから奴隷少女ちゃんっ。僕を踏んでください!」

「お断りなの!!!! あなたの彼女さんに懺悔して踏んでもらうといいのよ!!!!!」

「はい! そうします!!」


 奴隷少女ちゃんの全否定によって改心した錬金術師の青年は、真面目な顔になって立ち去って行った。

 それを見送った奴隷少女ちゃんは、口元にプラカードを戻す。いつも通り、物静かに佇む奴隷少女ちゃんである。

 次の客であるレンに微笑みが向けられる。さすがは奴隷少女ちゃん。一度はヒモ野郎になったレンにだって、その笑顔は変わらない。

 そんな奴隷少女ちゃんの視線が、レンの持っている手紙にいった。


「……ぁ」


 本当に珍しいことに、待機中の奴隷少女ちゃんの微笑みが崩れた。全否定でも全肯定でもない声まで漏れて出る。

 だがレンは、ミュリナとのことがあったばかりだ。奴隷少女ちゃんとミュリナの間で心が揺れている上に違う女の子から手紙をもらっているという、ちょっとやましい状態である。そこに他人へのもとはいえ、女性関係の問題である全否定を聞いたのである。

 奴隷少女ちゃんの様子の変化に気がつける余裕もなく、レンはそそくさと撤退した。







 逃げるように立ち去るレンの背中を見送った奴隷少女ちゃんは、ぱちぱちと目を瞬かせた。


「……あの、手紙」


 便せんに使われた上質な紙に、丁寧な手紙の包み方。そしてちらりと見えた筆跡まで。

 あれは、イチキが連絡用に使う手紙と酷似していた。というか、そのまんまだった。

 イチキぼ使う手紙は特別製だ。特に返信用にと同封されるものは、高度な魔術がかかっている。拠点を探られないために郵便配達を使わないので、書き終えたら自動で鳥の形に折りたたまれて飛ぶようになっているのだ。

 それを、レンが持っていた。

 なんとなく、『兄と似ている人』の話をせがんだイチキの顔が思い浮かぶ。


「……」


 無言の奴隷少女ちゃんの眉に、むむむ、としわが寄った。

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